《慰めと励ましの言葉 125》  (桜台教会『月報1月号』より)

 

  『危機の時代を生き抜く為に』(ⅤⅩⅩⅤ)

                   牧師 中川 寛

    12月のキリスト教関係の評論はほぼガザ(ハマス)イスラエル戦争の現状報告とウクライナの戦争の進捗状況報告で埋まった。悲しいかな政府自民党によるパーティー券キックバック裏金不正流用や大阪万博資金の諸問題で、どれ一つ取り上げてもお金にまつわる不正がその根底にある。まじめに働く勤労者もいつまで続くのか不安である。一つ一つその問題の本質を明らかにするまでもなく、オリンピック開催以来の電通がらみの不正問題が介在している。不況が続き、円高による貿易も働き人にとっては先行き暗い問題である。

 

     さらに高度経済成長と共にお金による宗教団体の膨張化が、その会長の死去により大きく変革しつつあると言う。それは全国的な広がりを持っている。大阪ではPL教団の運営が上手くいかず、この夏の一大名物花火大会も実施されず、南大阪に偉業を放ったPL教団の象徴であった白亜の鉄塔も錆びたままだと言う。宗教団体は全て経済的に行き詰まり、理事会役員などの不正があちこちで裁判問題となっている。実のところ桜台教会も他人事ではないが、不正を行ってまで幼稚園問題にケリをつけることはしない。神の眼は厳しく注がれていることを忘れてはならない。今から思えば宗教組織と言えどもお金が全てであったかと笑いものになる。幸福の科学も巨額なお金を集めてどこに行くのか不明である。その金額は桜台教会を遥かに越えている。創価学会の池田大作会長についてはその親族から話を聞いていたので、熱心な折伏に負けた人々の今後の悲哀が心配である。もう年齢的にも生きているか分からないが大阪教会でおやじの援助を得て助けてあげたおじさんもお金だけの人生で、まじめに働くことをしなかった。今生きていたら百歳近くになっているはずだ。半年間伝道所で同居させたが、長く続かなかった。多くの場合努力が足りないのではなく、配慮が行きすぎたのではないかと思う。かえって本人を居づらくしたのだと反省した。戦後の混乱期を冷たく生きて来た大人にとっては愛情をもって共に支えられて生きることがつらくなったのではないかと思う。本当は大阪で店を出すぐらいの気持で働いてほしかったが、それは余りにも高望みであった。

 

    人間教育の基本は5歳までの家庭教育にある。母親への甘えの時期にしっかり愛して自立できるように支えなければならないが、つい親の方から甘えて溺愛するのである。日頃の愛情の足りなさを一度で子供に返そうとしても病気の子でも自立心を持っているので親の心を見抜いてしまう。ただ何事も厳しく育てればよいわけではないが、子供の心が安定するように愛の配慮が必要なのである。人は皆、子供をもうけて無手勝流に育てている。これではやがて大きなしっぺ返しを受ける事となる。子供であっても善悪の判断は持っているので、人格的・理性的に対応しなければならない。

 

    子どもへの教育の基本はまず命の尊さ(命の尊厳)、第二はみんな仲良しであること(愛による公平)、第三は嘘をつかない事、第四は暴力を振るわない事、第五は周囲への感謝を忘れない事、第六は他人の物を欲しがらない。これは家の方針であり現状では無理なものは無理と教えることが大事である。小さい時から感謝を忘れなければ他人の物をあれこれ欲しがることはない。その他ことば使いについて小さい時から教育しなければ大阪生まれの私のように自己主張が表に現れることとなる。もちろん子供は親の心を読み取っているのでオベンチャラを言うことはすぐに見抜かれてしまう。そして最後に首尾一貫した指導を行う事である。これからはAIがどのような教材をもって幼児教育をするか、大変危険な時代を迎える事となる。しかし聖書を通して心の教育(首尾一貫)を受ける事はひるむことなく立派に人生を送る人として成長する。それが聖書の約束である。

 

 

《慰めと励ましの言葉 124》 (桜台教会『月報12月号』より)                

   『危機の時代を生き抜く為に』(CⅩXⅣ)

             牧師 中川 寛

 

  

  今回のガザ・イスラエル戦争は10月7日のハマスによるキブツ襲撃事件から起きた。ハマス軍事組織による虚を突いた襲撃事件で220名に及ぶ人質が拉致され1700名の死者が出たと言われる。イスラエル軍はガザ地区撲滅のために空爆により既に7000人以上の爆死者を出したと報告された。また捕虜交換の為に一時休戦も話し合われていると言うが、イスラエル側はハマス撲滅の態度を変えてはいないようだ。実に悲しい戦争が始まった。襲撃開始以来ネタニヤフ首相は「紛争」ではなく「戦争」と呼んでいる。30年前の聖地旅行の経験から当時まだ赤茶けた戦車がシナイ半島の各地に放置されていたが、1967年の六日戦争の残骸であった。戦争体験はない者の小中学時代には空襲で焼け落ちた工場の残骸がまだ残っていた時代で、戦争のすさまじさは多少なりとも聞かされていた。母方の祖父、親族を原爆で亡くした経験や高校時代まで仏壇の上に飾られていた叔父の海軍機関兵の写真もそれなりに戦死者を出した家族の一員として今も心に留めている。軍事的危機にさらされている日本ではあっても戦争の危機を目の当たりにすることもない。しかし戦争はどんな時にも起こしてはならないし戦後の混乱期を再びもたらしてはならないとの意識は持ち続けている。1947年の建国以来イスラエルの歴史においては止むことなき生存の戦いであることは異例ではあっても忘れてはならない歴史である。戦争においては勝者敗者の両方において復興と再建のために多くの労苦が強いられることとなる。特にその人間性回復の為には戦後70年を経ても回復されたとは言い難い。

 

  平和教育はその根本において深く人間性教育が回復されなければならない。とりわけ宗教・文化の分野で強い感化強制力を持って習得されなければ、本当の平和の為に貢献できる人格者は育たない。

 

  日本の歴史教育において飛鳥・大和の古墳時代以前は弥生、縄文時代で古い遺跡による検証によって神話物語が解明されつつあるが、日本人と日本国のルーツを探る知的解明は遅れているように見える。日本人はゲノム解析遺伝子研究により多くのユダヤ人と同種の遺伝子を持っていると言う。その数は中国人や韓国人を上回って平均的日本人は4割にも達しているそうだ。寡聞にして専門的なことは説明できないが古代の人骨調査により縄文人や弥生人との比較より比率が高いそうだ。今後その判定がどのように歴史教育に取り入れられるかである。

 

  今更日ユ同祖論に戻るわけにも行かない。しかし神道の伝統とユダヤ教の律法教義の類似性は否定しがたいものである。ある人によれば明治時代以前の天皇家には8日目(お七夜:ユダヤ教では7日の夜は8日目に当たる)の儀式(割礼)が行われていたそうだ。明治以後お七夜は赤子の命名日となったと言う。虎の巻はトーラー(律法の書)から来ている。平安京時代より秦河勝や祇園祭、諏訪神社の御柱祭などモリヤの山でのイサクの犠牲の記述と同様、昔は75頭のシカが生贄とされていたと言う。「75」と言う数は使徒行伝7章14節の殉教者ステパノの説教に記述されている通り、エジプトの財相となったヨセフか飢饉となって食糧難に陥ったカナンの家族をエジプトに招いた際父ヤコブに同行した親族一同の数である。しかし伝統的にユダヤ教と同種の儀式が執り行われていても皇国神道は一切を黙秘して開示することはしない。著名なラビたちは消えたイスラエルの10部族を探索するためにシルクロードをはじめ中東アジアの少数民族と文化を探索し続けている。

日本人の特異性は武士道よりはるか以前、古事記・日本書紀の編纂前からユダヤ教的生活様式に馴染んでいたと言わざるを得ない。聖徳太子の17条の憲法も旧約律法からの口伝に基づくものと思われる。

 

 

  先日「BS世界のドキュメンタリー“かけらたちの家”」を見た。ロシアとの戦時下にあるウクライナでの或るシェルターの記録である。多くの子供達が集団生活をしている。全て崩壊家庭の見捨てられた子供達の実体である。「かけら」とは壊されて欠けた捨てられる陶器の割れた一部である。ロシアとの戦争で父親は出て来なかったが残された母親と子供達の映像である。子供達は兄弟、兄妹もおれば一人の子もいる。ほとんどがアル中になった母親の下で、母親に変わって兄弟の世話をして保護され収容された子供達である。最長9か月預けられるが、その間母親が立ち直って家に帰れる子供達はほとんどいない。親族に引き取られる子供もいるが、親族があればシェルターには来ない。朝昼夜と度々自宅の母親に養母の職員が電話を掛けさせるが応答はない。子供は母親が「またお酒を飲んでいるか、外に出ているのだ。」と言って諦めてしまう。職員は「仕方がない、また明日にしよう。」と諦めさせる。子供達はアル中であっても母親に会いたがっている。3歳の子供にすべてを理解させるのは難しいが兄達の顔色をかがいつつ、様子を探ろうとする。時に母親が会いに来るが、抱っこされながら「またお酒飲んだの?臭いにおいがする。」と子供は嫌がる。横を向いてアル中の母の現実を決して受け入れない子供の不安感がはっきりわかる。壊れた家庭に放置できない場合養子縁組も考えられるが受入れ家庭の事情にもより子供達は余り積極的ではない。シェルターでの期限が近づくと州の養護施設に送られることになる。子供同士でふざけ合い喧嘩をし、女の子同士でも髪を毛を引っ張り合い、降参するまで取っ組み合う。州の施設に送られてもシェルター時代の同じ部屋になりがっかりする。幼時期から小学生の時代までは親の愛情に飢えるもっとも大切な時期であるにも拘らず彼ら、彼ら、彼女らの心の穴には寂しさと虚しさだけが支配する事となる。涙無くして見る事のできないドキュメンタリーであった。

 

  戦後幼児期を過ごした私たちの世代はその後高度成長経済を名目に多くの友人達は両親共働きで、いわゆる「かぎっ子」と呼ばれる環境に育った。私にはその環境が良く理解できる。戦争の時代とは言え家族を、子供達を孤独にしてはいけない。荒れた心の状態は中高生の思春期に大きく現れる。自己を制御できない狂った感情は良い環境に馴染めば良い思い出として人生の宝となる。しかし思い通りに事が運ばなければ自暴自棄になるか落ちこぼれの意識に支配される。親から褒められる経験を持った子は自身を強めるが、批判されたり拒絶された経験は自信喪失に陥り、悪い環境に馴染んで道を間違えてしまう。信頼できて安心できる対象を持たない人間は安易な道を選び悲しい結末を迎える事となる。

 

  聖書が教えるキリストの愛は自己犠牲のアガペーである。親子の愛も友情も、男女の愛もこの愛に啓発されて内実あるものとされて行く。戦後民主主義教育は自由を重んじたが、その自由は罪から死に至る危険を告知しなかった。自由奔放は破滅をもたらす事を理解しなければならない。使徒パウロはローマ書でこう教える。『そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。(5:3-8)

苦難の道はまだ続くでしょう。しかしその圧力に負けてはなりません。希望に至る道はまだ隠されていますが、聖書の福音は決して私達を決して裏切りません。

 

 

 

 《慰めと励ましの言葉 125》 (桜台教会『月報11月号』より)

  『危機の時代を生き抜く為に』(CⅩⅩⅤ)

                  牧師 中川 寛

 

    美しい紅葉の季節ではあるが、自由にそれを楽しむ機会もない。身近でコロナに罹った人やインフルエンザで寝込む方々が多くなった。高齢者のみならず若い方々も様々な病気で日常が危うくされている。ぜひ皆様の健康回復を祈りたい。同時に日常の安全が確保されるように祈ります。戦争こそないが日常における悲しい事件が多発し多くの人命が損なわれている。異常気象による影響か各地でクマの出没があり、被害に遭われる方もいる。渋谷ではハロウインの混乱は避けられたとの事だが、まさかと思われる事故や災害が起きている。生活上の問題が人々の心を不安に陥らせ、考えられない狂気が起きる。もはや安易な日常予測は出来なくなったようだ。

 

 恥ずかしい話だがラグビーW杯決勝戦ではニュージーランドが勝つと予測していた。しかし最後まで1点を守り抜いた南アフリカが4度目の優勝を勝ち取った。両者ともに激しい肉弾戦で一時両者のキャプテンがシンビンで退場になり肩や顔がぶつかって危険なタックルとなって10分間の退場やレッドカードによる退場となった。選手の安全第一でルール変更になったが、それでも激しさは昔と変わらない。試合は何れも早朝であったので終了後のビデオで見たが、60年経った花園の芝生の上での昔の大阪大会の悔しさを思い出した。1963年から64年の期間であったが、2年次はスタミナ不足で負けた。高3最後の試合は同点終了、じゃんけんのくじ引きで布施工に負けた。可能ならば後5分でも試合をさせてほしかったが、それは叶わなかった。ラグビーは今では蹴球(ボールを蹴る競技)ではなく闘球(闘う競技)と呼ばれるが、その戦いに耐えうる体を作ることが基礎となる。特にスクラムを組むフォワードでその練習は厳しいものであった。共に汗を流した仲間たちは兄弟以上に親しい友人となった。中高時代にラグビーを経験したことは、まさか今日日本のチームが世界で話題にされるものとなるとは想像だにしなかったが、12月から始まるリーグワンにはワールドカップ決勝戦で活躍した13名の名選手達が来日して活躍する事となる。これは驚くべきことである。キリスト教文化の深化と共に、日本社会の良い国造りの一つとなることを期待したい。しかしそれでもラグビーは誰でも出来る楽なスポーツではない。でも楽しむことは出来る。試合終了後のファン達の礼儀正しさは日本のみならずフランスでも話題にされている。2019年の日本での大会以来世界のファン達がゴミ袋をもって会場を回って掃除するようになったという。黒人である南アの主将コリシは「発展途上国である南アの青少年たちに大きな希望をもたらすことができた。」と感想を語っていた。成果はすぐに現れないが日本のラグビーもあと30年経て堂々決勝リーグに名を連ねることになるかも知れない。しかし上を目指さなければ厳しい体力を必要とするスポーツなのでこのまま定着するとは思えない。その為にも更なる資金が必要とされるところである。

 

 ガザ・イスラエル戦争の行方が心配されるところだが、世界は経済の分野でも大きな不安を抱えている。物価高と共にウクライナ・ロシア戦争による食糧危機も不安を与える要素である。AI化の波と共に多くの人々は労働者激減の変化に不安を抱いていると言う。確かにAI化は便利でコスト削減には都合が良いが、人材を不要とすることに関しては仕事を失う人々が出てくることとなる。政府はその為の対策も考えているようだが、必ずしも明るい未来を予測することは出来ないようだ。

 

    最近知ったニュースを紹介しよう。身近な話であるが、今タクシードライバーが減少していて近く技能労働者として海外から運転手を呼び込もうとしている議員集団があると言う。技能労働者であるゆえに運転技術は確かであると思われるが、言葉の問題、地理に詳しいかどうかなど資格だけでは了解すること

ができない問題があると言う。アメリカではシェアドライヴが多くなったと言われるが、地理に不案内な運転手は距離を稼ぐために遠回りして料金を稼ぐと言う。言葉が通じなければ更に不安であり、事故も多くなっていると言われている。日本人は人が良いので運転手まかせにするが、アル中のドライバーもいたりするアメリカでは安心して乗車できないと言う。又トラブルが起こればすぐに裁判沙汰にされ、法外に費用を請求されるとも報告されている。運転手によるレイプ事件もあり常識を超えた事件が起きていると言う。移民国家であるので仕方がない面もあるが、日本もやがて同じ轍を踏むだろうと予測されている。様々な政府による規制緩和には受け入れられない裏があると言われるのである。

 

    電気自動車については中国では何百万台と言う電気自動車がゴミ同然に捨てられている。これはテレビの映像で見たのだが、コロナ前に導入された各企業の電気自動車が長期にわたるコロナ感染症の蔓延と経済活動の縮小によって自動車を維持できなくなってそのまま何百万台も放置されていた。マンション建築においても不況のあおりで建物が完成に至らないまま、電気のない部屋で荒壁むき出しのままローンを支払っている話が紹介されていた。夫婦は別々に出稼ぎに出かけ、子供は老人が世話したり知り合いに預けたりしていると言う。便利な生活が悲劇を生んでいるのである。悲しいかな「甘い話には気を付けよ!」との教訓は私達の周りにも数多くある。その内処分しきれなくなったソーラーパネルがあちこちに捨てられるようになると予告していた。設置や撤去にお金がかかり、電気代節約どころではなくなると言わなければならない。

 

    インドで起きた綿花不足の話には日本においても他人事ではないように思う。前回中国における食品産業の話を報告したが、インドでは2000年以来綿花の危機が生じ、今日では当時の半分しか生産されないと言う。インドの綿花は世界最大の栽培面積を持っているが害虫や遺伝子組み換え種子使用により一時は上手くいったが二年後以後は品質低下と土壌悪化によってその生産量も減少し価格も低下して、多くの綿花農家は破産し自殺者を多数出したと報告されている。収穫量の増加や害虫駆除などに役立つと期待された、ハイブリッド種や遺伝子組み換え種子を利用して栽培する「農業の工業化」もまた、必ずしも農家の貧困問題を解決する手段にはならなかった。むしろ、小規模の農家を一層苦しめる要因にもなっ』(globalnewsview)と報告されている。一度汚染された土壌はそう簡単には回復させることは出来ない。さらに綿花価格の暴落でインドの伝統的綿花農業は一大打撃を受けたと報告されていた。世界の農産品が戦争によって縮小せざるを得ず、食品価格の上昇に多くの国民が不安を覚えている。この不安が多くの若い方々の夢を奪っている。

 

 

   コロナ以後世界は大きな変動の時を迎えている。残念なことだがクリスチャンの生活も同様に様々な試練に立たされている。しかし聖書の神は決して嘘をつかない。厳しい現実であっても一人一人の日常に触れて豊かな知恵を注いで下さる。残念なことだが人はそれぞれの価値判断に基づいて自己の将来を決定する。しかし私達は全能者の判断によってその成果が決定される。何の役にも立たないと思っていた小さな奉仕が新しく大きな価値を生み出す。主イエスは福音の豊かさについてこう教えられる。『神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。』(マタイ4:30-32) からし種の木は不思議な生命力を持っている。数年間もう枯れてしまったと思っていた家の隅で、コロナ期を終えて自動車の通行の邪魔になるほど不思議に大きな木となり、きれいな黄色い花を咲かせた。

 《慰めと励ましの言葉 124》 (桜台教会『月報10月号』より)

    『危機の時代を生き抜く為に』(CⅩXⅣ)

                  牧師 中川 寛

    世界中が様々な意味で変革期を迎えている。運輸業界では2024年問題が語られ、運輸業界の変革が求められていると言う。人材不足と物流量の増加である。システムの変更が求められるが見通しは暗い。再配送の負担増が大きな原因になっていると言われる。今や簡単に携帯で注文できるが、配送にはかなり注意が求められる。多量の飲料水の場合は留守をしていたら本当に申し訳ないし、配達時間に家に居なければ二度手間になってしまう。企業においては特に製造業の場合は一人で専門職の場合、高齢化や病気・退職の場合、その専門職を養成するには大変な時間とお金がかかると言う。そこで各企業はすでに製作過程において多能工と言うシステムをもって対応しているところが多いと言う。治具作りにおいては専門職の人が各自一人で製品を作るのではなく、複数の人数でだれでもその製作作業が行うことができる多能工の人材を育成することが企業を継続する大事な経営政策であると言う。広島の従兄が研究開発したマツダのロータリーエンジン使用の「コスモ・スポーツカー」は1967年に発売されたが、今やそのノウハウを用いて小型ロータリーエンジンを主軸として作業用小型ヘリコプターのエンジンの製作を行っている東大阪の企業ではその研究と製作が単能工では製作不可能であったと言う。あまり専門的なので理解されないかも知れないが、全てAI化による向上であっても複数の専門職が監視点検しなければならないので、一人の専門職では事故や不良品発生の場合には対応不可能との事であった。

 

    今行われている4年に一度のラグビーW杯フランス2023でもその姿を垣間見ることができた。本来15人で行うラグビーはスクラムを組む8人のフォワードとラインを作る7人のバックスによって構成されているが、世界ランク10位以内の各チームは複数のポジションを守ることができて、それぞれ均等のスタミナを保持していなければ上位に食込むことができない。日本のチームも選手選考においてはそれによって選ばれなかった選手も出た。ようやく日本も様々なポジションで働きができる選手が増えてきたが、まだ世界レベルには至っていない。選手の高齢化も問題視されている。試合はヘッドコーチとチームの協議にもよるが、上位に食込むためにはスタミナとスキルのレベルアップが求められる。南アのチームでの驚きは、身長はそれ程でなくとも3人のハーフがバックスの攻撃要因として活躍していた。昨年日本でも活躍したハーフのデクラーク選手他二人がラインに加わったり、スクラムにボールを入れたりその対応が機敏で大量得点を得て勝利していた。

 

 

今後の日本の青年達も専門職であっても一つの事しかできないようでは取り残されて行く事になるかも知れない。幼児教育においても小さい時からあれこれと自由に動くことが将来の道を開くことになると思われる。世界と日本社会がどう変わって行くかは不明であるが、少なくとも単能工を経て多能工に結びつく人間教育が求められているように思われる。 またある意味でうれしいことだが女性の専門職の方々の活躍が目覚ましい。封建的な社会構造の中では反って男性の保守的姿勢の変更が求められているように思う。厳しい社会情勢で経済不況ではあるが生活環境はあらゆる分野でそのスピードを増しており、漠然と日々を過ごす生活では人生を放棄する道に進んでいるのではないかと悲しまれる。教会は本来自由で自律的な新しい生き方を指導する機関として機能していたが、桜台教会の場合も老齢化による停滞で、魅力的な教会つくりに進まなければならないと考えている。それでもこの危機の時代に頼るべき指針は五重塔やスカイツリーのような確かな心柱(聖書の言葉)を構築する事であると思う。

《慰めと励ましの言葉 123》 (桜台教会『月報9月号』より)

                

   『危機の時代を生き抜く為に』(CⅩXⅢ)

 

             牧師 中川 寛

 

   『この厳しく苦しい時代に神は一対何をしているのか?』 多くのキリスト者もまた不況のあおりと戦争の危機、混乱した世界秩序の中で教会を捨て、信仰を捨てて自信を喪失している。日々の生活を優先して教会生活を疎かにしている。お金のある人だけが安穏と居を構え、今日の生活費にあくせくする庶民は、今や周囲に気を配る余裕も失っている。実に悲しい時代である。しかし生活に余裕があっても援助の手を差し伸べた人が相も変わらず知人友人を騙して助けを求めてさまよう。人々は楽して生きる悪知恵を身に着けてしまったのか。教会に居て訪ねてくる人々の多くはお金をねだって諦めて帰って行く。使徒言行録にある通り、『わたしには金や銀はないが、持っているものを上げよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ちあがり、歩きなさい。』(3:6)と教えるのだが、人の心は自立する事より依存する事に慣れきっている。悲しい現実である。

 

   しかし、うれしい出来事があった。聖学院での教員時代から一風変わった牧師との出会いがあったが、退職後その方のご活躍や動向について詳細に知っていたわけではなかった。先日彼のアップしているYoutubeを通してボクサーで話題になったM氏の受洗のニュースを聞いた。M氏については教会員で歯科医のH氏によって現役時代からマウスピースの製作、装着管理を担当され親しく交流されていることを伺っていた。現役時代から奈良県出身のボクサーと言うことでM氏のことは気にはなっていたが、WBC世界ミドル級スーパー王者となられてその活躍に陰ながら応援していた。歯科医のH氏との楽しい交流を通じて、クリスチャンボクサーの金子繁治氏のご活躍が素晴らしく、二人のご子息も聖学院ご卒業で同窓会においても献身的に働いておらる。M氏も聖書の福音に触れて、キリスト信仰に生きる喜びを共有して頂きたいと願っていた。A牧師も大阪出身で、柔道家であった。彼は大阪人特有の率直なもの言いで、見栄を張ることなくご自身の牧師になったいきさつと経験してきた事柄を証しとして交え、同時に聖書の言葉をストレートに語る。キャンパス・クルセードの方式で若者たちには人気がある。1980年代より聖学院の宗教週間に合わせて毎年メッセンジャーとしてご奉仕頂いていた。当時は常にハーレーダビッドソンに乗り、ボンボンボンという特有のエンジンを響かせて生徒たちに招きのメーッセージを聞かせてくれていた。A先生には気楽に何でもお願いして、異色の牧師ではあるが、福音の確かさを楽しくおかしく語って頂いた。その後ミッション・バラバを組織し、米国をはじめ世界各地を伝道して回り、十字架を担いで日本列島十字架行進を皮切りに富士山一周、米国や韓国イスラエル行進を続け、今後は聖地よりシルクロードを経て日本まで歩く計画だと言う。イスラエルで活躍する榊原牧師は東京神学大学時代の先輩で、紛争中銀座の聖書協会で宿直アルバイトをしていた。ヘブライ大学に留学し牧師となった強者で、私の銀座教会時代彼が帰国した際によく話をしたことがあったが、聖地旅行を通じてA牧師もまたバラさん(榊原牧師の愛称)の働きを耳にすることができた。そんな親しい関係を持っていたA牧師ではあるが今も昔も変わることなく、時を選ばず、人を選ばず、キャンパスクルセードの「4つの法則」に従って伝道活動を続けている。若い時に全米柔道大会で優勝の経験を持つスポーツマンであるが、その活力は今日も変わりがない。ボクシングのM選手が引退を機にA牧師から洗礼を受け、新しい人生を歩み出したことは新しい神さまの御心であると感謝し、ともに喜びたい。 

 

   かつて金子繁治氏は「勝利は神さまが与えて下さるもの」で、決して強い自分が獲得した成果なのではないと話された。彼は常に努力の人で「Don’t Escape!」と講演の終わりに語っておられた。1953年敗戦後の日本に東洋フェザー級チャンピオンとしてラリー・パターソンに勝利し日本人に自信と希望を提供した。以後6度防衛戦に勝利した選手として記憶されている。

 

    今月8日よりラグビーワールドカップ2023年フランス大会が始まる。4年に一度の開催で今回は10回目となる。4年前の日本開催に続いてジャパンチームも期待されるところだが、サッカーや野球と違って優勝を狙う事は難しいと思われる。残念なことだが、「ローマは一日にして成らず」である。ラグビーもまたキリスト教国イギリスから始まったスポーツではあるが、他の二つに比べて最も精神的な素養が求められるものである。大方のスポーツは「3S」すなわち「スピード」「スキル(技術)」「スタミナ(体力)」があれば何とか出来るが、ルールに従って選手相互の信頼度が高く求められる。スピードをもって正確にパスまたはボールの処理が行われなければならないが、それは常に変わる相手チームの体制如何に掛かっている。その為のありとあらゆる技術、スタンス(態勢)、体力と瞬発力が80分に亘って求められる。特に今期からルール上危険なタックルは即レッドカードとなり、一人欠いた状態で勝利することはほぼ困難である。さらに前回大会以来ジャパンチームは新興国としてテイア1の各チームから激しく狙われている。2019年以後世界のトップチームの優秀な選手が日本の各チームに所属して皆大きな成果を上げてきた。逆に言うと強豪チームから日本チームの内側を既に知られてしまった感がある。世界の対策はすでに対日本戦においては手の内が知られていると言うべきか。この上更に自滅を招く反則やミスが重なると到底日本の勝利は望めないし、現状維持がやっとだと思わせられる。また今日に至るまでの文化や歴史の違いが大きなウェートを占めている。

 

   前回で終わった福岡堅樹選手や松島幸太郎選手はラグビーの「ダブル・フェラーリ」呼ばれ、名実ともにその実力を発揮しファンを興奮させたが、上位10チームの強豪には同じようなダブル、トリプルフェラーリがすでに活躍している。その点ではエディ・ジョーンズ前監督がその引退を惜しんだが、まだ福岡選手に変わる人材は見いだせていない。国際レフリー人となった滑川剛人君についてはあまり話題にされないが、今回のワールドカップではまだ出番が回ってきていないようだ。しかし彼はすでに日本では最高の位置にいる。海外の国際試合で活躍する時も近いと思われる。しかし福岡、松島両選手も同様だが、滑川剛人君においてもすでに33歳である。 もしラグビーで上位に入れば儲けものである。世界がそれだけ日本チームを注目している中で私はまだその時は来ていないのではないかと思うが・・・。ラグビーは文化と歴史の総合によって成り立つ競技であって、どれほど体力、能力に長けていても集合としての各選手の意識の高さが一致しなければ勝つことができない。それは国民性にも因るが外国人の多いチームではラグビーが国策として認められていなければ優勝はとても無理だ。

 

   世界平和が予測できない今は悲しい時代だと言わざるを得ない。日本のような戦争のない状態が今後いつまで続くのか誰も予測できない。また経済生活が安定するのも見通しが立たない。若い働き手が足りない中、AI化が進み、明後年の大阪万博は新しい時代のAI化された未来都市を見させるものだが、人間性を喪失した近代国家は有益な街造り、人創りが行われるかははなはだ疑問であると言うことになる。福音的信仰に生きる者は見えるものが全てではなく、見えない愛された愛の中に生きていることを感謝する人間でなければならない。教会は近代化される日本文化を立て直しために、見える形で愛ある関係を確認することが求められる。私はその第一の要因は新しい福音の再確認にあると思う。本来それらは女性が体験している事柄ではあるが、人を正しく導く契機はアガペー(自己犠牲の愛)の再確認にある。出産の痛みを知る女性は産み出した新しい命に最大の関心を寄せ、死に至るまで忘れることができない。それがキリストの十字架愛、神の愛であり、子に対する母の愛である。神は十字架の痛みをもって人間を愛される。ここに永遠の愛の価値が啓示されている。他者(我が子)のために痛みをもって産み出された新しい命が世のため、人のために捧げられる所に麗しい神の国が産み出されるのではないか。

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 122》 (桜台教会『月報8月号』より) 

               

   『危機の時代を生き抜く為に』(CⅩXⅡ)

 

                         牧師 中川 寛

 

   日本人として日本の歴史を正しく学ぶことは今後の日本文化を育成するうえでも大事なことである。昭和16年、岳父河田敬義(ゆきよし)は東京帝国大学理学部助手から東京文理科大学の助教授として長野県小県郡滋野村国民学校に疎開し 学生と共に授業を継続していた。 今年秋に召天30年を迎えるが、かつて敗戦と共に戦後の日本を建て直すために数学者として幅広い研究と教育に従事した岳父の新しい生きざまに思いを致すこととした。

 

   3年に亘るコロナ感染症による閉塞的な日常を過ごし、新しい情熱を喚起しなければならない時ではあるが、社会は異様な現象を生起させ、ウクライナ・ロシアの紛争に影響された世界経済もまた見通しの立たない不安を煽っている。今だからこそ、敗戦後廃墟と化した日本を建て直す使命を帯びて昭和27年よりプリンストン高等研究所メンバーとして研究を継続した一数学者の足跡を新たな記憶に留めることは大いに意義あることであると思う。

 

   幸い多くの友人数学者が寄稿して下さった『柔らかい頭と強い腕』(河田敬義追悼集)の中に筑波大学名誉教授茂木勇先生が古い資料を保管されていて、追悼集に載せて下さった。1945年9月14日付けの河田による通知文書である。戦後の混乱期疎開先から東京に戻り、10月1日からの授業再開に関する手書きのものである。各自が我れ先にと衣食住を確保し、生活の不安が先行する中、数学教育が国を再興発展させる重要な要素であることを身を挺して実行した。立派な教育者、数学者の姿・生き様がひしひしと伝わってくる。終戦直後の日々に重ねて読んでもらいたい。

   『 通知 今度左記により東京本学にて講義す。

   一、 東京開講日 十月一日(月)

   一、 滋野分室にて目下継続中の講義は九月二日までとす。

       糖地宿舎は今月末に閉鎖す。

   一、 二十六日、分室閉鎖式を行ふ予定。

   一、 現在貸し出し中の図書ある場合は、整理の為、必ず今月中に

       返却のこと。

   一、滋野所在の各自の荷物は今月中に発送され度し。止むを得ざる者

       も十月七日までに必ず引き取ること。今月末以降十月七日まで

       の間、荷物は国民学校旧銃器車庫に保管し、その間、茂木、

       上田、木村君残留す。

      (東京方面への鉄道便は駅止めにて  瓩まで   個引き受けと

       の事、念の為)

        九月十四日 

                               滋野分室      』 

 

 『 学生諸君へ 

   いよいよ、我々の滋野分室も東京へ引き上げることになりました。八月十五日の大詔をこの地にて拝しました。誠に聖慮の程畏い極みであります。しかし乍ら事茲に至った事を思えば、全く残念至極にて、涙落ちるを如何とも出来ませんでした。この惨めな敗戦の責は決して他に求むべきでなく、一に我々一人一人の上にあるのです。我々は国民の一人として、些な努力を捧げてきた来たと思ってゐましたが、然も猶省みて、この戦いの間、自己を正しく律する上に、又勤むベき道に怠り、欠けてゐなかったかと思えば、全く恥ぢ入る次第です。

 

   大詔を拝して、意外の事と思って狼狽し、将来の社会不安を思って危懼し、一時は混乱し、誰しも呆然となった様でありますが、之は何うした訳だったのでせう。戦争中は、皆一身を君国に捧げ、火の中水の中をも怖れぬ筈のものが、一朝にして戦終って、急に吾が身吾が家の大切にのみ気を奪はれたといふのではないでせうか。然し考えて見れば、一身を君国に捧ぐべき道が急に止めとなった譯ではなく、又その方法が閉ざされたものでもなかったのでした。

 

   皇国の危機は今日眞に到り、国民の難儀はひしひしと迫って来る時に、廃れた道義を興して、国家社会の支柱ともなる務めを有する者は誰でしょうか。 長い間目標としてきたものが失われたかに思われて、一時は大いなる絶望に陥ったとしても、世界の君子国日本の再興への動力を保持するものは、われわれ青年ではないでせうか。易きにつかうとする心を勵まして、難を冒して、今こそ、残された身命を皇国に捧ぐべき秋到るの志をもって、奮起しようではありませんか。(略)

 

   今こそ吾々の眞に目標とするところを十分に自覚して、大らかな心で努力する時です。学問への情熱を再び奮いおこして安易な生活を見限って下さい。東京での新たなる学園では、まず第一に形式的な殻を脱ぎすてませう。本当に実力を附ける様に学びませう。狭い学問の道に陥らず、広く豊かな智力を得る様に心がけませう。身体も練磨し、精神も明朗にし、溌剌たる意力により、万事自律的に行動して眞の大学の面目を獲なくてはなりません。形丈け学校に出席し、漫然とその日を暮らし、万事狭い自己本位の生活に陥ることこそ、最もいましめなければなりません。

 

   私は諸君が先輩をおいぬいて、肩を組んで堂々と前進する姿を瞼に描いて期待してゐるものです。

        九月十四日

                       滋野分室にて 

                                        』  

        (仮名遣い、漢字は原文のまま、原文は縦書き) 

   戦後の環境をそのままに文章が認められているが敗戦の痛手と共に新しい日本再建に賭けた教育者の心を感じ取ってもらえばと思う。

   河田家は毎夕食後10時過ぎには必ずティ―タイムが設けられていて敬義さんを中心に一時を過ごすことになっていた。一流の学者の家庭はこのような習慣を持っているのかと始めは緊張していたが、子供が生まれるとそれどころではなかった。然し話が弾むとプリンストンでの様々な経験を聞くことができた。東京大学理学部数学科は実に立派な先生方を仲間に加えて大変家族的な交わりを持っておられた。これもまた学問研究の成功と発展の基礎だと思われる。

《慰めと励ましの言葉 121》 (桜台教会『月報7月号』より)

               

   『危機の時代を生き抜く為に』(CⅩXⅠ)

 

            牧師 中川 寛

 

《国際政治学者伊藤貫氏の講演より》

 トクヴィル著『アメリカのデモクラシー』(続き)

   『人間にはもっと大切な真剣な自由があるはずであろうがというふうに。 トクヴィルは啓蒙主義思想を実践すると逆に自由を求めたはずの人間が本当の自由を失ってしまうということを5つに分けて説明してます。自由・平等・民主という啓蒙思想を実行すると国民は逆に自由を失っていくことになるという。 最初は 多数派至上主義は専制主義に至ると言う事。 2番目は 世論崇拝現象から生じる知的な画一主義について。 3つ目は 民主主義社会の平等主義から発生する人による抑圧現象もしくは嫉妬による抑圧主義が生じると言う。 トクヴィルが アメリカを見た限り嫉妬心がすごく強くなって それで他の人を抑圧しようとする。要するに法律的には自由主義が実行されるように見えても、抑圧的な傾向が強くなるという。 4つ目 がこれはヨーロッパの革命前の世界とそれから革命後の世界、そこから ヨーロッパとアメリカを比べた場合にトクヴィルは中間的な支配者層というのがアメリカには存在していないし 革命後のフランスにも存在していない。

トクヴィルはこの中間的な支配者層を非常に重視している。 5つ目が 中央政府による保護者的な統制主義による新しい奴隷制度。トクヴィルは 民主主義と自由主義、平等主義を実行しているとそのうち政府の力がどんどんどんどん強くなって政府は国民を保護してあげるというポーズを取りながら新しい奴隷制度を作ることになるだろうと言う。

 

   アメリカの言論迫害はスペインの異端審問よりひどいものであるという。彼は 民主主義、平等主義から発生する嫉妬による抑圧現象というのを説明して、自由と平等というものが常に共存できるとは思ってなかったと言います。これはまあやりだせばだんだん平等ではなくなってくるし、みんなを無理やりに平等にしようと思ったら皆さんの自由を制限しなきゃいけないわけですから、自由と平等っていうのはそう簡単には両立しないことはもう中学生だったら分かります。彼によれば平等主義、平等を望む人間の心理はしばしば社会の強者や優越者に対する嫉妬や怨恨となり、人々は自由な状態における不平等よりも隷属状態における平等を望むようになる。トクヴィルによれば人間の欲求の中で最も強いのは自由に対する欲求ではない。平等こそが人間の最も強い欲求であると言う。

 

   従って民主主義社会では優越した人 もしくは自分と違った人に対する嫉妬や不快感が政府の権力を使って人間社会の画一化を求める。人間の格差や差異を消滅したいという衝動となる と。人々は社会・環境の均一化と人間の同一化を求めるようになる。これによって政府は国民からの人間の平等化と金使いの要求を受け入れて 政府の規制権と介入権を拡大していく。つまり人々が民主主義平等主義の世界で 自分と違った人に対する嫉妬心とか恨みを持つようになると 政府はそれを利用して自分たちの規制権、介入権を増やしてより大きな政府を作っていくようになる。 これに関して僕が感じるのは今のアメリカです。 現在のアメリカっていうのは差別反対それから偏見反対という もうあの少なくてもマスコミと民主党はそれ一色です。 お前は偏見を持ってるお前は差別感情を持ってると、そういう風に攻撃相手を攻撃するのは これはもう連日起きてます。 これが要するにいわゆるあのポリティカルコレクトネスです。 もう一つはウォークネスですね。ウォークって聞いたことあると思いますけど、あのYou are not WalkとかI'M Walkとか要するにね 意識が高いとか意識が冷めているとかいう言い方です。 今のアメリカでは教育機関においても マスコミにおいても政治活動においても 行政機関においても 言論の自由と表現の自由が非常に厳しく規制されてます。例えば一番馬鹿げた話なんですけど 大学に入ると先生が生徒に対して男であれ女であれ、 例えば男の子に対して私はあなたをSheとかHimとか 呼んでいいかと。それともあなたはSheと呼ばれたいか、それともTheyとかTheirと呼ばれたいか、と要するに男の子をねSheとかHimって呼ぶと それはもしかしたらその男の子は自分のこと女だと思ってるかもしれないわけで、 その彼のアイデンティティを傷つけることになるわけです。 大学生の気持ちは男の子を見ると君をHeと言っていいかと。 もしくはHimと呼んでいいかと、で女の子に対してもあなたをSheと呼んでいいですかと。それともSheと呼ばれたいですかとね。 ひどい場合にはね小学校1年の先生が小学校の1年生の生徒にねDo you want to be call to He? とかね、 そういう風にね。そんなこと小学校1年生に聞いたって わかるわけないのにそういうことわざわざ聞くわけです。 それからあとはね小学校1年の先生が、 Hi, boy and girlsというと これがダメなわけですよ。 なんでかって言うと自分のことをボーイとガールとか思いたくない子供もいると。 自分はトランスジェンダーだとか。それからあとはジェンダーフルュードっていうのもあるらしくて、自分の性別はその日によって変わるんだと。 その日の気分によって変わるからあの生徒の前でハーイ,ボイジング ガールズとか言ったらこれ差別に繋がると。 これ本当のことです。 要するにポリティカル・コレクトネスト、ウォークネスから来る極端な言論の抑圧です。 言論の制限が実際に起きてまして、 だからアメリカに住んでる僕はこの嫉妬とか半差別感情による抑圧主義っていうのは笑い事ではないわけでね、とにかくそういう一般の英語におけるHeとかSheとか当たり前の表現でしょ。 HeとかSheも。 もしかしたら彼らはTheyとか単数のSheとか聞いてもこれにTheyもしくはThemと。 複数形の言葉で呼んでほしいというような要求をする人がいるんですよ。 だから英語の文法までめちゃくちゃになってきてるわけです。 要するに平等主義から発生した抑圧主義というのは アメリカではもうそういう言葉の最も基礎的な名詞とか代名詞をどういう風に名詞とか代名詞を使って、 ということまで制限されるよう な事態になっています。 これが平等主義と民主主義の行き着く末という ことですね。

 

   トクヴィルは啓蒙思想の自由主義・民主主義・平等主義を実践すれば国民の質は向上し、文明も良くなっていくだろうと、人間の政治も良くなっていくだろうということに彼の800ページの本でいろんな欠点を 非常に明瞭に説明して見せて、そんなの無理に決まってるということを証明したわけです。

 

   最後に彼が民主主義がどんどんどんどん悪くなっていくということを食い止めるにはやっぱり宗教心を復活させなければだめだと言ってます。キリスト教の関係っていうのは非常に複雑で彼は16歳か17歳まで熱心なキリスト教徒だったんですね。だけど16歳が17歳の時に哲学書をたくさん読んでそれでキリスト教の信仰を失ったわけです。しかし紀元3世紀から18世紀までのヨーロッパ文明の基盤となったのはやはりキリスト教的な人間観とキリスト教的な世界観なわけです。キリスト教の教義に疑いを抱くようになったトクヴィルではありますが キリスト教的な人間観と世界観は捨ててはいけないと、これを捨てたら大変な ことになる。これを捨てると人間はますます悪くなると彼はそういうふうに悟ったんです。 キリスト教的な人生観とか世界観は捨てちゃダメだという風に言い続けた人なんです。彼によれば神もしくは究極の真善美という概念を持たない限り人間は価値判断の基準を持てない。なぜならば人間っていうのはみんな目先の利益とか目先の自分の虚栄心とか、プライドとか権力金銭欲とかそういうのを満たすため生きてるわけだけど、そうすると目先の利益を、もしくは目先の権力を求めるために他の人と争うということしかできないわけです。トクヴィルは神もしくは究極の真善美というコンセプトを維持しない限り、人間は価値判断の基盤となるものを持てないということを指摘した訳です。』 以上。

 

 

《慰めと励ましの言葉 120》 (桜台教会『月報6月号』より) 

                

   『危機の時代を生き抜く為に』(CⅩX)

 

                   牧師 中川 寛

 

  東京大学大学院総合文化研究科で教鞭をとる友人から先に出版されたばかりの『なぜ子どもは神を信じるのか? 人間の宗教性の心理学的研究』(J.L.バレット著)と言う翻訳書を頂き、続いて『宗教が拓く 心理学の新たな世界 なぜ宗教・スピリチュアリティが必要なのか』を贈って頂いた。彼は日本における中高生・青年達のキリスト教信者の実態調査からなる入信の動機や信仰理解について宗教心理学の立場から研究を続けておられる学者である。ある意味今日の日本における新興宗教の広がりと反社会的動きを見る時、健全な信仰の育成が要請される大切な責務を担っておられる。特にキリスト教研究がその基礎をなすものであるが、混乱した社会事情において聖書が示すキリストの愛と教会の持つ教派的信仰理解の相違に疎外感を覚える中高生に勇気をもってキリスト教信仰の豊かさや人格形成上の円満さを獲得できるように研究の成果を生かしていただきたいと願っている。

 

  すべてがAI化され、世界の情報が多様化して正義や真理の基準が見通せない不透明な時代に至った今日、人々は将来の見通しも見定めることができなくなってしまった。幸いコロナ感染症はインフルエンザ並みの5類になったが更なる収束化が待たれる。同時にロシア・ウクライナ戦争の長期化も懸念され、世界経済への影響も物価高による生活苦へと悪化の一途をたどっている。近隣諸国のきな臭い報道にも今までとは違った緊張感が漂い、地震や異常気象による災害が非日常として私達の生活を待ち受けている。高齢化や少子化による将来の見通しも不安を惹き起す要因の一つである。信頼できる指導者の出現が待たれる時であるが、残念ながら明るい希望をもたらすものはまだ現れない。幸い日本ではミサイル攻撃による破壊活動は起きていないが、核兵器使用への不安はないと思われるが、大攻撃に踏み切ったウクライナの戦いも戦争収束への足掛かりはまだ遠いと思われる。世界が近代化を成し遂げた21世紀の今日、科学技術の進歩発展による都市化された町や工場が見るも無残に破壊されて行く戦争の様相は誰も予測できなかった事態である。

 

  思想や哲学、宗教の世界においても暗雲立ち込めた世界情勢の現状を切り開く道理を見い出すことができない。人間が良しとして選んだ国家形成の中でフランスの政治家トクヴィルの著作を知った。彼は1805年ナポレオンが皇帝であった時代にフランス・ノルマンディーで生まれた。パリ大学で法学学士号を取りヴェルサイユ裁判所の判事修習生となり1831年友人と共にジャクソン大統領時代にアメリカに渡りアメリカのデモクラシーを学びその実態を後に帰仏して二巻の書物に現わした。1848年2月革命の際に革命政府議員となり外相を担当した。1851年ナポレオン3世のクーデターに巻き込まれ逮捕されて政界を去ることとなった。その後著述、研究に没頭し54歳で世を去った。しかし彼の残したデモクラシーの書物はその後の民主主義がどのような経過をたどるかを預言した名著となった。米国の大統領選挙や政治体制に観られる通り、その混乱と退廃ぶりは全世界を巻き込んだ失望へと追いやり、世界の混乱の火元となった。たまたま

YouTubeで米国在住の国際政治学者伊藤貫氏の解説を見る機会を得て、行き詰まりの世界情勢の解決の糸口を確認することができた。伊藤氏は日本では保守主義の学者ではあるが、トクヴィル解説においてフランスの政治文化の背景にある革命の結果が何をもたらしたかが理解できる解説をしておられる。前後二本のテープに納められた長いものであるが、『アメリカのデモクラシー』解説を丁寧にしておられる。以下ご講演より転記してその概要を二回に分けてご紹介しよう。

 

  『なぜ今日トクヴィルの話をするかっていうと僕は現在のアメリカの民主主義っていうのは 徐々に崩壊状態に来てると思います。これは来年の選挙で誰が勝つかわからないんですけれども、来年の選挙で誰が大統領になって もろくなことにはならないです。アメリカ人のすでに7割以上がアメリカの大手マスコミの報道を信用してないんです。大手マスコミの報道を信用してるっていう世論調査での数はせいぜい20数パーセントなんです。国民の4割はこの前の選挙でバイデンが勝ってトランプが負けたのはイカサマである、この前の選挙できちんとした表の計算はされていないと国民の4割がおかしいと思っているわけです。

 

  政府の レジティマシー(正当性)ですけれども今のアメリカ政府が正当に選ばれた政府であるかそれとももどこか裏でFBICIAと司法省と国務省がイカサマをやって、それで FBIの司法省の検察官もFBIの捜査官も一切選挙違反をきちんと捜査しようとしなかったからバイデンがイカサマで大統領になった国かと。もう一つは民主主義にとって一番大切なのは報道がきちんと国民が信用できる言論の自由、報道の自由というものが存在しなければいけないんです。けれども今のアメリカは7割が報道の自由とか、報道がきちんとされているのかそれとも国民を騙すためにマスコミが動いてるのかと言うんで 7割以上の人がアメリカの大手マスコミの報道を信用してないわけです。そうすると選挙の結果を疑ってるのが4割とそれからアメリカの報道陣、 報道システムを疑ってる人が7割以上という国で果たして民主主義が維持できるのだろうかというと、僕はどんどんどんどん悪くなってると思います。要するに民主主義がきちんと動いてないことなんです。トクヴィルの本を読むとあのなぜそういう風になるのか、なぜ国民が民主主義、自由主義、平等主義を長期間に実行すると国民がそのような体制を信用しなくなるのかという一種のパラドックスを分析してくれているわけです。ですから彼の民主主義自由主義平等主義に対する懐疑心は哲学的とも言えるあの思考に基づいたもので、普通の政治屋さんが口ではこう言ってるけど 腹の中ではこう考えているとかいうレベルの低い話ではないのです。 

 

  彼が言いたいことを5つ最初に要約しますと民主主義体制を長期間続けていると国民が深く考える能力を失う。これが一つ目、それから2番目が国民が個人主義的になって 公の問題に対して無気力で無関心になる。 それから3つ目が国民が 徐々に自分のことにしか関心を持たない利己的な拝金主義者、要するにお金だけが欲しい、で金だけ儲ければそれでいいだろうという拝金主義者になる。それから4つ目がすごく複雑なんですけれどもこれ要するに、哲学的な問題なんですけれども、人間としての本当の自由を失ってしまう。真の自由ですね。要するに見せかけの自由っていうのはあるわけです。職業選択の自由とか好き勝手なことを言う言論の自由とか。それから表面的には政府に反対する自由とか、そういうのは残ってるんですけれども生きていく上での本当の自分で考えた自由を実践しているのかっていうとそうではなくなってくるわけです。ですから自由主義体制、体制を実行しながら実は国民が自分自身の人間としての深い自由を失っていくと。要するに表面的な浅い自由、シャロー・マインデッドフリーダム、シャローなフリーダム、あの深いあの自由っていうものは失われていくということをトクヴィルは説明してます。それから5つ目が人間の価値判断力がどんどん系列化して学問も芸術も文明の質的低下してしまい、価値判断を失った場所で民主主義自由主義をやってるわけです。 文明が停滞状態になっていく。これで思い出させるのが我々が思い起こすのはプラトンとアリストテレスですね。特にプラトンですけれども民主主義をずっとやってると国民が開発判断能力を失ってもう一度独裁者が出てくる。専制政治になるという風に言ったんです。プラトンがそう言ったのは24世紀前でしょ。24世紀前のことを1840年にこの本を書いたトクヴィルもやっぱり同意してるわけです。』 

  (次月へ続く)

 

《慰めと励ましの言葉 119》   (桜台教会『月報5月号』より)

  『危機の時代を生き抜く為に』(CⅩⅨ)

                  牧師 中川 寛

   新型コロナ感染症対策がようやくインフルエンザ並みの感染症と同じ扱いを受ける事となったが、4月以後の東京都感染者数が多い日には二千人を超えることもあり、安心して収束期を迎えたとは言えない。高齢者感染のリスクは高く、若い人々の感染後の後遺症についても様々な症状が出て、著しい体力の消耗が現れると言う。かつてのマスク着用や三密回避の対応は解除されたが、それなりに不安が残る。大型連休は三年ぶりの解放感が溢れ、人々の社会活動回復は待たれる。しかし一部の人々の活動の再会だけでは経済活動の活発化と再生につながるかはまだ確信が持てない。世界経済の成り行きや物価高騰、戦争や紛争の多発化が様々な希望的観測を弱めている。国際政治の不安定化もロシアが始めたウクライナへの武力侵攻もその激化は世界の人々を不安へと駆り立てている。民主勢力と国際的平和勢力の弱体化が全て活動改革勢力を骨抜きにしているようだ。紛争解決と平和維持勢力はかろうじて維持されているが、世界の耳目を傾注して変化への大勢力へと集合する見通しは立っていない。それでも日本は何とか表面的平和を維持できているのは国力の為せるところであって有難いと言うべきである。

 

   ウクライナの領土奪還に向けた最大の作戦が展開されると言う。民主支援国も新型戦車投入による対ロシア勢力の弱体化とウクライナの領土奪還に協力しているが、国土の破壊が激しい戦争の渦中において、ドローンによる無差別攻撃が行われ今後の終結への見通しも立たない。ゼレンスキー大統領の国土奪還の作戦展開も支援要請の強化と共に、世界における主権国家の確立と結集のために今後の世界経済の動向と共に民主国家の意思疎通の強化が待たれる。既に一年三か月を経た戦争終結への歩みも長期化を増し、無差別攻撃による不安感が高められているのが現状である。

 ウクライナの国を挙げての抗戦力は全体主義に対する人間の尊厳と自由の確保である。これは世界平和を考える上でその原点に位置する価値観の確保と考えても良い。今、平和運動をして戦争反対を叫ぶ人々において求められるのは自由社会の共通の価値観である「自由と人権」の確保である。人間の自由と尊厳が損なわれ人権が蹂躙されるところにおいては真の平和は得られない。

 

   使徒パウロは紀元65年以前の伝道者としての活動の中で初代教会を形成するために多くの弟子達を産んだ。ローマでの殉教を目前にしつつも弟子たちの宣教活動強化のために多大の貢献を成した。小アジアからギリシャ、ローマに至る各地に弟子達を派遣し、その活動の記録がパウロ書簡として新約聖書に残されている。皆さんは第二テモテ書4章10章にある『テトスはダルマティアに行っているからです。』との言葉を読んだことがあるでしょうか。テトスは言うまでもなくパウロが書簡を送った弟子の一人のテトスであるが、彼は「ダルマティア」に行っていると言う。その町は今日の「アドリア海の真珠」と言われるクロアチアのドゥブロヴニクである。この町は1382年(オスマン帝国時代)から1808年(ナポレオン占領時代)まで共和国としてヴェネチアに肩を並べる自由貿易国として発展した。ドゥブロヴニクは世界遺産の町として今では観光国として栄えているが、この町の古いロヴィリェナツ要塞の入り口には古い字で

    『NON BENE PRO TOTO LIBERTAS VENDITUR AURO

    (どんな黄金に換えても 自由を売り渡すな)

    (Freedom is not to be sold for any gold in the world)

と言葉が刻印されている。これはドゥブロヴニク共和国の主要モットーである。古いパウロの時代にキリストの言葉は伝えられ、歴史を超えて今日世界にその福音の意義を伝え続けている証しである。世界中の旅行者がドゥブロヴニクの美しい自然と古いキリスト教の礼拝堂に多くの人々を教導する聖ドミニコ修道院の活躍は歴史を通じて証しされてきたものである。ドゥブロヴニクは使徒たちの働きと教会の活動を通じて異教世界にあっても独自のキリスト教活動を展開し、1347年には救貧院が開かれ、1377年に最初の検疫病院(ラザレテ)が設立されたと言う。重い皮膚病をいやされたラザロの名にちなんで開かれた施設である。また1418年には奴隷貿易が廃止され、1432年には個人が開設されている。また1438年にはナポリの建築家を呼んで給水タンクに変わって公共噴水で水道橋を完成させ多くの工場を作ったと記されている。

 

   「ダルマティア(ドゥブロヴニク)」はパウロの弟子であったテトスが派遣された場所であったが、彼は後にパウロによって指導された「テトスへの手紙』を通して教会員を指導した。その教えは今日も引き続き私達が身につけねばならない教えである。『あなたは、健全な教えに適うことを語りなさい。年老いた男には、節制し、品位を保ち、分別があり、信仰と愛と忍耐の点で健全であるように勧めなさい。同じように、年老いた女には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように勧めなさい。そうすれば、彼女たちは若い女を諭して、夫を愛し、子供を愛し、分別があり、貞潔で、家事にいそしみ、善良で、夫に従うようにさせることができます。これは、神の言葉が汚されないためです。同じように、万事につけ若い男には、思慮深くふるまうように勧めなさい。あなた自身、良い行いの模範となりなさい。教えるときには、清廉で品位を保ち、非難の余地のない健全な言葉を語りなさい。そうすれば、敵対者は、わたしたちについて何の悪口も言うことができず、恥じ入るでしょう。奴隷には、あらゆる点で自分の主人に服従して、喜ばれるようにし、反抗したり、 盗んだりせず、常に忠実で善良であることを示すように勧めなさい。そうすれば、わたしたちの救い主である神の教えを、あらゆる点で輝かすことになります。 実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。 その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、 また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。 キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。 十分な権威をもってこれらのことを語り、勧め、戒めなさい。だれにも侮られてはなりません。

 

 

   罪赦されたキリスト者は与えられた自由を自分の肉の欲するところによって行使せず、愛と喜びに満ちた神の恵みに応える生き方をするように勧めます。ドゥブロヴニクのキリストにある愛の自由を行使する国家建設はやがて17世紀18世紀を通じて世界に大きな影響をあたえる共和国として発展しました。彼らは愛と自由の人として海外交易を盛んにし、ベネチアと肩を並べ、オスマン帝国と信頼関係を持ち、互いに利益を分かち合う「ウイン・ウイン」の関係を維持したと言います。15世紀にはクロアチア文学が発展し、海外交流を通じて世界を知るものとなり、想像以上の文化交流を成し遂げました。ドゥブロヴニクの商人は自由に土地を旅し、街には世界中を旅する商船の巨大な艦隊もあったと伝えています。彼らはインドからアメリカまでいくつかの集落を設立し、彼らの文化と植物の一部を持ち帰ったと言います。やがてアメリカ独立戦争の時には国家形成の理念としてその信仰の花を見事に咲かせました。彼らは、「自由」が目立つように描かれた白旗のを掲げて航海し、成功したと言います。今ウクライナは真の自由を確保するために命を懸けて戦っていると訴えている。

《慰めと励ましの言葉 118》

   (桜台教会『月報4月イースター号』より)

 

 『危機の時代を生き抜く為に』(CⅩⅧ)

 

         牧師 中川 寛

 

    始めから私事で恐縮だが2月3月に経験した有難い事情を話しておきましょう。1月末以来体調を壊して厳しい二か月を過ごした。その理由は老化と寒さにありました。体力には多少自信はあったのですが、不整脈で心拍数が170を超える時がありました。「Apple Watch」を使用するようになったのは金属部が直接手首に触れないので手の冷え防止に好都合だったからですが、その機能の中に心臓の脈拍を測る心拍測定機能があり、数年前から心房細動の危険性があるので心臓医に診て貰うように催促を受けた。ところがその頻度が増え、度々やかましく連絡されるので、数値も高くなったので定期健診の際に診て貰う事とした。心臓エコーの検査は予約制なので、2月中に終える予定が日を間違えて3月にずれ込み、担当医が言うにはもはや投薬による回復は無理との事。他の同僚医師に相談の結果翌日に即入院、手術となった。さほど重視していなかったので担当医から詳細に手術順序を聞いたが要するに心臓に電気ショックを与えて正常値に戻すこと、また再発の可能性があるのでカテーテルアブレーションで心房内の先端を焼き切って心房細動が起こらないようにすると言う。詳細を熟知しているわけではないから、すべて信頼して医師の処置に委ねますとお願いをした。

  

   思い起こせばSeptember11、2001年大腸憩室症で緊急入院してから左右の変形股関節置換手術、糖尿病教育入院2回で今回6度目の入院手術となった。最初に執刀してくれた外科医は今院長をされている。しかし忙しい病院では患者の名前も覚えていないだろう。有能な先生方はより良い病院にまた大学に移られるので、知り合いの先生方は数名であった。丸二週間、患者はすることもなく検査を受けるだけなのだが、不思議なことに多くの新しい発見があった。手術は二度とも麻酔がかけられていたので、痛みや苦しみは尿管着脱だけで終わった。

 

   最初の電気ショック治療はAED電気パットと同様で背中に置いたパットに心房細動発信地点を確保して処置するものだが、あっという間に終わった。終了後今までの心拍数異常が嘘のように消えた。元々不整脈は大腸憩室症による大量下血から始まったのだが、年齢的にも危険は感じなかったので、その後放置していた。ラガーマンに限らずスポーツ選手は大食漢が多く、若い時代はともかくも中年になると内蔵も老化し、様々なストレスで病気を併発することとなる。当時は教員の健康診断でバリュウム検診を受けたが、そのすべてが排出できなくて憩室に残り、長時間の空腹時に腸壁を傷付け、約千ccの失血でショック状態となり緊急入院となった。学校の健康診断は健康異常なしであったが、一週間後大手術を受ける事となった。当時救急車で搬送されたが、都立病院は良い医師を集め新築し、スタッフも皆信頼できる方方であった。その伝統は今も変わりがないと信じている。

 

    特に術後の回復を待つだけで痛みも苦しみもないまま、ラジオでWBCの経過を聞きながら持って行った聖書と数冊の本を読んだ。しかし窓辺に目を遣ると朝夕大きな真っ白い富士山がよく見えて驚いた。以前は北側に面した病室だったので、遠く日光、白根山や男体山が見えたが、西側に面した今回の入院では東京からこんなに大きな富士山が見えるとは驚きであった。やはり日本一の山であることに間違いはない。関西や富士山以西の人々には初めて関東に入る際には富士山を眺めるものだが、高層階に住む東京人が毎日晴れの日には雄大な富士山を眺めて生活できることも心の成長に繋がることと思われる。静岡、山梨の地域においても富士山を見て育った方々には心のよりどころになっているに違いない。大自然の中で人間を考えることはますます必要となっている。もう一つは晴天の週日には午後3時過ぎから6時過ぎまで東京上空には羽田行きの飛行機が百機あまり進入路として飛び交っていることに人々の交流の実態を感じたことだ。日曜祝日には飛ばないが、週日決まって西から羽田に向かう飛行機と東から来た飛行機が豊島区千早小学校上空を大回りして羽田に向かう。騒音問題もあるようだが、日本の発展と高度成長の実体を目の当たりにすることも、今後の日本を考える上で大事な視点だ。事故が起きたら元も子もないが、世界は大きく成長し、航空産業の発展は同時にその国の成長の証しであることに違いない。しかしそれはミサイルや戦闘機抜きの話だ。

 

   心房細動の手術を経験して23年以上不整に動いていた心臓が見事に平静を取り戻した。不整脈が激しい手術前に心臓の鼓動による共鳴現象が全身に走った時には本当に驚きを感じた。手のくるぶしほどの筋肉臓器が体内の血管を通して体全体を硬直させる程のパワーを持っているとは全く予想しなかった。誕生から死に至るまで、人によっては百年以上活動し続ける臓器の力強さは父母への感謝以上に神による創造の奇跡であると認識させられる。それにしても人は自己中心で目前のことしか見えていないのは不幸なことである。同時に自分の生誕についてあれこれ不平を述べる人がいるが、神は公平な方である。人の幸不幸を超えて各人の生全体を祝福しておられる。ただ人はその働き掛けに応答するかしないかで人生そのものが変わる。悲しいかな世界の世俗主義はその働きかけを無価値なものだと切り捨ててしまう。唯物主義が横行し、持てる者が勝利者であり、進歩発展する文明の最前線に場所を確保する事が幸せを確保する証しであると考えている。しかし世界はさらに悪化している。

 

   世界を変える大きな要素はより良い教育によって支えられる。それは長い文化を築き上げてきた良質の歴史を学ぶことである。その第一人者は聖書の教えである。旧新約聖書の教えは単に信仰の問題ではなく、歴史を導いてきた生きた経典である。どこからどのように学ぶべきか。あまりにも分厚い書物で、小説のように楽しく読めない書であるが、聖書を通じて人生の最高の知恵が習得される。

 

    世界の混乱と社会の無軌道は聖書が語る福音の核を見逃しているからである。教育の根幹は家庭教育にあるが世界は確信をもって親が子を指導する責任を放棄したことが今日の混乱を招いている。モーセの十戒は人間教育の基本であるが、その根本となる軸が理解されないまま文言の押し付けでは誰もその教えを受け入れることはしない。しかし人は基本原理に立ち返らなければならない。

 

 

   入院中若い看護師の方々に四葉のクローバーの話をした。四葉のクローバーはなぜ探されるのか。幸運をもたらす葉だから。学校では四つの愛について語ってきたが、今一番知らなくてはならない愛の種類である。4つの愛。愛は日本語であるがギリシャ語ではエロース(人間愛・男女の愛)、ストルゲー(親子の愛)、フィーリア(友愛)、アガペー(神の愛・自己犠牲愛)を表わす。アガペーは自己犠牲、無償の愛と言われるがキリストの十字架が象徴している十字架の愛である。痛みを伴う愛を一番よく知る者は母たる者、女性である。母でなくとも子を産む時の痛みについては皆学んだ筈である。キリストの痛みを伴う愛は無償の愛である。母たるのものが体験している痛みの愛を十字架の愛をもってもっと積極的に語らなければならない。カトリック教会は聖母マリア像に似せて信仰を証しした背後に母たる者の痛み、苦しみを共有する体験がある。産みの母は死をもってわが子を救う。それが神の愛である。人間は他の動物とは違う。自然の性交によって人は自然に誕生するものではない。それ故に性欲に任せて強姦的性交を正当化することはできない。性は命に係わる最も大事な宝である。母たる女性はその重要性を子供たちに伝えなければならない。結婚において性の意義が満たされる。結婚に至らない性交は全て人生の負い目となって男も女も共に人生を苦しめるものとなる。もちろん与えられた家族は夫たる者が死に至るまで責任をもって支えるのである。キリスト者は性においても強くなければならない。

《慰めと励ましの言葉 117》

        (桜台教会『月報3月号』より)

 

『危機の時代を生き抜く為に』(CⅩⅦ)

          

         牧師 中川 寛

 

   あまり一般的に評価されないテレビ番組であるが、NHKBS海外ドキュメンタリーで取り上げられる世界の最新事情には驚かされることが多い。多くはウクライナ・ロシア戦争の戦況報告ではあるが時々英国、フランス、ベルギー、オランダなどが世界最新事情を取り上げて特別番組を企画し、世界の行方を紹介するAIの進化によりすべての人物像がアバターによって作り変えられ、本人そのものが勝手な言論を展開させたり自由な意見を開陳して世界を動かしてゆく虚偽の現実が世界を支配しているとの指摘には、テレビを見る者の歪められた認識が世界を支配している様子が良く分かる。今や映像による報道はフェイクニュースであることを前提に見聞きしなければならない。片や戦争が継続する現状では情報戦が主流をなすので一般庶民には何が真実であるのか分からない。

 

   米国における中国機関や製品の締め出しは単に国益が損なわれる盗難防止ではなく、さらに悪質な国家乗っ取りの手段となることが危惧されている。国防の為にはドローン気球を破壊するだけではなく、スマホやiPad使用による民主社会の破壊と乗っ取りに悪用される危険があり、その情報も敵対国の思うままに運用される危機感に支配され続けている。チャットGPTにより質問課題は自由自在に応答し、米国大学では論文作成まで行えるとの事で使用禁止になったとの事。かつて論文作成のために原典講読は専門分野に生きる人にとっては当然のことであったが、AIの進化によってほとんど労せずに課題が作成できるとの事である。しばらくは多くの無能な学者が悪知恵を働かせて自己宣伝に頭角を現すことであろう。

 

   米国のアマゾンが開発した農業開発により、世界は大資本中心の農業革命が進化していると言う。かつて米国の大農場は小型飛行機をもって農業を営んでいたが、主要な産物の育成と販売はアマゾンが買い占めて独占的に植物生産販売管理を行っていると言う。かつて独占本屋としてのアマゾンではあったが、衣料食料品にまで進出し、日常雑貨は当然のごとく、家具、ハウスの販売にまで拡大されていると言う。さらに驚いたのは中国の大企業がこの方式を習って、農作物のみならず、子豚の生産から出荷まで、大農園を全てAIで管理しつつ市場への食品を配送しているとの事。もちろんすべてAIによる管理で、生産コストも低額で需要に応じて出産数を増減すると言う。かつて山間の都市であったところが交通網の発展により運送コストも下がり一大拠点として北京上海に物流を送り込んでいる様子が紹介されていた。その巨大資本が日本に及んできたならば、数年後には中国配下の日本産業は消滅することも考えられる。

 

   今後人口的にはインドが中国に肩を並べると言われるが、中国の一帯一路は東南アジアからユーラシア大陸、アフリカ各国へと拡大され、世界文明の大きな変更が起きて来ると言わざるを得ない。文明の歴史は宇宙にまで拡大され、欧米を抜いて中国の脅威は計り知れないものとなっていると言う。

   危機的時代を迎えてはいるが、多くの日本社会はまだ真剣にこの事実を見定めてはいないようだ。物流の上では遥かに上を行く中国社会の変容を多くの日本人は70年前の中国の価値観や民族性に心して、残念ながら世界戦略を実施する中国社会の変容を受け入れてはいないようだ。日中友好が歌われる限り戦争にならない限り平和を維持できると考えている日本人は多い。しかしこの時期であるゆえに国家の存亡についての危機意識を自国の独立と主権維持のために明確な目標を掲げて教育と産業育成に力を発揮しなければならないと思われる。

 

   今や個々人には世界平和の為に貢献できる生き方は可能であるが、高い展望をもって人生を生きる生き方が求められる。その為に若者は多くの勉学を重ねてより高い価値観を身につけなければならない。戦後78年を迎えるこの時期、世界情勢が様々な変化を遂げてきたがコロナ感染症の3年間を経て自然災害、戦争の危機、不況の長期化によって社会の悪魔化が増して来たことは事実である。平和で希望に満ちた環境の構築は並大抵のものではない。私の周辺にも多くの落後者が出て厳しい生活を送っている。どこから立て直すべきか、何とか生計が維持できるようにと願わざるを得ない。

 

   然し旧約聖書のイスラエルの歴史を読んでみると紀元前千年の王国成立期以前においても神の民の厳しさには想像を絶するものがある。ダビデ、ソロモンの時代に建てられたエルサレム神殿が苦境にある民の祈りの場所であり、回復の祈りを捧げる礼拝の場所であったことが記される。歴代誌下6章にはソロモン王の祈りの言葉が記されている。『またこの地に飢饉が広がったり、疫病がはやったり、黒穂病、赤さび病、いなご、ばったが発生したり、敵がこの地で城門を封鎖したり、そのほかどんな災い、どんな難病が生じたときにも、あなたの民イスラエルが、だれでも、災いと病苦を思い知って、この神殿に向かって手を伸ばして祈るなら、そのどの祈り、どの願いにも、あなたはお住まいである天から耳を傾け、罪を赦してください。あなたは人間の心をご存じですから、どの人にもその人の歩んできたすべての道に従って報いてください。まことにあなただけが人の心をご存じです。』(6:28-30) 『更に、あなたの民イスラエルに属さない異国人が、大いなる御名、力強い御手、伸ばされた御腕を慕って、遠い国からこの神殿に来て祈るなら、あなたはお住まいである天から耳を傾け、その異国人があなたに叫び求めることをすべてかなえてください。こうして、地上のすべての民は御名を知り、あなたの民イスラエルと同様にあなたを畏れ敬い、わたしの建てたこの神殿が御名をもって呼ばれていることを知るでしょう。あなたの民が敵に向かって戦いに出て行くとき、あなたの遣わされる道にあって、あなたのお選びになったこの都、わたしが御名のために建てた神殿の方を向いてあなたに祈るなら、あなたは天からその祈りと願いに耳を傾け、彼らを助けてください。 もし彼らがあなたに向かって罪を犯し、――罪を犯さない者は一人もいません――あなたが怒って彼らを敵の手に渡し、遠くあるいは近くの地に捕虜として引いて行かれたときに、彼らが捕虜になっている地で自らを省み、その捕らわれの地であなたに立ち帰って憐れみを乞い、『わたしたちは罪を犯しました。不正を行い、悪に染まりました』と言い、捕虜になっている地で、心を尽くし、魂を尽くしてあなたに立ち帰り、あなたが先祖にお与えになった地、あなたがお選びになった都、御名のためにわたしが建てた神殿の方を向いてあなたに祈るなら、あなたはお住まいである天からその祈りと願いに耳を傾け、裁きを行い、あなたに罪を犯した民を赦してください。わが神よ、この所でささげる祈りに目を向け、耳を傾けてください。』(6:32-40)と。

 

   なにゆえに聖書が三千年にもわたって読み継がれ、主の教会が祈りと礼拝の場所とされて継続してきたのか。それはひとえに生きとし生きる者が人種、民族、年齢、性別の差異を超えて不完全な人間への神による救済の機関として打ち立てられたものであることを証しする。たとい戦争や紛争によって祈りと礼拝の場が損なわれても、聖書が証しする歴史の証言は神による再生の拠点として、神の教会(エクレシア)は霊的力によって守り続けられるのである。 『信仰、希望、愛』と使徒パウロが教える時、イザヤ書53章の苦難の僕の姿が証しされ、贖われた人々の生きる栄光の姿が描写される。個人の信仰心によっては明らかにされない魂の救済が明瞭に啓示されることとなる。それは神に依る終末を自覚する心において明示されるものである。キリスト者の信仰の確かさが暗黒の世界を救う力となることを覚えたい。

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 116》 (桜台教会『月報2月号』より)

         

   『危機の時代を生き抜く為に』(CⅩⅥ)

 

            牧師 中川 寛

 

   先日ラグビー部OB会が3年ぶりに大宮の卒業生のレストランで開かれた。皆この時を待ちわびていたが、私も久しぶりに元気な皆さんと会えて嬉しかった。残念ながら50代後半のOBは都合で参加されなかったが中には健康を害した者もいてみな歳相応に健康にご留意願いたい。それにしても日本のラグビーの様変わりには驚かされる。かつて60年前の花園でこれは大事だと感じたプレーの一つ一つが、今まのあたりにして世界レベルで展開されるのを楽しませていただいている。スピード、スキル、スタミナは昔以上に求められるが、同時に仲間の絆、つながりと相互のリスペクトが素晴らしい。日本の企業も組織もこの感覚が体得されるならば日本文化は更に成長し発展するに違いない。その為には手抜きをしない、自分に勝つこと、ルールを守ることが基本である。世界のラグビーに肩を並べることができるようになったその成長の度合いは日々のラガーマンの屈指の努力の成果と思われる。しかしすべての栄光がそうであるように、一部の不心得者の出現によって直ちに転落させられる。悪の誘惑は避けられないが、常に目を配っていなければ成果は得られないものである。ひとかどの社会人であってもわきの甘さが直ちに転落を招くこととなる。しかしそれでも各チームの伝統は語り伝えられ継承される。高校の全国大会でも20年、30年ぶりの出場校もそれを物語っている。ジャパンリーグ・ワン所属のチームが犯した不祥事も、大学合宿所での大麻使用等もラグビー界の克服されざる汚点であるが、今後も世界から注目されるチームに成長する為には常に上を向いて克服されねばならない問題である。技術や経験を超えて精神的成長が期待されるところである。 

 

   中高時代の教え子達が試合で活躍されるのを観戦することも教師冥利に尽きる。しかし人にはもって生まれた特性もあり、一口に頑張れと言ってもできないことはできない。然しそれでも各自の特性を見い出してチームに貢献していることは素晴らしい。国際レフリーで活躍するN君の今を誰が想像し得たか。南アのデクラーク選手と変わらない体型であるが、前回のワールドカップ優勝の役者が日本に来てプレーしているのをテレビで観戦するだけでも感動する。ましてや1995年のネルソンマンデラ率いるフランソワ主将が『われらはフランス・ユグノーの末裔である』と勝利宣言と共に開口一番に語ったことは忘れることができない。同時にスポーツは歴史に翻弄されつつも時代を大きく左右する力が働いていることも忘れることができない。

 

   1960年代の記録で定かではないが、日本との国際試合で片腕のカナダ出身の選手が活躍していた。傷痍軍人であったが、ラグビーを通じて平和を訴えていた。今ウクライナ・ロシア戦争に関連して作家の藤島大氏が早稲田監督であった大西鐡之祐氏の戦後の働きを紹介している。ラグビーに青春をささげたラガーマンたちが人生に絶望せず再び立ち上がって情熱を燃やしている逸話を多く紹介していて感動する。今どれ程のラガーマンたちがラグビーに関わっているか定かではないが、信仰と結びついた伝統的ラグビーの精神が国際平和に登場する時、世界は平和を取り戻すに違いない。前にも紹介したが、台湾ではラグビー出身の牧師が大勢いる。聖学院でもラグビー出身の牧師が各地で活躍している。体力もあり知性もあって有能な方が多い。感謝である。中学から好きな教師に教えられて高校で良き先輩たちに育てられ、それなりに今日までラグビーと拘わりを持つことができたのも多くの方々の支えと交わりによるものと感謝している。小さな学校の小さなクラブではあるが、ラグビー好きに支えられることがまず第一点であろう。組織が大きくなればそれなりに問題も大きくなるが、二、三の反対者が出てもラグビー愛好家の父兄や仲間たちが庇ってくれたことも立派な卒業生を輩出する大きな支えになった。

 

   私が生まれた地は古くは大阪府泉北郡東陶器村大字福田と言った。近隣は大きな百姓家で村は北から南に向かう西高野街道沿いの田舎町であった。物心ついた時から南の丘陵地帯は昔埴輪や陶器が出土し、錆びた刀剣も多数発掘され町の文化遺産ともなっていて、渡来人がいたと教えられた。南には狭山池があり、最古の人造ダム池として4世紀頃建設されたと言う。また狭山池は731年僧行基によって修復されたと言われている。

 

  僧行基は奈良大仏建立に貢献した人で、空海(弘法太子)に100年程先立って活躍した人である。実家の前は西高野街道が通っており、堺から高野山に登る人々が行き来したことが偲ばれる。家の北隣りにあるお寺(興源寺)はさほど大きくはないが、他に比べて春夏秋冬かなり熱心にお祭りを行っていて、子供の頃は近隣の子供達も良く祭りに誘われていた。昔、行基が休憩寺として建てたと言われている。行基は和泉国家原(堺市西区)に生まれた渡来人の子でその働きは空海と似ている。昔から北に約1キロ行ったところに『土塔(どとう)』と呼ばれる地区があり、何があるのかと思っていたが、13層になった一辺53メートルの土の塔で一見小ピラミッドである。この土塔も僧行基が造ったと言う。奈良大仏殿が建てられた当時、日本は天然痘の流行、飢餓、政争等社会不安の高まりから聖武天皇が国家の安寧を願って詔書を発したと言われている。民衆の間にもこの『土塔』の建設により社会不安を静め、民衆の中で意識改革を行ったと思われる。

 

  更に不思議なことだが、私が生まれた地は「福田」と呼ばれる。田畑の収穫に恵まれ田圃があるところだと考えていたが、僧行基の仏教思想に『福田思想』と呼ばれるものがあり、良い行為の種子を蒔いて功徳の収穫を得る田地の意味で、仏教社会福祉の理念を知る言葉であると言う。大乗仏教では菩薩(求道者)の知恵と慈悲に基づく利他行が重視され、『福田思想』は仏教徒の社会実践の基本となったと言う。僧行基が行った社会事業は将に、自らから事業に参加することで民衆のために力を尽くす『福田』そのもので、これにより多くの知識(仲間)たちは仏教の功徳を得ることを希求したと思われる。信仰を高め相互に成果を得る共同体成長の思想と言われる。この思想の実現に『福田』の地名が付され、同時に一つのモデル地区とされたようにも思われる。『土塔』の建設も当時の仏教徒たちが共同体を立ち上げて熱意発揚のために計画されたとも解説されている。 

 

  今では何の変化もない所謂シャッター街と同様の旧農家であるが、それなりに歴史的に由緒ある文化的貢献をしてきた村であることが理解される。実家の北に位置する仁徳天皇陵(大仙古墳)や堺の南蛮貿易で栄えた中世自由都市としての誇りだけでなく、日本の国力を誇る多くの遺産が蓄積されていることを誇らしく思う。かつて前方後円墳としての遺跡の一つでしかなかった仁徳天皇陵(マナの壺型)の存在が、仁徳天皇崩御後に敢えて巨大な御陵を国家尊厳の証しとして建設されたことについて、今日では偉大な軍事力の誇示、行使ではなく、ヤマト民族の威厳を誇示し、国民性を誇るものであると理解されている。世界平和を求めつつ、平和に貢献する国造りに励まなければならないだろう。 様々な問題をはらんではいるが、生きがいをなくすための文化はもういらない。不況続き時代において悪の根拠を断つ努力を続けることが必要なのである。コロナ感染症の収束が待たれねばならないが社会不安がつのる中、サタンの働きをする諸勢力を放任しておくことはできない。国際化が進む中で、価値観の違う人間性を持っていて、同時に平和に暮らすことは苦痛でもある。しかしそれ故に共通の価値基準が求められる。ある文化の価値観を強要することはできないが、互いにリスペクトし合う人間性を磨くことがまず求められる。教会は宗教的価値観を絶対的規範とするのではなく、愛にあって自己を客観化する福音的価値判断を重視する。宗教、文化は深い伝統に根ざした誤解と偏見に満ちているが、コロナ後の日常においては自己否定の上に他者肯定できる新しい価値観が必要とされる。強い人間国家でなければならない。

 

 

《慰めと励ましの言葉115》(桜台教会『月報1月号』より)  

             

   『危機の時代を生き抜く為に』(CV

 

           牧師 中川 寛

 
   新年あけましておめでとうございます。本年も皆様の上に主にある平安と祝福をお祈りいたします。今年の新年はクリスマス以来の大雪であちらこちら事故が多発しています。同時にニュースを通して語られる凶悪事件も陰湿なものが増えてきています。善良な人々の働きが阻止され、命の危険がもたらされる事件が増加しているのは本当に残念なことです。皆様の上に平和と安全、ご健康をお祈りいたします。私はすでに教会関係の方々で10名を超える兄弟姉妹たちが召され、ご家族の皆様にとってもつらく悲しい日々を過ごされていることをお聞きしています。実はわたしも日本的に言えば昨年夏に78歳の兄を亡くし喪中の為に年賀を失礼することになるのですが、クリスチャンであるゆえにそのようなことは致しませんが、喪中であることをあえて表明することなく年賀状を出すのも嫌な思いをされる方がいたら申し訳ないので、必要があれば年賀明けに寒中見舞いでもお出ししようと思っています。中には75歳過ぎれば面倒なので年賀状は失礼しますとの連絡を受けている方もいますが、皆様どうぞお元気で良い年を迎えて下さるようにお祈りいたします。

 

   昨年クリスマス礼拝には初めての方々も参加され、キャンドルサーヴィスも少しは参加者の回復が成ったように思います。多くの人々が宗教に対する不信感を抱き、キリスト教会以外にも運営上危機感が増し、宗教法人の理事会や責任役員会で財産処分するところが増えているとの事、特に大きな寺院や神社は一部の代表者たちによって勝手に財政的切り盛りがなされていて信者から不信を買っているとの事です。教会も同様に判断され、健全な活動が阻害されていますが、桜台教会は勝手に財産処分をすることは致しません。悲しいかな財政的に行きづまった教会では役員が勝手に不動産を処分したり、後継者がいないので公共の団体に寄付して解散し、しばらくぶりに近くを通ったら区の児童公園に変わっていたりするところもあり、福音の働きに陰りが出ているところもあります。戦後熱心な信仰により開拓伝道で教会的基礎を築いたところも牧師家族との折り合いがつかず勝手に処分されたり先代牧師一族と裁判沙汰になったりしてあまり良い福音の証しがなされていない所もあります。その点で桜台教会は勝手に土地財産を処分することは致しません。今年創立72年を迎えますが、幼稚園活動は先代一族が始められたもので閉園されますが、土地財産は教会のもので、神さまに捧げられたたものを人間の欲得のためには使いません。既にその間の維持運営には多額の献金が用いられていますが、信仰の証しにならない処分は教会にあってはならないと考えています。時間はかかりますが、皆様の捧げられたものを教会や牧師・役員の一存でなくしては福音の恵みを無駄にすることになります。

 

   桜台教会の宝物は福音的信仰と豊かな音色を持つパイプオルガンです。コロナ感染症のゆえにオルガンの風箱修理後感謝演奏会を未だ開催することができていませんが、今年の夏には実現できるように準備したいと思います。素晴らしい環境が整えられているのに諸集会や葬儀さえできないのは残念なことです。

 

   新しい年を迎えて福音の証しができるように聖書の勉強会を行いたいと思います。日本のクリスチャンは洗礼を受けて数か月で教会生活を止めてしまう人々が多すぎます。忙しい世俗の生活が教会生活をダメにしていると言うべきでしょうか。或いは魅力ある教会活動がなされていないからと言われるかもしれません。然しクリスチャンの信仰生活は生涯続けるべきもので、その交わりの豊かさは人生における一大宝物です。様々の善き人生経験を積んだ方々の証しに導かれ、及ばずながらみじめな私も励まされています。かつて英国の教会で目の見えない老人が華やかな衣装で参加していたご婦人から、朝の挨拶の後「礼拝後の華やかさはあなたには見えないから本当にかわいそうですね。」と言われたと言う。盲人は「とんでもない。私はずっと目が見えませんでしたが、昔から教会のこの雰囲気が最高なんですよ。」と話して障害があることを苦にしていないことを証ししたと教えられました。

 

   実は月報12月号にクリスマス前に出版された福本俊平君の生涯を描いた『なぜ君は笑顔でいられたの?-神と人とに愛されたその生涯-』という感動の本を紹介しようと考えていたのですが、大木先生の訃報を聞いて書くことができませんでした。Facebookには短く紹介したのですが、1月9日(月)に青山学院の短大チャペルで出版感謝会が開かれるとの案内を頂き、この機会にぜひ紹介しようと思いました。

 

   福本俊平君は常盤台バプテスト教会で洗礼を受けた青年でしたが2020年11月11日33歳の若さで召されました。聖学院中学に入学した時から快活な生徒でグランドに出る坂道を元気に走り回っていました。中学3年の時筋萎縮症のような難病になり、高校生になって車いす生活になりました。彼はスズキメソッドでバイオリンを習い、高校生時代は病気と闘いつつも一人前のバイオリニストとしてピアノの伴奏を付けて演奏活動もしていました。学校では音楽部員であると同時に宗教部に所属し、一緒に夏の修養会にも参加し、クラスや学年の宗教委員として献身的に活動に参加していました。桜台教会で毎年開催している6月の花の日こどもコンサートには中学生の時から参加していましたが、最後の演奏会となった高校2年の時、ご両親に運ばれて桜台教会の階段を上がって演奏してくれたのですが、ほんの数分経って弓を持つことができず床に落として、「ごめんなさい。もう演奏はできません。」と一言会衆に語り演奏ができなくなったのです。その場にいた友人たちも励ましましたがそこまで症状が進んでいるとは私も知らなかったのですが、帝京大学病院での精密検査の結果「先天性大脳白質形成不全症」と言う病気が発症していることが解りました。学校では多くの友人に支えられつつ教室移動をしていました。卒業後、ご両親の判断で青山学院の淵野辺相模原キャンパスで大学生活を送ることになりました。高校時代から多くの友人に支えられて頑張ってきましたが、大学では校門近くのアパートにお母さまと一緒に住み、多くの学友たちが彼を支え3年生になって渋谷キャンパスに変わり、今度は電車通学をすることになりました。ご家族はすべてを彼の日常に捧げて無事に経済学部を卒業し、障碍者として教会で働くようになりました。その後症状は悪化してきましたが、彼は讃美歌を作詞し、全国の障碍者たちとの交流を広げ、飛行機で地方に講演に出かけて多くの人々を勇気付けました。その多くは彼を取り巻く方々の支えによって活動をつづけましたが、常に謙虚で多くの方々にキリストのかおりを伝えました。高校2年の時洗礼を受けてクリスチャンになりましたが、33歳の生涯を終え、周囲の方々に良き感化を与えたのは驚きに値します。青山学院大学の教授方や大学関係者の方々の特別のご配慮のあったことを感謝します。同時に青山学院キリスト者学生会の皆様の献身的なご奉仕と交わりのあったことも感謝以外の何物でもありません。彼とその仲間たちを通じてキリスト教教育の使命が生きている現実を学ばされます。彼らの仲間から献身して牧師になって活躍する卒業生もいることは、神さまは生きて今も共に働いておられる大きな証しであることを思います。

 

 

   幼児教育の虐待や高齢者、障碍者への暴力や偏見が大きな社会問題となっていますが、キリストの自己犠牲はアガペーと呼ばれます。エロース(性愛)やフィーリア(友情)、ストルゲー(親子愛)と命名される人間愛を超えた神の愛(十字架の贖罪愛)こそが唯一純粋なピュアー・ラヴであることを忘れてはなりません。

 

《慰めと励ましの言葉 112》 (桜台教会『月報12月号』より)                  

   

   『危機の時代を生き抜く為に』CⅩⅣ)

           

           牧師 中川 寛

『神よ

変えることのできるものについて、

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、

それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、

変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。』

 (ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉:

  大木英夫牧師が日本に紹介した有名な祈り)

 

  去る1130日、荘内のY牧師から教会で発行した冊子が送られてきた。神学校の同級生で彼はICU卒業後献身して東神大に編入し共に1971年大学院を卒業した。言うまでもなく紛争時代で厳しい信仰との戦いの日々であったが、同時に貧乏学生でもあった。たまたま修士論文の指導教授が同じで、無事に卒業論文を提出した後、私にとっては深く記憶に留めているが、Y牧師と共に卒業を前に大木教授夫人手ずから準備されたすき焼きをご馳走になった。神学校の卒業生同窓会も紛争時で疎遠になりつつあったが、Y牧師から事あるごとに冊子を送って頂いていた。その中にこの度の冊子の発行の準備中に大木英夫先生が逝去されたと記していた。

 

  共に神学生時代ご指導いただき、聖学院中高宗教主任時代は共に学校教育に拘わらせていただいたが、退職後気にはなっていたがその後お元気であるか聖学院の現職教員を通して様子を伺う程度であった。おまけにコロナ・パンデミックで活動も制限され、今年2月にご自宅でお過ごしとの様子を伺っていたのでお元気であろうことを願いつつ、敢えて訪問させていただくことも控えていた矢先であった。早速情報を得て、1012日、28日の誕生日を待たずに93歳で亡くなられたことを知った。私にとっては常に近寄りがたい恩師ではあったが、熊野義孝、河田敬義(日本の数学者・義父)に継ぐ恩師であった。早速YouTubeによる葬儀の様子を見せて頂き、滝野川教会と聖学院による合同葬儀の様子を伺い知ることができた。

 

  大木英夫先生は1965年、私が東神大入学年に助教授になられ、以後紛争時を通じて教授、学長に就任された、私は71年卒業であるから紛争後の詳細は知らないが、神学生育成のために伝統ある東京神学大学継続の為大変なご苦労のあったことと思う。卒業後は教団紛争中福音主義教会連合に拘わられ、大阪教会や銀座教会、キリスト品川教会での委員会、集会でお目に掛ることも多くあった。またパサデナのフラー神学校帰国後1980年4月より聖学院中高に赴任してから、大学設置や新校舎建設、教育改革などの諸事業に拘わらせていただいた。あまり期待された働きはしなかったが、組合の強い学校で、神学校の師弟関係で仕事ができたことは良い思い出である。同時にすでに召された桜台教会の小林哲夫牧師も聖学院卒業生であり理事の一人として小学校の再建やアトランタの小学校開設に尽力され、その間教会を支えることのできたことも良い奉仕の期間であったと思う。先輩牧師ではあるが、すでに召されたICUの古屋安雄先生と共に良い交流がなされていた。それぞれのご努力が聖学院大学を産んだと言っても過言ではない。特に聖学院の募金のために私たちの願いにこたえて協力されたPTA、後援会や卒業生の方々の働きもこれらの牧師たちの献身的な働きに協力された証である。既に小林哲夫は19年前に他界され古屋先生も4年前に亡くなられた。続いて大木先生が最後まで頑張って下さったが、今回召天の報に接し、その華やかな時代の終わりの到来を悟った。

 

  私は同郷の先輩牧師について東京神学大学に入学した。以来6年間多くの先輩牧師と共に熊野先生から神学と共に教会について一から学んだ。学んだと言っても大神学者が手を取って神学生をいちいち指導されるわけではないが、大勢の先輩方を通して見様見真似で教会生活に慣れ親しんだ。立派な神学者が大勢おられ、特に牧師夫人の清子先生は熊野先生の後継の学者として大木先生には一目を置いておられた。軍国主義の最先端にあった陸軍幼年学校を経て、戦後一キリスト者として方向転換され、後にニューヨーク・ユニオン神学校に学び、米国最大の神学者であったラインホールド・ニーバーの下で博士号を取って帰国された頑張り屋さんと称され、大木先生を見習って頑張って下さいねと話されたこともあった。神学校時代の授業ではニーバーをはじめドイツの現代神学者の著作を購読紹介され、右も左も分からないうちに大学院で英国のフォーサイス神学を大学院の卒論主題に研究するように指導された。

 

  神学的に特に興味があったのは当時同じ組織神学者の佐藤敏夫先生と「ピューリタン革命は宗教改革の完成であるか」を議論されていたことである。今日的にはそのような発想をされる方々はいないと思われるが、紛争を経て来た私達にとってはドイツの歴史事情やフランス革命に代表される宗教改革の歴史的影響を、国を挟んで各国の特徴を見い出すのに良いテーマであった。もちろん英国のピューリタン革命にはルターの福音主義の影響がエリザベス時代以後随所にその形跡が見出され、同時に今日の英国理解には不可欠のイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの国政に深く教会的伝統が拘わっていることも大きな意義を持っている。同時に18世紀以来の米国建国に関わる歴史的経緯も米国理解の大きな柱と見なければならない。英国から出て行ったピューリタンの歴史もその流れの中で中心に位置づけられる「WASP」の伝統に息づいていることが大事な点であろう。

 

  私は紛争継続中の忙しい大木先生と時間を取って頂いて修士論文のご指導を頂いたことはなかった。正直授業で学ぶ以外近寄りがたい存在で、多くの先輩方が立派な修士論文を残しておられるが、指導教授との様々な軋轢を通して作成された集大成のようである。私は文献を原語で読み思いつくままに論述したもので、文脈の訂正や論述の改変については改めて指導されることはなかった。論文面接でただ一か所字が違うと指摘して頂いたのは「遡る」を「逆上る」と当て字した個所を訂正されただけであった。ちょっと恥ずかしかったが、卒業式で学位記修士号を頂いてホッとした思いであった。内容的にはピューリタン革命の中心的使命を担った独立派がコングリゲーショナルチャーチとして英国の福音主義正統派教会の伝統を継承し、米国建設の福音的基礎となったピューリタンの流れを形成したというもので、プロテスタント教会の将来を見据えて学ばなければならない課題であることを自覚したことであった。フォーサイスはその派の代表的神学者である。

 

  大木先生は武蔵野教会に通う神学生には熊野先生の伝統があることを見抜いてあまりあれこれ言われなかったのではないかと思っている。熊野先生の下に通う神学生は他からあれこれ言われるようでは教会生活がまともにできないと見抜いておられたのではないかと思う。その代わり直接大木先生の下に集まった神学生にはそれなりの指導をして立派な学者に育てられたのではないかと思われる。もちろん大木先生も神学者としての熊野義孝には一目も二目も置いておられた。然し今日の状況と違って、紛争期ではあったがある意味で昭和のロマンがあった有難い時代であった。

 

 

  東京神学大学は厳しい時代の風雪に晒されているが、同時に聖書に生きる教職者の育成に変わらぬ使命を発揮しておられる事に今も昔も相違はない。私より若い神学校の卒業生が時代に翻弄されて様々な罪の誘惑に陥ることも悲しい事実である。世のアイロニーと戦う中で新しい希望の道が開かれることを学ばねばならない。熊野神学の終末論を称して「つま先立った終末論」では時代を生き抜く道を見い出せないと話された大木先生の言葉は、しかしその基軸が確かなものでなければ存在それ自体が破滅するのではないかと思わせられる。ご遺族をはじめ大木先生に拘わる皆様の上に主にある慰めを祈ります。

《慰めと励ましの言葉 111》   (桜台教会『月報11月号』より)                

  

 『危機の時代を生き抜く為に』CⅩⅧ)

           

          牧師 中川 寛

 

   224日以来続くロシアの侵攻とその攻撃に対抗して抗戦するウクライナ戦争はすでに9か月目を迎えている。世界の指導者たちが英知を尽くしても簡単に平和を回復することができない。同時に世界経済の物価高と不況はコロナ感染症対策と相まって先き行きの見えないものとなっている。悲しいことだが「旧・統一協会」の問題も一筋縄では行かない諸課題を抱えている。キリスト教と名が付くだけでキリスト教会もすべて同一集団と見なされ多くの誤解を与えている。クリスチャン家庭においても「宗教二世」と誤解され、正当な福音主義教会さえも見えない圧力を受けているのはまことに嘆かわしい限りである。「歴史の浅い日本の教会」と言ういい方は教会員への啓蒙の意図をもって呼んでいたが、その現実が厳しく問われて教会発展の妨げとなっている。信仰継承も親の権威の下で強制されているかのように見られ、キリストにある福音が誤解されているようにも感じる。福音と共に二千年の教会形成の戦いを続けてきた信仰者の戦いも似非宗教団体と同一視されてはたまらない。伝統的教会の信仰が確かに今一度見直される時だと言えなくもないが、初代教会の異端との戦いや宗教改革の変革の時代を経てその歴史が生きた主の教会の活動がなされていることを覚えなければならない。それはひとえに神学的研鑽を求めるものである。欧米の国教会的組織や修道院時代の深い学問的研鑽は歴史形成に不可欠な基礎となったものである。日本のカトリック教会・聖公会はその伝統の上に立っているがプロテスタントの多くの教会は神学的研鑽に依拠した教会形成が為されている教会はまだまだ少数である。それ故にカルト的信仰に対峙する神学的基礎知識に乏しいと言わねばならない。

 

  福音主義的信仰がだからと言って無価値なものではない。かつて聖書学者の渡辺善太先生より『信仰なき神学は空虚にして、神学なき信仰は盲目である。』との言葉を学んだ。最晩年銀座教会の協力牧師として説教奉仕に貢献されたが、米独の著名な大学で研鑽を積まれ大著『聖書論』を上梓された。幸いにも当時銀座教会の副牧師をしており、鵜飼勇牧師の下、葬儀の奉仕をさせて頂いた。渡辺善太先生は聖書が神の言葉であると同時に人の言葉であることを聖霊論をもって解明された。日本の教会が聖書をどう読み信仰をどう証しするかを当時若者に過ぎなかった私達にご教授下さった。全共闘の叫びが渦巻く当時、今日的反体制の活動が盛んな時に聖書の権威と教会的信仰の確信を指導して頂いた。それは今でも全世界で普遍妥当性を持つ神学的真理である。

 

  さてイザヤ書は近年第二イザヤが40章以下を編集したとの立場であるが、BC6世紀以後バビロンから帰還したユダヤ人たちによる新しい国造りの情熱と信仰が息づいている書簡である。アッシリア、バビロンによる巨大勢力の下に圧倒されたイスラエルはイザヤの語った『残りの民』の成長による新しい国家再建の努力が始められていた。異教社会で悲しい排斥を受けたが、70年後ペルシャのキュロス王によりバビロン捕囚を解かれることとなった。その当時主の言葉を語ったのが第二イザヤである。とくに61章にはメシアの到来と共に福音に生きる人々に勇気と希望、平安と繁栄をもたらす神の働きが約束され、その記事は同時に500年後、ナザレのイエスによって証しされることとなった。ルカ福音書ではナザレのイエスこそ全人類のメシアであることを証言している。聖書は神の救済の出来事はナザレのイエスにおいて成就したと伝える。歴史的主の教会はこの事実を共に告白する群れである。イザヤ書の言葉に続いてルカ福音書のイエスの働きを紹介したい。

 

『◆貧しい者への福音 (イザヤ書61:1-11

主はわたしに油を注ぎ 主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして 貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み 捕らわれ人には自由を つながれている人には解放を告知させるために。 主が恵みをお与えになる年 わたしたちの神が報復される日を告知して 嘆いている人々を慰め シオンのゆえに嘆いている人々に 灰に代えて冠をかぶらせ 嘆きに代えて喜びの香油を 暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた正義の樫の木と呼ばれる。 彼らはとこしえの廃虚を建て直し古い荒廃の跡を興す。廃虚の町々、代々の荒廃の跡を新しくする。他国の人々が立ってあなたたちのために羊を飼い 異邦の人々があなたたちの畑を耕し ぶどう畑の手入れをする。 あなたたちは主の祭司と呼ばれ わたしたちの神に仕える者とされ 国々の富を享受し彼らの栄光を自分のものとする。あなたたちは二倍の恥を受け 嘲りが彼らの分だと言われたから その地で二倍のものを継ぎ 永遠の喜びを受ける。主なるわたしは正義を愛し、献げ物の強奪を憎む。まことをもって彼らの労苦に報い とこしえの契約を彼らと結ぶ。 彼らの一族は国々に知られ 子孫は諸国の民に知られるようになる。彼らを見る人はすべて認めるであろう これこそ、主の祝福を受けた一族である、と。わたしは主によって喜び楽しみ わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。主は救いの衣をわたしに着せ恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ 花嫁のように宝石で飾ってくださる。大地が草の芽を萌えいでさせ 園が蒔かれた種を芽生えさせるように 主なる神はすべての民の前で 恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。』 以上が信仰を捨てなかった残りの民に対する祝福の約束である。信仰に生きるイスラエルの民は共にこの教えに従って苦難の時代を生き抜いてきたと言える。この信仰が世界のユダヤ人を支えている。

  新約のルカはナザレのイエスと新しい時代の到来を以下のように伝える。

『◆ナザレで受け入れられない (ルカ福音書4:16-22)イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、 主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。』 この二つの聖書の間には歴史を貫いて神の働きが未来を切り開く力を見ることができる。しかし多くの人はこの事実を見ようとせず、受け入れる事をしないと言う。世界不況がいつまで続くかは分からない。しかし戦後77年間に亘って平和を享受してきたような平安は今後2050年まで待たねばならないと言われる。世界がそれだけ不安定であり、闇の勢力が世界を取り巻いていると言うべきでしょう。世界の平和と安寧は遥か彼方の時代に引き伸ばされ、核危機を計る時計は今や数秒前に迫っていると言う。悲しみの時代であってもルターと共にリンゴの種を蒔き続けなければならない。

 

 

 《慰めと励ましの言葉110》(桜台教会『月報10月号』より)               

   『危機の時代を生き抜く為に』(ⅩⅫ)

           牧師 中川 寛

 

   エリザベス二世の逝去に続いて英国ではチャールズ三世の国王即位となった。9月8日に続いて聖書に手を置いて国王即位に同意するチャールズ三世の表情は何となくぎこちなかったが、ロンドンに戻ってから次々に書面にサインする回を重ねるごとに国王としての決意が固まって来たようだった。最初のサインでは証書と共に置いてあったペンをケースに戻すことをせず、インクに汚れた手のままモーニングの右内ポケットにしまい込んでいた。次に署名するウイリアム王子は署名するペンが無かったので係の者にペンケースを所望して無事にサインを終えた。国王は緊張の中でペンを持つ手も震えながら左手で無事に使命を果たしたように見えたが、カミラ夫人に今日は12日だったか13日かと聞いたとの事、「日ごろから僕は苦手なんだ」と夫人頼みのサインであったと報道されていた。

 

   英国の国葬を通じて故エリザベス二世の在位70年に亘る最長の働きに第二次世界大戦後の歴史と共に歩んできた英国民との親愛の深さが滲み出ていた。女王ご自身の人柄とキリストに倣って生きる信仰者の美しい人生そのものであった。1533年の最初の妻キャサリンとの離婚に始まるヘンリー8世のカトリック教会との分離とスコットランドのアン・ブーリンとの間に生まれたエリザベス一世以後の英国の混乱した歴史を経て、世界の大国としてその国威を誇って来た大英帝国を繁栄させ国威を維持してきたパワーは聖書に基づくキリスト教信仰の成長と発展そのものであった。近代世界の大きなけん引力となったのも、その負の側面を除いてみても合衆国アメリカ同様に福音的恩恵による人間教育と国家建設の使命貫徹の一念によるものと言わざるを得ない。

 

  エリザベス一世の時代のピューリタン革命なるものもやはり大きな働きを占めていると言わざるを得ない。私は修士論文作成に会衆派の神学者P.T.フォーサイスの教会論を選んだが、英国のカトリック教会から分裂し、国教会を超えたコングリゲーションチャーチの福音的確信を『十字架の決定性』の中で学ぶことができた。フォーサイスは旧日本基督教会の神学的形成に寄与した神学者として理解することができるが、「バルト以前のバルティアン」と言われる通り、弁証法神学者の先駆けを成す19世紀の英独の指導的神学者であった。「神の言葉の絶対性」に信仰の根拠を置いて「永遠なるもの」の超越性を聖書の言葉に見い出して聖書と教会、信仰と永遠の原理を解明した。英国の多様性もまたこの信仰的原点に立って初めて論じることが出来るのであって、18,19世紀のヒューマニズム優先の世界観では論及できないものである。それはまた近代の合理性を超える超越的霊的次元を要請するものである。

 

   熊野義孝の『終末論と歴史哲学』に観る通り、キリスト教信仰は有限なる歴史哲学を超えて終末論的に世界を捕らえるのでなければ、すべてを相対化して真理を見誤ってしまう。困難や歴史の不条理、個々人の生と死の問題もキリスト教的終末論がなければその根拠を正統に問うことができないであろう。16世紀以降の英国を含めた欧米の歴史の紆余曲折はキリスト教信仰の正統性を得て初めて軌道修正を行うエネルギーを得ることができるのである。もちろんいつまでも自己の生を優先することに固執して歴史や社会の修正を行うことはできないが、コロナに始まる試練の世紀は新しい誕生の変化を呼び出す何かが起こるに違いない。自然の災害であるか、世界大戦にまで拡大される戦争の危機であるか、更なる強力な病魔が支配的になるのか、人為的経済的崩壊であるのか、サタンの誘惑の作用は未知なるものであるが、どのような困難が到来しても破局を乗り越える力は聖書が教える福音的超越の力以外にないと思われる。キリスト教会はこの福音の原理に従って世の救いの機関としてその使命を果たすことになる。

  

   ヨハネによる福音書の1章1節からの言葉はキリスト教信仰の正統性を告白した真に力強い信仰告白である。『初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。』(1:1-5) いわゆるロゴスキリスト論であるが、人はまずロゴスをもって人と世界を理解しなければならない。ロゴス(すなわち言)は存在に優先する。ギリシャ哲学的に言えば、ロゴスは全存在の原理、本質である。哲学者ルクレティウスに示された『物の本質について』を読むまでもなく、まず、人は常に本質追及の性格を持っている。この世の本質は何か。水か太陽・火か、ガスか、真空か。今日的に言えばブラックホールかと言うことになる。しかし物理的本質追及による事実を捕らえるのではなく、聖書は「言」による本質追及であると言う。そして「言」が「神」であると言う。この「言」が神と共にあり、万物は「言」と共になったと言う。旧約聖書の七日間に亘る天地創造物語に代表される通り、万物は神の「言」によって創造された。「言」が発せられなければ事物が生起しない。言葉のあるところに出来事が生じ、事が起きる。更にその「言」に命があったと言う。命は人間を照らす光であったが、暗闇は光を理解しなかった。にも拘らず、光は暗闇の中で輝いていると教える。ロゴスが今や命となって人間を照らしていると言う。はじめから存在していたロゴスとして、神の御子としてこの世に下り給うたイエス・キリストであることを証言する。このようにヨハネ福音書は最初から十字架の贖罪主イエス・キリストの中に真の命が啓示されていると告白する。更にヨハネはこのキリストを知ることが永遠の命を生きることになる(ヨハネ17:3)と述べる。私達は単純にこのメッセージを信じ受容れているのである。これがキリスト教信仰の確信なのです。

 

   通常欧米の教会では少年少女の時代から『信仰教理問答書』を学ぶ。厳格な教会ではこの教理問答書を理解しなければ堅信礼や洗礼による信仰告白に与らせることはしない。この事実を学ばなければ西欧のキリスト教文化の伝統やキリスト教会の働きを正しく理解することができないからである。『私は神さまを信じます。』と言うだけでは成熟した知性と信仰を持つキリスト者になることはできない。多くの日本人キリスト者は心に描く救いの神様だけを信じ、ひどい場合には『父・子・聖霊なる三位一体の神』 さえ告白しないでクリスチャンずらをして平気でいる者さえいる。エリザベス二世は『自分はキリストに倣って日々生きている。』と公言し、毎日キリストと交わる祈りの時間を持ち、聖書を読んでいたと言う。「エリザベス二世女王はキリスト者の生き方の模範である。」と多くの方々が話していたのはこのような信仰的日常を生きられた証しの結果であると言えるのではないでしょうか。 

 

 

   多くの日本人キリスト者は「困った時の神頼み」と言われる信仰で終始しているのではないかと残念でならない。せめてコロナの収束後には教会で讃美と祈りを捧げ、み言葉に聞き、説教に耳を傾け礼拝を共にしつつ、信仰告白・諸信条の意味を学んで頂きたいと思う。

《慰めと励ましの言葉 109》   (桜台教会『月報9月号』より)               

   『危機の時代を生き抜く為に』(ⅩⅪ)

                  牧師 中川 寛

 

  前号に記した安倍晋三元首相の暗殺事件に端を発して、宗教法人法の見直しにまで関連した話題が展開されている。宗教法人を認可した者の責任は大きい。しかし現象として起きている問題は宗教法人法の見直しではなく認可取り下げで充分である。また霊感商法なる献金強要は民法で充分裁くことができる。詐欺商法であり強制勧誘である。日本の司法がどれだけ使命を自覚しているか、その姿勢が問われるところである。もちろん要人警備に不備があって人事更迭がなされて事が終了することではない。今回の事件は弱小のキリスト教会にとっても思わぬとばっちりである。「教会」と名が付くだけですべて同じ宗教と誤解され、その活動も不信を生むこととなる。もちろん世間の誤解は払しょくしなければならないが、多くの政治家やマスコミの無知さ加減に辟易させられる。私の高校生時代から社会現象として新興宗教に対する不安感が生じていたにもかかわらず、マスコミもその活動から生まれる犯罪的行為についてはニュース化していたにも拘らず、つい昨日今日起きた事件のようにとらえていることは無責任さも甚だしい。私は余りテレビを見ない方だが、テレビで流される報道によって知識を得ている多くの方々にはどこまで真相が理解されているのか、日本人の質的低下が改めて問われることとなる。

 

  既に議員で選出されている方々には拘った団体がどういうものでもその地位には触られたくないとでも言うのだろうか。今後一切の関係を断つようにとの岸田首相の言葉ではあるが、社会的に問題視される団体との交流を通して選出された議員資格は問題にされないのだろうか。普通の職場でも様々な懲罰があるのに、ますます国政に疑問が募る。多くの被害者がやっと相談に来るとの状況だから、もっとしっかりしてほしい。牧師仲間で何人も統一原理からの脱会援助を行っている。私は神学校時代から左翼運動と新興宗教、時にはキリスト教熱狂者集団と拘わって来たので、何をいまさらと思う気もあるが、文化と歴史に立つキリスト教神学の伝統を学び直すことが求められる。聖書の使徒言行録にはパウロをはじめ初代教会の宣教のために使徒たちが様々な文化と対峙しながら福音を宣べ伝えた記録が記されている。クリスチャンにはまじめに聖書を学びつつ、洗礼を受けた信仰の確かさを今一度思い起こしていただきたい。

 

  異端とも称される福音理解の違いから聖書がその事実を隠すことなく記事として載せているのは福音の正しさの勇敢な証しである。厳しい財政問題は常にサタンの誘惑にかられた脱落者が出て来る。事情は初代教会においても同じであった。献金を騙したり、捧げられたものを掠めたり、咎められて首を吊ったり逃亡したり。今日においても同じことが見られる。教会は親切で優しいところなので、都合が悪くなったら関係を断つと言う人も大勢いる。福音から漏れることに痛みや不安を感じないないだろうか。 私達は何があろうとも教会形成のために身をささげて行く決意でいる。コロナ危機は相変わらず続いているが、世界全体が取り組む課題なので、私達は高齢者の健康を祈りつつ無理しない教会生活を送って頂きたいと願っている。

 

  ロシア・ウクライナ戦争の今後の行方が心配されるが、戦況は一進一退でクリミア奪還にまで及ぶと言われる。自由主義国からの武器弾薬の支援の量にもよるが、戦争は来年まで続くと言われる。否、場合によっては数年では終わることがないとの見通しもたてられている。世界の食糧危機やエネルギー危機、ウクライナ避難民の支援やロシアのガス停止、真偽のほどは分からないが、大手報道ではロシアのオルガルヒの死亡事故が続いているとの事である。プーチン政権と折り合いがつかなくなった人、国際社会で道を閉ざされた企業での自殺や家族を巻き込んだ事故死等、もちろん事態は中国においても同様で、コロナ関連で事業の破産倒産、コロナによる大都市の長期間に及ぶ閉鎖による行き詰まりが海外脱出組を助長させているとの事。可能ならば日本への移住を考えている人が多いと言う。今後日本社会は更に困窮するだろうと言われている。物価高に円安が続き日常生活においても犯罪が増えている。

 

  人は生きる為に仕方なく犯罪に走ると言われるが、日本人同士でも悲しい事件が相次いで報道されている。家族を犠牲にしたり、保険金目当てであったり、時には悪い嫌がらせを続けたり等々。毎日の報道を聞くたびに暗い気持ちにさせられる。

 

  しかしキリスト者には聖書を通して強い知恵が教えられているのです。使徒パウロのエフェソの信徒への手紙から記してみましょう。

『◆古い生き方を捨てる

そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。

 ◆新しい生き方

だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。 むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。』(4:17-32

 

 

   エフェソの教会は使徒言行録19章に記載されている通り使徒パウロが第三伝道旅行でとどまった町である。しかしそこは豊穣の女神を祀るアルテミスの神殿があり土着宗教と共に祈禱師たちが暗躍して魔術を行っていたとある。しかし使徒たちの福音に優るものはなく、使徒パウロはエフェソの人々に福音に生きる新しい道を教えたと記されている。 日本文化のルーツはおそらく渡来人を根拠としているとみてよいが、その文化がたといユダヤ人がいたとしても聖書と大きくかけ離れた文化に生きた人々であったと思う。今日の様に聖書があるわけでなく、ラビがいて民族を指導していた記録もない。或いは教えられたままに宗教活動を継続していたと思われるが、それらは今日のユダヤ的伝承とはかなり異なっている。或いは日本独自のものと思われるが、その特徴は自然崇拝である。また多くは神話物語としてまとめられている。日本人の精神文化はそれら古事記・日本書紀に集約される形で神社信仰が形成されたと思われるが、宗教史的には精霊を信じるアニミズムの域を出ていない。三位一体の神を神学的聖書的に論証する神学的考証がなされていないので、神道それ自身も汎神論的宗教感情を大事にする信仰形態であると言える。ロゴスとしての神信仰は言葉による決断を問う事にある。

《慰めと励ましの言葉 108》 (桜台教会『月報8月号』より) 

 『危機の時代を生き抜く為に』(ⅩⅩ)

                  牧師 中川 寛

 

   去る7月8日、参議院選挙を前に奈良・西大寺駅前で元首相安倍晋三氏が銃殺されたことは世界を驚かせる大事件であった。事によれば自民党員として第三次内閣総理大臣に選出されるかもしれないと思わせる余力もあった。しかし歴史は我々の思惑とは無関係に展開されるものである。丁度その週の初めに堺の実家に帰って78歳で逝った実兄の葬儀を主宰して東京に戻って一息ついた日の出来事であった。かつて中学時代に社会党党首浅沼稲次郎氏の暗殺事件をテレビで見た、17歳の少年に刺された事件は生々しいものであった。神学校時代にドイツ語を教えてもらった井上良雄氏の父は暗殺された井上準之助であった。

 

   今度の事件はある意味で起こるべくして起きた事件と言える。日本文化はキリスト教神学が理解されない世界である。とりわけ宗教については時代と共に様々な事件が起きる。オウム真理教も精神的に追い詰められた人々の自己正当化による宗教事件である。いや私の高校時代は創価学会の折伏運動が盛んなころで、多額の上納金を納めれば支部長になり、すべてを差配できる力を持つとの事で、家庭不和や離婚訴訟でほぼ毎週週刊誌を賑わせていた。妻が夫に内緒で多額の借金をし、夫が勝手に借金をしたりで学会の子供達は皆悲しそうな顔をして過ごしていた。月に一度は富士宮の大石寺詣りに仕事を休み、学校を休んで出かけて行った。当時の東海道線富士宮駅は毎日修学旅行の特別列車が仕立てられたようで大いに潤った。神学生時代に青年の集会があると言うので参加したら折伏のための勧誘であった。お題目を朝早くから唱え、線香の匂いと太鼓をたたきながらの「南無妙法蓮華経」の唸り声が夜遅くまで聞こえていた。その熱心さには圧倒されたが、勝手に仕事を休む事、ノルマ達成のために勧誘運動、信者仲間の強靭な結束などどれを見ても異様な宗教集団であった。マスコミでたたかれてもその運動は鎮まることがなかった。

 

   新興宗教は皆、異様な熱狂さを持っている。大学院時代に明学の大学祭に誘われてキャンパスに行った時、熱狂的な原理運動の学生に会った。キリスト教と言うのでよく聞いていたがまるで勝手な原理を展開して受け入れなければ『あなたはサタンだ。』と言って呪ってきた。神学校で身に着けた教義とはおよそかけ離れた原理(?)を展開するのでまず聖書をよく読みなさいと言って説教したことがあった。またある時には「勝共連合」と名乗って民生や左翼学生と喧嘩をしていた。熱意は有っても論理に飛躍がありすぎで全く話にならなかった。何時からは知らないが「統一教会」という名称がメディアでも普通に使われている。元々は「世界基督教統一神霊協会」と名乗っていたのに「基督教」と名付けているから「統一教会」に鞍替えして、さもキリスト教会と同じですよ、と言わんばかりのネーミングである。今では「宗教法人世界平和統一家庭連合」と名称を変えたそうだが、高価な印鑑、壺などを買わせている。霊感商法と呼ばれる通り、先祖の祟りを払しょくするために多額の金銭を吹っかけて自分たちの活動資金にしているのである。まさに人の弱みに付け込んでアッと思わせるセレモニーを企画する。

 

   岸信介が文鮮明と手を組んだ後、政界財界の知名人を呼んでその活動を拡大させてきた。彼らのねらいは地方から出てきた初心な学生たちをグループに巻き込む事であったが、いわゆるインテリも金銭で活動仲間に加わっているのである。米国の有名な政治家・実業家を呼んで大集会を開き自分たちの集会や活動がどれ程知名人に認知されているかを誇示する。年配の方なら記憶にあると思うが、統一原理と活動を共にした1965年前後の立教大学総長であった松下正寿氏までが勝共連合の片棒を担いで左翼運動を排除しようと画策していた。青山学院も同じであった。中には彼らから研究費を受けたりしていたと言うから学者もお金に弱いと言わざるを得ない。同じキリスト教の名前が付いているのでみな騙されて彼らの手先になって運動したのである。松下氏は都知事選に出る予定でいたが、身を糺したのかその後名前は消えた。代わって美濃部知事が出た。

 

   残念なことだが今日もキリスト者著名人の中には同じムジナが大勢いる。皆、脇が甘いとしか言いようがない。安倍元首相の場合はお祖父ちゃんの時代から係わりがあり保守の伝統保持の中でそのような宗教集団と関係を切ることができなかったのだろう。その宗派の檀家として、また信者として無理強いさせられている多くの人々のいることを理解しなければならない。コロナの閉鎖的な社会情勢の中で、億を越える多額の金品をささげ、家族の犠牲になった身内はじっとしておれないであろう。新興宗教はあの手この手で金集め、人集めを行っている。彼らは日本人の弱点をよく知っている。病気、事故、孤独、不幸、飢え、堕胎、水子供養、離婚、失業、家族崩壊、破産等々。不況になればなるほど不安が募り、神仏にすがりたいと思うものである。新興宗教の背後にはあらゆる不幸が存在する。騙されて丸裸になった家族のうめきを聞かされた者は復讐を願わざるを得ない。キリスト者もまた同じ環境に生きる者であるが、聖書を通して普遍的な信仰の形を学んだ者は日常的に軽はずみな誘いに騙されることがない。より良いものを目指して生きることが求められるのである。

 

   日本文化の根底にはニヒルが渦巻いている。闇があるのを知りながらそれを打破する黄金の光を知ろうとしない。集団主義は一時の同族を得ることができるが、気が付けば芋蔓式にどん底に落ちて行くことになる。「無(死)」の支配を「有(存在)」へと変える力は聖書が語る「福音の力」による以外にはない。今日のキリスト教会もまた混沌(カオス)の中に埋没させられている。罪の償いのためにローマ教皇はカナダでカトリック教会の非を詫びたと言われるが、教皇様にはお詫び行脚の働きしかないのかと思わせられる。ドイツの教会も福音主義の再確認無しに人々への奉仕の働きは獲得されないであろう。新しい国際関係は神の前に公平に、信仰と希望と愛が共有される世界を目指さなければならない。

 

   78歳で召された兄を思うといつまで生きるか多少不安ではあるが、葬儀では終油を行い黙示録21章を読んで両親のいる御国へと送ることができた。その時の言葉を記したい。『わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。 更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。 また、わたしに言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。」』

 

 

 《慰めと励ましの言葉 107》  (桜台教会『月報7月号』より)

 

 『危機の時代を生き抜く為に』(ⅩⅨ)

 

                         牧師 中川 寛

 

◆礼拝者の決まり(22:27-30

  神をののしってはならない。あなたの民の中の代表者を呪ってはならない。  あなたの豊かな収穫とぶどう酒の奉献を遅らせてはならない。あなたの初子をわたしにささげねばならない。  あなたの牛と羊についても同じようにせよ。七日の間、その母と共に置き、八日目にわたしにささげねばならない。  あなたたちは、わたしに属する聖なる者とならねばならない。野外でかみ殺された肉を食べてはならない。それは犬に投げ与えるべきである。

 

◆法廷において(出23:1-3

  あなたは根拠のないうわさを流してはならない。悪人に加担して、不法を引き起こす証人となってはならない。  あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない。法廷の争いにおいて多数者に追随して証言し、判決を曲げてはならない。  また、弱い人を訴訟において曲げてかばってはならない。

 

 ◆敵対する者とのかかわり(出23:4-5

  あなたの敵の牛あるいはろばが迷っているのに出会ったならば、必ず彼のもとに連れ戻さなければならない。  もし、あなたを憎む者のろばが荷物の下に倒れ伏しているのを見た場合、それを見捨てておいてはならない。必ず彼と共に助け起こさねばならない。

 

 ◆訴訟において(出23:6-9)

あなたは訴訟において乏しい人の判決を曲げてはならない。  偽りの発言を避けねばならない。罪なき人、正しい人を殺してはならない。わたしは悪人を、正しいとすることはない。  あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は、目のあいている者の目を見えなくし、正しい人の言い分をゆがめるからである。  あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは寄留者の気持を知っている。あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからである。

 

 ◆安息年(出23:10-11

  あなたは六年の間、自分の土地に種を蒔き、産物を取り入れなさい。  しかし、七年目には、それを休ませて、休閑地としなければならない。あなたの民の乏しい者が食べ、残りを野の獣に食べさせるがよい。ぶどう畑、オリーブ畑の場合も同じようにしなければならない。

 

 ◆安息日(出23:12-13

  あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。  わたしが命じたことをすべて、あなたたちは守らねばならない。他の神々の名を唱えてはならない。それを口にしてはならない。

 

 ◆祭りについて(出23:14-19

  あなたは年に三度、わたしのために祭りを行わねばならない。  あなたは除酵祭(出エジプトの記念日)を守らねばならない。七日の間、わたしが命じたように、あなたはアビブの月の定められた時に酵母を入れないパンを食べねばならない。あなたはその時エジプトを出たからである。何も持たずにわたしの前に出てはならない。  あなたは、畑に蒔いて得た産物の初物を刈り入れる刈り入れの祭りを行い、年の終わりには、畑の産物を取り入れる時に、取り入れの祭りを行わねばならない。 年に三度、男子はすべて、主なる神の御前に出ねばならない。  あなたはわたしにささげるいけにえの血を、酵母を入れたパンと共にささげてはならない。また、祭りの献げ物の脂肪を朝まで残しておいてはならない。  あなたは、土地の最上の初物をあなたの神、主の宮に携えて来なければならない。あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない。

 

◆違反に対する警告(出23:20-33

見よ、わたしはあなたの前に使いを遣わして、あなたを道で守らせ、わたしの備えた場所に導かせる。  あなたは彼に心を留め、その声に聞き従い、彼に逆らってはならない。彼はあなたたちの背きを赦さないであろう。彼はわたしの名を帯びているからである。  しかし、もしあなたが彼の声に聞き従い、わたしの語ることをすべて行うならば、わたしはあなたの敵に敵対し、仇に仇を報いる。  わたしの使いがあなたの前を行き、あなたをアモリ人、ヘト人、ペリジ人、カナン人、ヒビ人、エブス人のところに導くとき、わたしは彼らを絶やす。  あなたは彼らの神々にひれ伏し仕えてはならない。そのならわしを行ってはならない。あなたは彼らを滅ぼし、その石柱を打ち砕かねばならない。  あなたたちは、あなたたちの神、主に仕えねばならない。主はあなたのパンと水を祝福するであろう。わたしはあなたの中から病を取り除く。  あなたの国には流産する女も不妊の女もいなくなる。わたしはあなたの天寿を全うさせる。  わたしは、あなたの前にわたしの恐れを送り、あなたが入って行く土地の民をすべて混乱に陥れ、あなたの敵をすべて敗走させる。  わたしはまた、あなたの前に恐怖を送り、あなたの前からヒビ人、カナン人、ヘト人を追い出す。  しかし、一年間は彼らをあなたの前から追い出さない。さもないと、国土は荒れ果て、野獣の数が増し、あなたに向かって来る。  わたしは彼らをあなたの前から徐々に追い出すので、あなたは子を産み、国土を受け継ぐに至る。  わたしは葦の海からペリシテ人の海まで、また荒れ野から大河までをあなたの領地と定める。わたしはその土地の住民をあなたたちの手に渡すから、あなたは彼らを自分の前から追い出す。  あなたは彼らおよび彼らの神々と契約を結んではならない。  彼らはあなたの国に住むことはできない。彼らがあなたに、わたしに対する罪を犯させないためである。さもないと、あなたは彼らの神々を拝み、それは、あなたにとって罠となるからである。

          

 (以上が「出エジプト記」に語られた律法の規定)

                                                                                                                            

 

 今日もなお正統派ユダヤ人はこの戒めに基づいて生活している。世界に散らされたユダヤ人は欧州系をセファラディンと呼び、イベリア半島南部のイベリア地域に移住させられた人々をアシュケナージと呼ばれるが、エチオピア系ユダヤ人をはじめ世界各地に住むユダヤ人の名称は多岐にわたる。歴史に翻弄された離散の民族はロシア・ウクライナ戦争により同系統でありつつ悲しい憎愛の歴史を繰り返している。しかしタナハ(またはタナク)と呼ばれるヘブライ語聖書の律法書(トーラー)を学ぶ正統派ユダヤ人はこの戒めを神の戒律として厳しく守っている。それぞれの規定には神への信従の戒めと同族人への愛に満ちた人道的戒めが語られている。十戒の第一戒から四戒までは神に関する戒めであり、その戒めを守ることはユダヤ人の証となる。また第五戒から十戒は人間相互の戒律であり人間愛に基づく不可欠の決まりである。モーセの十戒は小さい時から身に着けることが求められる。選ばれた信仰者の尊厳と規律を確立する力となる。甘い日本社会の慣習の中で自由と民主主義を優先することが最優先に求められることではない。特に幼児期に甘やかされた子供たちに放任の自由は決して立派な人間になる要素ではない。同時に少子化の中で他者を思いやる心に欠けている環境は急に大人に近づいたからと言って民主主義的対応はできない。結果的に幼少期より身についた利己的な思いは大きな愛に育まれた環境で育つ子供たちとはやはり簡単に性格を変えることはできない。聖書の愛は自己犠牲を基本に他者を愛し、赦す、また愛され、赦された経験を経なければ身につかない。それは年をとって老人となって初めて反省される事なのである。特に私のように身勝手に生きてきた人間には反省することしきりである。しかし同時に信仰生活を得て聖書とイエス・キリストは決して信仰者を見捨てることはない、ということはぜひ語り続けて行きたいと思う。

《慰めと励ましの言葉 106》  (桜台教会『月報6月号』より)

 『危機の時代を生き抜く為に』(ⅩⅧ)

 

                  牧師 中川 寛

 

  キリスト教会では性の倫理や日常の人間関係について積極的に教える事は少ないように思われる。特にクリスチャン家庭においても性倫理や道徳について小さい時から親が子供に躾をすることは少ないように思われる。しかし旧約聖書はその詳細を選ばれた神の民としての自覚を促すように神の律法として守るよう教える。通常ほとんど学ばない旧約聖書を丁寧に読むことは新約聖書のキリストによる福音を正しく学ぶ上で最も必要とされることである。

 例えば有名なモーセの十戒は出エジプト記の20章に記されているが、21章以下には神の民の守るべき法が記される。

 

 奴隷の売買について (21:1-11)

 『以下は、あなたが彼らに示すべき法である。 あなたがヘブライ人である奴隷を買うならば、彼は六年間奴隷として働かねばならないが、七年目には無償で自由の身となることができる。 もし、彼が独身で来た場合は、独身で去らねばならない。もし、彼が妻帯者であった場合は、その妻も共に去ることができる。 もし、主人が彼に妻を与えて、その妻が彼との間に息子あるいは娘を産んだ場合は、その妻と子供は主人に属し、彼は独身で去らねばならない。 もし、その奴隷が、「わたしは主人と妻子とを愛しており、自由の身になる意志はありません」と明言する場合は、 主人は彼を神のもとに連れて行く。入り口もしくは入り口の柱のところに連れて行き、彼の耳を錐で刺し通すならば、彼を生涯、奴隷とすることができる。 人が自分の娘を女奴隷として売るならば、彼女は、男奴隷が去るときと同じように去ることはできない。 もし、主人が彼女を一度自分のものと定めながら気に入らなくなった場合は、彼女が買い戻されることを許さねばならない。彼は彼女を裏切ったのだから、外国人に売る権利はない。 もし、彼女を自分の息子のものと定めた場合は、自分の娘と同じように扱わなければならない。 もし、彼が別の女をめとった場合も、彼女から食事、衣服、夫婦の交わりを減らしてはならない。 もし、彼がこの三つの事柄を実行しない場合は、彼女は金を支払わずに無償で去ることができる。

 古代イスラエルにおいても奴隷を、虐待することは許されなかったのであり、同時に契約に従って期限が来たならば自由の身とさせねばならなかったのである。

 

 死に値する罪について (21:12-17)

  人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる。 ただし、故意にではなく、偶然、彼の手に神が渡された場合は、わたしはあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる。  しかし、人が故意に隣人を殺そうとして暴力を振るうならば、あなたは彼をわたしの祭壇のもとからでも連れ出して、処刑することができる。 自分の父あるいは母を打つ者は、必ず死刑に処せられる。 人を誘拐する者は、彼を売った場合も、自分の手もとに置いていた場合も、必ず死刑に処せられる。 自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。

 十戒の規定に従って「あなたの父と母とを敬え。」(20:12)との絶対命令が前提となっている.

 

  身体の障害 (21:18-32)

  人々が争って、一人が他の一人を石、もしくはこぶしで打った場合は、彼が死なないで、床に伏しても、もし、回復して、杖を頼りに外を歩き回ることができるようになるならば、彼を打った者は罰を免れる。ただし、仕事を休んだ分を補償し、完全に治療させねばならない。 人が自分の男奴隷あるいは女奴隷を棒で打ち、その場で死なせた場合は、必ず罰せられる。 ただし、一両日でも生きていた場合は、罰せられない。それは自分の財産だからである。人々がけんかをして、妊娠している女を打ち、流産させた場合は、もしその他の損傷がなくても、その女の主人が要求する賠償を支払わねばならない。仲裁者の裁定に従ってそれを支払わねばならない。 もし、その他の損傷があるならば、命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない。人が自分の男奴隷あるいは女奴隷の目を打って、目がつぶれた場合、その目の償いとして、その者を自由にして去らせねばならない。 もし、自分の男奴隷あるいは女奴隷の歯を折った場合、その歯の償いとして、その者を自由に去らせねばならない。 牛が男あるいは女を突いて死なせた場合、その牛は必ず石で打ち殺されねばならない。また、その肉は食べてはならない。しかし、その牛の所有者に罪はない。 ただし、もし、その牛に以前から突く癖があり、所有者に警告がなされていたのに、彼がその警告を守らず、男あるいは女を死なせた場合は、牛は石で打ち殺され、所有者もまた死刑に処せられる。 もし、賠償金が要求された場合には、自分の命の代償として、要求されたとおりに支払わねばならない。 男の子あるいは女の子を突いた場合も、この規定に準じて処理されねばならない。  もし、牛が男奴隷あるいは女奴隷を突いた場合は、銀三十シェケルをその主人に支払い、その牛は石で打ち殺されねばならない。

 

 財産の損傷 (21:33-36)

  人が水溜めをあけたままにしておくか、水溜めを掘って、それに蓋をしないでおいたため、そこに牛あるいはろばが落ちた場合 その水溜めの所有者はそれを償い、牛あるいはろばの所有者に銀を支払う。ただし、死んだ家畜は彼のものとなる。  ある人の牛が隣人の牛を突いて死なせた場合、生きている方の牛を売って、その代金を折半し、死んだ方の牛も折半する。しかし、牛に以前から突く癖のあることが分かっていながら、所有者が注意を怠った場合は、必ず、その牛の代償として牛で償わねばならない。ただし、死んだ牛は彼のものとなる。

 有名な「目には目を、歯には歯を」との報復に規定は古代ハムラビ法典に記載されているものであるが、イスラエルにおいても同様に定められている。

 

 処女の誘惑 (22:15-16)

  人がまだ婚約していない処女を誘惑し、彼女と寝たならば、必ず結納金を払って、自分の妻としなければならない。もし、彼女の父親が彼に与えることを強く拒む場合は、彼は処女のための結納金に相当するものを銀で支払わねばならない。

  特に男女の性的事柄についてはレビ記18章、申命記22章に詳細に記されている。日本文化は性について大らかだと言われるが、性的問題は深く人格に影響を与える。身勝手な振る舞いはやがて人生の破綻を招く結末を得、家庭崩壊の不幸な一因となる。

 

  人道的律法 (22:20-26)

  寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。 2 もし、あなたが彼を苦しめ、彼がわたしに向かって叫ぶ場合は、わたしは必ずその叫びを聞く。そして、わたしの怒りは燃え上がり、あなたたちを剣で殺す。あなたたちの妻は寡婦となり、子供らは、孤児となる。もし、あなたがわたしの民、あなたと共にいる貧しい者に金を貸す場合は、彼に対して高利貸しのようになってはならない。彼から利子を取ってはならない。もし、隣人の上着を質にとる場合には、日没までに返さねばならない。なぜなら、それは彼の唯一の衣服、肌を覆う着物だからである。彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。わたしは憐れみ深いからである。』   

  神の家族・同族イスラエルへの人道的配慮である。この他7年目の安息年(ヨベルの年:レビ記25章)の規定もがある。(次号に続く)

 

 

 

  《慰めと励ましの言葉 106》  (桜台教会『月報4月号』より)

 

 『危機の時代を生き抜く為に』(ⅩⅦ)

 

                  牧師 中川 寛

 

  使徒パウロはガラテヤ書に置いて次のように述べています。『思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。』(6:7) この厳しいコロナ禍の時代に亡くなられた方々の事を思う時、聖書の言葉が真実であることを自覚させられます。通常私達は信心とは「困った時の神頼み」と理解していますが、困った時に必要なものを求めてもすぐに手に入るわけではありません。本当に必要なものであれば祈り続けることにより成就されることとなるでしょう。しかし多くの場合身勝手な神頼みを続けてきた場合には必ず厳しいしっぺ返しがあります。悲しいことですが人は過去の事実を引き摺って生きているのです。もちろん百パーセント完璧な人生を送って生きた人はいないと思いますが、しかし希望が実現するのは神さまのみ心次第なのです。すなわちその人の信仰の在り方が厳しく問われます。目的や意図、その動機が神さまのみ旨に沿っているならば必ず実現させて下さるでしょう。しかし多くの場合私達は神無しで身勝手に生活しているのではないでしょうか。その場合の神頼みは自分の都合に合わせて神のみ旨、御心を差配しているのです。もし百パーセント神のために捧げる思いがあるならば、神さまは必ず願いを実現成就して栄光をお与えになるに違いありません。人生はその意味で日々神様によって自己訓練されていると理解すべきでしょう。『人はくじを引く、しかし事を決するのは主である。』(箴言1633節)との言葉は非常に厳しいものであると思います。残念なことですが人は神の英知を知り尽くすことはでません。もちろん自分の生涯を予測することもできない。それ故に正しい信仰を得て生きるのです。

 

  ロシア・ウクライナ戦争の和平を日々願いつつ、ウクライナ正教会とロシア正教会の世俗化した事実を知らされると福音無き宗教活動がどれほど悲惨なものであるかが理解されます。同じ正教会であり同族であるにもかかわらず、相互に歴史的環境が違っています。今やロシア正教会は旧ソ連時代の弾圧から解放されて、没収された土地財産を手にし、プーチン大統領の政治的権威に寄り添って宗教活動を推進しているようです。十字架の福音が損なわれた文化と歴史の伝統として形骸化した宗教活動ではどれほど熱心に十字を切って礼拝しようとも、その信仰の支配するところは権威主義であったり拝金主義であったり唯物主義である限り、すべては偽善となります。福音的信仰は聖書に立ち帰って十字架のキリストと共に十戒の教えを厳守する立場でなければなりません。闇雲に殺りく兵器を祝福し、ネオ・ナチとのレッテルを張って殺りくに加担することは許されません。そのような教会は生まれなかった方が良いと言われます。神の似姿としての人間をサタン化して殺りくすることは人類の歴史に禍根を引きずり続けることとなります。

 

  モーセの十戒は全人類の為の神の戒めであり、どの戒めもそれを守らなければ人間活動の破局を迎えます。『あなたは殺してはならない。』との第六戒は神に変わって人の命を奪うものであるが故にあってはならない禁止命令です。原爆体験をした日本人であるゆえに、少なくとも私達は平和を求める巡礼者としての道を歩む事が求められます。先の米国大統領選挙以来全世界は不条理が支配するところとなりました。これを改善する道は聖書に基づく福音的人間の生き方が一人でも多くの人々に実践されることです。口先だけの平和や民主主義は若者たちの将来をさらに暗いものとします。国連をはじめとする世界の代表機関がその使命を担う人々や国家によって構成されなければすべては徒労です。キリストの十字架体験に支えられた人々の出現が待たれるところです。私はその意味でもキリスト教学校が担う教育の使命は重大であると考えています。ヒューマニズムによる教育は結果的に自己満足で終わります。福音理解が徹底される為には自己犠牲の体験が必要です。痛み、苦しみ、試練、苦難、絶望を克服して他者の為に生きる訓練がなされねばなりません。個人でその労苦を担う事は大変な苦労ですが、その体験が人生に生かされます。死ぬほどの体験が実は温かい人を生かす品格を育てることとなります。愛(アガペー)に保証された環境の中で育まれることなしに真の愛の倫理は身に着きません。私はそれを中高時代のラグビー部の体験の中で学びました。30人のプレィヤーがトライを目指して共に動きぶつかり合う。ボールをゴールにグランディングして勝ち負けを決するスポーツですが、国を強くする体育の一環としてラグビーを取り入れている国は将来性があるとみています。更にキリスト教国としてその信仰が息づいているならばさらにたくましいことです。

 

  先日55年前に世話になったM教会の古い信者のTさんが礼拝に出席されました。はじめはどなたかと思ったのですが、神学生時代にお世話になったご家族で、月一回の家庭集会に招いて頂いきました。今年95歳との事で、タクシーでご自宅から桜台に来られました。話をしているうちに一橋大学在学中にラグビーをはじめて、社会人になってクラブで準優勝したとの事でした。「戦艦大和」の時代と話されましたたが、戦後東京学生キリスト者の会を復活され、米国NYで商社の仕事を長くされていていました。著名な先輩学者とも親交があり、多少恐れ多いものがありましたが、しかし神学生時代の中川牧師を頼ってわざわざラグビーの話をしに来られたとの事でした。奥様はすでに召され、ご次男と同じ敷地に住んでおられるとの事。わたしは体つきから見てフッカーですかと聞いたら、ウイングですと答えられた。恐らく小柄ではあっても足が速くトライゲッターとして活躍されただろうと拝察した。不思議なことだがM教会の礼拝にはK牧師と親しくされていた東大の経済学者堀豊彦先生も毎週礼拝に出られていた。そのころは早稲田で教鞭をとられていたが先生は最初のプロテスタントキリスト者となった村田若狭守の末裔であられた。先生は若い頃養子に出られたそうだが、村田姓の弟さんが経堂緑が丘教会におられ、慶応の黒黄会(ラグビー部OB会)の役職についておられた。もう40年以上も前の事だが、教会の隣りには亡くなられた元慶応監督の上田昭夫さんが住んでおられた。 なつかしく昔の楽しい話を聞かせて頂いたがTさんもまた戦後ラグビーと共にキリスト者として信仰に生き活躍されてきた方である。皆さんの共通の特徴は若い時代の話しやラグビーの話になると童顔の笑みをもって話してくださったことであった。

 

  私はまだ70代の若造であるが、多くの良き信仰の先輩に囲まれて良い証しができる務めを果たしたいと願っている。2023年にはフランスでワールドカップが開催されるが、滑川君を先頭に引き続き日本のラグビー界でも頑張ってもらいたいと思う。

 

 

  日本の歴史をたどると多くの場合大和朝廷から記録された文化を教えるが、縄文時代はともかくも、弥生時代は古事記・神道との国造りが記録される。驚くことに四国徳島の阿波がその根幹にある。東北の文化もその時代のものと思われるが、邪馬台国が九州説、大和説と論じられる。実はその大本は四国阿波にあるようだ。地元の遺跡研究により古事記の由来が発表され、忌部氏の働きや吉野川流域にはその名称の痕跡が多くある。奈良明日香の発展は和歌山の紀ノ川と熊野・吉野の山岳ルートによって奈良県南部から開けて行った様子が見られる。それらは西暦7世紀以前の事であって、大和朝廷以前の歴史である。残念ながら日本歴史学会がどこまでそれらを確認するか知らないが、魏志倭人伝に出て来る邪馬台国の台の字は「臺」ではなく「壹」の字で「トウ」と読むそうだ。そうすれば「ヤマト国」は阿波徳島となる。さて面白い事になりそうだ!

《慰めと励ましの言葉 105》  (桜台教会『月報4月号』より)

 

 『危機の時代を生き抜く為に』(ⅩⅥ)

                  牧師 中川 寛

 

   4月に入りコロナと共にロシア・ウクライナ戦争が1月間続き、全世界の人々を震撼させる事態に陥った。モーセに『十戒』にある通り、全能者への背信と不道徳による倫理的退廃が人間相互の不信感を増大させて、問題をさらに複雑なものとしてしまった。相互に暴力が助長され、人命が軽視され、フェイクニュースが蔓延し、戦争勃発と共に暴力行為の横行や詐欺行為や不正が増大している。それでも日本はまだましな方である。

 

   4月1日になってラグビー部OBの一人から転勤の知らせを受けた。彼は後輩たちをよく見てくれてOB達と共にアカデミーを組織し、指導してくれていた。コロナによって二年間十分に活動できなかったが、自分がいなくなって後OB達が続けて世話してくれるとの事であった。せっかく立派なOB達がリーグワンでも活躍しているので中高生には直接ご指導いただけるチャンスもあり、ラッキーな環境だと感謝している。何はともあれ第一線で活躍している方々に触れることは素晴らしいと思う。転勤通知をくれたOBは神奈川スクールでも教えていたのだが、今回オーストリア・ウィーンのヨーロッパ本社社長に就任したと言う事でうれしい話であった。しかしご本人にとっては英国・スペインをはじめイタリア、ドイツ、デンマーク他6カ国に及ぶ支社の責任を負う事となるので、それだけでも大役を引き受けた事となったようだ。コロナと共にロシア・ウクライナの今後が大変気になるところで、ぜひ安全と共に健康が支えられるように祈りたい。米国とは違ってそれぞれに長く深い歴史と伝統を持つ国々で国民性の違いも一筋縄では行かないと思われる。幸いラグビーOBで体力には多少自信があると思われるが、何せ人種の違う国々での対応は一筋縄では行かない開けた心が要求されるだろう。国民性の違いは文化と歴史、 価値観の違いでもあり、困難にめげずよい成果を上げてもらいたい。取分け日本の最先端の高度精密機器を製造販売する会社なので、日本の産業の中核を担う務めを果たすことになる。日本の国力の将来はある意味で彼のような企業戦士たちによって支えられている。有り難いことであるが、広く言えば日本のためにも頑張ってもらいたい。OBの中には何人か海外の有名商社で活躍している者もいる。皆大きなヴィジョンをもって一生懸命に頑張ってくれている。このコロナ不況の中で医療従事者には頭が下がる思いである。役人もおれば企業の責任者もいて本当に頑張っている。食品関係やレストラン経営者もいて大変な時代ではあるが皆黙々と務めを果たしている。ここ3年程皆さんと会う機会がないが、元気で頑張ってくれるように祈るしかない。そして皆な家族と仲間を大事に道が開けることを目標にして喜ばれている。既に50歳を超えた良いおやじ達もいる。負けてはいられない。

 

   私はどちらかと言えば友人に恵まれ、同時に立派な恩師にも恵まれて過ごしてきた。やはりその分野で立派な業績を残してこられた方々には私自身育てられた思いでいる。学校や教会は派手ではないがそういう方々との交わりを通じて育てられるものであると思う。実は先日コロナで交流できなかったご高齢のご婦人が亡くなられ、葬儀を担当させていただいた。ご婦人は梅澤三重子姉で97歳であった。ご主人は36年前に亡くなられた際、先代牧師と共に葬儀をさせて頂いた。三重子姉は「教会の母」と呼ぶべきお方で、42年前に私が桜台教会へ就任した時から婦人会、役員会等でご指導頂いた方である。ご主人は抗生物質の発見により病気治療で多大な貢献をされた医学博士の梅澤濱夫先生で、そのご功績により1962年当時36歳の若さで文化勲章を受章された。奥様は東京女学館から聖心女子大に進まれ、当時戦時下ペニシリンの研究に没頭されていた梅澤濱夫先生と結婚された。1951年からご長男(現愛知医科大教授)が教会幼稚園に通い始められたご縁で受洗された。最初に練馬のご自宅に伺ったのは当時婦人会の方々が開いておられた読書会に招かれたのが機縁で『神学書を読む会』を開いて頂いた。キリスト教の真髄を学びたいとの事でK.バルトの『福音主義神学入門』を約1年かけて読んだ。かなり専門的ではあったが皆さんよく学ばれた。それ以来聖地旅行にご一緒させて頂いたり、二子玉川に移られてから桜の花見会や紅型染め物会バザーにご招待いただいたり親しく交わりを頂いた。ご高齢になられてからご長男のお近くにと愛知県刈谷の介護付き施設に移られしばらくお会いできないままであった。ご家族の手厚い配慮により亡くなるまでお元気で過ごされていたとのことであった。実は濱夫先生が亡くなる直前に北里大学病院で大事な話があるとの事で私達桜台教会牧師を病室呼んで洗礼を受けられた。皆驚いたが、三重子夫人にとってはご入院中の濱夫先生と久しぶりに二人だけの時間を過ごしたと大変喜ばれていた。そして同時にクリスマスに洗礼を受けられたので三重子夫人にとっては最高のクリスマスプレゼントでしたと皆様に報告され感謝の証しをされました。

 

   梅澤濱夫先生や三重子夫人と親しくしておられた北里一郎氏(明治製菓会長)ともお会いでき、後にラグビー部OBが就職してお世話になったと報告してくれたことがあった。先日ご長男にお話ししたら現大学で寄付講座を開いているが、それは明治製菓が提供してくれているものだとお話しくださった。ラグビー部OBも二期の卒業生で各地の支店長を歴任して徳島、池袋、前橋の支店長をしていたこともあった。

 

   教会は実に不思議なところで、皆、神の家族として兄弟姉妹の交わりを続けている。その交わりの中で子供達も正しいお付き合いを身に着け、信頼できる人間関係を身に着けて行くのである。私はまだ信仰告白をしていなくとも、幼児洗礼を受けていたり教会学校生として教会学校に通った方々は皆神の家族の交わりに連なる方々であると感謝している。

 

   教会に集う青年たちがそれぞれに高校を卒業して次の進路に進む者や中学から別の学校に転校するものなど6名の方々が新しい進路に進まれる。それぞれにこれから青春を楽しまれるが、キリスト者として生きることは全世界において共通の交わりに与かる者であることを覚えて頂きたい。海外に出かけてもキリスト教会があれば日曜日の礼拝に参加していただきたいと思う。各教会は共に神の家族として受け入れてくれるし親しく案内してくれる。最近その機会が少なくなったが、かつて私と共に海外に出向いた方々は今も前向きに各地で良い交わりを続けている。クリスチャンの特権と言って良いものである。

 

   世界中がコロナ感染症とロシア・ウクライナ戦争のあおりを受けて疑心暗鬼に陥ったり互いに不信感を持つことは決して世界に良い実りをもたらすことにはならないのである。取分け世界は良い人間関係を構築することがなければ戦争や歴史の軋轢によって交際が歪められたり偏見に晒されたりして決して世界平和に至らない不信と憎悪の悲しい不幸な関係になり下がってしまうのです。できるだけ若い時代に安心できる関係を構築して広く人間関係を作り上げて行くことが必要であると思うのです。

 

 

   最近何かと興味を持ち続けているのは日本史にキリスト教的影響が随所に明らかにされ、その意味は想像を超えた範囲に広がっている様子を学びました。私が育った実家の隣りのお寺は西暦8世紀、奈良の仏教を広めた僧行基が鳳から布教した寺であることが解りました。今から千二百年前、弘法大師空海以前に興源寺が始められたことを知りました。恐らく大仙古墳が作られてすぐ布教したのでしょう。更に日本一古いと言われる飛鳥から難波宮までの竹内街道や難波宮から四天王寺に至る大道通りは日本最初の国道として認知されるべき重要な道でした。高野街道もすでに聖徳太子の時代にはあぜ道程度に人々の往来があったようです。

《慰めと励ましの言葉 104》  (桜台教会『月報3月号』より)

                 

   『危機の時代を生き抜く為に』(ⅩⅤ)

                 

            牧師 中川 寛

 

   2月にお二人の亡くなられたご家族から連絡を受けた。お二人ともすでにコロナ禍の中、家族葬で見送ったとの事であった。依然として感染力が強く、同時に重症化する不安がある。まん延防止重点措置は二週間延期された。もう大丈夫だろうと油断した先に第六波が襲った。悲しいかな、ワクチンを三度打っても簡単には感染が止まらない。5月のゴールデンウイーク明けにも第七波が起きると予測する専門家もいる。様々な活動の制限を受けつつ次年度も教会活動を継続しなければならないが、まず経済的立て直しがなされねばならない。各企業においても縮小、縮小の連続で、物価の高騰により生活の基盤が失われつつある。余裕があれば何とかしてあげたいのだが、近ごろ頂く電話の多くは一時の金銭をお願いしてくるというものばかりである。教会の活動費が儘ならない実情でかつて援助してあげた方々はどう過ごされているのか、残念ながらこの時期、何の連絡もない。しかし主の道は常に開かれていなければならない。

 

  2月に亡くなられたK氏は55年前に前任牧師より受洗された方であるが、先日わざわざご長女が挨拶に来られた。受洗後仕事の関係から千葉に移られ、その後大阪で過ごされていた。不思議なご縁で私の実家のすぐ近所に奥様の妹様ご夫妻がホームドクターとして住んでおられ、診療と共にデイケアセンター長、老人ホーム理事長として地域の老人医療を担っておられる。私の実家では亡くなった母を看取って頂き、今は兄と妹が世話になっている。K氏のご長女は杉並区にお住まいであるが、大阪への見舞いの際は叔父・叔母様の家に泊まりに来られたこともあるとの事であった。

    

  私が高校卒業まで過ごした田舎の話でツイツイ懐かしく、あれこれ無駄話をしたが、歴史的には古い所だ。実家は西高野街道沿いにあり、まわりはみな大きな百姓家であった。60年も経つと周囲は様変わりではあるが、クリスチャンの家庭は我が家だけであった。その田舎から私が牧師となったのはただ神の導きである。同時にK氏のご親族に親しく家族が世話になっているのも不思議なことである。

 

  言うまでもなく高野街道は千二百年前弘法大師空海が開いた高野山に続く道である。高野街道を下れば仁徳天皇陵(大仙古墳)に続き、その近くの三国ヶ丘は摂津・河内・和泉が重なる場所となっている。弘法大師は若い頃和泉の槇尾山寺で出家し沙弥戒(出家・剃髪)となったと言われている。空海は槇尾山から岩湧山、金剛山、葛城山、二上山と盛んに山歩きをした人である。大阪においては中学・高校時代に良く行くハイキングコースでもある。天才的頭脳の持ち主で、誕生は四国香川の多度津と言われるが彼の母方の血筋は渡来人でユダヤ系であるとも評される。私は日ユ同祖論者ではないが、空海の作と言われる「いろは歌」に隠されたキリスト教的隠語の秘密を通して、キリスト教伝統に立たなければ表現できない言葉に不思議な印象を持っている。神学的に関心があるのはレプリカではあるが明治の時代に来日した英国の女性仏教学者エリザベス・アンナ・ゴードンが寄贈設置した「大秦景教流行中国碑」の漢文の中に使徒信条に表現される三位一体の神への信仰告白が記銘されていることである。空海は確かに仏教の高僧ではあるが、その才能の背後には阿波剣(鶴亀つるき)山の隠された聖櫃、ソロモン伝説に関わる様々な知識と秘密に関係していると言えるのである。

 

  最近の近代的・科学的研究において、日本の考古学・歴史学も日本史編纂において従来のものとは全く違った研究の成果を発表している。特に遺伝子工学を用いたDNA解析において、日本人の先祖が単に韓国、中国からの渡来者であると言うより中東のシュメール文明の流れをくむDNA認定確率が非常に高いとの成果が発表されている。染色体の遺伝子の構造解析によりユダヤ人と共通の遺伝子が44%確認されるそうだ。

  また伝統的なわらべ歌「かごの鳥」の歌は日本語の歌詞を聞いたユダヤ人研究者が次のようにその意味を語ったと言われる。空海と「カゴメ歌」は意味不明の童謡として口ずさまれているが、実はヘブル語で歌われているのであると言う。 「かごめ かごめ かごのなかの鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に鶴と亀が滑った  後ろの正面だあれ 」 との歌詞は《カゴメ(六芒星の籠目)紋はイスラエルのダビデの星で、籠の中の鳥はアーク(契約の箱)。アークは何時出てくるのか?暗い夜明けに地震か何かで、 鶴石と亀石が滑り落ち、鍾乳洞からアークが正面に出てくる》との意味であると言う。しかしヘブル語では以下の意味になる。

 〇 かごめかごめ ⇒カゴ・メー カゴ・メーは

   「誰が守る? だれが守る?」

 〇 かごの中の鳥 ⇒カグ・ノエ・ナカノ・トリーは

   「硬く安置されたものを取り出せ」

 〇 いついつである ⇒イツィ・イツィ・ディ・ユゥーは

   「契約の箱に納められた」

 〇 夜明けの晩に ⇒ヤー・アカ・バユティは

   「神譜を取り、代わるお守りを作った」

 〇 鶴と亀がすべった ⇒ツル・カメ・スーベシタは

   「未知の地に水を沢山引いて」

 〇 後ろの正面だあれ ⇒ウシラツ・ショウメン・ダルー

   「水を貯め、その地を統治せよ」

との意味である。空海はその意味を知っていてわらべ歌として語り継がれるようにしたと言う。

  

 さらに驚くべきは日本国歌の「君が代」である。

 〇 君が代は ⇒クムガヨハ

   「立ち上がれ」    

 〇 千代に八千代に ⇒チオニ・ヤ・チヨニ

   「神の選民 シオンの民!」

 〇 さざれ石の ⇒サッ・サリード 

   「喜べ、人類を救う、残りの民として!」 

 〇 巌となりて ⇒イワ・オト・ナリャタ 

      「神の預言が成就する!」

 〇 苔のむすまで ⇒コ()カノ・ムーシュマッテ 

      「全治にあまねく、宣べ伝えよ」

の意味であると言う。信じ難いことであるが古いユダヤ人の渡来説は陸のシルクロードを通ってきた秦一族だけではなく、インド洋を超え黒潮に乗り、海の道から来た弥生人も居たことを証明している。

  「さくら さくら」は日本の曲として認知されているが、これもまたヘブライ語である。

〇 さくら さくら ⇒さくら シェケル(隠れた) さくら シェケル(隠れた)

〇 やよいの空は ⇒やよい イー(唯一の神)  いの イイン(迫害された)  空は サグァ(耐えて) 

〇 見渡す限り ⇒見渡す ンモッツ(死ぬ)  限り キーカルゥ(犠牲として)   

〇 かすみか雲か ⇒かすみか カッサマ(くじ引きにされ)  くもか ケンプ(取り上げられて)  

〇 匂いぞ出ずる ⇒匂いぞ ナエッフ(素晴らしい) いずる イェッツェル(計画)   

〇 いざや いざや ⇒いざや イッシュイー(神は救い)   いざや イッシュイー(神は救い) 

〇 見に行かん ⇒見に ミン(捧げ物) ゆかん イーハー(決める)

となる。

 

 

 よく知ら れた通り「יהוהは左から右へYHWHと書かれ、聖書の神の名でヤッハウェ又はヤーウェと呼ばれ、「ヤ」は神を表す言葉である。

 ヤッホー!は「神様」、倭・大和(ヤマト)はヤー・ウマトで「神の選民の国」となる。相撲の「ハッケヨイ ノコッタ」はハッケ(撃て) ヨイ(やっつけろ) ノコッタ(打ち破れ)を意味し、ジャンケンポンはジャン(隠して) ケン(準備) ポン(来い)である。帝(ミカド)は高貴な方、主(ヌシ)は長(オサ)、エッサホイサッサのエッサは(持ち上げる)サァーは出発である。サムライ(侍)はシャムライ(守る者)、(住む)はスムでヘブル語から日本語になった。

 

    これらの言葉は2000語にもなると言われる。古事記、日本書紀の歴史物語の神々も皆ユダヤから来た旧約聖書の人物名と合致する。私はスサノウノ尊は中東の大都市スサから海を越えてやって来た人物と考えている。ただ日本の研究者たちはユダヤキリスト教的歴史関連を余り肯定しない傾向がある。しかし考古学的発掘においてユダヤ人埴輪や大仙古墳の形成(マナの壺型)、平安京成立に多くのユダヤ系渡来人の働きがあったことは否定できない。未知の歴史解明到来の時となったように思う。

《慰めと励ましの言葉 103》  (桜台教会『月報1月号』より)

                 

   『危機の時代を生き抜く為に』(ⅩⅣ)

 

                  牧師 中川 寛

 

   丸二年に亘る新型コロナ感染症の世界的まん延によって多くの国民、国家の活動力が衰退し、経済弱者と呼ばれる人々の生活困窮が激しくなった。三密を避けワクチン接種とマスク、手洗い消毒の励行が感染者数を激減させては来たが、変形オミクロン株の発生と共に第六波のパンデミックが懸念されている。悲しい事ではあるがコロナ禍のもと、教会では二年間で7名の方々を天に送った。年齢は高齢者4人に50代、60代の方々で、コロナ禍の渦中入院中の方々に、ご家族を含めて病院には面会にも行けず、教会員の方々には教会で葬儀を行うこともできなかった。それぞれの故人、ご家族の方々には慰めの言葉と御供花を送らせていただいたが、皆さまへの信仰的ご配慮が十分に為しえなかったのが心残りである。同時に残されたご家族の方々へ主の平安と支え、導きをお祈りしている。

  

   私は毎週日曜日の深夜から放映される米国の諸教会の日曜朝礼拝をYouTubeで見ているが、米国でも事情は同じでオンラインでの参加の呼びかけが行われ、選ばれて教会に集う者は朝の体温検査と体調管理を終えてマスク着用で参加するように伝えている。またオンラインによる礼拝参加者にはその都度献金の依頼が繰り返しアナウンスされる。国教会は別として自由教会は財政的基盤を信者に負っているので、献金が止まれば活動が成り立たない。教会は慈善団体ではないので事業を持つ教会はともかくも献金だけに依存する教会はかなり苦労している。それは各宗教団体・法人においても同様のことで、代表役員や責任役員員会の判断で財産処分が行われたり、維持しきれない団体においては残念なことだが様々な不祥事が生じている。借入金のみ増加するわが教会においても事態は同様だが、この困難な時期を祈りをもって乗り切る以外に方策はない。今年も幼稚園の園庭の木々の落葉は終わったが、かつて教会の木は入口の松の木だけで他は幼稚園の木だから勝手に触らないでと厳しく言われたが、放置された大木を今後どうされるのか、もう10年に亘って待ち続けているが返答がない。近くの業者に頼めば60万円はくだらない高額で、牧師の3か月分の謝儀にも相当する金額は到底出費することができない。これもまた近所に落葉の迷惑にならないようにと折あるごとに有志が掃除をしている。そんな中感謝に耐えないことだが、近所のマンションの管理人さんが毎朝道路の清掃と共に教会の門前をきれいに掃除して下さっている。律儀な方でついでですからと遠慮気味に返事されるのだが、私は教会に住んでいるわけではないので夕方必ず掃除をして帰って来る。しかし残念ながら夜中に北風が吹き、雨が降ったらまた元の黙阿弥になってしまう。そうしたら管理人さんが留守の間にきれいに掃除をしてくれている。クリスチャンでもないのにましてや教会員でもないのに、他人の迷惑を黙って引き受けていて下さるのである。だからと言って私が毎朝早く出かけて掃除することは後期高齢者にとって現状では難しい。せめて年末のお礼をもってお口直しをしてもらう事しか謝意を表せないでいる。彼は大きなマンションの管理人で通常でも忙しい人である。

  

   幼稚園の現状を見て教会に訪ねてくる人は不動産会社のセールスマンが多くなった。園庭を含めたこの土地をどうされるのか、建て替えや売却の際にはぜひわが社へご一報くださいと名刺を置いてゆく。小林牧師から引き継いだ教会地を私有地にしたり、不動産屋に転売してお金に変えたりすることは断じてあってはならないことである。『神のものと人のもの』との判断が持てない人は反キリストであることを自覚すべきである。理事長が勝手に公的資産を私有財産化することは現在あちこちにおいて見受けられることであるが、必ず法的な裁きを受ける。もし桜台教会が不動産屋に転売でもするならば、70年に亘る公的事業の社会的栄誉も水泡に帰す。現状は宗教法人たる教会があらぬ出費を強いられているのは代表役員として肯んじがたい事であるが、私達は日々祈りのうちに教会活動が円滑に運営されるように歩んでいる。

   

   かつてスペイン風邪が流行した時、その期間は3~4年に及ぶと聞いたが、将にコロナ感染症も同じ経過をたどっているようだ。しかし日々新しい日常を目指して進展することを怠ってはならない。その為には世界の様々な歴史に学ぶことである。世界史を振り返った時、私達は古代ローマから遡って西洋キリスト教文化発展史に従って世界を理解することを身に着けたが、それもまた世界文化の一進展の局面であって、今やグローバル化の中で世界を理解する目は各文化の発展の経過を学ぶ必要がある。私はそう考えて昨年来13世紀のフビライ・カーンが西洋との交易の中でヴェニス出身のマルコ・ポーロが記した『東方見聞録』を学ぶことが大事だと読み直すことにした。

  

   時代的には1270年から1295年まで約26年間に及ぶ陸のシルクロードとカーンの宮城(現北京市)の様子、帰路は海路南シナ海からインド、インド洋、ペルシャ湾を航海しバスラからユウフラテス川沿いにトルコに入り、地中海を渡りヴェニスに帰ったのである。恐らく陸路50頭ものらくだの隊商と共に生活品や商売品を積んで今日の西アジア、中東、アフガンを経由した。彼は帰国後1298年ヴェニス・ジェノア戦争で捕虜となり、幽閉されるが、かつての東方旅行の資料を取り寄せて体験談を語り、口述筆記により原稿を書いたと言われる。今日紛争の絶えない中東の各国の様子が興味深く記されている。父と叔父がマルコに先立ってすでに行商体験があり、その経験の下にマルコも安心して出かけることができたのであろう。詳細は記せないがおもしろい話が随所に報告されている。因みに海の東の大国『黄金の国ジパング』についての記述は下巻(海路帰路)の部に記されており、日本をヨーロッパに紹介した最初の文章と言える。当時モンゴル元朝が日本をどう見ていたかが良く分かる。巨大な世界制覇を成し遂げた勢力が東の大国と言われた日本を征服できなかった事情も記されている。大国ジパングは黄金、真珠、生糸、宝石類の産出国、欧州人にとっても手に入れたい品々であった。しかし強国ジパングは元寇を撥ね退け彼らの侵略を阻止したのである。興味ある方は下巻を読んで頂きたい。

  

 

   クリスマスを迎えた直後なので、まず上巻から紹介しよう。実際の航路はヴェニスから地中海を東に向かい、エルサレムに行き、その後北上して現トルコの小アジアを通過してチグリス川上流からバスラに渡り、ホルムズ海峡から北上して陸路イランを通過し、アフガン北部からタクラマカン砂漠へと進む。その途中の国々は13世紀ではあるがすでに世界最初のキリスト教国となったアルメニアやジョージアの報告があり、同時にネストリウス派や東方教会の報告とイスラムの特色が描写される。東方の三博士の物語はペルシャ(現トルコ)のアンカラ南西の町サヴァにある遺跡と伝説に依るものである。三博士は三人の王と記され、名はバルタザール、ガスパール、メルキオールと言う。それぞれ黄金、乳香、没薬をもって嬰児に謁見し、もし嬰児が黄金を取るならば彼は地上の王であり、乳香ならば神、没薬ならば医者だと言われていたと言う。最初に年少の王が謁見したところ嬰児は自分と同年齢に見えたと言い、次に年長の王、最後に最年長の王が謁見した時も先の二人同様に自分にそっくりだった話した。そこで3人の王が一緒に謁見した時、嬰児は13日目の赤子であったと言う。彼らはそれぞれ木箱の返礼品をもらい帰途に就くが、途中で木箱を開いて見た所ただの小石であったので井戸に投げ捨てた。するとその井戸から火炎が上がり驚いて石は幼児を知り、固くその信仰を保持すべき象徴であると知った。またその火を大事に持ち帰りゾロアスター教(拝火教)の起源にしたと言われている。すべてはマルコの大冒険体験記である。

《慰めと励ましの言葉 102》  (桜台教会『月報12月号』より)

                 

   『危機の時代を生き抜く為に』(ⅩⅢ)

                  牧師 中川 寛

  テキサス・オースチンの長女家族から孫たちが楽しんでいる1031日のハロウインの写真が送られてきた。子供達にとって米国での日常がどれ程楽しい日々であるか写真を見るだけでもその様子がわかる。小学校1年生と2年生の孫たちは全員ハロウインの衣装を着て登校するようだ。秋にはパジャマを着て登校する日もあり、10月には各学年で出場する体育祭もあった。上級生が先生方と一緒になって下級生に発破をかけて激励し競技を盛り上げていた。体の小さい子もこの時とばかりに実力を発揮して大きい子をやり過ごす。みんな似た環境に住んでいるので大きな問題が起きないのかもしれない。親しい友達には誕生会に招待し親共々交友関係を維持している。ハロウインの日は隣りの家が遠すぎて子も大きくなっているので別のコミュニティーの子供達が多くいる地域に招かれて参加したようだ。

 

  ビーケーヴはオースチンのダウンタウンから車で30分余りの郊外だが古き良きアメリカ人の気質が濃く、車で出会っても良く手を振って挨拶する。新しくできたコミュニティーはそれぞれの趣味を共通にする人々が楽しめるように共同体が作られている。家族で趣味を共有できる環境になっている。同時に子供達のスポーツ教室もクラブもチームも多くあり、日本同様に塾やクラブの活動で大変忙しい。バレエや楽器の習得も大変で、主に母親や祖父母は子供や孫たちの移動に駆り出されてイヴェントのある度に家族で出かけることとなる。教会に属している家族はさらに忙しい。とりわけ一週間を元気で過ごすために体力を維持しエネルギーを確保しなければならない。孫たちを見ていて大きくなったと感心するが、クラスの同級生にはまだまだ大きい子が大勢いる。さすがにテキサスだと思わせられる。しかし季節に合わせたプログラムには日本同様皆忙しい日々を送っている。11月の第四木曜日は感謝祭で、各家庭では七面鳥を焼いて美味しい食事を共にする。昨年は注文しなかったが、今年はぜひターキーを焼くところの写真も送ってくれるようにお願いしたが、これもまた家族の楽しい一大行事であった。

 

  1620年のメイフラワー号による清教徒の新大陸移民の建国物語は様々なメディアで放送されるが、困難を極めた冬場の上陸はスクワント・インディアン等の助けを得なければ生き抜くことができなかったと言う。翌年の秋、収穫後彼らを招いて感謝祭を行ったのが始まりと言う。今年は野生の七面鳥が多く、ニューヨーク州でも女性のハンターが多くなったと報道されていた。もちろん長女宅はスーパーで買ってきたものだが、それでもおいしそうに出来上がっていた。ご亭主は引っ越し以来家の手入れから庭の整備を行い、今は新しい二階建てのガレージ兼オフィスを一人で建設中、本当によく働く人だ。4エーカーに及ぶ周囲に鉄柵を設け、二ケ所に門を設け、夜も明るくライトアップできるよう街灯を整備していた。かつては俳優業を中心に働いていたがテキサスでもその分野で働くことができるようにと協会に申請中との事であった。なんでも手掛ける働き人で、送られてくる写真を見ていて頼もしい。できることはなんでも手掛ける努力家だと思う。テキサスはまだ広大な土地があり、安いうちに買っておけと言われるが、機会があればゆっくり教えを受けたいと思う。

 

  日本ではコロナ対策の中での生活であるが、ビ―ケーヴではほとんど安全で密になることも少なく自由に生活している。各自の責任を自覚しつつ可能性を積極的に追求し、より良い環境を形成することが自己実現と相まって人生の目標とすることが求められる。人は環境の子なりと言われるが、しかし環境を変える努力をしないでは成長がない。その意味で彼らの生活は見事に自己実現しているように見える。若い時からそのような生き方を見て学ぶことが今の教育にも必要である。狭い日本の中だけでは大きく成長する機会もまた少ないと言わざるを得ない。

 

  世界がどう変わってゆくか誰も世界を見通すことができないが、しかし日本社会に欠けている点はキリスト教神学を学ぶことがない点である。それはキリスト教と言う宗教の教義で、信仰的には受け入れ難い、また宗教はどうも抹香臭いと敬遠されそうだが、しかし欧米の科学的発展の背後には常に神学的展望が息づいていることを学ばなければならない。それは宗教的なものを超えて歴史哲学を左右する洞察力を持つことを意味する。聖書とキリスト教は狭くは個人の救いに関する教えではあるが、同時に有限なる世界を超えて物事を全体的に展望する目を持つことを意味する。神学的展望は歴史哲学を超えるものであって、神学的には終末論的思考を持つこととなる。その時前提となる終末論は終末観とは違って個々人の魂を問題とする。結論的には歓喜の感性をもって対処することができるか、虚無に支配された悲劇の感性によって判断するかの違いとなる。創造者なる神、贖罪者なる神、救済者なる神を知りつつこの世全体を俯瞰する視点を持つことができるか、或いはその前提に福音的歓声を得ることができずに虚無思想に縛られるかによってその学問的取り組みが全く違ってくることを観て取らなければ成らない。いわゆる形而下の学問だけでは学問する主体の価値判断によって善にもなり悪にもなることとなる。それ故に善なる超越の視点に立って全体を見る見方を持つことが求められるのである。

 

  明治期にこのようなキリスト教的神学論を日本文化に取り入れる知性に欠けていた人々は宗教としてのキリスト教神学部の設置は伝統文化たる神道・仏教の歴史性を否定することとなると判断したと言える。信仰の自由が確保されるところにおいては、それは克服できる問題であったが、偏狭な日本民族史家は宗教対立を引き起こす恐怖を感じたのであろう。しかしこの神学的思考を身に着けない限り、世界を相手に国際政治や国際経済を論じることはできない。日本人による国際論者は最終的に批判するだけの国際論となって、形成する視点を確立できない不幸を味わう事となる。多様性文化の価値を意義付けるものが高度な超越の視点から全体を鳥瞰的に比較検討する合理的、科学的議論が可能となると言えるのである。 

 

 

  実は世界は中国共産党による世界戦略に従って、宇宙論的に展開されるすべての科学的発展は軍事的覇権に裏打ちされた世界制覇の一環として理解すべきであると考えている。残念なことだが過去50年間において中国共産党が日本を含むかつての欧米先進諸国に送り込んだ留学生を通じて取得した文化的科学的学問的成果をいつの間にか自家薬籠中の物とし、一帯一路の美名のもとに 今や米国欧州を凌ぐ世界一の大国となり、その覇権をほしいままにしているのである。もちろんその体制はいつまでも続くものとは思われないが、しかし何らかの共産党体制の内部崩壊が起こらない限り、その不安は払しょくされない。更に不安なのは多くの国が核兵器を保持し米国を凌ぐ高度な技術を保持していることである。そこで当分の間はコロナ危機を克服しつつ、西欧の自由と民主主義を共有できる国々と利権を共有しつつ、平和を維持する努力を継続する以外に道が見出せないことである。かつては武力的覇者が世界を支配していたが、神学的に判断すれば、それらが悪の繁栄となるのか、善に負うかによって大きく視点が変わるところである。聖書が語る「今は悪い時代である」とか「光ではなく闇の支配下にある」と言われるのはすべて神学的展望において語られた言葉である。人間の悲劇をもたらすものは究極的に罪の結果であるとパウロが教えている。絶望を希望に変えるものは復活の可能性を信じる力である。その本義はイエスキリストの十字架による贖罪の死と復活の希望に拘わるものである。善なるものへの復活こそが有効なのであって、罪、悲劇、悪に至る力はすべて人間の無力さから出る悪しき欺瞞の現れである。キリスト教信仰による復活の可能性は大きく日々の可能性志向に勢いを与える善の力となる。クリスマスの祝祭は神の勝利宣言である。

《慰めと励ましの言葉 101》  (桜台教会『月報11月号』より)

                 

   『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅻ)

 

                 牧師 中川 寛

 

   11月3日は「文化の日」であるが多くの人々はようやく終息に向かったコロナ鬱を解消するように外出した人々が多かった。私も退職後9年ぶりに32年奉職した聖学院中高を尋ねた。当日は天気も良く外出にはもってこいの日であったが、折からのコロナ対策により聖学院でも学園祭はオンライン方式によって行われた。都知事が要請した11月30日までのコロナ基本的対策徹底期間としてこのような形になったようだが、久しぶりの学校訪問で懐かしい先生方とお会いすることができた。校長、副校長、チャプレン他、かつて教員仲間の先生方が私が訪問していることを聞きつけて次々にあいさつに来てくださった。共に苦労した同志の先生方もそれぞれに歳を取られたが、日々若者たちと交流する中で様々な緊張を持ち続けておられる様子だった。 特に32年に亘って勤めさせていただいた聖学院であるゆえにその建学の精神たるキリスト教教育を担当する職務を得ていたために大変懐かしい思いであった。また新しい先生方の工夫が随所に見てとれた。退職後校長は3人目で現校長は丁度私が奉職した時の高校3年生で、思い出深い学年でもある。現チャプレンも卒業生で殊の外多くの献身者がいることと同時に私の後を支えて下さっていることは感謝に耐えない。

 

  教員は肉体労働と共に生徒相手に神経を擦り減らす苦労の絶えない職業である。大学生に講義するだけならば春夏冬の長期休暇もあり楽な仕事だと判断されてしまうが、そのようなことは一切ない。就業時間も規定通りではほとんど責任ある仕事ができない。早朝より夜まで、さらにクラブ指導や出張、会議で授業の準備も余程学生時代に勉強しておかなければ責任ある授業はできない。大学4年卒業では専門科目においても十分な知識が身に着かない。私の頃と違って電子機器を自由に駆使できなければ同僚に迷惑をかけることとなり、また最新の知識さえも習得できないこととなる。せめて大学院を終えておくことが望ましい。中高生を相手にするには人一倍体力と健康が要求される。それのみならず、将来社会に生きて行く若い人材に勝手な思想やイデオギーを押し付けることもゆるされないだろう。思想や宗教は自由であっても人格形成途上の若者にはそれなりの提示をしなければ、やがて人生を歪めてしまう恐れもある。特に熱心党的姿勢は教員仲間の和を損ねることにもなる。しかし同時に教員各自の譲れない価値観や信念は違った考えの方々と対峙しつつ、もし譲れないならばそれなりの寛容な心を持つか、混乱を招かないために早めに職場を変えた方が良い場合もある。従ってその勢力に対峙する為の強い精神力も要求されることとなる。

大学を出てすぐに教員になった先生方は退職まで約43年務めることとなる。これもまた仲間に支えられ、生徒に恵まれて退職後は不本意ながらも恩師、恩師と卒業生から称えられることになる。卒業生が社会に出て活躍すればさらに恩師の働きは広く評価される。事の良し悪しは神さまにゆだねる以外にないが、退職して初めてその職務の重大さに深く反省するところである。恐らく教会の牧師の任務はもっと重いと考えさせられる。

 

  小さな運動場に先生方の努力によって夜間照明が付いた。まだ本格的に使用されていないようだが、昔各クラブで照明具を準備していた時代とはずいぶん変わった。今後は騒音と照明が近所の迷惑にならないことを願いつつ、生徒諸君に活躍してもらいたい。時代と共に教育設備も教育体制も大きく変わる。これは当然のことであるが、変わらないものには更なる情熱を傾けなければならない。「聖学の院」たる建学の精神は「聖なるもの」に触れてやがて聖人となることを志す学院である。その基礎には「聖書」がある。これは何物にも勝る宝物である。その価値を在学中に幾分でも味わって、生涯座右の銘として学び取ってもらいたい。今日のような虚無的相対化の時代には歴史を変えてきた「福音の書」が大きな羅針盤となる。有り難いことに学校を担う二人の卒業生の牧師がその責任を使命と感じて聖学院の根幹を支えておられる。それは今後も変わらない事である。 お忙しい先生方を前に長居をしすぎたようでご迷惑をお掛けしたが、聖学院の良い点を引き延ばしつつ今後も見守り続けたいと思う。

 

  先日の衆議院選挙で久しぶりに各政党の状況が良く理解できた。水と油のイデオロギー的対立を成す各政党が国民からどのように判断されるか、同時に政治家が社会的責任をどのように果たすか、国民はそれなりに判断をしたと言える。メディアによって押し付けられたイデオロギーが日本を動かすのではなく、倫理・道徳的判断に従って人物を評価する点等、満更ではないと思うところもあった。同時に時代の隙間風をうまく掴んで当選者を多数出した政党や政治家もいた。選挙は水ものであるから落選した政治家には同情するが、同時に常に目を凝らして動向を見守ることが必要であろう。知り合いの政治家が落選したことは同情を禁じ得ないが、また捲土重来の時が来ることを待ちつつ努力していただきたいと思う。まだまだコロナが世界を席巻する中、世界中が不安定な中に投げ出されている。日本を取り巻くCNKR国などの政治経済が安定しない。絶対に武力をもって戦争することは避けねばならないが、国力を上げ品位を保持する限り日本は再び戦争に突入することはないであろう。しかし三流の言説に惑わされる時人々はその心に動揺を来す。不動の心、平静心は高い教養と高貴な信仰心によって形成される。皇族の子女による結婚問題で翻弄される日本社会では“なお道遠し”と言わざるを得ない。民主的国家形成のためにはまだ幾多の内戦を経なければならないかと思われる。欧米のキリスト教国家が近代国家形成のために歩んできた歴史を学ぶ時、相互の内戦が繰り返され、聖書的基準である民主的平和構築の努力がなされてきたことを忘れてはならない。同時にアジアを含めた民族の攻防が繰り広げられていることも平和形成の困難さを証しするものであろう。ニュースにはならないがテキサスへの不法移民はバイデン政権に移行してから250万人にも及んでいるのである。彼らを引き受ける領土があるアメリカではあるが、教会による改善がなされなければやがてはCO2温暖化問題以上に国家の崩壊を招くことになるだろう。

 

 米国の福音的教会の牧師たちは聖書の福音を説きつつ教会と国家の進むべき方向について語っている。地味ではあるが力強いメッセージを語る牧師の番組を紹介したい。 TV (jackgraham.org) 彼はダラスにある大きな教会の牧師であるが、常に聖書に返り、原点を目指しつつ将来の道を証しし続けている。聖書を読む視点が違う。旧新約聖書66巻を神の言葉として説き明かし、メシアとしてのイエス・キリストを啓示者として常に原点において聖書を読む。福音の働きはキリスト者を通してこの世に証しされるのである。深いキリストの愛に支えられたキリストの人格が信仰者一人一人の人生に光を灯すことを語り続ける。メッセージは分かりやすい英語なのでぜひ一度見て頂きたい。彼はトランプ大統領時代にワシントンDCに招待され、国家と世界のために執り成しの祈祷をささげたことがある。しばらく番組を見ていなかったが、今も昔も変わらない説教を続けている。聴衆もまた相変わらず大勢いる。メガチャーチはCNNなどと結びついて金銭的に行き詰まったところが多いが、健全な活動を続ける教会も引き続き継続しているのを見ると勇気付けられる。

 

 

 私はようやく教会の雑草を刈り取ることができたが、さらに大木の処置が残されている。クリスマスまでには剪定をして見栄え良くしたいと思うが、高い木に登って枝を切るにはちょっと歳を取りすぎたかもしれない。落ち葉の季節を迎えて思案に暮れている。

 

《慰めと励ましの言葉 100》(桜台教会『月報10月号』より)

                 

   『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅺ)

 

                  牧師 中川 寛

 

   4月以来夏野菜をプランターで育て始め、同時に桜台教会の創立70周年を覚えて教会の庭にひまわりを70本植えようと提案していたが、すべて失敗に終わった。農家の方々の苦労と共に食物の栽培には四六時中拘わっていなければ野菜も花も植木も徹底的に反撃されることが解った。レンタルで菜園を楽しんでおられる方々も、決して簡単なことではないと言うことも良く理解できた。

 

  約一月間のテキサス訪問は大きな喜びであった。毎日孫たちを含め家族と一緒に過ごすことができた。娘たち夫婦による新しい冒険を楽しませてもらった。オースチンはまだまだ発展するに違いない。投資するなら場所にもよるがオースチンは立地条件、環境共に申し分ない地域である。すべてを忘れて自由に過ごしたわけではないが、結果的に聖書日課のfacebook掲載は継続できなかった。国際時間の違いとWi-Fi設備の都合もあり必ずしも時間が守れなかった。今後はPCもそれに対応する機種が求められる。

 

 あっという間のBeeCave 滞在ではあったが帰国時は本当に苦労した。婿たちがネットでPCR検査所を探してくれて陰性の証明書を確保したが、家内のメールが届かず、翌朝オースチン空港でAAのカウンタースタッフと掛け合ったがスペイン語が出てきて話が通じず、結果的に予定の飛行機には乗り遅れてしまった。翌日はJAL成田着で日本には土曜日に帰国できると考えていたが、これもできなかった。長女と連絡を取りもう一泊止めてもらおうかとも考えたが、折角空港に来ているのでダラスまで行ってホテルに泊まるよう指示された。日曜日までに帰国する為には翌日中に米国を出なければ土曜日には帰れないことになる。家内は米国からJALの日本行きを探してシカゴかサンフランシスコ、或いはミネアポリスかシアトル経由で成田か羽田着を探そうと言ってくれたので、とりあえずダラスに向かいホテルに滞在した。翌朝ダラス・フォートワースJALカウンターに着いたところ、日本国厚労省規定のPCR検査証明書でないため、再度空港内の医師による検査方法と結果の証明書が必要となり、再度二人で検査を受ける事となったので結果的に成田行きには乗れなくなった。その間JALCAは既に搭乗準備をしていてトランクは機内入り口に置いてあるので、検査終了後にカウンターまで来てくださいと親切に対応して下さった。仕方がないのでまず昼食を取ろうとベトナム料理を選びチャーハンをたべてJAL出発ゲートに向かったが、大きな空港でJL011便出発後は搭乗口が他の会社に変っていて、さあ大変。更に食事後店に杖を忘れて大急ぎで取りに戻ったがなくなっていた。幸い店員が奥で預かってくれたていて直ぐに戻ってきた。今度はカウンターにトランクを置いておくと約束してくれたCAが見当たらず、多分、外のJALカウンターの間違いだと思ってまた検査所を出ることにした。ダラスのJAL出国カウンターは午前中の手続き時には確かにあったが、午後になって他の航空会社に変っていた。確かJALの方はベトナム航空に変っているので担当者に話しておくからと言われたのを記憶していてその場にいた担当者に話したが、意味が通じなかったのかもうJAL職員は明日の朝まで来ないからわからないと言われてしまった。さてどうすればいいのか。やっぱり搭乗口の方に置いてあるに違いないと言われてまた長い出国審査の列に加わった。

 

   出入国の手続きは2度目であったが、私は股関節の手術をしているので、裸足でぐるっと回る個室に入りまた同じ質問をされ手持ちカバンを開かされた。家内は一度目にお土産用の食料を取り上げられ、二度目もせっかく買った食料を捨てさせられた。とにかくJALの出国ゲートを探したが航空案内に聞いてもJALの事務所はないと言われ、教えてくれた米国の電話はLAの旅行者案内担当の方で朝からオースチンで電話で話した方がびっくりして事情を聴いて下さった。そしてダラスのJALの所長さんが外のカウンターで待っていると約束して下さった。私達はまた出国審査所を横目に外に出て、今はベトナム航空カウンターになっている脇に寄って、「中川さんですか」と男性の呼ぶ声を聞いた。全く広いダラス・フォートワース空港を何度行き来したことか。JALの方々があまりに親切にして下さったので、ついうれしくなってあれこれ話していたらラグビー部OBのY君の父上がかつて香港支店長をしていて、JAL再建に努力されたことを話した。いまは春秋航空の社長をされている。ダラスから度々の電話で乗り換え機の準備をして頂いたLA在のJAL旅客相談室のご婦人も3日遅れとなる羽田着の便を手数料無して準備して頂いた。最も驚いたのはダラスのJAL・CAで搭乗手続きとCPR検査の正式な必要書類を準備して下さった方は武蔵大学卒業で横倉学長時の卒業生と言われていた。江古田や桜台の話をして大変懐かしがられていた。結果的に2日目もダラス・フォートワースのホテルに宿泊して翌朝一番にJALカウンターで手続きを済ませて出発を待つことにした。二日目の朝は成田着の飛行機で成田から家までどのように帰るか心配したが、羽田着になったので安心した。

 

   ところが結果的には日曜日の午後羽田着になったので教会へは行けなくなったが、羽田第三ターミナルでは三度目のPCR検査が行われ、広い空港内を行ったり来たり、最後はスマホに帰国者管理センターのロゴを入れて以後毎日不定期に三度、二週間に亘って自宅隔離で監視されることとなった。陰性にも拘らず、ワクチン接種も二度済ませ、結果的には都合4回のPCR検査と正式陰性証明書を確保しなければならなかった。羽田からは公共交通機関使用禁止でタクシーで帰ったが、日本に着いて3時間余り、羽田で在日系の若者からあれこれ調査されたのには全くナンセンスだと感じさせられた。

 

   日本の社会が緊急事態宣言発出と共にもう少し融通の利く手立てが取れないか悔しい思いが後を引いている。緊急事態宣言全面解除となり教会活動が再び活発化されることを願っている。夏の間中教会員やCSご父兄、役員有志によって庭の草取りを継続して実施して下さったおかげで、ずいぶんきれいになった。私も早速教会をきれいにしなければならないと考えて、あれこれ手掛けている。ところが先日椿の葉についていた「チャドクガ」にやられて手足背中おなかに至るまで、体中痒い湿疹に覆われてしまった。植木屋さんや職人さんが特別の装束をして作業しているのにはそれなりの意味があることを学んだ。数十年に亘って放置されていたアロエの株も小さくした。しかし放置された幼稚園の木は紅葉が大木になり、入り口のブロックを割って大変な事態になっている。サルスベリも大木になり深剪定が求めえられている。ジャングルジムの銀杏の木は大木になったが幹の腐食がかなり進行し台風の際折れないか心配される。礼拝堂玄関横のモミの木もいつ倒れるか分からないほどに傾斜が拡大している。幼稚園のヒマラヤスギも大木になり、早く短くしなければ害虫の巣になっている。時機を見て剪定しようと思うが一人では完結できない。でも新しいヴィジョンに生きる事は教会の使命である。教会を美しくするために募金を募らなければならない。世の中はコロナ対策のためにあれこれ対策を立てて取り組んでいるが、世界で活躍できる人材を生む教会はもっと積極的に美化に励まなければならない。

 

 私達がテレビや報道で接する欧米の諸外国も教会がきれいに管理されているところは人々も集まるが、草ぼうぼうの所では福音の価値は上がらない。今年のクリスマスがどうなるかコロナの行方は知られないが、子供達が喜び集ってくる教会の形成は優先的に為されねばならない。海外に出て活躍する人々も大勢いるが、その心において誰にでも誇ることができる生き様が求められている。夏のテキサスで教えられたことは、志しが確かで美化に勤しむ組織・団体が世の中を改善して行くものとなるとの事。私達はそのような目標を掲げて成長しなければならない。 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 99》 (桜台教会『月報9月号』より)                 

   

 『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅹ)

               

                       牧師 中川 寛

 

    新型コロナ感染症の専門家によればこの流行は年末まで続くと言われる。世界が同様の判断を下しているのか、米国の大都市にある大企業のオフィスは少なくとも来年1月3日までは自宅でのテレワークで出勤禁止との事である。日本も同様の処置が下されると思うが、ある方によるとスペイン風邪は4年に亘ってまん延した経緯があるのでもっと長くかかるとも言う。教会活動も礼拝を休会中だが、献金さえも滞り会堂維持に困難を来している。勤労者の収入が不確かで、失業者続出の中、社会の経済活動が回復しなければ疲弊するばかりである。政府による二回目の国民生活への緊急援助を実行しなければさらに悪い方向へと向かわざるを得ない。

 

    私は6月末にコロナ感染の見通しが立たない中、テキサスの在住の長女からの招待を受け、礼拝を継続できない期間に思い切って渡米する事とした。世界中の旅行者が消えた中、飛行機もまた7割近くの空席でダラス経由、オースチンへ行出かけた。梅雨の最中、蒸し暑い日であったが二度のワクチン接種を終えていたので、専門医によるコロナ陰性の検査証明証をもらい、7月8日朝羽田から出発した。さすがにハワイとは違いダラスまでの直行便でその後オースチンまで飛んだが久々に長い飛行時間であった。幸い揺れも少なく眼下に広大な米国の大地を見ながら空の旅を楽しんだ。長女家族は昨年4月、コロナの最中ハワイからオースチンに転居したが、新しい所で野鹿や野ウサギ、リスが闊歩する庭の整備を行い、家の手入れをして待っていてくれた。ジャングルのような庭だったと言っていたが、敷地を一周するだけで15分は掛かるような広い所を綺麗な芝生の公園のように変えていて、さぞ大変だっただろうと感心した。孫たちも成長していて驚いたが、皆元気に成長していたので感謝した。すべてが久しぶりのアメリカ生活という思いであったが、オースチンは初めての所で、家族が一丸となって整備してきたことに驚きを覚えた。

 

    テキサスは土地が高騰し、近郊の土地もバブルのあおりですべて周囲は分割した区画で購入済みとなり、周囲の山々も建築ラッシュとの事であった。オースチンの市街地までは車で30分ほどだが、コロナの形跡はほとんど見られなかった。マスクをしている人はアジア系か黒人のみで、どこに行っても店の人以外はマスクなしであった。水は自宅の井戸からふんだんに汲み、電気代も税金も安いとの事で全米各方面から引っ越してくる人が多くなっているとの事。その結果孫たちの新学期には転校生も増え、学校周辺では朝の渋滞で普段は5分での登校に20分かかったと言っていた。オースチン近辺はテキサスではヒル・カントリーと呼ばれるところで木々が多く、野鳥の鳴き声も多く聞こえる。川や湖も多く、休日には家族でボートに乗り夕日を楽しむとの事。橋のある川のほとりは行楽客の車が長く連なって止めてあった。

 

    何もかも楽しい体験であったが、ある時射撃場に連れて行ってもらった。テキサスは身分証があれば自由に銃が買える。身の安全は各自が責任をもって確保しなければならないので、街のご婦人も自分で拳銃をハンドバッグに忍ばせているとの事であった。銃を撃った際の衝撃と銃声の大きさに驚いたが、若い女性が隣で友人から指導を受けていた。テキサスは毎年9月1日が拳銃所持の日で男女ともに腰に拳銃を下げて町に出るとの事でした。銃の扱い方や弾丸の装填の仕方、拳銃の打ち方ショットガンの構え方などを学んだ。同時に銃を扱う時は絶対に銃口を人に向けてはいけない事も教えられた。それは自殺行為となるとの事で、悲しいかな日本人には理解しがたいが、銃社会の生活は各自が身をもって責任ある行動をとらなければならないとの事であった。その結果全米中テキサスでは銃による事故が大変少ないとの事であった。

 

   娘婿は実によく働く人でアメリカ人の典型を見ているような生活をしていた。彼はカイルアでは一人で数軒の家を建て、オースチンでも二階建ての事務所とガレージを立てる準備をしていた。二階には寝泊まりできる部屋も作るとの事。テキサスでの俳優業も再開し、国際的事業としてサーフィン用品具販売とクラシックカーの製作販売等々。趣味と実益を兼ねてオースチンサーキットではフェラーリを走らせ仕事に従事している。同時に家の整備と子供の教育。水泳では自由形でLAオールHSで4位の成果を残しているとの事であった。成程プールでの泳ぎはバタフライを含め見事であった。 丁度ステイした時は台所の手入れをしていたが、大理石のカウンターを作り、電気工事と壁塗りと大きなコンロの設置も来ていた職人さん以上に美しく仕上げていた。職人さんの親方はカントリーウエスタン歌手のウイリー・ネルソンの長男で隣の町に住んでいるとの事で親しくしていた。2年前には750万円で購入した向かいの土地の地主は1800万円で売れて引っ越したとの話には驚いた。それだけバブル経済ともいえる現象が起こっているとの事であった。

 

   コロナ不況で四苦八苦する日本と違って、テキサスは持てる人々の目覚ましい成長が始まっていると話していた。向かいの山沿いに立てられた50軒近くの新築住宅もすべて売り切れと言って工事現場を回って見せてくれたが、ちょっと想像できないテキサスの変容ぶりであった。

 

   教会の様子はいくつもの教派による大きな教会が建っていたが、まだどの教会に所属するか決定していないとの事であった。大きな教会でも隣りの墓地や前庭にパイプ椅子を置き、テントを張って礼拝を守っているところも見受けられた。テレビによる礼拝を流しているところもあったが、必ず献金の要請をしていた。桜台教会は献金や教会奉仕はうるさく言わないので自由過ぎて信仰はどうでもよいようになってしまうが、実は生活の根底には魂の情熱が渦巻く信仰的熱意がなければ、人生は輝くことがない。信仰はいわゆる積極的思考(ポジティーブ・シンキング)を生み出す原動力である。赦され愛されている確信はキリストの十字架から発せられるものであるがゆえに、聖書的信仰がなければ人生を否定的にとらえ、消極的生き方となる。

 

 

   昨年の大統領選挙以後、米国のキリスト教も地に落ちたと感じていたが、実は福音の働きは華々しく報道されるメディアの方向にあるのではなく、困難の中にもたゆまず良き業に励む信仰者の日々の証しの中にあることを忘れてはならない。「とうきょう2020」のオリ・パラ開催も終了したが、競技選手の成果の結果やメダルの数による評価ではなく、コロナ禍の中で開催されたオリ・パラ大会が、障害ある方々の障害を克服して努力した競技の姿そのものに癒しと和みを与えられたことに大きな成果があったように思う。この時期のオリ・パラ開催の良し悪しは後に人々によって評価されるであろうが、コロナ鬱を経験している全世界の人々にとって、矢張り大きな希望を抱かせたのではないかと思う。もちろんこの大会開催のためにも休むことなく医療に従事されている多くの関係者の方々には苦悩のはけ口がなかったと思われるが、多くの国民が共に苦労を担って感謝の思いを持っていることも声を大にして表明しなければならない。アフガン問題や菅首相辞任の報道を通じて、その内実の詳細は明らかにされないと思われるが、コロナ関連の人々にとって必死に生きるコロナの下にあって選ばれた一部の人々が権力所持者による特権優先でなく、生きていて良かったと思われる一般人の共感を深く心に留めて良い生き方を選択しなければならないと思う。世界はカオスへの道を直進しているようであるが、目覚めた人々によって善き目標を立て積極的にビジョンを遂行する選択の道を勇気をもって進まねばならない。虚偽と悪の道はやがて暴かれ、裁きの対象とされることを心に刻まなければならない。「木はその実によって分かる」(マタイ12:33)との言葉通り全能の神はすべてを見ておられるのである。

《慰めと励ましの言葉 97》 (桜台教会『月報6月号』より)                 

   

『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅸ)

 

                  牧師 中川 寛

 

   6月に入って朝9時に予約してくれていたワクチン予防接種に家内と出かけた。予防接種はインフルエンザを含め何年もしたことがなかったが今回は久しぶりの経験であった。ファイザーのワクチン一回目であったがチクリと刺された左腕に一瞬痛みを感じたが、あっという間の出来事で、何の変化もなく接種後待合所で15分の様子見をして家に帰った。その後教会で普通通りに仕事をして無事に終わったのであるが、二日目になって注射した周囲が不思議に筋肉痛を感じた。夕方頃から多少疲れが出た感じで早く寝たが三日目の朝まで手の動かし方で筋肉痛を感じた。しかし夜には無事にそれらの症状は消えた。高齢者の特権ではあるが割と早く無事にワクチン注射が終わった。次回は3週間後だそうだ。専門医の勧めではやはりコロナ感染症拡大抑制には効果があるようだ。そうはいっても緊急事態が継続しているので勝手なことはできないが、無事に多くの方が早くワクチン投与できることを祈りたい。娘の報告によるとテキサスではワクチン投与も自由にできるテントがあちこちにできているとの事。オースチンではほとんどの人はもうマスクはしていないそうだ。学校も夏休みに入り、飛行機も普段通りになったと言っていた。ただ国際線はそう簡単ではない。日本はまだ渡米できる環境ではないし、帰国後も二週間の監視が求められる。コロナ感染症の陰性とワクチン投与の証明があればもっと自由にしてもらいたいところだが、どう見ても政府・行政の対応が遅いと思われる。政策なのか国民に不安感を持たせることが最優先しているようで、一向に明るい兆しが見えて来ないのは残念だ。

 

   先日今年の季節のめぐりが全体的に低温で推移しているとの報道があった。そのせいか梨農園の成長が著しく遅れ、全滅したとのニュースが流れた。5月の連休から楽しみにしていた花と夏野菜が全滅してしまった。雨ざらしにしていたプランターの苗木が雨の日の低気温で成長がなく、晴れて成長した後はナメクジとダンゴムシによって一夜にして食べられてしまった。薬品を買ってきて処置はしたが、時すでに遅し。彼らは夜の間に鉢の底、草陰から出てきて新芽を食べ尽くし、二日目は茎まで食べて本当に苗は消えてしまった。夜出る害虫として調べてみると一番タチが悪い種類だそうだ。にわか作業ですぐに植えられると思って対策をとらなかったのが災いした。3月に買ったその他の苗木も成長がなくバラは特に気に入った「アンネフランク」を植えていたがヨトムシとうどん粉病であっけなく枯れてしまった。そのまま根は生きていると思って手当はしているが、今のところ変化はない。スナップエンドウも一夜にして食べられてしまった。気温の変化と害虫対策には万全を尽くさなければならないが、初めて経験する事ばかりで悔しさだけが残る。

 

   先月の満月の見事さも驚きであったが、24年ぶりのスーパームーンとの事であった。次回は13年後との事で生きているかどうかはわからない。しかし自然はうるう年もあり揺り戻しと言う現象もあるとの事。普段通りには行かない自然の運行に季節感もズレルそうだ。虫に食べられたヒマワリやスナップエンドウも時期が悪かったとしか思えない。しかし農家の方々には仕方がないでは片付けられないであろう。長年培ってきた生育の知恵を用いて栽培されておられるのであろう。近所の友人の方からは「いよいよ自給生活ですか」と言われていたが、苦労はどの道も同じであることを学んだようだ。とりわけ残念なのは教会創立70周年記念に合わせて準備していたヒマワリ70本が予定通りに行かなくなったことだ。改めて何とか準備したいが、成長には時間もかかるのでいつになるかは分からない。

 

   混沌の時代と言える世界各国は産業革命以来西欧の近代化をもって自国の文化伝統を誇示してきた。しかしコロナと共に経済社会の変動と民主化の波に押され、同時に中国共産党の成長戦略により様々な伝統文化と社会秩序に変動をもたらした。今や中国は様々な分野で世界の最先端を行く企業を有し文明のけん引役を誇示している。多くの場合近代化と共に西欧型民主化の道程を経てきた先進国であったが、中国共産党のやり方には同意できないもどかしさを持っている。共産主義の特徴である一党独裁の方針が強行され、巨大な富と軍事力が米国中心の西洋型近代国家を押さえつけている。真偽のほどは確かではないが、コロナ危機をもたらした張本人ではないかとも疑われている。新しい共感を呼ぶ文明の進展が果たして中国共産党の政策によって打ち立てられるのか。社会構造の変革をもって人間のすべての価値観やいわゆる上部構造が変えられるものなのか、私は決して近視眼的に反共産主義的イデオロギーを批判するわけではないが社会主義国家の結末を見ていても同意できるわけがない。

 

   中国共産党が米国を上回る軍事力を発揮し出したならば将来の不安は増長するが、しかし中国封じ込め作戦としての日米豪印のアジア太平洋構想が英仏を含めて強化されるならば多少の見通しは開けるように思う。しかし世界史における覇権を有したモンゴルの勢力、その後のオスマントルコの勢力を見る限り、西欧型近代化構想だけでは決して一筋縄では行かない世界平和を学ばせられるであろう。中国の子供3人まで容認する国家政策は13億人を超える遥かな人口を擁して世界へと進出するならば、かつてのモンゴルのクビライカアンの世界制覇の野望を彷彿とさせるものになるであろう。1274年文永の役、1281年元寇の役では幸いにして侵略、占領はは免れたが、西欧ではハンガリー、ポーランドに至るまで侵略され、テロに悩まされるロシアにおけるタタール人問題はその後遺症を引きずっていると言える。その後を受けてオスマントルコの支配は東ローマ帝国(ビザンチン国家)を超えてトルコ艦隊による世界攻略へと展開される。今日のトルコ共和国には東ローマ帝国(ビザンチン)の文化が根付いており、古代文明の一つであるヒッタイト文明が栄えた地である。鉄器の発明とクサビ型文字やトロイの木馬で有名なトルコ・チャナッカレ(トロアス)、カッパドキアの洞窟教会に代表される古代キリスト教会とネロ、ドミニアヌス帝時代のキリスト教徒迫害下にあって三位一体論の聖霊論を展開した神学者大バシレウスの活躍等々。オスマン・トルコはイスラム教よりは東方の正教会に代表されるビザンチン文化に基礎付けられていると言う。東方教会は西方のローマカトリックとは違って皇帝教皇主義(カイザル・パパシズム)をとっている。古くは皇帝が教会の教皇であり両者は世俗世界の主権と宗教的主権を共に担っていたのである。西方教会は世俗の皇帝と教会の教皇とは別人物で皇帝は教皇に仕える者であった。有名なカノッサの屈辱は1077年真冬、ローマ王であったハインリッヒ四世が教皇グレゴリウス七世に三日間に亘って許しを乞うた歴史的事件として世俗の長、国王が教会の教皇に懺悔した事件として欧米人の記憶に留められている。

 

 

   産業革命と経済活動の勝利を手にした欧米の近代化であったが中国共産党の勢力は「一帯一路」の政策をもって世界制覇を目論んでいると思われる。今や欧米から盗み取った様々な技術と研究成果によって宇宙の果てに至るまでの覇権を誇っている。 米国元国務長官マイク・ポンペオ氏が西側諸国に警告した事実は決して架空の事ではない。民主主義を標榜することをしない中国共産党の覇権主義はそれを否定する勢力が登場しない限り、或いはその政権が倒されない限り、さらに強力に覇権を振り回すに違いない。神による創造と生命の尊厳は決して忘れられてはならないものである。 私はこれからの世界の希望と新しい再生は「ビザンチン・ハーモニー」と言われるオスマントルコ時代のビザンチン文化(正教会)とイスラム文化の融合・調和に期待されるのではないかと考えている。

《慰めと励ましの言葉 96》 (桜台教会『月報5月号』より) 

                 

   『危機の時代を生き抜く為に』Ⅷ)

 

            牧師 中川 寛

 

今年もまたイースター礼拝を共に守ることができなかった。新型コロナ感染症がこれ程長く続くとは思いもよらない事であったが、しかし今私達にできることは一日も早くコロナ感染症が収束することを願いつつ最善を尽くすことである。最前線で医療救済活動に従事する方々に主の励ましを祈ります。教会活動を行う事も制限され、信仰生活が希薄になることを憂いつつも、日々聖書のみ言葉に触れ、祈りと霊的交わりを継続する事をお勧めしたい。デジタル化が進む中、教会の信仰形成は人間関係の直接的交流がなされなければ閉鎖的信仰に陥ってしまう。或いは信仰は趣味・嗜好の類で終わってしまう。永年信仰生活を続けてきた方々においても高齢化と共に福音信仰が個人的嗜好に埋没してしまうのもはかない事である。神と共に生きる信仰者は死に至るまで首尾一貫してキリストの福音に生かされて生きるものである。

 

 70年の歴史を数える桜台教会の感謝礼拝もコロナの影響で企画さえできないのは悲しい事である。しかしその事業の一環としてパイプオルガンのふいご(風箱)修復工事が無事に行われたことは記念すべき喜びである。二年前の空気の漏れるオルガンの音色を思い出すと見違える再生である。ケルン・オルガンが立派に再生した。復活の記念である。特に修復工事の呼びかけに応えて献金に協力して下さった方々には心から御礼を申し上げたい。また早くその音色を皆様にお聞かせしたいと願っている。

 

   修復工事に携わって下さった望月オルガンの望月一郎さん、下関に工場を持つ中里オルガンバウの中里夫妻の働きには感謝したい。工事中ケルン氏のサインとケルン社のあるアルザスのワイン・ビールのラベルがあったりで楽しい経験、うれしい経験をさせて頂いた。教会員の寺田さん一家が重い生木を乾燥させてつくられている二つの風箱移動に力を貸していただいた。二人の息子たちは学校が終わってから奉仕して頂いた。昔はふいごで風を送る助手が演奏者と共にいたのだが、今は電動で風を三つの風箱に送り、均等の風圧を全てのパイプに送っている。その見事な構造は各オルガン(器官)の集合体として各部門の役割を担っている。風箱に微妙で均等の風圧をかける為に羊のなめし皮が使われている。狭いオルガン内部から大人4人で外に出してまた収納する為に力ある男性が必要であった。その風箱の木の内側にダニエル・ケルンの署名入りで「ふいごは1995年3月ストラスブールのケルン社によって製作された。」とサインしてありました。ふいごはオルガンの中でも空気を送る最初の器官で一番重要な送風装置(神の息吹=聖霊の発出)に記されていることの意味は非常に大きな意味があります。聖霊はヘブル語ではルアッハ(風・息、ギリシャ語ではプニューマ)と言いますが三位一体の聖霊信仰に通じる神の働きです。すべてにおいて神の働きかけがなければ事は生起しません。その働きはやがて各笛を通じたパイプを響かせるのです。イースター直後の一週間を通じてダニエル・ケルンの信仰に目覚まされた思いがしました。

 

   かつてオルガン購入契約の為次女を連れて三人でストラスブールのオルガン工場を訪問した際、アルベルト・シュヴァイツアーが推奨したアルザスの諸教会と共に、ストラスブールのカテドラル、ブッツァーが宗教改革を行いモーツアルトが幼少の頃弾いたサン・トマ教会、ケルンが所属するサン・ピエール教会等々を案内していただいた。サン・ピエール教会は中世の時代は修道院であったが、古い石作りの礼拝堂の中央上部にケルン社の大きなオルガンが設置されていた。教会の庭は荒れたようになっていたが、「今は物質文明優先の世界で人は教会に集まらない。だがやがて霊的なものを求めて人々はまた集まる。その時ジルバーマンのオルガンの音色が再び民衆を神へと導くことになる。その時のために私は働いている。」とダニエルが言っていた。彼の言う通り今は世俗主義が優先的だが、やがて聖なる癒しを求める人々が現れるに違いない。その時ペストが世界を襲ったようなコロナ感染症が流行するとは誰も考えはしなかった。できるだけ早く多くの人々に復活したケルンのオルガンをお聞かせしたいと願っている。

 

   桜台教会創立70周年を迎え、記念の集会はまだ開かれないが2月以来手掛けてきた庭の樹木を剪定したいと願っている。園芸店に委託すれば簡単なことだが、何しろお金がない。隣りの庭は惜しげもなく植木の業者に依頼して伐採をされたが教会は一回60万円(3年前支払った額)もかかる費用を再び出すことができない。そこでヒマワリの花を70本植えようと準備している。これも大仕事だが誰も手掛けようとされないので私一人で準備している。二年後を見据えて小林吉保牧師銅像が見えるように椿を深剪定した。昨年湧いて出たように松毛虫で困った門松も出入り口を見据えて深剪定をした。銀杏の木やヒマラヤスギは大きくなりすぎたが、いづれ枝払いをしないと通行人に迷惑が掛かってどうしようもない。夏になると藪蚊の大群が通行人を襲っている。かつてE婦人から幼稚園の木だから勝手に切らないでと叱られたが、放置していてよいわけはない。ゴミの山となっている職員室を見れば良く分かる。庭の手入れもしないまま幼稚園のものとは言えないであろう。できる範囲で草刈りをしてきれいにしましょうと有志で教会の方々が清掃してくれている。忙しい教会員はせめて運営維持のために多少の献金に協力願いたいが、厳しい事情に活動費すらままならない。しかし教会は貧しいながらもいつでも人の集まる聖なる空間を整えておきたいと願っている。

 

   素人が始めたガーデニングではあるが夏野菜の植え付けをしようと種まきから始めたが、分量の分からないまま見様見真似で発芽させた。近くスナップエンドウの苗木を皆様に分けたいと計画中である。ニンジンの種を発芽させたが余りの多さに驚きつつ多くを枯らせてしまった。茄子、キュウリも肥料が多すぎたり水を多くやりすぎて徒長苗になった。その他のものも育苗時期が遅れて枯れてしまったり。生命ある植物を育成する農業に携わる方々のご苦労が良く分かる。

 

 

   すべて農機具がそろった環境ではなくプランターで育てようと俄か栽培を始めたので結果は当然だが、生命を持つ植物の成長にも微妙な自然の変化が大きな影響を与えるものであることを肌で感じ取った。3月に外で種まきしても寒さと雨で種を芽生えさせることができなかった。植え付けの培養土の準備も無く、以前の土を使ったが再利用の準備が足りず肥料過多になったり栄養不良であったり、水のコントロールができず枯れてしまった。草花を育てるにもその特性を学んで日々目配りをしなければ残念ながら植物は育たない。4月になって暖かくなるとバラの花に虫がつき一夜にして葉っぱが幼虫に食べられてしまった。ニネベに行ったヨナの悔しさが良く理解できる。日よけのためにとうごまの木を植え、木陰で涼もうと期待していたが一夜のうちにその木は虫によって食い荒らされ枯れてしまったと言う。『翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」 神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」(ヨナ4:4-11)

 

《慰めと励ましの言葉 95》 (桜台教会『月報4月号』より) 

                

   『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅻ)

 

            牧師 中川 寛

 

 コロナ時代の緊急事態宣言以後感染者数が減少すると期待していたが、変異型ウイルスが発生し、いつの間にか東京より大阪の方が多くなってしまったのには驚き以外の何者でもない。すでに三密を避け自粛生活が日常となってしまったが、相手はウイルス、見えない病原菌なのでどこまで制限しなければならないのか全く先が見えない。多くの方々への問安をしたいところだが、それもできないもどかしさを覚えている。

 

 3月14日(日)礼拝を終えて午後聖地霊園にて昨年10月、11月と続いて他界された故 Iご夫妻の納骨式を行った。ご主人は大正15年生まれで最後の予科練出であった。終戦後明治学院に学ばれ昭和22年霊南坂教会小崎道雄牧師から洗礼を受けられ、その後東京山手教会に転会し、後練馬に住まわれたことにより桜台教会へご夫妻で転入された。ご夫人は東洋英和女学院保育専攻部ご出身で27年東京YMCAにて村田四郎牧師司式により結婚式を挙げられた。若き日に太平洋戦争を経、戦後キリスト教学校で聖書による自由と人間の尊厳を身に着け教会学校教育と幼児教育に従事し、ご夫妻で教会活動に献身的にご奉仕下さいました。30年ほど前、ご夫妻で千葉県富津湊に転居され、ご自宅を開放して教会学校の夏期学校を開催させていただいた。そのころお世話になった方々から葬儀には行けなかったが納骨式には参列したいと希望されていたが、コロナ緊急事態宣言延長となり、残念ながらお断りしなければなりませんでした。4人のご兄妹ご夫妻と牧師夫婦で無事に納骨の儀を終えることができました。ご両親も共に眠る桜台教会墓地にお休み頂けたことは長く教会員と共に信仰を共有しつつ生前の教会へのご奉仕について語り継がれることになると感謝の思いを新たにしました。

 

 コロナ感染症蔓延防止を願いつつ、教会はすべての点で制約を受けていますが、大勢の方々のご協力をいただいてパイプオルガンのふいご修復工事を開始する事となりました。募金呼びかけに応じて下さった方々には心より御礼申し上げます。まだ十分とは言えませんが、引き続き努力して行きたいと思います。先日クラシック・アワーでドイツ・ドレスデン聖母教会に設置されたケルン社のパイプオルガンを再確認しました。ダニエル・ケルン氏が桜台教会のパイプオルガンを設置した後、紀元2000年を祝ってドレスデンの人々はバッハ時代のゴットフリート・ジルバーマンの製作した音色の復元を願ってその伝統を継承するケルン社を選び、第二次世界大戦末期に連合軍によって破壊された教会堂の修復と信仰の再興を成し遂げ、パイプオルガンの設置を決定した。その規模においては大聖堂のオルガンと桜台教会のものとは比較にならないが、桜台教会のパイプオルガンと同じ音色の響きが世界の贖罪と和解を願って建設された教会の信仰の証しにおいて、桜台教会も世界の教会活動の仲間入りさせていただいていることは感謝に耐えない。ダニエル・ケルン氏は二年前の夏事故により突如召されたが、その信仰の力強さは私達の教会活動に大きな刺激を与えて頂いた。ふいご(風箱)の中の柔らかい羊の皮の手触りは繊細な音色を醸しだす最も工夫された素材が用いられている。柔らかく優雅で繊細な美しい音色を発するオルガンの修復はコロナ禍で病む多くの人々に魂に平安を与えるに違いないと確信している。

 

 今回ふいご修復工事を引き受けて下さったオルガンマエストロは望月一郎さんと中里夫妻である。3人ともドイツでマエストロの資格を取り、中里夫妻は山口県に工場を持ち日本の若手オルガンビルダーとして活躍されている。一郎氏は望月オルガン二世として親父の仕事を全て継承されている。楽器の女王であるオルガンを手掛けるのは並大抵のことではない。三人ともオルガンビルダーの後継者としてその使命を担っておられる。教会にとっては厳しい台所事情ではあるがその使命はどんなことがあっても果たさねばならない。今世界中の教会は礼拝堂での活動を禁止されているが、コロナ感染症の治まるころには再びミサも礼拝も鎮魂のために盛んに行われるに違いない。教会の職務は社会にあってみ言葉の宣教と贖罪の告知、和解の使命を果たすことである。世界はグローバリズムによって私利私欲が優先され、権力・武力をもって弱者を蹂躙し、自由の名のもとに頽落と不正、非人間化が優先されている。コロナとは言え世界の為政者たちの横暴が世界の混乱に拍車をかけている。政治家の自己欺瞞が横行し、不法がまかり通り不正が平然と行われている。キリスト者は聖書的真理に基づいて正義と法を優先し、対立を強化するのではなく和解と宥和の実践に励まなければならない。パイプオルガンの音色は人々の病める魂を慰め真理を明確にし、雄大な霊的世界に平安をもたらす力と価値を持っている。共に集うことができないもどかしさはどうしようもないが、一日も早く回復の日の来ることを祈って待ち続けたい。

 

 話は変わるが、先日来鉢に花を植え替えてガーデニングのまねごとをしている。先日書いた「君子蘭」は小さな株も含めて六つの鉢に植え替えたが、そのうち三つの鉢から花の芽が伸びて近日中に朱色の花を咲かせるようである。春の桜も終わったようだが、我が家の八重桜は初々しく咲き始めた。主に花類は家内が育てているがようやくクリスマスローズも種を残し始めた。草木を育てることはそれなりに責任をもって世話をしなければならないが、苗育だけでも簡単にはできない。植物が育つためには当然のことだが土の育成、水、温度、栄養が必要である。芽を出し、茎葉が育ち、花が咲けばそれに見合う手立てを施さなければならない。自然農法を推奨する人は人類の進歩と共に化学肥料を使いすぎて自然の法則に逆らって作物を育成していると批判する。成程と考えさせられるが数日前から興味を持った者には勝手な仕法で間違ったやり方を継続して満足していたようだ。農業に従事する心はまず天地の創造者に感謝し大地の恵みの方策を学び、天空の時間に従って作物を育てることが肝心であると言う。ある自然農法を手掛ける方は、化学肥料や薬品に侵された農地を9年かけて改良したところ、肥料もいらず害虫も発生せず、作物が生起溢れる形で収穫できるようになったと言う。まず麦を育て、夏から豆を育て秋に野菜を育てることを9年間続けて野菜はすべて筋や葉が左右対称のシンメトリーのものが生育するようになったと言う。害虫の発生は肥料のせいで野菜を枯らす虫はそれを食べることによって野菜の毒素を浄化しているとの事。やがて化学肥料によって汚された食物を食べる人間も健康を害することとなると言う。経済優先の農業政策は基本的には人間の命を縮める以外の何物でもないと語られる。自然農法を実践する方には宗教的哲学的側面をもって取り組んでいる方々が多いように感じる。自然の法則に学びつつ生物である草花を育てる人々は一つ一つの草木の命と対話しつつ育成に精進されていることが良く理解できた。

 

 私も一つ何かを育てようと夏野菜のトマト、きゅうり、茄子、ピーマンの種を購入して生育に取り掛かったが、残念ながらまだ朝夕の温度差がありすぎ発芽にも至っていない。水やりは朝のうちにと指導書が教えてくれるが寒いうちは一週間に一度で良いとの事。雨が降った時は翌日加減して水やりを行うとある。

 

 

 様々な努力と研究、学習がなされねばならないが、聖書が語る『わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。』(Ⅰコリント書3:6)との言葉の重みがひしひしと伝わってくる。とりわけ教育も同じ思いを持たなければ人として育成することはできないとの結論に至った。絶えず愛情を注いで最も良い環境を提供し、やがて自立することができるように必要な経験と知識を教授し育てることがなければ人は正しく育たないものだと反省させられる。キリスト教教育はさらに高い次元にある。

《慰めと励ましの言葉 94》 (桜台教会『月報3月号』より)  

               

   『危機の時代を生き抜く為に』(ⅩⅠ)

 

                  牧師 中川 寛

 

  コロナ感染症による緊急事態宣言の2週間に亘る延長が決定されるとは思いもよらぬ事態である。一年前の横浜港に寄港した豪華客船の感染状況が今日にまで及ぶとは恐らく誰一人予測しなかったことであろう。しかし感染鎮静化はまだ先で、今年末にまで及ぶと予測する専門医もいる。悔しい事だが事態は日本だけの事ではない。世界中の人々が同じ状況下で困難を強いられている。長寿時代だとは言え個々人の人生における一年は全世代共通の事であり、失われた時間は取り返すことができない。特に多くの若者にとって悲劇的な惨状となる。ある大学では今年の入学式に引き続いて、昨年4月に行う事の出来なかった入学式を午後に実施すると言われている。しないよりは実施してあげることに意味はあるが、何とも締まらない事態である。受験生や他の生徒にとっても学ぶことのできなかったカリキュラムの補填は並大抵のことではない。

 

  私は50年前に大学院を終えた世代ではあるが、いわゆる70年安保の大学紛争では敢えて全共闘の授業再開反対に対抗していち早く校内に入り学業に取り組んだ。多くの反対派学生から罵声を浴びせられながら、個人で登録して将来の目的実現のために学業を優先し、必要な単位を取得して伝道者となる道を選んだ。紛争それ自体は青春の一思い出ではあったが、貴重な時間を浪費したことはもったいない思いであった。その同じ思いがコロナ禍の中で学業を継続できない若い人々にとって、個人のみならず日本国、延いては全人類の損失であることを思わせられる。人間にとって学びはその時々の大事な存在価値の獲得でもあるが、その機会を持てなかった方々にはやはり大きな損失であることに違いはない。終息のための最大の努力が全人類に求められる所である。とりわけ勤労者にとっては生活の目処が立たない。アルバイトと言っても制約がある。年齢的には70代を迎えるものにとっては即応できる体力や能力もない。教会活動は目に見えて財政的危機を抱えている。悲しいかな社会的諸問題が不安を増長し、犯罪に走る人々の増加や自殺者の数も増えている。今まで安穏と職務をむさぼって来た責任ある人々の自制を促したい。目に見えた町の様相が形を変えている。あの店も閉まった、と言うだけでなく更地が増えている。紛争や騒乱こそない日本ではあるが、コロナ禍による社会の変化は人々の生活を大きく変えてしまった。先日家族と墓参りに行ったが、ポツンポツンと更地になっていて一区画170万円との値札を建てて売りに出されていた。まさかと思う体験であったが先祖の墓が消えてゆく事は嘆かわしい思いで一杯である。

 

  町が変わって行く実態は発展へと向かうならばそれなりに期待が持てるが、かつての繁栄が消滅して行くのは誰にとっても悲しい事である。

 

  ところで桜台教会は今年創立70周年を迎える。教会活動においても不自由を強いられているが、私は2021年度は教会創立70周年のお祝いを共にしたいと願っている。既に3月となっているが、今年中に形あるものを残したいと願っている。特に一昨年来パイプオルガンが使用できなくなり、創立70周年の事業の一つとして風箱の修復工事を実施する事とした。その為に広く支援を求めている所であるが、数名の礼拝出席者しか集まることができず、募金も徐々に協力者を得て4月から工事を開始できるようになった。有り難いことに桜台教会のパイプオルガンを覚えて募金に協力くださる知人友人には改めて御礼申し上げたい。25年前に思い切ってストラスブールに出向き、ケルン社との契約を締結することができたことも神さまの大きな導きであったと感謝している。また欧州を中心に桜台教会のケルン社のオルガンをPRして下さる仲間のいることも有難いことである。確かに維持費は必要だが、神さまが満たしてくださる御業には頭が下がる。広く70周年を機にオルガン文化が根付くよう努力したいと思う。ダニエル・ケルンをはじめシャピュさんは召されてしまったが、キリスト教文化の歴史に貢献された事実は桜台教会の財産になっている。福音的教会の形成の課題はまだまだ大きなものですが、コロナ禍を理由に手抜きすることはできません。

 

  桜台教会創立70周年の課題は学校法人桜台幼稚園閉園に伴う財産処分の取り組みに関する事項です。かつて副園長として厳しく教会とのかかわりを拒否されたE婦人も昨年10月に逝去され、残念ながらご挨拶も拒否された中で、私は愈々明確な一線を引いてもらわねばならないと思っています。園庭も草茫々ですべてを教会にごり押しして話し合いに応じて来なかったことは無責任のそしりを受けるものと思われます。教会の責任を持つ者として無事に次の世代に引き継ぎができるよう準備しなければなりません。これもまた皆様の祈りの支援を受けなければなりません。ある弁護士に相談させていただきましたが、都の学事課は税金による補助をしてきた関係上、教育機関としての公的施設を直ちに閉鎖する裁定は下せないでしょうとの事でした。今や不動産業者が問合せに来る現状ですが、教会が保有する土地財産を直ちに換金して都合の良い活動につぎ込むことは致しません。桜台教会は70年の教会の歴史を通じて大勢の方々の魂の熱意が奉げられている場所なのです。人々が望んでも牧師の信仰的使命が変えられることはありません。ただ現状では課せられている財政的負担は限界を遥かに超えています。ただ祈りによって使命を実現することが私達の証しです。

 

  コロナ禍の中多くの教会は独自の方策で主日礼拝を守っておられます。ネットによる礼拝を提供しているところもありますが、まだ桜台教会はそこまで到達していません。同時に高齢者の方々においては危険を冒して主日礼拝に出席することは信仰を持たない家族からの心配にも応えなければなりません。せめて聖書日課を通じて祈りを共有できればと願っています。この課題は世界中の教会が共通して持っている問題で、これが最上と言う方策はありません。外出制限が出ている現状では如何ともしがたい問題です。

 

  教会の資金がない現状から庭木の剪定をしようと勉強しています。園芸職人の教えるビデオを見ながら色々学ばせられていますが、草木の持つ生命力には圧倒されてしまいます。園芸を行う人には生命としての草木を愛でる心が深いことを教えられます。ただ草木を植えればよいと言う訳ではなく、四季に応じた手入れと水やり、剪定の努力が必要であることを教えられます。体力の限界があり、思うように仕事はできませんが、庭の乱れは心の乱れであると言われるとその通りだと頭が下がります。実は10数年来かつて義母が育てていた「君子蘭」をポスト横に放置していたのですが、秋には綺麗な花を咲かせていました。鉢を整理しようと引っ張り出して調べてみると10株にもなって密集していました。早速他の鉢に植え替えて表に出しましたが、同じように義父が植えたバラが伸び放題になっていたので短くしました。その生命力と毎年綺麗に咲く花の美に誘われて栽培し直すことにしました。義父が元気な頃バラのアーチをくぐって玄関に向かうのですが、近所の方々からも褒められていたのを思い出しました。根気のいる作業ですが、通行人の目に留まる花の手入れも大事な奉仕だと認識を新たにしました。教会の庭木は幼稚園のもので勝手に枝木を切らないでと言われていたのですが、もはや放置できない所に来ています。秋にはイチョウの葉が道路を満たし、向かいのマンションの管理人さんが毎朝掃除して下さっています。

 

  教会が責任をもって掃除しなければならないのですが、放置された幼稚園の管理についても手出しができなかったのは残念なことでした。70周年を迎えて新たに教会の立て直しに努めたいと願っています。

 

皆様からの声を期待しています。

 

  《慰めと励ましの言葉 93》(桜台教会『月報2月号』より)  

              

  『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅹ)

 

                  牧師 中川 寛

 

    去る12930日、神奈川県秦野市へ出かけた。毎年母の日に綺麗なカーネーションを届けて下さっていた教会員のI兄が亡くなられ、前夜式と葬儀告別式を行った。ご家族の方には申し訳なかったが、お宅に伺って開口一番『悔しい!』との言葉を発した。そしてお悔やみを申し上げた。I兄は昔武蔵豊岡の製糸工場で栄えた石川家の御親族のお一人であった。正式には「石川組製糸工場」と記銘されるのだが、西武池袋線入間駅にある。明治16年、代々続いた茶園栽培の家であったが長男であった初代幾太郎氏は製糸工場を起こし弟の和助氏がキリスト者であったのでキリスト教的環境が整えられていった。

 

 

    175年から4年間、私は銀座教会副牧師として務めさせていただいたが、その間和助氏のことについて知らされた。今では入間駅からの武蔵豊岡教会はビルに遮られてその立派な会堂は見えなくなったが、飯能方面に向かう時は常にこの教会を車窓から眺めるのが楽しみの一つであった。和助氏は埼玉師範学校を卒業後銀座木挽町にあった一ツ橋商法講義所で学びつつ銀座メソジスト教会福音会英語学校で英語を教えていたが、ご自身キリスト者となり、後に石川組製糸工場でキリスト教に基づく女工さんの教育をはじめられた。関東一円から来られた若い女工さんに英語を初め教会暦に従った祝祭やスエーデン方式の体操も取り入れ、埼玉県では公立学校に先駆けて学校教育を施されたという。特にメソジストのハリス監督をはじめ、青山学院の婦人宣教師たちも協力されて、今日でも驚くほどのカリキュラムをもって指導に当られたようだ。私はある時桜台教会に来てかつて石川組の女工さんだった年配の方の話を聞いたが、英語の讃美歌も習ったと言っておられた。特に感心したのは誇りをもって石川組の環境を話されたことであった。とりわけ一人一人を大事にし、自由を尊重されたという。

 

 

   I兄の母上は桜台教会近くに住んでおられたが、秦野に引越される前に一枚の写真を持ってこられた。そこには石川家一同の家族と母親に抱かれた当時幼子であったご自身が写っていたが、そのほか二人の米国人も写っておられた。お一人はメソジスト教会のハリス監督で毛むくじゃらのもう一人はハーヴェイ氏であった。ハーヴェイ氏は京都に新島襄を尋ねた後ハリス監督と共に入間の石川組製糸工場に来られたとの事。幕末にペリー提督と共に黒船に乗り水兵として日本に来たが、日本贔屓となり新島襄を支え続けられたとの事であった。当時錚々たるメソジスト教会の宣教師たちが女工さん達を支えられ教会を助けられた。私は直接的には知らなかったが、戦後一時武蔵豊岡教会で牧師をされ、L.A.センテナニー教会に戻られた藤田ジョージ正武牧師から武蔵豊岡の話はお聞きしていた。

 

 

   I兄のご兄弟も教会学校に通われていて、お住まいは離れていたが教会の親しい家族のお一人としてお聞きしたいことや話したいこと等沢山あった。同兄は大学卒業後富士フイルムに努められ、御殿場で奥様と出会われたが、ご結婚後大阪、東京へと転勤され、1990年からご家族で香港へ赴任された。2000年に帰国されたが今日の香港とは違って返還前の香港は英国風の良い習慣があり、ご家族とも良い思い出を残されていた。私はお元気なうちに香港の話をお聞きしたいと思っていたが、3年前健康診断でがんが発見され、手術ができない部位であったので以後ご自宅で治療に励まれていたとの事であった。とりわけご家族の介護も篤く、お元気な時にはご夫妻で旅行にも出かけられていたとの事。私は一度お見舞いに伺いたいと電話したのだが、治療初期で感染症の心配があるので誰にも会えないとの事で伺う機会を失してしまった。しかし彼は闘病中でも体調の良い時には綺麗な花の写真を撮ってご自身のfacebookに載せられておられた。コロナ感染症が蔓延する中、ご家族においても細心の注意を払われて春の日を待ち続けられたが最後まで頑張られたとの事を伺った。

 

 

   秦野市は大山を目前に富士山や丹沢の山々に近く実に風光明媚なかつ豊かな自然に恵まれた地である。白梅と共に蝋梅の花が咲く気候の良い日であったが、義兄が栽培されるカーネーションの花の見事さに裏打ちされて自然を愛する良い人生を送られたと思う。

 

 

   目前にする大山はかつて神学生時代に武蔵野教会の青年方と徹夜登山をし、明け方のご来光を楽しんだ経験も甦って来た。花を栽培する義兄によるとカーネーション出荷の忙繁期にはかつて丹沢山系や大山に登山された経験を持つ退職者の方々が手伝いに来られるとの事であった。

 

 

   I兄の前夜式を終えた後、葬儀を担当されたスタッフの方が説教を聞いてご自身の奥様がバプテストの教会員で現在横浜の幼稚園の園長をしていると話された。祭壇の統一された花を選ばれて誠意をもって飾って頂いたのが印象的であった。ぜひ奥様と教会に行かれ早く洗礼を受けられるようにおすすめした。I兄のご家族と共にその信仰を継承して聖書と福音的信仰の恵みに花を咲かせていただきたいと思う。I兄のご長男は警察官で生活安全課に勤務され都会の安全と公安に身をささげておられる。5人のお子様を得て育てておられるが、敢えて告別式の説教は信仰の基本とキリスト者の守るべき規範についてお話をさせて頂いた。キリスト教は聖書に啓示された三位一体(父・子・聖霊)の神を信じる信仰であること、モーセの十戒を教えとし、神を愛し父母に仕え、殺人の禁止、姦淫の禁止、盗みの禁止、偽証の禁止、嫉みの禁止を守る事、さらに主の祈りを覚え人間にとって最も必要な事柄が何であるかを学ぶことなどを話した。神は信じる者を決して見捨てられない事。石川家の家訓の通り教会を離れない事、教会を支えること、献金をすること福音的証しをすること等を話させていただいた。

 

 

   前夜式、告別式共々に約50名の参列者があり、コロナ感染中の事態を理解して係の方々の細心の注意に促されて二日間に亘る式を無事に終えることができた。I兄のご長女はハワイ大学を卒業されており、ハワイの話にも花が咲いた。また星野リゾートに勤務されており、軽井沢の星野家のキリスト教との結びつきにも話をさせて頂いた。先代の星野嘉助氏は桜台の小林牧師とも友人であったので、且つて哲夫牧師と同行した様々な会合で良くお目に掛った。キリスト教信仰をもって共に厳しい時代を生き抜いてこられた信仰の先人たちに感謝しつつ、コロナ禍の時代に労苦する喜びを共有することができて大きな慰めを頂いたと思う。

 

 

   今世界中がコロナと共に信仰的基準が失われ大混乱に陥っているが、決してあきらめてはならない。この困難を越えて希望の光が見えることを信仰者は今体験しなければならないと思う。福音が歪められ、多くの虚偽がなされる中で、神と民衆のために献身的な努力をささげる方々に神の栄光と祝福を祈りたいと思う。

 

 

   贖罪の主が必要とされ、様々な悪が征伐される正義の到来が待ち望まれる時、歴史の神を仰ぐ信仰が求められている。信仰者一人一人に寄り添いながら、神は私達の日常生活を支えておられる。かつて継続された歴史の悪も神ご自身が人々の目にさらされる時が来ている。悔い改めをもって神の真実の前に額ずき、福音のまことをしっかり確信することが必要なのである。世界は次世代を担う子供達に悪の道を踏ませることなく最上の祝福と喜びをもたらす感謝と喜びの人生を歩ませるために、心ある人々によって正義の戦いが継続されていることを覚えるべきだと思う。贖罪のキリストへの感謝の生活が人生におけるもっとも祝福された歩みであることを心に銘記したいと思う。悪の勢力は豊かさの中でさらに猛威を振るう。聖なる環境において罪の誘惑が大きいことを忘れてはならない。葬儀を通して大きなことを学ぶことができた。

《慰めと励ましの言葉 92》(桜台教会『月報1月号』より)

 

『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅸ)

 

                               牧師 中川 寛

 

    新年を迎え皆様の上に主にある平安と繁栄を祈ります。

 

    2020年がコロナ感染症に翻弄され、国家のみならず世界中がその罪科を担わされ、多くの犠牲者を出し続けている。東京での感染者数が正月過ぎに千人を超えると言われていたが、その時が大晦日に来るとは予想外であった。教会はなお感染予防の対策を取りつつ少人数で礼拝を守っている。高齢者の感染、持病のある方々の感染は死に至る危険性が高いと言われ、その忠告を素直に守るべき時であると順守している。同時に経済活動悪化の中で、国民への補助金を期待する。各個教会の財政ひっ迫は他人事ではない。すべての活動の萎縮化を招き、教職者が家族を支えるために働きに出なければならない事態である。高齢者には緊縮財政のみが生存の知恵となっている。その意味で寂しい新年である。

 

    今年の干支は「丑」である。インドとは違い、農耕文化を営んで来た古い日本の農業では牛は家族の一員であった。私が育った堺・泉州の田舎でも近所の農家には門をくぐって家に入ると入り口の右側には牛の間(部屋)があった。耕運機が出回るころから牛は姿を消したが、子供の頃は各農家には牛が必ずいた。農耕を助けると共に、成長しある程度年を取ると食肉業者が買い取っていた。夕方には畑から仕事を終えて家に帰る牛を連れた近所の人に出会って挨拶したものだ。時々牛が暴れて暴走するところに出会ったこともあった。そんな時には必ず電柱か家の陰に身を隠した。

 

    家の近所には愛宕神社があり、ある時気味の悪い噂が立った。「丑の時参り」であった。事があった一週間後にその跡を見に行ったが何とも気味が悪かった。恨みを持つ人が藁人形を作り、深夜牛の時刻に五寸釘で神社の裏側にあった大きなくすの木に打ち付けて呪うのだそうだ。その数本の釘跡が残っていた。丑の時参りは男女の不倫を清算する目的だと聞いたことはあったが、村の人の話では人間関係のもつれだとの事であった。

   

   牛に関しては方角について聞かされたこともある。丑寅の方角が鬼門と呼ばれ、風水ではないが関西の田舎では不運を招くとの事で今でも厄除けの基準として大事な物事はその方角を除くようだ。平安朝以来の古い伝承であるが生活に染みついている日本文化の一端である。

 

   欧米でも牛に関する話はいろいろあるが、スペインでは闘牛のみならず、宗教画にその絵が登場する。キリスト降誕図の家畜小屋での聖家族の絵画には必ず牛が描かれている。その理由は明らかではないが、福音書記者ルカのシンボルが牛であり、その記述によることの「しるし」とも言われる。パレスチナでは家畜小屋に羊やロバと共にいた牛については聞いたことがない。しかしエジプトでは農耕に牛が古くから用いられていた。日頃はおとなしく草を食み、食後は悠然と寝そべる姿に人々は安泰の姿を連想したのかもしれない。しかし勇猛果敢なその力はすべてのものを破壊するに等しいものである。闘牛は牛の持つ怪力に魅せられた男の憧れであったのかもしれない。時代の悪しき勢力を破壊する健全な怪力に期待し、平和と安寧をもたらすおとなしい牛の象徴に期待したいと思う。丑年生まれの妹は悠然と構える性格の人で、物事の真相を知り尽くしたかのように振る舞う人である。その意味で牛に関わる暗いイメージは持っていない。私は今年の丑年に期待したいと思う。

 

 

   コロナ禍の渦中ではあるが、若い人々に期待したいことが山ほどある。厳しい時代ではあるが高い目標を定めて高潔な人生を選択してほしい。神学校卒業後今年3月で満50年を迎えるが、18歳までの知徳体の蓄積が今を生きている私には人生の大事な基礎工事期間であったと思う。あとは好きな学問を身に着け、その歴史に学びつつ広い世界で生きる勇気と自信を身に着けることである。今を生きて混乱する世界を前にさらに学ぶ意欲を強く感じている。

《慰めと励ましの言葉 91》 

 

『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅷ)

 

(桜台教会『月報12月号』より) 

                

                                 牧師 中川 寛

 

   米国大統領選挙がこれ程までに先行きを暗くすることになるとは想像だにしなかったことだが、「事実は小説より奇なり」と言われる通り、病めるアメリカの実態を垣間見たように思う。11月3日の開票状況を見て、現トランプ氏の優勢は間違いないと思っていたが、一夜明けた翌日に逆転している事態を目撃して、いったいどうしたことなのかと目を疑った。私は2016年の大統領選挙で選ばれたトランプ氏については以前からよく知っていたわけではない。また選挙前からビジネスマンとして派手な生き方と手本にもならない放蕩時代を経てきている噂について支持できる人ではなかった。当時民主党候補のヒラリーの方がクリスチャンらしいと聞かされていたが、政治家としての実績を見ても正直期待する者はなかった。しかし米国キリスト教の背景を知り、福音派の支持を得てトランプ氏が当選したことにより、米国を改革するのはこの人ではないかと思うようになった。

 

   2016年に至るまで米国の悲惨な社会状況をだれがどのように改善するのか、当時は全く期待することもできなかった。長女家族がハワイに住んでいて、主人のケリーから夜間は外に出ないようにと言われ、同時にホームレスの多さと事件の多発化にホノルルの危機を見ていたことが、やがて米本土のニュースを知るようになって西海岸の主要な都市にあふれる家族ぐるみのホームレスの生活の中に、かつて40年前から見聞きしてきた古き良きアメリカが消えたと思わざるを得なかった。ポートランドは美しいバラの町で、かつて名誉市民証を頂いたことがあったので、特別の親しみを覚えていたのに、市民の中から食費がないから隣りの家で食べさせてもらいなさいとか、親子そろって車の中で生活していたり、薬物中毒者が多く、犯罪が多発したりで、かつての美しい町の印象は消えてしまった。それは同時にシアトルやLAにおいても事情は同じだった。不法入国による犯罪多発とメキシコ国境に築かれた高い壁の建設、さらには南米から大挙押し寄せる難民の様子などトランプ氏の大統領就任前に見た米国の姿は、誰かが立ち上がって改革しなければ復興されないどん底に来ていると考えていた。

 

   トランプ氏を支持する他の要因はキャビネットの中にまじめなクリスチャンが大勢いたことにも依っている。ペンス氏はボーンアゲインのキリスト者として支持できたし、教育相に就任したデヴォス夫人は昔留学した時のフラー神学校の理事を長くされていた方で、ミシガン州でチャータースクールを開き、冷え切った自動車・鉄鋼従業員の子供達を教育の分野から実績を上げていたこと、ポンペオ氏の信仰心の篤さにも信頼できる人物であると確信していた。まじめなクリスチャンの大統領府では毎週水曜日に祈祷会が開催され、各委員会の始めには必ず祈祷をもって開会する様子を見聞きし、様々な経済復興の政策を打ち出して改善されることを期待していた。

 

   さらにトランプ氏自身がNYのノーマン・ヴィンセント・ピール牧師の指導を受けたことによりさらに親近感を持った。1965年キリスト教実業家の可能性について、日本ではビジネス界の必読書となっていた『積極的ものの考え方』を読んで、クリスチャン実業家の生き方に興味をもっていたが、すべては計画を立てること、実行すること、人と人との付き合い方、失敗や挫折した時の対処の仕方など手取り足取りで成功する知恵を教えられたことがあった。その著名な牧師の下で学んだ人物と言う事で、挫折しても立ち直る信仰を持った人物と理解していた。同時に大統領選出前に出版されたトランプ氏のエッセー集を読んでいて、それはちょうど聖書の教えに従って守るべきことか記されており、彼は社会人になる前に母親から2つの約束をさせられたと記していた。母親はトランプ氏が将来どこに出かけようとも教会を離れないことと十戒にある通り嘘をつかないことを約束しなさいと言われたことが書かれていた。母親は英国スコットランドの長老派教会の信仰を持っていた。クリスチャンとしてごく当然の、普通の信仰であるがトランプ氏はそれを守り通していると文章にしていた。

 

   フラー留学での体験をもとに聖学院でも興味ある生徒を優先的に大勢の卒業生を古き良き時代のアメリカホームステイに引率した。多くの卒業生は良い体験を持ったに違いない。しかし、今や事態は全く逆転した。2020年の大統領選挙は民主党勢力と大手メディア、SNS関連の企業とディープステイトと呼ばれる闇の勢力、さらには中国共産党の勢力内に囲い込まれて、すべての米国の善きものが覆されてしまった。不正投票とドミニオンによる不正投票機、民主党の様々な裏工作、FBI CIA、オバマ画策のロシアゲート、民主党のみならず共和党の知事や州議会議長に至るまで不正選挙の巣窟となり下がった米国はもはやどこから手を出すべきか、素人には全く予想できない事態に振り回されることとなってしまった。基本的には大統領選挙で選ばれた選挙人の数が次期大統領を選出する基準になるはずであったが、結果的には1月4日の下院選挙による大統領選出となるかも知れない。或いは合衆国最高裁判所判事による多数決で決定される可能性もある。ペンシルヴァニア・ジョージア・アリゾナ・イリノイの各州での選挙監視人公聴会で証言した人々のビデオを見ていても真剣そのものであった。公聴会に証言者として参加した人々は多くの嫌がらせを受け職業住所を変えねばならなくなった人々が大勢いた。ジュリアーニ氏は質問する州議会議員の質問について怒りを露わにしていたのが印象的であった。証言者たちは誓約書を書いて投票所で見た不正を証言しているが、虚偽を語れば禁固刑になる場合もあると言う。民主党員の証言者もいて、彼らは本当の愛国者であることが解る。家族への嫌がらせは恐ろしい程だと言う。政権移行の許可を出す一般調達局(GSP)担当官は家の前に家族の数だけ遺体袋を並べられて脅迫されたと言う。トランプ大統領は見るに見かねて彼女の権限内で手続き開始を許可したと言う。

 

   一般論者は米国の分断の溝は深いと論評するが、次期大統領決定後何処で誰が米国統一を可能とすることができるのかはなはだ疑問である。トランプ氏も最終的な帰結点は憲法に帰ることであると言う。法の下での平等がアメリカ国民の原点である。しかし米国の建国の原点に返るならばピューリタンの流れを汲む原点に返ることが求められる。それは建国の精神に照らして、米国教会が聖書に基づく福音主義の信仰に立ち返って相互に悔い改める以外に一致点は得られないであろう。無神論的共産主義は統一ではなく全体主義であり一党独裁である。同時に排他主義であるゆえに人の融和による国家の統一は成しえない。大統領選出がなされた後においてもこれだけの不正が行われた事実が暴露されれば混乱はそう簡単に収まらないと思われる。かつて日本人にとってあの憧れの国であったアメリカは余りにも醜い第三国となり下がってしまった。ジョージア州での公聴会後州政府の上院年配議員たちは見せられた詐欺選挙の実態を前にして頭を抱えていた。国民を守り国家を守るFBICIAの不正関与をどう克服するのか。同時にこの事件にかかわった犯罪者たちをどう取り締まるのか。民主党候補が選ばれるならば実態は覆い隠されるだろうが、共和党のトランプ氏が選出されればコロナ対策と共に経済回復の課題を抱えて一から国造りに着手せざるを得ない。或いは内乱の可能性もあると言う。現政権が信仰によって努力するならば時間はかかっても明日への希望は見えてくるに違いない。しかし民主党が勝利すれば世界の自由主義諸国が人権の問題を含めてさらに親密な国際関係を樹立しなければ中国に太刀打ちできないであろう。日本はその矢面に立たされている。

 

 -12月の聖句より-

 

主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る。』 (エレミヤ書311617)

《慰めと励ましの言葉 90》 (桜台教会『月報11月号』より)

                 

   『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅶ)

 

                  牧師 中川 寛

 

   先日新聞の書評欄を見ていたら旧制一高の出身者が東京帝国大学へ進み、学問・文化・科学の世界で貢献した人物が大勢出たと記されていた。しかしこの書評者は最後に本書の欠落として旧制東京高校から東京帝国大学に進んだ学者科学者の貢献した人物の多いことが抜けていると物足りなさを書いておられた。戦前に旧制東京高校を出て立派な業績を残された学者も第一高等学校卒業者のみならず大勢おられたことは確かだ。その後YouTubeで国際政治学者藤井厳喜氏の「数学者岡潔」の紹介を見た。そのシリーズで藤井氏は日本の数学会の著名な方々が大勢いることを紹介されていた。岡潔は和歌山県粉河中学の出身で大正8年京都三高に学び同11年京都帝国大学理学部に学びフランス留学ソルボンヌ大学ポアンカレ研究所で数学研究に没頭した学者である。帰国後広島大学などで教鞭をとりその後京都大学、奈良女子大学で1964年の定年まで数学者として研究に没頭された。1960年には文化勲章を受章しておられる。晩年は和歌山県橋本市の山中に起居し研究者としての生涯を終えられた。実は私の高校時代の数学の恩師沢辺(旧姓)先生が奈良女子大出身者で高校時代に岡先生の事をよく聞かされた思い出がある。ただし私は数学よりもラグビーが好きで、スポーツに逃げていたが、一つだけ当時出版されたサン・テグシュペリの「星の王子さま」を授業中紹介されたのをよく覚えている。数学の授業だがフランス文学の話をよくされたのは岡先生の教え子であったからである。随分ロマンがあるとは思ったが、何とか微分積分を学んで直接数学とは縁が切れた。若い女性の先生であったので男子生徒たちからは人気者であった。今となれば惜しい事をしたと思うが、岡先生はその後数学を通して深く日本人の魂を考察されたようだ。

 

   去る10月28日は27年前に亡くなった岳父河田敬義の命日であったが、あえて旧制東京高校出身者のすぐれた学者との日常生活を思い起こさせてくれた。家内と結婚し、晩年同居する中で大学者の日常はこう言うものかと教えられた。もちろんその精神は家族にも受け継がれている訳だが、粗雑なラグビープレーヤーとは似て非なるものであった。夕食時のある時はビールを飲み交しながらプリンストン高等研究所での日常をよく話してくれた。戦後の日本人頭脳流出と騒がれた一人として家族でプリンストンに住んだ。日本から留学した多くの数学者家族と共に、その多くは東京大学理学部の研究者達であったが実に楽しい日常であったようだ。彼は1952年から1954年まで同研究所でアインシュタインと共に数学の研究に没頭したが、長く米国に留まることはせず、しかし日本の数学のレベルを引き上げる為、国際数学会の仕事を引き受け、同時に国の発展の基礎は数学教育にあることを自覚して東京大学大学院理学部数学科中心に1976年の定年まで勤めた。同期の学者には小平先生や伊藤清先生のようにフィールズ賞や文化勲章を受章された仲間がおられるが、できれば長くプリンストンに留まって研究をつづけた方が良かったかなと話したこともあった。しかし東京大学理学部数学科から次々に立派な学者が出、さらに1964年から京都大学数理解析研究所教授・運営委員として東京と京都を行き来していた。優れた頭脳の持ち主で世界の数学者の会合に出かけ、国際学会誌や会合開催に尽力していた。忙しい研究の合間にも、自宅で夕食をとった後夜10時になれば家族が食卓に集合して紅茶を共にするのが日課であった。はじめはなれない環境でただお茶を共にするだけであったが、退職後は自ら家族のために夕食を作ってくれたのも楽しい思い出であった。私にとっては外で食事をとるよりも、有難い団らんと家族交流のひと時であった。

 

 

   旧約箴言に『あなたの友人、父の友人を捨てるな。』(27:10)との言葉があるが、岳父召天後の記念会でわざわざ京都から伊藤清先生がお越しになって、自分の成果は河田先生から教えて頂いたことによって道が開かれたものであると生前の友情を感謝された。また多くの数学者の方々が記念の書として出版した『柔らかい頭と強い腕-河田敬義追想集-』に寄稿して下さった。彼にとっては東高時代の親友で早世された安倍亮氏を懐かしむことが多かった。安倍能成は戦前旧制一高校長で、戦後文部大臣になりその後学習院院長であった。そのご子息で晩年になっても友人を惜しんでいた。同じ数学者の先輩に当たる矢野健太郎は東高の先輩であったが、プリンストンへは丁度河田敬義と入れ替わりで、帰国後今日で言う東京大学大学院研究所設置問題で賛成を得られなかったのが、学問研究で世界に後れを取ったと嘆いていた。矢野にとっては東京大学の象牙の塔が更に幅を利かせることになるので大反対であったと言うが、戦後の東大学閥への偏見の表れでもあったと思う。1968年前後の東大紛争時には安田講堂の裏側にあった理学部研究室の重要書類と書籍を秘書の方々と必死で安全な場所に移動したと話していた。戦後の共産主義的イデオロギーに洗脳された通称インテリたちの勝手無礼な行動が様々なところで国家の発展を削いでいることが良く理解できる。状況は今も変わってはいない。この東大紛争のために入学試験が1年実施されなかったが、その間高校生時代から数学の天才と目をつけていた森重文氏が京都大学へ行かれたのをずっと残念がっていた。しかし1990年京都国際数学者会議に次女中川まり子と出席し、森氏のフィールズ賞受賞と共に多くの友人達、廣中平祐氏等と歓談できたことは大きな思い出となったようだ。

 

 

 

   東京大学理学部数学科の先生方には昔から家族的な親近感があったようだ。特に御長寿であった彌永昌吉先生にお会いした時にはその優しい風貌に大学者とは思えぬ人格者であることを拝察した。教え子の中にも数学者として重鎮の方々の中にクリスチャンの方が多いように思う。彌永先生、小平先生は共に聖公会の会員であられた。彌永先生の著作目録を見て河田敬義の三倍はあるかと思える書物で、早くからフランスへの留学と世界的研究者としての分野で独語、仏語、英語の文献が並べられていた。同期であった小平先生とは戦中長野の滋野への疎開を経験し、戦後の復興を共にした仲間としてプリンストンでも家族的な交流を持っていたことをよく耳にした。生前小平先生から教会関係の事で私に電話を頂いたこともあった。お弟子さんたちの中では東京に限らず全国の諸大学に優れた教え子を送られていたように思う。近くでお世話になった先生方は上智、明治、ICU、恵泉の学長・院長をなさって教育の責任を果たされた方が多い。著名な数学者と共に言論界でも活躍されている先生方もおられる。河田敬義にとっては数学者として長く外国に滞在して研究する道をご自身も選びたかったとの思いを吐露されたが、しかし今や押しも押されもせぬ多くの人材を育成し国家社会に貢献されていることを思えば、数学者としての社会的使命は十分に果たされたように思う。特に京都大学理学部数理解析研究所から天才的若き数学者望月真一教授が「ABC予想」なる数学の超難問題の証明がなされたと言うニュースは地球を上げて喜ぶべき話題で、かつて戦後苦労しながら打ち立ててきた先駆者の努力が大きく報われたことを岳父の墓前に報告した。 全くの門外漢ではあるが、真理探究の数学徒と同様に聖書の教えに人類の真理を見い出すキリスト教会の牧師として、この世の世界が未来永劫に美しく価値ある居住地として共に繁栄する道を模索し続けなければならないと思わせられている。子供達を越えて若者たち、孫たちも大きな夢にチャレンジしてほしいと願っている。

《慰めと励ましの言葉 89》 

                 

   『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅵ)

 

                  牧師 中川 寛

 

   次号の月報が発行される頃には米国の大統領選挙の結果が判明しているのではないかと思われるが、なお今日においてはその行方が判断されない。さらに世界ではコロナの第二波パンデミックが起きている。日本はロックダウンこそないが、全く「安心」と言う訳ではない。10月に入り「Go toキャンペーン」が拡張されているが、悲しいかな気が付けば日常生活に支障をきたすほどに財布から紙幣が消えている。悪がはびこり倫理の退廃が横行し、著名人の醜態が報道される度に日本人の倫理観の無さに虚しさを覚える。芸能人の自殺者増加も悲しい事実である。富と名誉の追及にのみ生きてきた品位の無さが、皆音を立てて瓦解している。「人はパンのみに生くるにあらず。」との聖書の言葉が私達の日常を深く問いかけているのである。

 

   今や経済戦争は対中共の全体主義国家と欧米を中心とする民主的資本主義国家の覇権争いである。香港人の民主化運動が中国の「国家安全法」適用により弾圧されているが、それは次第に台湾へと拡大している。チベット、ウイグル、モンゴルでは北京語強化策がとられ、自国語の使用が禁止され、各民族の言葉狩りが行われている。それに従わない者はすべて投獄されている。経済社会では米国の中国締め付け策として、日本企業で中国と取引を行う会社は制裁の対象として厳しい処分に処せられる事となった。

日本人固有の自由貿易は対中国からインド、オーストラリア、カナダ、米国へと切り替えられている。大きな変更が強化されているのである。

 

   世界の経済・社会環境の変化に合わせて、教育の目標が大きく旋回している。良い方向に進めばよいが、現象に合わせて教育方針が変えられる体制では本当の力にはならない。今こそ教育哲学が追及され、教育目標が正しく設定されなければ、国家は委縮するのみである。真の聖書に基づく魂の宗教教育がなければ、激しい社会変動に対抗する人格の育成は不可能である。世界を見通した普遍的価値を如何に見つけるか、それは西欧史を流れるキリスト教的伝統に学ばなければならない。人は何のために生きるか、との問いを持ち、その答えとしての普遍的価値を発見することなしに人生の完成は得られない。

 

   今や欧米の教会が弱体化し、社会的形成の力を福音から学ぶことをしなくなった。宗教的指導者が現世的私利私欲に走り、悪魔的利得の支配に縛られているのが現状である。金銭を提供する諸組織、諸団体に身を任せ、本来の価値を持とうとしない愚かさである。中国が提供する似非財政的支援に騙されてその饗応から抜け出せなくなっている。ウイグル民の血肉から絞り出された安価な物品や臓器により安逸をむさぼってきた世界の親中国主義者達の足元が暴かれる日が近く到来するであろう。その悲劇のあおりを日本は受けてはならない。これは日本人家庭の親の世代に問いかけねばならないテーマである。

 

 

   コロナ感染症の脅威の中で多くの課題が露呈してきた。より安全な道は自分自身で確認しつつ歩む他はない。その為にも正当な歴史を学ぶ必要がある。幸い教会はその伝統の上に立っている。米国の教会も同じ問題を抱えて病んでいる。私達が手本としてきた70年代80年代の良さが失われている。聖書による生きた国造りの理想に燃えた米国のキリスト者達も福音に立ち返ろうと呼びかけている。そのうねりを惹き起こす力は福音的信仰者の活動であり、その現象は米国の大統領選から現れる。たといだれが大統領に選ばれても、この現象は次世代への大きなうねりとなるだろう。福音的教会の活動が期待される。コロナに負けることなく時代を支える福音的指導者の出現を待ちたい。またさらに聖書の深い知恵に耳を傾けたいと思う。

  《慰めと励ましの言葉 88》 

 

       (桜台教会『月報9月号』より) 

                

   『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅴ)

 

                  牧師 中川 寛

 

  不謹慎かもしれないが、ここ数日かつて鑑賞した歌舞伎で有名な『松浦の太鼓』を思い出させる。歌舞伎は江戸時代に庶民の娯楽として大いに歓迎され、役者はもとより作品内容に至るまで古事、歴史に由来する演劇である。単なる芸能を越えた伝統文化の芸術に練り上げられた古典文化である。赤穂浪士の仇討ちを題材にしているこの作品は、俳諧の師宝井其角に学んだ四十七士の一人大高源吾の活躍に期待する平戸藩松浦鎮信の仇討ちを待ち望む情景を感動的に描く。松の廊下で脇差を抜いて吉良上野介に切りかかった浅野内匠頭は即刻切腹、赤穂藩断絶となったが、国家老大石内蔵助が秘密裏に仇討ちを計画し吉良を打つ物語である。討ち入りの日は元禄151214日(1703130日)深夜に決行されるが、江戸に潜伏してその機会を待っていた大高源吾は討ち入り前夜松浦家で開かれた句会を機に吉良邸に押し入って上野介を打ち取る。宝井其角は前日両国橋の袂で大晦日のすす払いに扮した源吾を見知り、『年の瀬や水の流れも人の身も』と発句向けると源吾は『あした待たゝるその宝船』と言う付句を返して飄然と去っていく。其角は「宝船」の意味を問いつつ、翌日松浦鎮信邸で開催された句会に出向き、「宝船」とは仇討ちを意味することを知り、松浦に告げて事態は一変する。松浦邸では夜中に陣太鼓が鳴り、仇討ちを行った赤穂浪士を激励する事となった。

 

 

   武士道において仇討ちは武士の果たさねばならない忠義であったが、一年経っても仇討ちをしない赤穂藩に対して「武士の風上にも置けぬ」と愚弄されていた。山鹿素行と同門の松浦候の生き方は武士道そのものであったが、遂にその使命を果たした赤穂四十七士を褒めた。「あした待たゝるその宝船」は封建時代においては復讐を意味するが、今日においては正当な犯罪行に対する裁きである。国際社会は不正な犯罪を見過ごしていては世界の正義と秩序が保たれないことを理解しなければならない。人種差別反対との運動にかこつけて暴動や殺戮を正当化することはできない。自由の権利を主張しつつ暴力や略奪を欲しいままにするギャング集団を放置することは国家の秩序を破壊する以外の何物でもない。一般庶民は無力で抵抗できないが、混乱と暴動を拡大する勢力には断固たる処置が必要であろう。民主的自由社会においては秩序の維持のために多くの努力が要請されるのは当然である。しかし他方事態が変わり、全体主義社会においては国家悪が問われることなく、暴動鎮圧や人間主権を奪って自己正当化する。それは国家的犯罪である。

 

 

  既に受け入れがたい国家犯罪が各組織に蔓延している今日、誰かがどこかで正しい国家回復の力を発揮しなければ暗黒の世界となるだけである。日本人が国際的位置を自覚することは最も重要なことである。人は痛い目に遭わなければ自覚することがないと言うべきか。しかし同時に力をもって制圧することは必ず反発を受け事態を長引かせることとなる。力による制圧は良い成果を生むことはないが、持てる豊かな民主的国家が勇気をもって関係を糺すことは今必要となっている。

 

 

  二年前から金融を中心にして経済制裁が米国主導のもとに実行されていた。IT産業の情報集握は中国共産党と結びついた機関により悪の限りが尽くされている。最近北朝鮮の行き詰まりの中、サイバー攻撃は中国に向けられて事件が発覚し、北朝鮮は益々窮地に追い詰められていると言う。香港の中共国家権力介入により米国が様々な金融と人権の処分を強化していると言う。少なくとも米国の国益にそぐわない諸組織は米国入国ビザは発行されない。その関係家族に至るまで預貯金は丸ごと没収される。米国における各大学や研究機関で開校されている孔子学院は共産党垂下の下部機関であり青年勧誘の責任を担っているとの事で、職員は大使館員、領事館員並みの登録をしなければならなくなった。日本では野放図に放置されているが、中国共産党からの財政的助成を受けた組織として各大学で開講されたままである。

 

 

  中国社会はコロナ禍と共に洪水被害とバッタ被害で食糧危機を招いている。残飯禁止法が制定され食料の無駄を省くよう要請されているが、物価が高騰し学校給食では育ち盛りの中高生が日本の昔のすいとんの様な粗末な食事で、保護者から苦情が殺到しているとの報道を聞いた。ある地区の共産党は党の命令で病院を建てることになったが資金が足りなくなり、幹部の視察で約束が果たされていない責任は市の責任であるから豚を売って税金を払わせ、その金額でノルマを満たせと命じられ、豚肉が高騰し庶民の食卓から豚が消えたと言う。米、トウモロコシ、野菜も十分収穫ができず、この秋日本の新米は既に在日共産党員によって農協を越えて買い占められているとの事である。今年末には数億人の飢餓が問題になるとの事である。

 

 

  香港統一を機に米国は中国の字を使わずにCCP(China Communist Party 中国共産党)と表記する決定をした。中国国民と中国共産党を分けて共産党を破壊する政策を進めるとポンペオ国務長官が演説した。米国はまた台湾を援助する活動を強化している。台湾は東欧チェコとの国交を持ち、8月末から9月4日まで90名に及ぶ国会議員を引率した。これについては王毅外相がチェコに対してその代価を支払わせると発言したところ、EU諸国がこぞって反中国の立場を表明した。彼は英国にこそ行かなかったが、ドイツも他国同様その発言に反対した。自由主義諸国はコロナの被害と共に中国のやり方を受容れなくなってきた。ポンペオ国務長官は中国外相のヨーロッパ訪問に先駆けてEU諸国を歴訪し米国の立場と今後の「5G」に関する取扱いについて中国と決別するよう説得した。しかし残念なことだがチェコの議員団が台湾訪問した際、中国の戦闘機が台湾境界線を回遊したと言う。南沙諸島については益々戦場化しつつあると言う。多くの貿易は米ドル基軸で行われているが、外貨のない中国は偽ドル札や偽金塊をもって決済しようとしたと言われている。李克強首相は中国人民の平均的年間所得は日本円で約一万五千円であると明言し、地方の人民は食生活に苦しんでいるとの事であった。

 

 

  ベラルーシのルカシェンコ大統領と選挙の不正を訴えるハチノフスカヤ氏との対立も大きな問題を孕んでいる。多くの婦人たちが暴力的デモ鎮圧によってけが人が出ている。新疆ウイグルの婦人たちは漢民族男性との強制結婚を拒み、自ら避妊手術を行って抵抗していると言う。多くの強制収容所に入れられたウイグル人の人権は全く無視され、臓器売買の道具として矯正手術が行われ、最近の内モンゴルに先駆けて自国語の使用を禁じて学校教育では北京語を強制的に学ばせているとの事である。

 

 

 

  米国の教会は黒人差別問題について答えるべき論理を持ち合わせていない。白人優位の文化形成を今後どう是正して行くのか。ニューヨークやオレゴン州ポートランドの暴動や紛争をどのように鎮圧して行くのか。ハワイのコロナ対策とホームレスの問題も病めるアメリカの実態である。トランプ大統領の二期目の活躍が望まれるところである。お金にまみれた民主党の過去と現在未来には悪の魔力のみ支配しているようにしか見えない。厳しい国内情勢ではあるがトランプ大統領は今年当初より旧ユーゴのコソボとセルビアの経済的協力関係を樹立させた。彼らは宗教を異にしつつも祈りを捧げて一致の努力を重ねてきた。今後も両国は「キリストは一人、信仰は一つ。和解と協力をもって新時代の発展の為にIT産業を成長させたい」と宣言していた。

《慰めと励ましの言葉 87》 

            (桜台教会『月報8月号』より) 

              

   『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅳ)

 

                  牧師 中川 寛

 

 全世界が新型コロナ感染症により病んでいる。各国とも経済の再生の為活動を開始すると驚くほど正確に感染者が増加する。第二波を迎えた東京では感染者が400名を超えた時点で教会の活動を停止するところも出ている。再び礼拝は動画配信しますとの事。くれぐれも日曜日の礼拝のために教会には来られないようにと注意を喚起している。韓国では千名以上の礼拝堂を持つ大教会も数百名に限定して電話受付で礼拝出席者を決めているところもあると言う。テキサスでも葬儀屋が遺体置き場専用の冷凍車を用意して埋葬に努めているとの事。ブラジルの報道も広大な大地に幾千もの墓を掘って埋葬している映像が流されていた。幸い諸外国のパンデミックに比べると日本の事情は感染者数や死者数においてまだ数は少ない方であるが、現場で働く医療従事者の苦労や感染者家族への偏見は想像を絶するものである。政府の専門家委員による説明を聞いていても、現状では感染を縮小させる方策は手洗い、消毒、『三密を避ける』ことと不要不急の外出は控えることに尽きるようだ。第二波第三波の到来による社会的経済的損失にどこまで耐えられるか各企業の最大の課題である。サラリーマンの失業も他人事ではない。知恵を絞って生き抜く工夫が求められている。今やこれと言った特効薬はない。できることは何でもしなければならない。多くの信仰者や仲間の方々に「どうか健康に注意して努力を続けて下さい。」と呼びかけることが私の日々の務めである。

 

   悲しい報告であるがこの時期訃報通知の連絡をよく頂く。残念ながら葬儀に参列できないが、残された家族への慰めを祈らせていただいている。金曜日夕刻聖学院中高S先生から元事務長の森野光生兄が心臓病で召天されたと電話があった。その後お元気だろうかと案じてはいたが、訃報を聞いて驚いた。同兄はバリトン歌手としても著名な方であったが、1976年銀座教会副牧師時代に楽しく過ごした友人であった。茂原の森野牧師の末弟で当時は明学の学生であった。学ランを着て奥田耕天先生指揮する聖歌隊のメンバーで、彼の兄も青山学院神学部出の声楽家であった。大阪教会時代に彼らの叔母に当たるブラジル・マリンガの宮本純子牧師への援助を通じて森野牧師との関係はよく耳にしていた。神学生時代に茂原の教会でワークキャンプをしてお父上の事も存じ上げていた。丁度銀座での二年目であったか、日曜礼拝後の聖歌隊練習の時であったが、一時二階席で練習風景を聞きながら光生兄が歌うと古い会堂の窓ガラスが響いていたのを覚えている。失礼だが兄よりも声量がありよく響いていた。その後声楽家として活動しつつ聖学院に移られたが短大の事務局に就職され、以後男子中高に移られて久しく親交を続けていた。年長の兄はドイツでヴァイオリン制作者として活動しておられ、良い音色で人気があるとの話を伺ったこともあった。函館遺愛学院にいたご長女は国立音大を出てオルガン奏者であられたが、献身して東神大に学び牧師となられた。4月以後百武牧師に交代され遺愛のチャプレンを退任されたことは聞いていたが、まだ若い光生兄が召されたと聞いて悔しい思いである。プロの声学家として宗教音楽の魅力を多くの方々に開示し、同時にその普及にも努められた光生兄の足跡は各地に受け継がれている。多くの友人知人の方々も彼の死を惜しまれているに違いない。森野牧師の一族はマリンガの『ルツ・アモール』で生涯を捧げられた宮本純子牧師に見るまでもなく教会の宣教と教育、教会音楽にそれぞれ貢献されてきたご家族で日本の牧師家族のお手本でもある。ご家族の皆様の上に主の慰めを祈りつつ、コロナが落ち着いてからお墓参りに伺いたいと思っている。

 

    同じ日に私が尊敬していた台湾の李登輝元総統が97歳で召されたとの報道があった。かつて台湾で開かれた日台韓三国の教会宣教協議会でお目に掛ったことがあったが、今日の台湾民主化の父と言うべき指導者であった。1970年代は高俊明台湾長老教会総主事の投獄問題もあり、民主化と共に多くの台湾長老教会の牧師、信徒の祈りと戦いがあった。その働きは長く歴史に記録されるところであるが、昨年高牧師が召され、体調を壊して入院中とは聞いていたが李登輝総統が召されたことも残念である。彼がキリスト教に受洗したのは30歳の時であったと言われているが、その信仰生活は台湾長老教会と共にあった。数年前に召されたがマカイ病院元チャプレン、台北南門教会牧師であった胡茂生牧師を通して台湾キリスト教指導者たちの働きを学んでいた。胡牧師も元日本兵で台湾統治時代日本語教育を受けられ、日本語が堪能で1965年東京神学大学留学中に後輩であった私をかわいがってくださった。李氏は淡水で育ち淡江高級中学出て後に京大に留学され日本的思考と文化に親しみ、日本人の魂を持っておられた。そのキリスト教的側面は奥様の信仰にもよると思われるが、淡水にある淡江高級中学はマカイ宣教師が始めた著名なキリスト教男子校である。この学校を卒業した多くの長老教会牧師にはラガーマンが多い。台湾で初めてラグビーの試合が行われたのはこの学校である。体格のいい品の良い台湾の牧師は皆この学校でキリスト教教育を受けたジェントゥルマンである。かつて台湾長老教会の牧師たちから日本の牧師とラグビーの試合をしようと持ち掛けられたが、その当時ラグビー部出身の牧師は数えるほどしかいなかった。

 

   李登輝総統は当時国民党蒋経国の死を受けて台湾出身の初代総統になった。彼の記した文書には以下の言葉がある。『人生は真理の追及に終わるだけでなく、より重要なことは信仰を持つ必要があります。』 彼は仏教も試み、唯物論を信じなかった。この時彼の妻の影響で教会に通い洗礼を受けたと言われている。またある著述家は『30歳から35歳までの5年間、牧師の説教を聞くだけでなく、カントの「純粋な合理性の批判」など多くの哲学書を読み、人間の理性の限界を認識し、「道徳と幸福を一致させるためには、魂の不死と神を強調しなければならない」と認識した。 最後に、彼はついに「信仰は合理的に解決できず、心の問題だ」と悟った。 心だけでではなく、心で世界を感じる。受洗の初期、李登輝は多くの疑問を抱いていましたが、人生と聖書の読書によって、彼の信仰はますます堅固になり、彼の将来の人生における信仰の役割は、他の力に取って代わることはできないものとなった。』と語っている。1996年、李登輝は直接選挙を通じて台湾初の民主的に選出された総統となり台湾の民主化に対する信頼を高め続けた。しかし中国本土の弾圧、国内の旧勢力の妨害、国際環境の不利益は台湾をさらに苦しめていた。1997年、パナマでの会議に出席し、講演後演台を降りた時一人の司祭が来てイザヤ書45章1、2,3節を読むよう進言した。それは『主が油を注がれた人キュロスについて主はこう言われる。わたしは彼の右の手を固く取り 国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれどの城門も閉ざされることはない。わたしはあなたの前を行き、山々を平らにし 青銅の扉を破り、鉄のかんぬきを折り、暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える。あなたは知るようになる わたしは主、あなたの名を呼ぶ者 イスラエルの神である、と。』の言葉である。 夫婦は司祭の言葉に従いこの言葉を読んで、『これが「明るい光」であり、台湾の将来が神によって祝福されることを示していると感じています。』 と記しその後の苦境の中で「明るい光」を何度も思い出し力を得たと言う。召された李登輝元総統が残した信仰的遺産は今日の台湾キリスト教会に生きている。

 

 

 

 

慰めと励ましの言葉 86》                  

 

   

        『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅲ)

 

 

                  牧師 中川 寛

 

 

 

   気が付けば2020年もコロナの中で半分終ってしまった。7月に

 

入っても世界の感染者数は1087万人、死亡者は52万人で増加の

 

一途を辿っている。東京都も患者数はここ数日百名越えで第二波

 

到来かと思わせられるが、世界はまだ第一波のパンデミック真っ最

 

中である。「感染拡大要警戒」レベルと言われ外出を控えるべきと

 

の思いが強い。7月からは正常に教会活動ができると予想していた

 

が、交通機関を使って遠くから集まられる方々にはご注意くださいと

 

伝えている。まもなく夏を迎えるのに都内の諸教会では再び動画配

 

信による少数者のみの礼拝に戻ったとの事である。夏期学校や夏

 

の集会の予定もたたない。会堂維持費も活動費もままならないのが

 

現状である。これはどこも同じで働く人々が共通に経験していること

 

である。それでも何とかネットを通じてみ言葉の配信を日々継続し

 

ている。厳しい時であるがゆえにみ言葉の配信が勇気を与えるもの

 

となっているのはうれしい事である。事情が許せば教会のホームペ

 

ージを通じて礼拝の配信を行いたいと願っている。

 

 

 

   聖書の言葉を学ばなければ信仰は枯渇する。聖書の福音に

 

触れる機会がないと信仰的情熱もすぐに冷める。また多くの誘惑も

 

あり信仰の価値を損ねることになる。共に教会に集うことがなければ

 

魂の養いは余程の事がなければ薄れてしまう。その意味で教会員

 

には自覚的に聖書日課を読み福音に触れていただきたい。生活上

 

の困難さのゆえにホームページを通じて祈りのリクエストが増えてき

 

ている。家族の事、自身の健康の事、生活保障の事等皆一様に不

 

安を覚えておられる方のために共に祈りを継続している。これもまた

 

教会の務めである。突然の、しかも一方的な社会的変化によって収

 

入の無い方が増えている。元気な内に十分働いて蓄財に努めなけ

 

ればすべてを失う事となりかねない。若い方々には人生の計画をし

 

っかり立てて生きていただきたいと思う。学生時代には食べるだけ

 

で後は勉強することが大事だ。50年は一昔と言うが私にとっては昨

 

日のように思う。何のための人生であったかと問うことがないように

 

目標を定めて生きる事が求められる。コロナ禍による社会活動の制

 

限を受けるとは夢にも思わなかったが、まだまだやりたいことが沢山

 

ある。

 

 

 

   先日教会員のK氏が突然召された。ご夫人からのメールによっ

 

てその死を知ったのだが、まだ69歳で悔やまれてならない。6月半

 

ば朝予約していた眼科医への通院途中倒れて病院に運ばれたそう

 

だ。心肺停止の状態で召されたと言う。ご家族はあまりにも突然の

 

事でまだ実感がないとの事である。コロナ禍の最中で斎場では家

 

族と神父だけでお別れをしたと言う。お住まいが横浜で礼拝にはほ

 

とんど参加されなかったが学生時代は住まいが教会に近かったので

 

桜台に通われていた。

 

 

    K氏はかつて仕事の関係で南アフリカに出張されたことがあ

 

った。1995年かつてラグビーワールドカップで初優勝を遂げた時、

 

南アのキャプテン、フランソワ・ピナールがエリスカップを手にインタ

 

ヴューに答えて「我々はフランス・ユグノーの末裔である」と宣言した

 

ことが事実であるか否かを知り合いに聞いてきてもらいたいと話し

 

た。丁度半年後であったと思うがK氏は南アの知り合いに確認して

 

きてくれた。私は深夜そのゲームを見ていてNHKの通訳さえも訳せ

 

なかった事実を確認して、多くのラガーマンたちに信仰の歴史が息

 

づいていることを伝えた。ご家族の上に主の平安を願うのみであ

 

る。 K兄弟との別離は多くのご友人にとっても驚きであったに違い

 

ない。しかし聖書は人生が突如断ち切られることがあると記す。そ

 

の死を超えて永遠を目指して生きることが信仰者の生き方である。

 

私は16年前に突然召された息子の経験をしている。愛する者の死

 

は何年時を経ても心から消えることはない。今から思えば過労死と

 

は言えインフルエンザに罹って数日後、愛する家族に別れも告げず

 

に息を引き取った。残念で仕方がなかったが大勢の方々の参列を

 

頂いて私が司式をして葬儀を行った。信仰を持つ者の特権であっ

 

たと思う。しかし同じ教会員ならば司式するかどうかは別にしてまず

 

牧師に連絡していただきたかった。残念ながらご家族の思いが至ら

 

なかったのであろう。或いは遠慮なさったのか。

 

 

 

    教会のホームページにユダヤ人の知恵としてシラ書をのせて

 

いる。二千年以上に亘ってユダヤ人のみならずキリスト教会でも読

 

まれてきた書物である。実に多くの人生の知恵が書かれている。も

 

っと早く、若い時からこの書に親しむことができていたら、失敗や間

 

違いをすることも少なかったように思う。しかし今読んでいてもなるほ

 

どと思わせられる書である。プロテスタント教会では聖書外典として

 

ぜひよく読むようにとは勧められなかったが、日本人クリスチャンに

 

は早くから読むことを勧めたい。まず間違いのない価値ある人生を

 

生きる為である。次に知恵の書を取り上げたいと思う。これも信仰

 

者の特権が様々記されている内容ある書物である。

 

 

 

    あるアメリカ人の論者が「今はクレージータイムだ」と言うのを

 

聞いた。コロナ禍に留まらず世界の危機が次々に起きる。今や世界

 

を席巻する「Black Lives Matter」のデモをはじめ奴隷制に加担し

 

た白人の銅像を倒す事件、シアトルの無法地区占拠デモ、南部の

 

歴史的名作・偉人の廃棄等、喫緊の話題は香港の国家安全維持

 

法制定による中共支配の問題。信じられないことだが香港の米国領

 

事館が売りに出ていると言う。同時に旧香港人約320万人に英国

 

入国ビザを与えるとの事。6月末には香港の両替商に米ドル、英ポ

 

ンドの外貨交換に人々が殺到したと言う。中国元を米英兌換ができ

 

ない場合は日本円にすると言う。3割の香港人は脱出を希望し、多

 

くは台湾へ、或いは米国と英国へと手続きをしているそうだ。長江

 

の三峡ダムが決壊すると上海までの町々が水没し6億人の中国人

 

が被災すると言う。既に米国は大学、企業、研究機関の知的財産

 

を確保するために中国からの留学生と研究者を退去させ国連、

 

UNESCO(国連教育科学文化機関)WHO(世界保健機関)脱退を

 

宣言している。これらはすべて中国の支配下に置かれているからだ

 

と言う。中国と手を組んでいるドイツはまだ中国の実態を知らないの

 

で財政確保のため親中国政策をとって貿易と観光客招致に乗り出

 

している。しかしコロナの影響は米国、ブラジル、ロシア、インドに及

 

び中国人による感染拡大影響を認識する国は中共との関係を拒否

 

しているのである。カオスの時代と言われるが中国共産党の政策に

 

よる一帯一路の方針により財政支援を受けた国々や生産工場を中

 

国に移転した企業は財産や資本を持ち出すことができないのでお

 

手上げ状態であると言う。オーストラリアは中国から関係を断つ努

 

力をしているが、すでに南太平洋のフィジー、バヌアツ、ソロモン諸

 

島は中国船が行き来ができる港湾権益を確保している。

 

 

    政府自民党の中には中国からの収益を優先して親中国派が

 

支配権を持っていると言われるが、鉄鋼関係の人材はどっぷり中国

 

漬けにされ、知的財産が中国の手に亘ってしまっていると言う。オバ

 

マ政権時代に中国は米国黒人の留学生を無料奨学生で受け入

 

れ、共産党の教育をして指導者として世界各地に送り込んだと言わ

 

れる。世界各地で起きるデモや暴徒化する集会の背後に金で雇わ

 

れた黒人青年が暗躍していると帰化人の鳴霞さんがYouTubeで報

 

告している。今後時間が立てば歴史の変化と共に真実が明らかに

 

されることとも思われるが、世界中がフェイクニュースで覆われ、事

 

実と真実が問われる時代が当分継続すると思われる。コロナの影

 

響は秋にまで及び、国を結ぶ航空機会社破綻が増加すると言われ

 

る。乗務員の解雇、航空産業に関わる企業の倒産も増えている。悲

 

しいかな娘家族に会う機会も秋以後になりそうである。

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 85》

       (桜台教会『月報6月号』より                

 

 

   『危機の時代を生き抜く為に』(Ⅱ)

 

                 

                         牧師 中川 寛

 

 

      先日礼拝を維持するために消毒液、牧師・奉仕者用フ

 

イス・シールド、ビニール手袋を寄贈頂いた。自粛期間ではあるが

 

発症者数が下がらず、見通しの立たない日々を過ごしている。6月

 

末の西武地区の集会についてもカトリック教会は司教名で集会の中

 

止、聖公会でも同様の通達が来ているとの事で今回は見送りとなっ

 

た。各教会の活動の様子を学び合う時であったが、次回を待ちた

 

い。6月を迎え、キリスト教会で活動を支援していた慰安婦問題、ア

 

イヌ問題などその資金の用途が解明され、少女像設置運動が展開

 

されていたが、朝日新聞の虚報を通じて「従軍慰安婦」なる名称も

 

用いられたが、元慰安婦と称して米国大統領にハグした韓国人婦

 

人(李 容洙)がすべて虚偽であったことを告白し、慰安婦の為に建

 

設された「ナヌムの家」も元慰安婦は一度も使ったことがなく、分かち

 

合いの家ではなく脱北者の寄宿に用いられたと言われている。日本

 

政府のみならず教会関係者、仏教関係者も慰安婦として連行され

 

た婦人たちへの謝罪の思いから資金協力したが、すべて北の活動

 

家に利用され、その手は菅官房長官が用いていたアイヌ活動家と

 

称する人々に利用されていたという。特に北朝鮮拉致被害者救済

 

活動とはかりにかけられ、事態は一向に前進しないまま今日に至っ

 

ている。平然と国際社会で戦争犯罪国日本を掲げつつ、戦後の賠

 

償支援を目的に騙し取られていたことになる。一部の国会議員やク

 

リスチャン活動家までも一体となって教会に虚偽の責任追及を展開

 

していたこととなる。隣人愛にあふれたキリスト者の良き証しが悪用

 

されていたことは残念でならない。この事実は教科書にまで記載さ

 

れ、海外で展開されるコンフォートウーマンの少女像設置により北

 

米、豪州、欧州にまで広がり、在外日本人学童への差別と嫌がらせ

 

へと発展している。勿論その真偽が糺されることは良いことだが、対

 

中共に対しても課題は山積されている。虚偽の南京虐殺記事を書

 

いた本多勝一についても同じ事が言える。嘗て元大阪教会役員田

 

中忠治兄に直接聞いたことではあるが、本多は僕の方が先に現地

 

の人から聞いたのだから殺された人々の数は正しいと主張して譲ら

 

なかったという。全く残念な話だが中国共産党のプロパガンダの信

 

憑性は今日も同様である。彼らにすれば信じる方が悪いということ

 

になる。武漢コロナ感染症についてもようやく米国はスパイ活動をし

 

ていた留学生と共に中国企業の締め出しと貿易の再考に動き出し

 

た。今回の黒人暴動で明らかにされたのはお金をもらって商店の略

 

奪をしていた青年たちが映し出されたことである。略奪に加わろうと

 

していた黒人青年を壮年の黒人が宥め、人生と社会を粗末にして

 

はいけないと説得する動画がYouTubeで流されていた。その説得

 

の様子はアメリカに生まれた黒人の必死の姿で、差別偏見をなくす

 

ためには暴力や略奪ではよくならないと叫んでいた。

 

 

      多くの白人の牧師、宣教師もCNNの記者同様に大統領が

 

放火された教会を尋ねたのは単なるパフォーマンスで、騙されては

 

いけないと解説していた。ホワイトハウス前の監督教会の牧師はど

 

んな人かと思っていたが、ニュースに出てきた牧師はいかにも婦人

 

活動家の様相で、写真だけを取って戻って行った大統領を非難し

 

ていた。しかし大統領は直後自身のツイッターで問安を兼ね祈りに

 

出向いたが、SPにより危険だからと促され直ちに戻ったと釈明して

 

いた。日本でも首相の近辺警護は万全を期しているが、よくも狙撃

 

されなかったことと思う。選挙戦最中の厳しい全米的暴動である

 

が、国家が統一して行く為には憲法に倣い国旗に忠誠を尽くす正

 

義が求められる。あとは教会がキリスト教的正義を聖書からもう一度

 

学び直さねば平和理に分裂を取り戻すことはできないだろう。沈静

 

化は経済の成長に伴う雇用の安定化と将来への可能性を見い出

 

せる政策の確保である。いわゆる略奪集団は既に不法移民問題の

 

際書いたが、MS13のギャング集団が全米各州の主要都市に存在

 

を確保し若者たちを扇動しているので、目をつけられた白人宅は

 

様々な攻撃を受ける可能性がある。アメリカはさらに深く病んでいる

 

ことを思わせられる。経済的不況が長引けば暴力的殺人が更に増

 

え、社会が悪化せざるを得ない。フェイクニュースが日常化する中

 

で正しい情報を得るためには左右両方の事態を見極めなければな

 

らない。願わくば大統領に信仰が正しい伝統に即した福音に向いて

 

いることを期待したい。

 

 

      パンデミックを迎えたロシア、ブラジルにおいては欧米以

 

上に事態は深刻である。ある論者が中共の政策について語ってい

 

たが、今や1億の中共共産党が11億の民衆とアジア・アフリカ・ヨー

 

ロッパの最貧国を支配している構造で、彼らは世界や中国の事で

 

はなく、自分たちの財政的支配と権力確保のため采配を振るってい

 

るとの事であった。それに気付いた英国は直ちに親中国政策を切り

 

替えEUとも離れた。インドは親米政策を取り独自の道を歩んでい

 

る。嘗て日中友好を唄い文句に資金投資を行なって発展させた中

 

国に今は資産すべてを奪われて過去は忘れられた雰囲気である。

 

中共の覇権主義は西に向かってはウイグル・チベットが配下に置か

 

れ、東は香港を手始めに台湾へと進行している。特に米中関係の

 

厳しい貿易戦争においては今後食糧問題、精密機器、人材確保、

 

水問題等中国がこれから解決しなければならない問題が山積して

 

いる。当面ドル基軸の世界経済が維持されると思われるが、軍事力

 

をもって中国元回復を工作するかもしれない。教会を弾圧し自由を

 

蹂躙して民主主義を容認しない現状では如何ともしがたいのが現

 

状であろう。悲しいかな世界からの信用の回復はまだお金のある現

 

状では中国においては問題ではないように見える。流石に英国は

 

香港の元統治国として返還前の住民に英国の永住権を与える準備

 

があると表明した。先の全人代の決定によって香港は既に中共の

 

管轄下に入ったが、香港デモの際鎮圧していた警察官の大半は広

 

東州や深圳の武装警察で、元々の香港警察はあれほどの催涙ガ

 

ス水平直撃弾を発する事や暴力的鎮圧を行うことはできないと言

 

われる、同時に香港の商店略奪団は本土の無国籍農民青年が多

 

く、金で雇われたならず者集団だという。彼らは逮捕されてもすぐに

 

解放され、故郷に送還されてまた戻って来るとの事であった。貧し

 

い田舎では食べて行けないので都会に集まり、善悪の見境なく生き

 

る為に悪事を働くという。米国の場合も同様であるがアンテファと呼

 

ばれる世界統一テロ集団がお金をもらって暗躍していると言われて

 

いる。出没自在でつかみどころのないのが特徴だそうだが、日本で

 

もクルド青年の逮捕に抗議してコロナの渦中、渋谷署前でデモをし

 

たグループの中にアンティファのシャツや旗を持った人々が参加し

 

ていた。 〇〇民主党員の議員まで参加しているのだから、世界の

 

情勢は決して他人事ではないことが解る。私は68~70年代の学生

 

生活を送ったが、イデオロギー運動の偽善と末路を見てきた。デモ

 

に参加しても活動家は逃げることしか考えていないし、男女の関係

 

は汚いし、一方的に闘争戦略を命じるだけで、その本心はエゴイズ

 

ムでしかなかった。聖書の福音に目覚めることがなかったなら多くの

 

神学生と共に教会を離れていたことと思う。今かつての活動家たち

 

が沖縄で日当をもらいながら日帝阻止、反スタ反米等と叫んでいる

 

のを見ると嘆かわしい限りである。

 

 

      聖書を通して福音の知恵を身に着け、正義と宥和を求め

 

る運動を展開することは教会の教育的使命であると確信している。

 

生活の為福音を二番手にする若者が多いが、大きな夢をもって青

 

春を生きなければならない。個人でできることは小さいが、信仰を

 

同じくする者が集う所には新しい道が開かれる。

 

 

《慰めと励ましの言葉 84》

            (桜台教会『月報5月号』より)                               

         

 『危機の時代を生き抜く為に』

 

             牧師 中川 寛

 

     3月29日の礼拝から教会の諸集会は休会中である。毎日曜日9時

 

から礼拝堂で一人教会学校礼拝を守り、10時半から主日礼拝を守る。礼拝

 

は休会するとの掲示を出しているので訪ねてくる人は誰もいない。4月12日

 

のイースターには男性役員お一人が来られ、共に聖書を読んで祈り合って

 

散会した。通常自粛が求められているのでマスク越しとはいえ長時間引き留

 

めることはしなかった。5月を迎え特措法による緊急事態宣言は5月末まで

 

延長されると言う。残念だが仕方がない。

 

     かつて近隣の二つの病院は教会と深く関係していた。今もそれぞれ

 

に関係が続いているとの事だが、院内感染で多くの感染者を出し、死亡者も

 

出た。御気の毒だが祈って平穏になるのを待たざるを得ない。各地では嫌

 

がらせや風評が広まり、コロナ感染者家族や会社、医療従事者の家族にま

 

で偏見や差別的言動が飛び交っているという。教会は風評を恐れるわけで

 

はないが、わざわざ社会的偏見にさらされる必要もない。やはり各自の健康

 

管理と日々の動向の責任が第一である。一時教会も外国から帰国された方

 

の健康を案じたが、陰性との結果が出て安堵した。

 

      パンデミックを惹き起した諸外国の様子は尋常のものではない。今

 

や世界の感染者数は三百万人を超え、死亡者数も二十五万人に及んでい

 

る。米国でも死者七万人を超え、英国、イタリア、スペイン、フランスも二万人

 

を超えている。多少外出緩和が進んだとは言え、世界はなお非常事態であ

 

ることに変わりはない。世界の教会も礼拝やミサは同様に関係者だけのイン

 

ターネット礼拝である。世界のキリスト者が一様にイースター週間は寂しいも

 

のであったと報告している。特効薬の開発が待たれるところだが、各国ともに

 

利権が絡み、複雑な思いを抱かせる。特に経済的不況はさらに深刻であ

 

る。仕事を奪われた人、金繰りに行き詰まっている会社、破綻した大手有名

 

会社が報告されている。今後更に増えてくる。戦後育ちの私は幾つかの不

 

況は体験したが、今後起きてくるであろう事態については自殺こそしないま

 

でも金繰りについては、見通しは全くない。その道は主が備えて下さるであ

 

ろうと腹を決めている。

 

       聖書はいかに生きるかを良く教えている。使徒パウロは初代教

 

会の形成の為、若い弟子たちを良く教えた。テトスは初期伝道旅行中に仲

 

間に加えた若者だが、その指導においては手紙をもって親しく指導をした。

 

今日教会を形成する者においても同じ心掛けが求められる。日頃読まない

 

箇所だが、短い書なので『テトスへの手紙』を抜粋して紹介したい。

 

 『1:5 あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残

 

っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。1:6 長老

 

は、非難される点がなく、一人の妻の夫であり、その子供たちも信者であっ

 

て、放蕩を責められたり、不従順であったりしてはなりません。1:7 監督は神

 

から任命された管理者であるので、非難される点があってはならないので

 

す。わがままでなく、すぐに怒らず、酒におぼれず、乱暴でなく、恥ずべき利

 

益をむさぼらず、1:8 かえって、客を親切にもてなし、善を愛し、分別があり、

 

正しく、清く、自分を制し、1:9 教えに適う信頼すべき言葉をしっかり守る人で

 

なければなりません。そうでないと、健全な教えに従って勧めたり、反対者の

 

主張を論破したりすることもできないでしょう。1:10 実は、不従順な者、無益

 

な話をする者、人を惑わす者が多いのです。特に割礼を受けている人たち

 

の中に、そういう者がいます。1:11 その者たちを沈黙させねばなりません。

 

彼らは恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、数々の家

 

庭を覆しています。1:12 彼らのうちの一人、預言者自身が次のように言いま

 

した。「クレタ人はいつもうそつき、/悪い獣、怠惰な大食漢だ。」 1:13 この

 

言葉は当たっています。だから、彼らを厳しく戒めて、信仰を健全に保たせ、

 

1:14 ユダヤ人の作り話や、真理に背を向けている者の掟に心を奪われない

 

ようにさせなさい。1:15 清い人には、すべてが清いのです。だが、汚れてい

 

る者、信じない者には、何一つ清いものはなく、その知性も良心も汚れていま

 

す。1:16 こういう者たちは、神を知っていると公言しながら、行いではそれを

 

否定しているのです。嫌悪すべき人間で、反抗的で、一切の善い業につい

 

ては失格者です。

 

  ◆健全な教え

 

2:1 しかし、あなたは、健全な教えに適うことを語りなさい。2:2 年老いた男に

 

は、節制し、品位を保ち、分別があり、信仰と愛と忍耐の点で健全であるよ

 

うに勧めなさい。2:3 同じように、年老いた女には、聖なる務めを果たす者に

 

ふさわしくふるまい、中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者と

 

なるように勧めなさい。2:4 そうすれば、彼女たちは若い女を諭して、夫を愛

 

し、子供を愛し、2:5 分別があり、貞潔で、家事にいそしみ、善良で、夫に従

 

うようにさせることができます。これは、神の言葉が汚されないためです。 2:6

 

-7同じように、万事につけ若い男には、思慮深くふるまうように勧めなさい。

 

あなた自身、良い行いの模範となりなさい。教えるときには、清廉で品位を

 

保ち、2:8 非難の余地のない健全な言葉を語りなさい。そうすれば、敵対者

 

は、わたしたちについて何の悪口も言うことができず、恥じ入るでしょう。2:9

 

奴隷には、あらゆる点で自分の主人に服従して、喜ばれるようにし、反抗し

 

たり、2:10 盗んだりせず、常に忠実で善良であることを示すように勧めなさ

 

い。そうすれば、わたしたちの救い主である神の教えを、あらゆる点で輝か

 

すことになります。

 

 3:1 人々に、次のことを思い起こさせなさい。支配者や権威者に服し、これ

 

に従い、すべての善い業を行う用意がなければならないこと、3:2 また、だれ

 

をもそしらず、争いを好まず、寛容で、すべての人に心から優しく接しなけれ

 

ばならないことを。3:3 わたしたち自身もかつては、無分別で、不従順で、道

 

に迷い、種々の情欲と快楽のとりことなり、悪意とねたみを抱いて暮らし、忌

 

み嫌われ、憎み合っていたのです。3:4 しかし、わたしたちの救い主である

 

神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、3:5 神は、わたしたちが行

 

った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救って

 

くださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえ

 

る洗いを通して実現したのです。3:6 神は、わたしたちの救い主イエス・キリ

 

ストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。3:7 こう

 

してわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を

 

受け継ぐ者とされたのです。3:8 この言葉は真実です。あなたがこれらのこと

 

を力強く主張するように、わたしは望みます。そうすれば、神を信じるように

 

なった人々が、良い行いに励もうと心がけるようになります。これらは良いこと

 

であり、人々に有益です。3:9 愚かな議論、系図の詮索、争い、律法につい

 

ての論議を避けなさい。それは無益で、むなしいものだからです。3:10 分裂

 

を引き起こす人には一、二度訓戒し、従わなければ、かかわりを持たないよ

 

うにしなさい。3:11 あなたも知っているとおり、このような人は心がすっかりゆ

 

がんでいて、自ら悪いと知りつつ罪を犯しているのです。』

 

      テトスはキリキヤ出身でパウロが信頼していた弟子の一人だと言

 

われる。彼はパウロの信頼を得てコリントの教会(Ⅱコリント8章)やエルサレム

 

への献金の担当者で後にはクレタ島の教会を建て総主教として長寿を全う

 

したと言われる。使徒パウロの立派な薫陶を受け教会の基礎を築いた人物

 

である。混乱の時代にも正義を弁え真理に生きる人を神は決して見捨てら

 

れることはない。

 

 

《慰めと励ましの言葉 83》                  

 

   『2020年のイースターを前に』

 

                  牧師 中川 寛

 

    

 

2020年4月7日(火)夕刻5時、遂に安倍首相によって日本国初の「緊急事態宣言」が発せられた。8日午前0時から5月6日まで7都道府県を対象に不要不急の用件がない限り自宅に留まるというものである。国内の増加しつつある新型コロナウイルス感染症蔓延を阻止し、細菌を封じ込める為の法的規制である。目に見えない敵といかに戦うか、治療のための薬品も未確定の中で対処し得る最善の策が「三密回避」である。「密閉空間」「密集場所」「密接場面」を避ける事が細菌伝染を阻止する最上の方法だと言う。またマスクをつけて飛沫伝染を避ける事、手をよく洗う事が重要であると語られる。東京都が出した自宅退避の要請により教会も3月29日の礼拝以来中止を余儀なくされている。自宅でのテレフォンワークが要請され、一部の保育園を除いて学校業務が中止され、家庭環境が激変し、社会の不安動揺が日常生活にまで及んでいる。どこを探してもマスクとアルコール消毒液は売り切れ、さらにトイレットペーパーやティッシュ類も品不足となり、あるスーパーでは買い溜めの為か保存用食品が半減している。

 

 

 

    2月から始まった自粛要請が3月4月と続いて「緊急事態宣言」に至った。やかた船騒動からクルーズ船ダイアモンド・プリンセス号事件、ライブハウスや院内感染やがてパンデミックになる予測が立てられ今日に至っている。しかしその間ヨーロッパにおいてはイタリア、スペイン、フランス、ドイツ、英国、遂には米国に至り世界の様相を一変させた。既に世界は140万人の感染者と8万人を超える死者を出した。信じられないことだがイタリアのロンバルディア州では夜中に軍隊の大型トラックが隊列を成して遺体を焼却できる他の町に輸送している映像が流された。同時に各教会には棺が次々に持ち込まれ、置き場がすでに無くなっていた。

 

 

 

    歴史を変えるペストの大流行やスペイン風邪の猛威を振るった事象については記録を通してみることはあるが、いま同じ時代にかつて起きたことと同様の事態が起きていることはだれの目にも信じがたい事件である。多くの海外に住む日本人からの動画の提供は、しかしまだ日本人には他山の石のような感覚である。ハワイに住む長女からのメールにはこの事態の非情さを乗り越える為の処し方が書かれていた。治療薬が見つからない現状では各自が日常に注意し、感染しない、させない努力をする以外にない。

 

 

 

病気そのものの重大性もさることながら経済生活の厳しさが更なる不安をそそる。収入の得られない環境にあっては当然他人事ではない。せっかくの新学期、新年度を迎えても生活が保障されない環境ではせめて故里への帰郷が生きる頼みとならざるを得ない。事実これは生き抜く為の戦争であると言うべき事態である。各業種においても責任ある方々はその苦労が人一倍双肩に掛る。それでも将来の夢を捨ててはならない。道は必ず開かれるものである。一人ではなかなか道は開かれない。しかし真実と正義の中に良き人間関係に励まされて知恵を傾注するならば、必ず光明が輝くチャンスを得る。聖書は歴史の書として私たちの思いを導く教導書である。日頃から聖書を神の教えの書として読み親しむことがなければ、いざと言う時に知恵を得ることはできない。私は暗黒の時代にも聖書の知恵が間違いなく人の心を照らす救いの光であることを体験している。

 

 

 

  

 

預言者ハバククはこう神に訴え、祈る。

 

  『 主よ、あなたが馬に乗り/勝利の戦車を駆って来られるのは/川に向かって怒りを燃やされるためか。怒りを川に向け/憤りを海に向けられるためか。あなたは弓の覆いを取り払い/言葉の矢で誓いを果たされる。/あなたは奔流を起こして地をえぐられる。 山々はあなたを見て震え/水は怒濤のように流れ/淵は叫び、その手を高く上げる。 あなたの矢の光が飛び/槍のきらめく輝きが走るとき/日と月はその高殿にとどまる。 あなたは、憤りをもって大地を歩み/怒りをもって国々を踏みつけられる。

 

   いちじくの木に花は咲かず/ぶどうの枝は実をつけず/オリーブは収穫の期待を裏切り/田畑は食物を生ぜず/羊はおりから断たれ/牛舎には牛がいなくなる。 しかし、わたしは主によって喜び/わが救いの神のゆえに踊る。わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を雌鹿のようにし/聖なる高台を歩ませられる。』

 

                  (ハバクク書3:7-19)

 

 

 

    預言者は虚無の中から神の働きが希望と勇気となって信仰者をさらに励まし生かすものとなると言う。多くの人々が国家の滅亡を予告する時、神と共に預言者は新しい神の力が働いていることを民に伝える。信仰を持たない人には見える事柄がすべてであり、敵の勢力が人々を恐怖と死へと陥れるように見えるが、神の霊を有する者には人知を超えた神の力が働くと言う。世界は悪と不義に満ちていても、新しい義の神が真実をもたらすと約束する。

 

 

 

    今年の受難節(レント)は復活祭(イースター)が遠退いたように感じた。しかし春の到来と共にイースターの喜びは信仰者一人一人の心を満たす。福音の喜びは全宇宙を照らす信仰者の希望の喜びである。キリストの復活信仰に生きるキリスト者の喜びはあらゆる死と虚無の勢力を打ち破るものである。復活の事実を生きる者は見える世界に栄光を見るのではなく、見えない世界に勝利を確信して生きるのである。キリストの納められたゴルゴダの墓には『彼はよみがえられた。』との言葉が記されている。もはや肉の思いをもってこの世にキリストを探しても、彼の姿を見る事はできない。霊の人として全人格と魂を復活の主と共に仰ぐことにおいて私たちに神の力が示されるのである。これはキリストの秘儀と言うべきものであり、ただ信仰によってのみ確認される事柄である。「祈り」と「賛美」と「キリスト告白」は聖書を学ぶことによってその真理の確かさを確認できるのである。人はその人自身の魂の在り処を復活のキリストの愛と赦しの中で獲得した時に、すべての悪しき勢力をはねのけて真実の神を発見する事が出来るのである。十字架と復活の主を仰ぐことがなければ人間を深く縛っている悪と罪の力から解放されることがない。 人々の日常を不安に貶める新型コロナ感染症による罪過を払しょくする力はキリストの贖罪を知る信仰に起因するものなのである。

 

 

 

    私は2月以来二人の親しい方を天に送った。お一人は日蓮宗の葬儀をされたが、お経を唱えられる僧侶の言葉に耳を傾けその言葉を学びながら、人の世の虚しさと苦悩が語られつつ極楽浄土の救いの御手にすがらなければ救われないと言う救済の教えを学び取った。もうお一人は私を育てた教会学校の先生であった。こちらの葬儀はキリストの復活に与かる希望と平安の恵みを思わせられた。牧師も僧侶も共にこの世と救いのリアリティを生きて来られた聖職者であられるので、その説くところを理解するならば大きな生きる力を得る事となると感じさせられた。亡くなられたお二人とも新型コロナ感染症ではなかったが、共に戦争経験者で戦後を立派に生きて来られた方であった。教会での葬儀は新幹線で新大阪を日帰りしたが、コロナ対策で各車両とも一席空けての座席であった。しかもスピードアップしたのぞみ号で片道2時間少々の旅であった。換気も十分との事でコロナ対策が呼びかけられていた。かつて岳父河田敬義が京大数理解析研究所で講義を始めたころ、集中講義で東京・京都間を新幹線で往復していたが、ある時同じひかり号に乗り合わせた。数学者の数式だけの講義録を垣間見たことがあった。今京大数理研から立派な学者を輩出していることに大きな喜びを感じている事だろう。

 

 

《慰めと励ましの言葉 82》より

 

                  牧師 中川 寛

 

 

      年末から新年にかけて自宅にこもりながら昨年を振り返りつつ、新しい年への展望を思いめぐらせていた。夏には東京オリンピック・パラリンピックが開催されるが、昨年のワールドカップラグビー以上の盛り上がりがもたらされることを期待したい。ラグビーの場合開催前の空気はまだ一部の方々に限られていたが、その成果は年末から新年へと引き継がれ、ジャパンの選手たちが有名芸能人扱いとなっている。その空気は新しい時代のものであるが、ラグビーのみならずさらにスポーツ文化が日本全体を押し上げる起爆剤となって行けばいい。ラグビーはその一つの事例を示しつつあると言える。ラガーマンたちの必死の攻防はほとんど日常目にするものではなかったが、決勝リーグ進出とともにその関心を持ち上げた。厳しい鍛錬の賜物と言うべきであろう。彼らの成果を見て誰も見かけのパフォーマンスだとは思わない。その成果も妥協の産物ではないと認識され受容されるであろう。私もラグビーの一端をかじった者として多くの事柄を教えられた。ベスト8に留まった結果は同時に多くの新しい文化的、社会的課題を投げ掛けたものであって、さらなる前進へのワンステップであったと捉えたい。ジャパンチームの目標は世界一であるが、そこにまで向かう道のりはさらに厳しい。これはワールドラグビーの世界一を経験した者にのみ語りうる事柄であって、その経験を持たざる者には各競技種目が違っても語りうるものではないと思われる。然しジャパンはぜひそこを目指して前進してもらいたい。

 

 

 

    大学選手権決勝戦はこれから行われるが、今大会は明治と早稲田の対決となった。両チームともに強力な外国人を入れているわけではないが、久々に正当な日本人的規律に見合う試合が観戦できると思われる。或いは早稲田の作戦に明大が後れを取るような思いもするが、強力フォワードの明大がウイングを走らせて得点する機会を持つかもしれない。明大選手の中にフォワード3番笹川大吾君が活躍している。彼は聖学院中学に入り一時菅平の合宿で一緒に過ごした時期があった。父親の勧めであったが1年生として練習試合に出した。体格は人一倍大きかったが、心の優しい生徒であった。言われた通りの働きはしたが、ハーフタイムで一人泣いていたのが印象的であった。父親も明治出身のラガーマンで二世誕生の思いであっただろう。コーチの言葉に従う誠実さを持ちつつ彼の涙は思い通りに行かない悔しさから出る涙であったように見えた。その後私は学校を定年退職し、彼は父親の勧めにより明中に進み明大4年生として活躍する事となった。久しぶりに明治の準々、準決勝を見ながら懐かしい顔を見つけて驚いた。そのパワフルな当たりと押しは見事なものであった。体格を生かしたスピーディーでパワフルな身の処し方だが、その走り方は中1時代から変わっていなかった。

 

 

 

     今日のスポーツマンには親御さんの理解と協力が不可欠である。さらに良いコーチ、指導者に出会うと間違いなく成長し大成する。60年前の私の時とは全く違っていた。高度成長経済の時代にただ働く事のみ優先された環境は、それでも実業団に入り、会社のPRの一役を担う者だけが持てはやされていた。親の理解が得られなかった私には、その道は親に対する反抗心としての部活にすべてをかけるしかなかったと振り返る。それでも私がラグビーを続ける事が出来たのは、仲間たちの支えがあり、スポーツとしてのラグビーの持つ荒々しさへの共鳴心であったように思う。今思うともう少しラグビーを学びつつ楽しめばよかったのだが、その余裕を持ってはいなかった。もし楽しんでいたならば同志社か関学に進んでラグビーを楽しんで牧師にはなっていなかったに違いない。

 

 

 

     確かにジャパンの選ばれた選手たちはワンチームとして素晴らしい成果を残してくれたが、メディアの狂演に左右されることなく、引き続き生活としてのラグビーが保証される環境が確立され、更に目標として誰でも世界に誇れる新しい文化を作り上げていってもらいたい。英国のラグビー発祥の理由の一つに、立派な社会のリーダーを育成することにあった。キリスト教的宗教文化とスポーツ文化が一体となる時、世界に誇れる国家の発展が見えてくると考えている。ラグビーに関わった経験を持つ若者は良い手本を自由に見る事が出来るので、高い目標を掲げて頑張ってもらいたい。

 

 

《慰めと励ましの言葉 78》 (桜台教会『月報12月号』より)

 

                      牧師 中川 寛

 

 

  秋以来ラグビーの話で恐縮だが、11月2日に南アフリカの圧倒的な勝利によって2019年度のジャパン・ワールドカップ・ラグビーが終わった。あの熱狂の後、多くのラグビーファン達はラグビー・ロスになったに違いない。毎週繰り広げられた各国のチームの熱い戦いは多くの俄かファンを産んだ。しかし多少ラグビーに関わった者も多くのロスを経験した。それは単に日本での大会がついに終了したと言う事ではなく、あの興奮を今後どのような目標に向かって練り上げて行くかという大きな課題を背負ったまま終わって、いま次の課題がまだ具体的に見いだせないでいるとの思いである。ラグビーファンが増えることはうれしい事だが、この歳では魅力的な展開を見せた世界の代表者と同じようにもう一度競技をすることは私にはできない。

 

 

 

  強くなるための練習は並大抵のものではない。勿論自ら進んで努力し強くなることは必要だが、ラグビーに関わるものはどれだけ自分自身と勝負し、どこまで目標を達成する事が出来るかが問われる。昔コーチをしていて初心者にラグビーの3Sなるものを教えたが、日々心して続けなければ大けがをする。スピード、スタミナ、スキル(技術・対処方法)である。

 

  

 

  私は子供時代から田舎育ちで良く野原を走り回っていたので足は早い方であった。小6年時には健康優良児候補として選ばれたこともあった。代表には私より太っていたK君が選ばれたが、中学時代には駅伝選手に選ばれ、練習中に赤いシャツを着て走っていたので野良仕事を終えた牛に追いかけられたこともあった。河内長野の田舎はのどかな田園風景が満ち満ちていた。おかげで順位はビリであったが私は区間賞なるものを始めてもらった。駅伝も面白いなと感じたが高校入学と共にラグビーに入った。中学からやっていたと言うだけで、スパイクもジャージもバッグに詰めて先輩に誘われるままランパスやキックを楽しんだ。入部した当初は知らなかったが先輩達の活躍を見ていてそれなりに強いチームだと感じた。事実夏合宿に入って公式戦のために激しい練習を続け、何度もフラフラになりながら頭にバケツの水を掛けられて我に返り練習を続ける激しさも体験した。今では考えられないことだが熱中症か熱射病か、木陰に佇んで水を掛けられて元気になった覚えがある。高2年の時から同志社ラグビー部現役の卒業生が来て百メートルのフォワードランパスを30分休みなくやらされたことを覚えている。人を憎むなと言われるが、黙って監視しながら走らせる威圧感には手応え出来なかった。スクラムも50回を数える程組ませられた。リーチ・マイケルが語っていたいわゆる根性練なるものであったが、おかげで練習より短い時間で終わる試合をしたくて仕方がなかった。たとい地方戦でも芝生の花園ラグビー場で試合が出来たのも、思い返せばOB達の経験による指導の賜物と感謝している。声を出すことと仲間への信頼を篤くすることは今も同様に指導されるが、それらはいつの間にか身に着いたラグビーの基本の一つであった。

 

 

 

  青春時代に激しい練習に耐える経験をしたことはその後の自信につながっている。常にいちばんを目指すことはなかったが継続してことを成す重要性を学んだようだ。無我夢中ではあったがラグビーをやるからには自分を鍛える為にも走り続けなければならない。ジャパンの稲垣選手が6年間代表でいてもアイルランド戦で初めてトライしたと話していたが、実に立派な態度であったと思う。仲間を信じて練習を続けることが思わぬ成果を生むこととなるのである。

 

 

 

  先日聖学院中高のOB達がラグビーアカデミーなるものを立ち上げて、合同チームではなく一校で公式戦に出場できるように現役生徒を指導してゆきたいと活動を開始した。20名を超える部員が確保されているのだが指導できる教員がいないとの事で、学校に迷惑が掛からないように芝生のグランドを確保して始めることとなった。すでに卒業生たちの息子の世代であるが、おやじたちが受けた指導に従って楽しく安全に活動を開始してもらいたい。

 

 

 

  実はラグビーの基本は仲間同士の連帯と信頼によって成果を勝ち取るゲームであることを身に着けることにある。華麗にステップを切るバックスの選手に注目が集まるが、ジャパンが掲げた「ワン・チーム」の標語の通り、ラグビーは15名の一人一人が各自のポジションの役割を責任をもって荷うことがなければ得点を得る事が出来ない。これは社会の各組織についても同じと言える。成功する会社はその各自の働きが良く理解され実践されて初めて成果を得る。互いに助け合う相互の信頼がなければ組織も成果も成功しない。社会人はまず目標を掲げて組織造りをし、その成果を共有する中で成長を遂げることとなる。各自はその為に自分の体力、能力、感性をどのように生かす事が出来るかを考え自覚すべきである。人がやっていることを同じようにすることは反って組織を破綻することとなる。人一倍働ける人はそれなりに感謝しつつ努力を継続しなければならない。手抜きや怠慢を排除しなければ良い成果を得ることはできない。突き詰めて言えばそれら一つ一つの成果はすべて各自の倫理観や思いやりに支えられているのである。その意味でも企業の大きな課題は人造りを最優先に考えなければならないと言う事であろう。

 

 

 

  日常的には子供への教育が重要である。IT化が進む中、子供たち自身が個人主義的環境に慣れ、一人で物事を行うことが多くなり、自己中心的にならざるを得ない。子供への教育は家族による集団の中で物事を体験させ、他者への配慮を身に付けさせる。絆を結ぶことが求められるが、他者のために喜んで手伝い、奉仕する習慣を持たない者は真に友情の絆を結ぶことはできない。台風後の釜石で試合が中止になった後、だれが指導したのかは告げられてはいないが、カナダのラガーマンたちが自主的に町の清掃に協力したボランティア活動は見事であったと思う。同様に千葉で活動したジャパンの著名な選手たちの働きも見事なものであった。それは勝ち負けを議論するスポーツ談議を超えた人間性に基づく美学である。

 

 

 

  日本人は昔からお客様でいることが当然と考えているが、本当の交わりは痛みを共有することにおいて結実し、成果を得るのである。私にとってのワールドカップ終了後のラグビー・ロスはゲームの続きが鑑賞できないと言う事ではない。試合を共に観戦した観客たちがその後各自の持ち場に戻って、あの共有した感動をどのように日常的に継続すべきであるかとの戸惑いを感じる所にある。トップクラスの世界のラガーマンたちが示してくれた魂と情熱のほとばしり出た大会期間中に示してくれた「All for one , One for all」の精神、「ノーサイド」のスピリットがどのように継続できるか、実践できるか、今一度日本文化の原点に立ち戻って深く志向する必要があるのではないかと思わせられている。

 

 

 

  11月半ば、私を育ててくれた恩師の葬儀のため大阪に出かけた。大勢の懐かしい方々にお会いしたが、家族ぐるみで親交を続けてくれたH家の方々にお会いした。中でも50年ぶりにお会いしたご次兄は私の高校の大先輩で恩師も同窓との事から話題のラグビーの話をしたところ、私が入学する10年前から富田林はラグビーが強かったと話された。翌日新大阪駅でまた不思議なことにジャパンのルーク・トンプソン選手にお目に掛り、図々しく高校時代花園の芝生のグランドで試合をした話と当時名ラガーマンであった宮地選手の話をさせてもらった。彼はにこにこしながら話を聞いてくれて、「また頑張るよ」と話してくれた。他の乗客は彼が誰であるのかわからなかったのか全く無関心であったが、確かにジャパンRUGBYの歴史が変わった。しかしそれが内実をもって社会に広く貢献できるためにはまだまだ長い歴史を必要としている。選手たちを讃えるならば彼らがラグビーを続けながら生活できる財政的保障が約束されなければならない。今後なお企業の財政的支援と貢献が深く望まれるところである。

 

 

 

 

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 78》 (桜台教会『月報11月号』より)

 

                  牧師 中川 寛

 

 

 

   920日から始まったラグビーワールドカップも残すところイングランドと南アフリカの決勝戦のみとなった。何れのチームも世界トップクラスの決戦にふさわしい試合を展開するに違いない。直接会場で試合を観戦するわけではないが、激しい肉弾戦と見事なパフォーマンスを展開してくれるに違いない。正直のところ中学生の時から高校卒業までラグビーの基本を身に着け、パス、タックル、セービング、スクラム等を教わるままに身につけただけであった。大阪の地方予選に過ぎないが、花園の芝生のグランドで試合を経験する事が出来ただけの事であった。56年後の日本で世界の強豪の試合を見る事が出来るとは想像だにしなかった。それでも男子校のチャプレンとして拘ったことで多くの生徒たちとラグビーを共にする事が出来たのは有難い事であった。無名のチームではあったが自分自身も大きな怪我をすることもなく楕円球と戯れる機会を持てたことは感謝の他はない。

 

 

   日本大会を通じてラグビー関係者の方々が様々な貢献を重ねられたこと、また大会期間中の今日まで世界中から賞賛の言葉を耳にする事が出来るのも直接的には無関係であるが関係者のご尽力に感謝を捧げたい。ラグビーというスポーツに拘った者から言えば誰にでもできるスポーツではないと言いたいところだが、興味があるなら中高生の時から楕円球に触れてみるのも良いと思う。他のどのスポーツよりもねちっこく、練習の厳しさは尋常のものではない。勿論試合ができる程になるためには体を鍛え、ルールを覚え、仲間と共に激しい練習に挑むことが求められる。実際経験を積んだ者にして初めて実感できるものであるが、練習の積み重ねが大きな感動を呼び起こすこととなる。その為には中学校高校と6年の継続が求められる。大学生にはほぼ大人の格闘技であるから余程の真剣さがなければ危険なスポーツである。しかし同好会程度なら楽しむこともできるだろう。

 

 

   言うまでもなくラグビーは英国のラグビー高校から始まったスポーツである。しかもその背景はキリスト教の倫理に裏打ちされてゲームが展開される。ルールは明確になっており、サイドラインの白線を踏むだけでアウトとなる。トライはゴールラインの上に手又は体をもってボールを置くだけで得点を得る。ゲームはたといボールを前に落とすノッコンの反則がなされてもアドバンテージのルールが適用され次の反則が続かなければ試合は有利なチームによって継続される。一回ごとの反則によってはゲームはストップしないこともある。自己犠牲を厭うことなくボールを有効に生かすことが優先される。さらに仲間を信じてトライに至るまでつなぎの継続がなされる。

 

 

   楕円球そのものがどこに転がるかわからないもので良く人生に譬えられるが、互いに信じてプレーを続けることもまた人間的つながりの大切さを暗示するものとなる。目標は唯一つ、トライを重ねて勝利する事であるが、各自の任務を果たしつつ、互いに協力し合って共通の目的を達成する事を目指す。これらは会社や団体の組織の有り様そのものであると言える。また試合が終わればノーサイドでゲーム中の激しい戦いは敵味方なく互いに褒め合い称え合う。勝つためには最大限の持ち味を分かち合う事が必要となる。不正を働いていてはとても続けられない。また悪意ある暴力も実力のなさであるがゆえにその力量がすぐに暴かれる。練習に耐え、規律に従ってゲームを展開する者には不思議と自信が支配する。激しいスポーツであるがゆえにスタミナの続かないと恥をかく。同様に技術や守備攻撃の戦略にはチームの知性が試される。勝つためにはあらゆる鍛錬を重ねなければならない。青年期ではあったがラグビーを通じて様々な経験を積む事が出来たように思う。

 

 

   高校に入って先輩から聞かされていたことは、ラグビーは英国の紳士のスポーツだという事であったがはるかにテニスの方が紳士的ではないかと思わせられもした。しかし英国のロイヤルファミリーが観戦に来る事実は歴史上それなりの上流階級の紳士に限定された紳士育成の要素があったのかもしれない。

 

   

 

   ラグビーは5項目にわたる特徴を掲げて憲章で明記している。守るべき規則として挙げられたものであるが、最近は良く取り上げられるようになった。1.品位(Integrity) 2.熱意(Passion)3.結束(Solidarity) 4.規律Discipline) 5.尊重Respect) である。私はラグビーを始めた60年前には一つ一つ教えられた記憶はないが、経験を積む中でなるほど欧米のプレーヤーたちは明確なラグビー哲学を掲げてスポーツに取り組んでいたのかと教えらた。

 

     最初の「品位」は人間が備えるべき人格の目標である。たとい一人で生活することがあっても品位を失した生活は人間失格である。社会生活における品位は特にラガーマンが心掛けるべき徳目である。ビールに溺れることがあってはまず人として失格である。聖書的には高潔な人生が良とされる。その完全な姿はイエス・キリストに模範を見る。

 

     第2の「熱意」は情熱と共にキリストの苦難を意味する。単なる情熱ではない。不思議なことだがすべてのラグビー経験者は苦しい戦いを通してこの熱情のとりことなる。この熱情は半ば病的なものである。しかし経験者だけが知る人生の歓喜を獲得する事が出来る。同時に同じ釜の飯を喰った同志は生涯に亘る無二の親友となる。これは同じ痛みと苦しみを経験した者のみが知りうる特権である。

 

     3番目の「結束」はチームの形を表す。「連帯」とは死を共有することにおいて語られる言葉である。それ以外は意味をなさない。昔70年代の学生運動でよく使われた言葉だが、体の大きい私はデモの最前列にいたことがあった。多分全学連の活動家の一人であったと思われるが、皆スクラムを組んで気勢を上げていた時、横にいた学生活動家が強く握るな、機動隊が来たら逃げられないではないかと激しく言われたことがあった。その時以来私は活動家を信用しなくなった。またデモに行くことも運動の尻馬に乗ることも止めて自分の道を進んだ。しかし共に苦しい練習を積み上げたラグビーの仲間は生涯の友人として尊敬している。彼らは決して逃げない。いま家族においても日本社会否世界で求められているのは平和と自由を勝ち取るためのこの「結束」であると言える。信仰も一時の気休めでは力にならない。これは苦しみを共有することによってしか得られない法則である。

 

      第4番目の「規律」はキリスト教教育の本質を語っている。規律を身に着けつける基本は「モーセの十戒」である。幼児期から正しい戒めと掟を知る者は後の人生を自らの手中に収める事が出来る。キリスト教精神がなければ規律は名目だけになり実質が伴わない。日本社会がどれ程崇高な憲法を有していても、日本人の心が伴わない時、多くの偽善者を輩出する社会に成り下がってしまう。創造者への目覚めと尊厳をもって初めて規律による社会維持が形成されるのである。ラグビーの世界最高のゲームにおいても規律が守れない時ペナルティーが発せられる。これを若い時に身につけなければ最も活動しなければならない時に足元をすくわれて失敗する事となる。多くの場合、人はその心に倫理的道徳的価値基準を持ち、その意志判断によって行動を決するが、その真偽の確かさを知っているのは自分自身である。「規律」の正しさは若い時からその意志を持ち続けて自分のものとし確認することが求められる。これは人生や組織を勝利に導く鍵となるものである。これらが整った時必ず人は勇気を得て勝利を獲得する事となる。ラグビー・ジャパンはようやくその入り口を歩き始めたと言えるであろう。

 

     第五番目の「尊重」は後から付いて来るものであって一からそれを求めても勝利につながらない。試合の最中は死に物狂い、猪突猛進でなければならない。

 

 

 

 

ー転載記事ー

 

「ラグビーを超えた出来事」、南アのレジェンドもW杯制覇に感無量

 

2019113 12:50 発信地:ロンドン/英国

 

 

 

113 AFP】ラグビーW杯日本大会(Rugby World Cup 2019)で南アフリカが優勝したことについて、スプリングボクス(Springboks、南アフリカ代表の愛称)のレジェンドであるブライアン・ハバナ(Bryan Habana)氏が、母国にとってはラグビーを超えた出来事だと話した。

 

 南アフリカは2日に行われた決勝で、イングランドに32-12で勝利して3回目のW杯制覇を達成。数十年にわたって黒人選手をラグビー界から締め出してきた国で、初の黒人主将であるシヤ・コリシ(Siya Kolisi)がトロフィーを掲げたことも印象的だった。

 

 同じく優勝した2007年のフランス大会でイングランドを下したハバナ氏は、英民放のITVで、コリシがチームを引っ張る姿を見て多くの国民が勇気をもらったはずだと話した。

 

「すべてをのみ込むには少し時間がかかりそうだ。最高の夢っていうのは、こういうことを言うんだろう」「トロフィーだけでなく、南アフリカの全ての人の心に永遠に刻まれる瞬間だ」「南アフリカに希望を与え、国民を勇気づけたシヤ・コリシにありがとうと言いたい」

 

 南アフリカは1995年のW杯で初めて優勝した際、同国初の黒人大統領である故ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)氏から白人主将のフランソワ・ピナール(Francois Pienaar)へトロフィーが手渡されたが、その歴史をなぞるかのように、コリシがこの日まとっていたのはピナールと同じ背番号6のジャージーだった。

 

 ITVのインタビューに少しだけ登場したコリシは、ハバナ氏とがっちり抱擁を交わしてから、「この優勝は希望を与える。自分がこんな経験をできるなんて夢にも思わなかった」「子どもの頃は、次の食事にどうありつくか考えるので精いっぱいだったんだ」とコメントした。

 

 また父親を試合に招待したことについては「人は自分の育った場所や、助けてくれた人のことを決して忘れられないものだと思っている」と、一種の恩返しだったことを明かした。

 

 ハバナ氏は、この優勝が南アフリカとラグビーの転換点になってほしいと話している。

 

「ラグビーをはるかに超えた出来事になるだろうし、国で試合を見ている新しい世代のためにもなる」「シヤのストーリーと、彼のこの7年間の旅路を目にすることができて、本当に格別だ」

 

1年半前には(優勝が)難しいように見えたチームを、一人の男がよみがえらせるのを見られたのは、またとない経験だった」「彼を先頭に、このストーリーが長く続くことを願っている」 (c)AFP/Pirate IRWIN

 

※1995年、エリスカップを持ってマイクの前で全世界に向けて最初に『我々はフランス・ユグノーの末裔であるぞー」と興奮した言葉で発したキャプテンがフランソワ・ピナールでした。私は深夜テレビ中継を見ながら驚きをもってこの言葉を心に留めた。その後南アに出張すると言う教会員で元日銀下関店長に真偽を確かめてもらって確証を得た。今年南アに新しい歴史の一ページが開かれたことをともに喜びたい。

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 77》 (『桜台教会月報9月号』より)

 

               

 

                         桜台教会牧師 中川 寛

 

 

 

   旧暦七十二候によれば九月一日は第四一候「処暑次候」にあたり、天地始粛(てんちはじめてさむし)と呼ばれ、暑さも落ち着き虫の音が響くとされている。異常気象と言われる夏も終わりを告げ、秋の爽やかな気候が待ち遠しい。しかし秋はまた物価高と増税実施で経済の先行きが懸念される。不況の継続が人間関係を歪め人生を狂わせているとしか思えない。八方塞がりの時代ではあるが希望を捨ててはならない。日々の積み重ねが新しい道を開く。高齢化と共に活力の無い日々を送るようでは希望も喜びも減退するであろう。季節の変わり目と共に新しい決意をもって再出発する時である。

 

  米国の教会では九月第一日曜日を振起日Rally Day(ラリーデイ)と呼び、信仰を奮い起こし教会生活を回復する特別の日曜日として礼拝を守る習慣を持つ。ラリーは目的をもって呼び集め、結集することを意味する。米国では広い意味で用いられているが、大統領選挙に先駆けて各地で開催される各党の集会をラリーと呼んでいる。キリスト教会ではキリスト者の再出発の時として信仰を再度奮い起こすべき時としてこの習慣を取り入れている。

 

   

   この夏久しぶりに菅平に出かけた。中学ラグビー部員激励の為であったが、OB達も協力してくれて良い合宿となった。9月20日からラグビーワールドカップが開催され、日本各地で試合が展開される。ラグビー愛好者にとっては夢のような感動の時であるが、ジェイミー・ジョセフHCのもと、前回以上に日本中を湧かせる成果を上げてくれると期待したい。私も中学時代の担任からはじめてラグビーを教わったが、高校時代の成果を基礎に聖学院中高で多くの仲間を得た。どのスポーツにも若者を育成する要素があるが、この歳になり、人生を振り返ってラグビーから多くのものを学んだことに感謝している。おそらくスポーツの中ではトップクラスの激しさを持つ競技であろうが、高校時代に曲がりなりにも花園の芝生のグランドではじめて試合を経験したことは忘れられない体験であった。おまけに試合の後シャワールームで入浴までさせてもらったのは試合に負けても忘れられない思い出である。

 

 

  

   クリスチャンはすべてを神まかせに生きる盲信的信仰者ではない。受洗と共に入信の感動は忘れてはならないが、日々信仰の学びを継続するものでなければ魂は枯渇する。良き仲間と切磋琢磨することが信仰者として恵みに生きる成功の秘訣である。異教の地日本においてはキリスト者としての人生を貫徹することは余程の意思が無ければ成し遂げることはできない。その為にはやはり教会生活を継続する事が求められる。信仰生活は趣味や一時の関心では得られない。その情報も世界史的視野に立って欧米の教会史に学ばなければならない、海外であちこちの教会や絵画を見学してその国の信仰の歴史を感じ取ってもらいたい。南仏ニースのシャガール美術館には聖書を題材にした沢山の絵画がある。私はまだ行ったことがないのだが、家内が土産に持って帰った美術館のパンフレットにシャガール自身が”聖書のメッセージ“と題して次のような文章を載せている。少し長いが引用しよう。

 

    『まだほんの子供の頃から私は聖書に夢中でした。私にはそれがいつの時代にも一番大事な詩の源泉のように思えていたし、今でもそう思うのです。この頃から私は人生と芸術の中にその反映を探すようになりました。聖書は自然の響きのように思え、だから私はこの秘密を伝えようとしたのです。人生には、私の力に応じて、時折自分が全く別の何者かのような気がすることがあります。まるで私が空中に生まれたかのような、そして世界は私には広大な砂漠のようなもので、その中を私の魂は松明のように漂っているという風に。私はこんなはるかな夢に結び付けて、これらの絵をかきました。人々が安らぎや精神性、宗教心、そして人生の意味を見い出せるように、私は作品をこの「家」に残そうと思いました。

 

    私の考えとしては、これらの作品には、一つの民族の夢ではなく、人類の夢を描いているのです。作品を解説するのは私ではありません。芸術作品はそれ自身が表現していなければならないのです。人々はよく作風について、どんなフォルム、どんなムーヴメントで色を置いたかというようなことを話しますが、この色というのは生まれながらのものです。作風や色をのせるフォルムによるものではありません。筆づかいでもありません。それはあらゆるムーヴメントを超越したものです。すべてのムーヴメントの中から、生まれながらの色をもった非常に稀なものだけが歴史に残ります。・・・そしてムーヴメントは忘れられるのです。

 

   絵、色、こういったものは愛から生み出されるのではないでしょうか。絵は我々の内部にある我々自身を反映し、筆づかいを越えてしまいます。筆づかいなんて何でもありません。色は線を伴ってあなたの性格、あなたのメッセージを表現するのです。 もし人生が終焉へ向けて進んでゆくのが必然なら、その間に我々は愛や希望という色で自分の人生を彩らなければなりません。この愛の中には、人生の社会的道理や、それぞれの宗教の本質が存在します。私にとっては、芸術と人生における完成は聖書を源泉としています。この精神がなければ、芸術にあっては必然の創造のメカニズムも、人生と同じように実りをもたらしません。おそらく、私の色や線が夢想しているような愛や博愛の理想を求めて、若者やいろんな人がこの「家」を訪れる事でしょう。私が何に対しても抱いているこの愛の言葉を多分ここでつぶやくでしょう。もはや敵もいなくなることでしょう。愛から、やっとの思いで子供をこの世に誕生させる母のように、人々は新しい色合いの愛の世界を築くでしょう。そしてどんな宗教を持っていてもだれもがここへ来て、悪意や扇動には程遠いこの夢を語ることができるでしょう。私はまたあらゆる民族の高い精神性が表現された芸術作品や資料を展示し心が書き取った詩や音楽が聞けることを願っています。この夢は可能でしょうか?芸術の中では人生と同じようにすべてが可能なのです。もしそこに愛があるならば。』(マルク・シャガール)

 

 

  

   流石に著名な大家の文章であることを思わせるが、信仰者の生き様も同様である。神に愛されて愛に生き、愛に目覚めて人生が成熟し成就する。その基本は幼少期の教会生活にある。宗教的なものというだけでは足りない。人生の終極が亡霊をもって浮遊する日本的宗教やプリミティーブな自然宗教にはアガペーに相当する犠牲的贖罪愛、無償の愛は存在しない。聖書的犠牲愛は固有のものであって早い時期からその根本的愛に馴染むことが求められる。人生経験が豊かになればなるほどその有り難さが自覚される。シャガールの文章には永遠の愛に全幅の信頼を寄せて生かされている確信が述べられている。差別と偏見、歴史の重圧の中で生きてきたユダヤ人の魂の誇りが脈々と波打っている。日本人は早くこの永遠なるものに目覚め、この福音の中に自己の存在を位置づけて生きる人生観を確立しなければならない。

 

  

   ラグビーワールドカップは主に欧米の伝統文化に生きた民族の祭典であると言える。南米、アジア、オセアニアの国々も欧米の指導者たちによって今日の基礎が築かれた。単なるフィジカルの強さだけでなく、緻密な計画性をもってトライを取りに行く各選手の相互のモチベーションが勝敗に結びつく。どのような組織も共同体も、同じ目標をもって生きる団体であるならば、この競技の持つ特性はかならず各組織に大きな成果を与えることとなる。日本はその特質をどこまで自家薬籠中のものとしているか。それを見る機会が自国開催の日本に与えられているのは最高の機会である。この有り難さに感謝したい。

 

桜台教会月報

 

《慰めと励ましの言葉 76》 

 

                 

        牧師 中川 寛

 

 

 

    昨年から左股関節の痛みが激しいので新年を迎えたらぜひ右足と同様に手術を受けようと予定していた。ところが今回も血糖値が高い、心臓に雑音がある、血圧も高いとの事で手術入院前に10日間の検査入院を命じられた。特別にインシュリン注射をする訳でもなく、食事制限と運動強化の日々でヘモグロビンa1cの値も血圧も下がった。心臓の異常も手術には大きな影響はなさそうであるとの事で、再度整形外科の名医の手術を受ける事となった。すでに2001年9月に緊急入院して以来5度目の入院である。忙しい病院内のドクターからは私たち以上に病院内に詳しくなったでしょうと言われる。それほどでもないと思いつつ、今回は大きな発見があった。

 

 

 

寒い雪と雨の翌日朝食をとりながらふと北の山々を眺めていたら遠くに高い山が二つ見えた。筑波山は方角が違うし、武甲山はもっと北西だと思っていたが、地図と見比べて日光男体山とその北に位置する女鋒山であることが分かった。ともに2500m程の高さで、まさか板橋から見えるとは思わなかった。晴れた一日であったので夕方までうっすら見えていた。入院中ではあったが次々に部屋に来る看護師さんたちに紹介した。すでにご存じだと思っていたが、皆さん初めて見たと興奮された。私も半ばビルしか見えない都会の病院だとあきらめていたが、北の雄大な山々であることを発見して大いなる感動に支配された。子供たちを連れてよくドライブしたこと。皆成長して立派になっていること、家族の悲しみもあったが無邪気な子供たちとともに春夏秋冬の原野をめぐり、歴史に学び、自分の来し方を振り返ってしばし感謝にあふれた。病院は孤独に耐え、痛みに耐え、回復を願いつつ医師の処置に身をゆだねて頑張っている方々ばかりである。夜になると奇声を発するご婦人、「お父さーん」と繰り返すご婦人,癌の手術を受けて互いに症状を報告しあう患者さんたち。食後の談話室では看護したドクターの対応の悪さをなじって電話で家族に訴える立派な紳士。突如恐怖におびえる寝言を大声で発する同室の患者さん。食事を今か今かと待ち続ける老婆の患者さん、在日のご婦人の怒鳴るような大声…。まったく社会の縮図そのものである。そんな中黙々と看護にあたる奉仕者たち、若いドクターたち、全く頭が下がる思いである。

 

 

 

苦しみの中にいる方々へ

 

【2月24日説教用紙から】

 

 

 

青天の霹靂-ヨブの場合

 

   聖書に於ける大文学書はヨブ記である。人生の根本的な真理と道理が描かれている。この文学書を早くから読み、理解する者は必ず人生の苦難に勝利する。ヨブ自身は創作上の人物であるとはいえ聖書においては全き義人、神を信じ、神に全幅の信頼を置いて生きる信仰者である。彼は人の幸不幸をすべて経験した。人間とこの世の成り立ちを全て見極めた。彼の友人達もまた遠くからやって来て彼の不幸を慰めた。

 

 

 

2章末には『ヨブと親しいテマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルの三人は、ヨブにふりかかった災難の一部始終を聞くと、見舞い慰めようと相談して、それぞれの国からやって来た。遠くからヨブを見ると、それと見分けられないほどの姿になっていたので、嘆きの声をあげ、衣を裂き、天に向かって塵を振りまき、頭にかぶった。彼らは七日七晩、ヨブと共に地面に座っていたが、その激しい苦痛を見ると、話しかけることもできなかった。』と記している。友人の名前はそれぞれ啓示、伝統、常識を意味する名称であると言う。強い絆で結ばれた友人関係、人間が築き上げた知恵の宝もヨブの苦難を解決できなかったことを表す。それでもヨブは神への問いかけを止めない。人生の様々な出来事は苦難を含めて永遠に個人を苦しめるものではない。人を生かす力がある。それを見極めることが良い人生を生きる力になり、究極の宝の発見なのである。ヨブ記は人生を悲劇とは見ていない、無価値であるとも言わない。神の発見が人を生かすものとなると教える。あさはかな知恵、教訓に騙されてはいけない。消えゆくものに価値を見いだしてはならない。人を亡ぼすものに頼ってはならない。

 

 

 

たとい多額の借金を負うことがあっても。神の存在はなお新しい価値を提供する。もちろん体力がなければ神を求めることもできないが、ある成功者は良い人生を歩むためには体力、信仰(哲学)、絆である語っていた。その通りである。教会生活は人生哲学を学ぶことが無くては力にならない。私は今痛みに耐えてリハビリに励んでいる。私の心配はただ一つ今年度教会会計が満たされることである。教会生活は他人事ではやってゆけない。キリストの恵みを体得して世界史に負けない教会生活をすることが私たちの目標でなければならない。役員の方々も苦労してくださっているが、予算は必ず満たされると確信して祈っている。多くの教会生活をほったらかしにした偽善者に目を向けることはやめなければならない。新年度も大きな希望を抱いて教会活動を前進させましょう。祈りとみ言葉の研鑽を続けて努力しない者は、残念ながら人生の落後者にならざるを得ない。それは誰も振り向かない失格者の道である。しかしたとい少数者であっても信仰生活を全うするキリスト者は『善かつ忠実なしもべ』として永遠に讃えられるのである。 

 

 

 

 

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 74.75》 

 

                  牧師 中川 寛

 

 

 あっという間に木枯らしが吹く季節となった。今年の教会の庭は草取りが出来ずに雑草が茂っていたが、それもほぼ枯れてしまった。体調が思わしくなく、昔ほどの元気が出なかったので草取りの意欲もショゲテしまった。教会も働ける人が少なく、礼拝に来たついでに草取りや掃除をして下さるのはありがたいが、日曜日の礼拝を守る意識が消えて、熱心に汗びっしょりになって奉仕して下さる。これは本末転倒なので、日曜日の礼拝を守る事に集中していただきたいと話した時もあった。しかし高齢化と多忙さのゆえに礼拝出席者も限定されて様々の分野で教会形成にガタが来ている。そんな中、友人の誘いもあり思い切って家内と「スペイン研修旅行」に出かけた。私にとっては全く未知の世界なので家内の準備したスケジュールに従って各地を歩いた。

  

    一口に「スペイン」と言っても行く先々は元独立王国であった地域で、その古い歴史を垣間見る事が出来た。アジアの極東日本からイベリア半島の西の端スペインまで、かつて支倉六右衛門常長は180名の随行員を従えて太平洋からメキシコを横断し、アカプルコから大西洋を越えてイベリア半島迄約一年の船旅をしたことを思えば13時間でマドリッドに就くことは大したことはないと言えるかもしれない。しかし私にとっては久々の長旅であった。飛行機や新幹線、バスで回ったスペインは改めて大きな国であると感じた。友人のスケジュールに従って109日に南のグラナダで会うこととなり、マドリッドに着いた翌日朝8時半市内のアトーチャ駅から高速列車に乗り、コルドバからバスでグラナダに向かった。その間広大な大地にオリーブ畑が延々と続き、改めてオリーブを中心にした農業国であることを知った。

 

    約束通りに午後2時半彼女はグラナダのバスターミナルで待っていてくれた。高速道路を走るバスでありながら、途中各町に降りて行くので各停バスを間違えて選んだと後から知らされた。しかし高いシェラネバダ山脈を遠望しながら山の上にある要塞型の大教会、修道院に興味を持った。これらはすべて14世紀に繁栄したレコンキスタ(国土再支配)運動の結果生まれたものである。12世紀まではイスラム教徒の支配下にあり、イスラム文化が支配していた地域である。今もモスクがあり、またユダヤ人が多く、シナゴーグが置かれている。友人が世話してくれた宿はアルハンブラ宮殿のすぐ下にあり、古くから石畳の狭い道が連なり、小型タクシーでなければ通れない、しかし城壁を再利用して作られた静かな石作りの素晴らしい宿舎を準備してくれていた。

 

    丁度2時から5時まではシエスタ(昼休み)であったため宿舎入り口はロックされていたが、事前にもらった数桁の番号を打ち込むとドアが開き、受付カウンターに部屋の鍵と案内書が置いてあった。ホテルというより学者の保養所の雰囲気で、屋上の共同テラスでは皆静かにパソコンをしたり読書をしたりする人々が他の人に迷惑をかけないように過ごしていた。部屋に入ると居間にキッチン冷蔵庫には赤白のワインと果物が準備されており、行き届いた宿泊者への配慮に感心させられた。小窓を開くと涼しい風と共に、壁に掛ったアルハンブラの絵画のようにきれいな本物の宮殿の様子を見る事が出来た。少し休憩し、夜又待ち合わせることにしたが、グラナダの王室礼拝堂やカテドラルを一部見学し、ミサにも参加した。世界中からの観光客で大通りも人でいっぱいであった。日本人もアルハンブラ見学を兼ねて大勢来ていた。古いイスラム文化とローマから入ったラテンキリスト教文化が融合し、独特なアンダルシア・イベリア地域の芸術を楽しむことができた。イスラム教の深遠な宇宙観と精巧な幾何学の文様はやはりその色彩と共に感動を呼ぶ美しいものであった。翌日朝からアルハンブラ宮殿を見学してその混合の文化的価値を体験する事となった。

 

    実は家内の叔父が東北大学建築科教授であった時、彼はフェノロサの研究家であったが、アルハンブラ宮殿に行った話を聞いたことがあった。家の建築の為の設計してくれた人だが、木造でありながら二階のベランダは柱が多く、アルハンブラ様式を想像させるものである事を発見した。玄関から居間に入る扉は上部が半円形で、玄関の外の壁にはギリシャローマの裸体彫刻を模した小さなタイルの彫像が張ってある。これらはすべて叔父が見てきた西洋の建築印象の一部を取り入れたものではないかと思われる。イスラムの造形を見て、バルセロナのサグラダファミリアの建築にガウディが基本的なところで継承している様子も良くわかる。天上に輝く太陽や天空や空中を支える柱の用い方の原型が古いアルハンブラの伝統芸術であることがよく分かった。高台にありながら水路を利用した庭園や畑の水利もヨーロッパの宮殿が後にまねたものであることも推測される。世界の著名な建築家たちが深くアルハンブラ宮殿を訪れて思索したことも知られている。ここを訪れて新しい発見を、工夫をした人々が世界で天才的な働きをしているのは言を俟たない。

  

グラナダの大聖堂もスペインが支配するようになった600年前から信仰の深さと共に作り上げられてきた大聖堂である。絵画、彫刻、パイプオルガン、ステンドグラス等々歴史を経てもその伝統的な美は今日においても堂々としている。パイプオルガンも桜台教会のものと比較できない大きさであり、音色を発する。王家がそこで冠婚葬祭をする大きなものである。

 

    感動の内に高速バスでセビリヤに移動した。この町は大西洋側のポルトガル・リスボンを超えたジブラルタル海峡に近いグアダルキビール川の中域にある。かなり川幅のある大きな川で、セビリヤの町はこの川の海運業によって栄えた。コリア・デル・リオの造船業、漁師の住む小さな町であるが、1613年支倉常長一行もこの川を遡ってセビリヤに滞在した。6年後11名の随行の家来たちはこの町に留まり、ハポン(Nihon)名でその子孫たちが活躍している。大航海時代の世界の戦利品が集められ、セビリヤはスペインで最も栄えた町となっていた。夕方4時であったが、セビリヤから15キロ南に下ったところに支倉の銅像が立っているので、バスターミナルに出かけてリオ行きの高速バスに乗った。運転手は川まで行かないと言ったが、それ以後はタクシーに乗っても大したことはない。リオに一番近い停留所で降りたが、そこから川沿いまで延々約30分、汗びっしょりになりながらスマホ片手に歩いた。その銅像を見た時には、無言のうちに『400年後、プロテスタントの日本人牧師があなたに会いに来ましたよ』と呟いた。本物のキリスト教に触れ、洗礼を受けたにも拘らず、キリスト教禁教令で苦労されたあなたに代わって、私は宣教の使命を全うします、と約束した。2013年現皇太子徳仁親王殿下が植樹されたと言う記銘碑は残されていたが、タイルで囲われた桜の木の植樹跡だけがあった。訪問する人もほとんどない支倉像を写真に撮り、繁々と観察する私たち夫婦に興味を持ったのか、12,3歳のスペインの女の子が近寄って来て何をしに来たのと話し始めた。女の子たちはスペイン語で話していたが、家内がフランス語がわかると言うと楽しそうにフランス語で自分たちのことを話しかけてきた。将来はパリかロンドンに留学すると言って自慢していた。帰りはタクシーでバス停までと思っていたが、幸いセルビヤ行きのバスのあることが解りバス停でそのバスを待って、まるで観光バスのように周囲を楽しく観察してセルビヤの町に着いた。終点の合図があるだろうとずっと座っていたら、来るときに見た景色を又見て不思議に思っていたら、巡回してリオの方へ戻ると言われ、しばらく行って飛び降りた。修道院を兼ねた大きな教会をバスの中からではあるが4度見る事になった。でも無事に宿に戻った。

  

 

 

 

 

 

 

 スペイン旅行で2千枚以上の写真を撮り、その整理に時間が書かている。写真と共にスペインの歴史を学びつつ、彼らは「世界はわが海」との自覚をもって大航海時代以来の植民地政策を続けてきた人々であることが良くわかる。歴史的にはセビリヤの町北方20キロに位置するイタリカの町かで発見された遺跡の発掘によりその存在が明らかになった。紀元前2世紀ごろローマ人がこの地に移り住んでローマ帝国時代にはローマ五賢帝の内2人の皇帝を出している。トラヤーヌス帝と彼に続くハドリアヌス帝である。彼らは紀元94年から138年までローマを統治した。キリスト教徒を迫害したネロ皇帝やドミトリアヌス帝時代の悪政ではなく、共和制をもって平静を保ったと言われている。すなわちイベリア半島はローマ帝国は西の端にはあったが未開の野蛮人が住む地域ではなかったのである。その証拠に中東に多くあるローマの遺跡が同じように発掘されている。昔カイザリアの町で見た円形劇場やコロセアム、兵士たちの住宅後、大浴場や農園・庭園などきれいに整備された区画が発見されている。使徒パウロがイスパニアへの伝道を願っていたことがローマ書の末尾に記しているが、そこは昔「地の果て」と言われた地であった。しかしローマは一つ。ローマ帝国内の建築物は英国・フランス・スペイン・中東・コンスタンチノープル(イスタンブール)においても同じ様相である。二人の皇帝を輩出している歴史から、彼らの魂には誇り高い世界人の意識が溢れている。

 

  スペイン王国はその紋章に記録されている通り、カスティリャ王国(城壁の紋章・「カステラ」の語源とも言われる)、レオン王国(ライオンの紋章)アラゴン王国(縦赤色のカーテン風紋章・スペイン東部に位置し、地中海に面してバルセロナ・カタルーニャを含む地域)、ナバロ王国(鎖の紋章・北東スペイン、ピレネー山脈に近く、フランス国境に接している。19世紀にセビリヤ大聖堂内にキューバから移転されたクリストファー・コロンブスの遺骨を覆う棺がスペイン四連合王国の紋章を付けた王たちによって担われている。実に大きく立派な鋳金像であったので大変驚いた。しかしスペイン王はその事実の偉大さを各地にたたえて、コロン物の偉業を継承している。

 

     欧米のルーツが多くはスペインに起因していることが良く分かったのは歴史と文化の足跡を見れば明らかであるが、とりわけフランスのブルボン王朝を発展させ、ナントの勅令をもってフランス国内のプロテスタントとカトリックの和解を実施したナバロ国王アンリ(フランス国王アンリ―4世)であった。後にルイ王朝を築き、ルイ14世は太陽王として君臨した。彼が始めたヴェルサイユ文化は今日も第一級のフランス文化財である。因みに桜台教会のパイプオルガン製作者ダニエル・ケルン氏はあえてオルガン上部の金の飾りとしてルイ14世の用いた桜の紋章を取り付けてくれた。

  

英国やドイツはスペイン繁栄後の文化を誇っているが、米国や南米の文化の多くはスペイン文化の継承であると言って良い。「世界を我が海」と称して一帯一路政策を掲げる新興国は、その野望において恐怖を覚えるが、その政策は借金地獄にして統治権を奪い、国土を拡大する卑怯なやり方であって、新興諸国はその餌食にされている。それは武力をもって植民地化を狙う大国の凶暴主義と同じだと言えなくもないが、全く違うところは健全な宗教無く政策優先で覇権主義を振る舞うところである。レコンキスタの再征服と理解されるが、キリスト教文化の優位性を覆し、また否定して大国意識を振りかざすのは愚の骨頂である。福音に裏打ちされて歴史と文化が育成される時、世界は希望に満ちた社会となる。その福音が人を生かすまことの力とならねばならない。それは教会の務めに掛っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 73》 

 

            (桜台教会月報9月号より)

                         

                                                  牧師 中川 寛

 

   先日あるニュースで知ったことだが、日本のメディアも大変な偏向によりフェイクニュースが垂れ流されている。嘗て米国大統領選に際して、CNNを中心とするメディアの経営者は視聴率を上げることが会社の使命であると明言し、反トランプのキャンペーンを張った。今もなおその姿勢は随所に示されているが、大統領はかつての指導者たちを批判しつつ、虚偽の報道を厳しく批判しつつ、自らのSNSを通じて直接国民に語りかけ、政府の広報をもって政策を開示している。国際関係においてもその姿勢は直接的二国間協定を打ち出し、貿易不均衡の是正を強力に推進している。関税の不公平を是正するために古い多国間で決めた協定をあえて破棄する米国の方針は、必ずしも同盟国に受け入れられている事ではないが、しかしこの姿勢は公正に国際関係を打ち立てようとする新しい指導者たちによって世界で支持されてきていると言う。核削減の協定も矛盾のある件については敢てその同盟から脱退する。イラン問題もその流れに沿って、陰でこそこそ闇貿易や闇取引で経済を潤すことを遮断するために、同盟国を離れて単独で制裁を加える方式をとっている。「国連(UN)」についても手厳しい。資金の援助は断ち切り、正当な努力をしないで援助を求める国々を許さない。その意味で世界は再編されつつある。「NATO」問題も米国依存一辺倒を是正するためにいち早く十分に資金を出さない国々を批判した。また陰で甘い汁を吸おうとする指導者を厳しく糾弾している。ある意味世界の指導者たちに直接的に変革を迫っているのである。

  

   現在一番ホットなニュースは北米自由協定(NAFTA)に関することであり、メキシコの経済が大きく成長し、米国との関係改善が最大限に進んでいると言う。メキシコの新大統領エンリケ・ペーニャ・ニエト(通称アムロ)は7月の大統領当選以来、ギャング、殺人、麻薬の横行する中で最大限の改革を行い、経済的繁栄と共に大統領の給与半減を打ち出し、警護員の削減と様々な公正を指導し、メキシコに第二の革命が起きたと国民から多大な支持を得ていると言う。国境の壁問題も話題にされることなく、中南米からの不法入国者も厳しく取り締まられていると言われている。続いてカナダも米加二国間の直接的話し合いにより経済的にも成長すると予測されている。かつて中国の勢いそのままに親中国政策をとって失敗したオーストラリアも中国の「一路一帯」構想に騙されることなくその改善に大きく動いていることが報告されている。日本は直接的な言動は聞かれないが、政府は色々画策しつつ国際関係を見据えて同盟国外交を盛んに行っている。

 

   トランプ大統領を支える各大臣代表は共に教派を超えてクリスチャンであることを表明している。米国連代表のニッキ・ヘイリーは自らが福音派のクリスチャンであることをイスラエルにおいて表明し、米国の政策をトランプ大統領と共に積極的に改革する姿勢を宣言した。嘗ての似非パレスチナ援助を廃止し、二国間同士の実のある援助を実施すると話していた。一方的な国連加盟零細国への資金援助は民衆の救済にならず、反って戦いのための武器製造であった。戦火拡大のための反イスラエル構想の教育に使用され、テロリスト育成の一助となっているとの反省である。国連一辺倒でやってきた戦後日本の姿勢もその実態については、太平洋戦争の反省に立って、言われるままに資金を提出し、戦争仕掛け人の汚名を拭い去るべく盲目的民主的日本人の姿勢を貫いてきた。しかし世界の何が真の平和共存であるかを問うてきたことを踏まえて、将に戦後の一大総清算を行う時に来ていると言える。日本の問題は戦争責任に拘泥しつつ、アジア諸国、中でも戦争をしたことのない中国共産党の支配と韓国・北朝鮮による扇動活動にいかに対応するかが問われている。戦争の傷跡は被害国、加害国を問わず歴史を超えて絶えず話題にされている。それは今後も責任をもって負わなければならない。戦後は歴史を通して忘れ去られるものではない。今を生きる人間がなお将来に向かって負い続けなければならない罪の償いである。

  

 今年は明治維新150年を迎え様々な維新の功績が評価されている。しかし150年前とは言え明治維新も多くの悲劇を生んだ。特に戊辰戦争に代表される会津の悲劇は今日も随所に散見される。「勝てば官軍、負ければ賊軍」と語られた戊辰戦争の影響は負けた多くの奥越連合において今日もその負の影響が残されていると言う。戊辰戦争で戦死した奥越の人々の記念碑はおろか墓も不明である人々が多いと言われる。数年前まで会津の人々は賊軍であるゆえに道を歩く時も真ん中ではなく、端を歩くようにしつけられていたと言う。戦後生まれの私は戦後民主教育を受けた一人として国民平等思想に育てられた。賊軍は道の端を歩けなどと聞いたことはない。しかし会津の古老の人からその事実を耳にして改めて戦争の重さを感じさせられた。

  

   日本人は今後どう生きるか、国家はどう形成されなければならないか。少子高齢化の中で先細りの日本が語られ、そのために外国人移入が議論されるが、すでに日本での外国人移入は来日観光者数だけではなく、怪しい人々はいても30万人を超える資格移入者がいるとの事である。それは世界第4位に当たると言う。年金の問題はもとより社会保障、福祉の分野でもさらに充実した保証が期待されるところであるが、事態はさらに多くの不正を生み出していると報告されている。医療保障については帰化申請をした入国者は半年の滞在許可が与えられ、その間仕事に付くことさえ認められると言う。国民健康保険申請もできて医療費も安く済む。同時に外国人保険証保持者はその家族が入国した際、高額治療を受ける権利を有すると言う。おかしなことだが大勢の帰化希望する外国人家族が、許可も出ないうちに日本で入院治療を受け、そのまま家族で大勢住み着く事例が報告されている。多くは国民の税金から支払われているが、善良な日本人の多くは特別に関心を抱いていない。ある意味で不法移民ではあるが国防の塀を明確にしなければ社会不安につながると言える。日本の危機はそれだけではない。対馬には行ったことはないが、多くの韓国からの観光者が訪問しているそうだ。ある地域は旅館・土産物店で繁盛しているそうだが、日本人経営店ではなく、韓国から来た人々によって買い占められた建物を新築し、韓国からの観光客を迎えているそうだ。週に23回三千人の大型船が来て停泊するそうだが、税関係官が少なく十分に対応しきれていないと言う。また船上では免税品が多数販売され、旅行者は山ほどの免税品を買って帰国後自国で安く販売すると言う。酒たばこは言うに及ばず多くの高級品までそのようにして売買され、その利益で十分旅費は賄われ、収益もあると言うから止められないのは必然である。 北海道のニセコは既に中国人の町と化したと言われている。北の原野商法は安く買われて中国人所有になっていると言う。しかも大切な水源近くで彼らは将来に備えて日本の土地を確保しているとの事である。世界は大きく変わり、世界の船が津軽海峡を行き来し、北海道に寄港地を持ち、北極海を抜けて欧州航路を開いて貿易を盛んにしていると言う。最近聞いた話は千葉県でのことであるがある高校の卒業生は7割が中国人生徒で、文科省の許可を得て行う学校教育が中国語で行われ、優秀な卒業生が有名大学に進学しているとの事である。嘗て沖縄でのこととして同じ話を聞いたが、首都圏にもすでにそのような学校のある事を聞いて愕然とした。ぜひ良い人間教育がなされ、世界に有用な人材を輩出してもらいたい。しかし中身は中国共産党配下の反日教育であると言う。

 

 

 

 

 《慰めと励ましの言葉 72》 

           

      (桜台教会月報6月号より)

 

                  牧師 中川 寛

 

 

 

 不幸な事件が続出している。特にSNSの通信報道機器により、起こった事件はだれでも自由に拡散され、新聞やテレビ、ラジオで報道されるより先に一般人に伝達される。しかも公共放送がある種の意図的報道によって真相究明と言われつつ、歪んだ報道へと曲げられて伝達される。国際関係が緊張する中で、いわゆるフェイクニュースなるものによって社会的生命を抹殺される方向に向かう。これらの事件は国内外を問わない。もはやメディアは真実を伝えるものではないとの認識に立たなければ翻弄される。国会の委員会での野党と政府責任者との議論においても反安倍のためにむなしい論争が繰り返される。「射殺」されたと報じられたロシアのバブチェンコ記者生存のニュースにおいてはウクライナ国内で仕掛けられた殺戮計画への本人の対抗策として行われたものだと後日報告された。

 

 

 

 法と正義を超えて保身のために暴力行為を正当化するアメフット部の監督コーチにおいても、やるせないものを感じる。確かに指導において発せられる汚い言葉は激しいスポーツにおいてはよくある事でもある。私自身もラグビー部の監督コーチとして荒々しい言葉を何度も使ったが、それらは選手との信頼関係の中で、ルールを犯してまで強制するものではない。選手自身が実力を鼓舞し、克己心をもって自己成長に至る成果を期待してのものであった。信頼を裏切り、ルールを無視する行為に対しては厳しく指導したが、傍若無人に暴力をふるうのはやはり許されないことである。中学生、高校生と大学生では成長の度合いも感性も公平性も異なるが、中にはコーチの意図を理解しない従属型の選手もいる。残念ながら言葉の意味と意図を理解できない選手には時間をかけて直接納得できるまで手取り足取り教えてやらねばならない。それが指導者の務めでもある。社会的立場や地位が引っかかると事態はややこしくなる。大学生のスポーツはセミプロの立場でもあり、サッカー、野球においては中高生の時から将来性が買われ、各有名チームから嘱望される環境にあるものも多くいる。社会性を養いフェアプレーの精神を身に着けるためには幼少年時からの家庭での倫理的道徳的躾と教育が備わっていなければならない。大学生になっても善悪の判断がつかないスポーツ選手は早晩同じ罪を犯してしまうだろう。優秀な選手に育てるためにも正しい判断ができる人間として成長できるよう家庭で養育しなければならない。

 

 

 

 米国では大統領直々に優秀なスポーツ選手を全米から招いて表彰するとともに会食を行い、互いに学習し合えるチャンスを与えて育成している。ホワイトハウス主宰のスポーツとフィットネスデーとして全分野のスポーツ界から選ばれる、今年はゴルフのアーノルド・パーマー氏も表彰を受けていた。野球、フットボール、バスケット界から有名なプロの選手も招かれて、小学生や中学生の前で、今自分がある事の意味と背景を証ししていた。中南米から来て成功した選手たちも紹介されており、犯罪率の高い不法入国の若者たちに対して手本として紹介していた。

 

 

 

トランプ大統領の大手メディアへの反発から直接重要なことをホワイトハウスからYouTubeで放送している。またALSの重症者や障害と戦う人々を「生きるための行動への権利」なる大統領令を発して病者を激励している。その報道の中で北朝鮮との会談開催への折衝経過報告も行っている。徹底して自ら責任をもって政府重要事項を発表するのである。大統領予備選挙以来徹底してこの方針を貫いている。多くの支持者もまた直接大統領発表の声明や演説を聞いて誤解することなくその意図を理解している。日本に居ながらにして同時的にトランプ大統領と政権首脳の演説を聞く事が出来るのはありがたい。同時に不正確な日本の評論家の報告を聞くより正しいニュースをいち早く入手することができる。 インターネットの存在によってより良いニュースをいち早く手にすることができることは非常に楽しいことだが、同時にネット産業の広がりにより「ビッグデータ」なるものが悪用され、個人の生活を監視する全体主義的な国家の管理が実行されている。その第一は中国社会の取り締まりである。眼球による識別方法によって全住民が登録され、犯罪が起きてもその当人がどのような人物で、何者であるかがすぐに判明される。おかしな動きをする観光客も直ちに登録され、リストに挙げられたデータに基づいて厳しく監視され、尾行される。人々は自由な日本で旅行を楽しんでも、帰国後は再び厳しい監視社会で生きねばならず、帰国してもまた外国で生活したいと思うようになるらしい。若者たちはお金を稼いではまた海外旅行に出て一時の自由を楽しむと言う。

 

 

 

チベットではさらに厳しい監視が行われ、全住民は強制的に写真を撮られ、犯罪者探索に利用されている。チベット語は使用禁止、仏僧は反社会的存在として厳しく監視され、一般人はひげを伸ばすことが禁止され、民族浄化の一環として半ば強制的に漢人男性が女性家族に強制的に割り当てられると言う。女性家族を守るためだと言うが大抵はチベット女性との間に子供をもうけて生活改善を無理強いすると言う。悲観した若者の自殺が絶えないのも一部の人々により報告されている。嘗ての水爆実験場となった地域では放射能を測定することなく労働させ、多くの奇形児や障害者が生まれていると言う。中国政府はファーウエイの取引やZTEの通信機器貿易により、それらの商品を扱った携帯電話の情報を一括収集管理できるシステムを保持し、敵対勢力は勿論のこと、貿易使用商品の獲得や動静の管理に利用しようとしていたが、米国との貿易禁止でその下心が見抜かれてしまった。

 

 

 

南シナ海での軍事基地建設は航行の自由を禁止する政策で、日本など中東から原油を輸入している国にとっては公海上ではあっても通行の自由が禁止され、或いは通行料の支払いが要求されることも起こってくる。原油の高騰と共に物価高が心配される。中国の「一路一帯」政策は覇権の表れであることは明らかである。ドル基軸の世界を何とか元基軸へと転換しようとしているが、強い米国によってその道が阻まれている。またEUの中心国ドイツも中国離れがようやく目覚めて距離を置くようになったと言う。米国海軍の太平洋管区をインド・太平洋管区と改名したのもその意図が読み取れる。1980年代からの自由な国策による中国の強大化に手を貸してきた歴代前大統領の失策であったことを表明して、トランプ大統領は自国優先の標語をもってアメリカ復興を成し遂げているのである。

 

 

 

 残念ながら日本政府は米国の核の傘に身を置きながら拉致被害者救済を考え、北朝鮮との平和友好を準備していると言う。簡単なことではないが、今のところ米国に依存しなければ拉致被害者救済は困難である。同じキリスト者としてぜひ捉われ人を救済するためにひと肌脱いでもらいたい。戦後の日本の発展と共に、新しい東アジアの友好国を構築しなければならない。ロシアとの北方領土問題についても明確な目標とビジョンを示さなければならないと思われる。いま日本の国力と構想を担うべき世代は 40代50代の人々である。またその子供達を強く明るく豊かな知性と品性を持った人間に育てることは私たちの責務である。

 

 

 

 ねじれた国際関係の中で、命を優先し、平和と民主主義の秩序が維持される関係を構築することは最善の努力が傾注されても至難の業である。直接的に交渉に当たられる米国の担当者にはもっと聖霊の力が注がれるように祈りたい。私にとっては、もちろん日本人の悲願であることに変わりはないが、拉致被害者を一括して帰国できるように対処してもらいたい。近親、兄弟をも粛正し殺してしまう金正恩はどこまで自分の生命を賭して米国とのサミットに向かおうとしているのか、私は未だ読取れない。

 

 

《慰めと励ましの言葉 71》 

 

             牧師 中川 寛

 

   昨今の世界情勢はある意味で大きなうねりを起こしつつある。言うまでもなく韓半島の南北対話による新しい事態も同様である。隣国のことではあっても「北」との関係は様々な形で日本の政治・経済・社会・文化に影響を及ぼしてきた。特に米トランプ大統領の新体制により、中東シリアの状況と並行して東アジアでの動向が大きな緊張をもたらした。私はSNSを通じて新しい自国優先の米国の実情を論じてきたが、併せて時の経過と共に福音的キリスト教徒によるキャビネットの指導により、かなり良い方向に進むのではないかと判断してる。

 

 

 

 

   これについてはなお多くの知友にけなされてはいるが、副大統領や教育相また国務長官マイク・ポンペオをはじめ実にまじめな福音派のクリスチャン達がいることは、その基盤と働きにおいて大きく変わると思われる。米朝会談がどのように進むか。ただし国力軍事力においては比較できないほど差がありすぎる。否それ以上に私にとっては拉致された日本人の帰還が最優先である。聖学院卒業生の横田拓也君の頑張りに欠かさず祈りの支援を送っている。彼の背後にも神は大きな力をもって支えていて下さる。さらにこの時期、安倍政権にも頑張ってもらいたい。ただこの新しい動向をまだ古い目をもって見続ける人々が大勢いることは問題である。経済の回復と自国の自主防衛は戦後の体制から自立することにつながる。これは軍備を補強して大国になるのとは訳が違う。日本人の人間性の良さを失ってはならない。戦後73年目を迎え、米軍依存の体制に終止符を打つことが必要ではないか。 その方向をどう思うか、実は先日亡くなられた古屋先生にもう少し伺いたかったところであった。以前書かせていただいた書評を転載し生前のご指導に感謝したい。古屋先生もこの一文を草したとき、笑顔で感謝してくださったことを忘れる事が出来ない。

 

 

 

 

古屋安雄著 キリスト教と日本人 「異質なもの」との出会い(教文館) 書評

 

 

 

 

 本書は著者がその「あとがき」に記す通り、過去数年間に書かれたものや語られたものに補筆して出版されたものである。第1章「キリスト教と周辺の人々」、第2章「セイント・ジョンズに居た日本人教授」、第3章「中国と韓国のクリスチャン」は嘗て本誌『形成』で毎月次号が届くのを楽しみに読ませていただいた懐かしい論評であった。しかし纏められた一冊の書物として読み返してみるとまことに鋭い歴史批判であり社会・教会批判である。時恰も戦後60年を覚える節目の年、歴史的邂逅と同時に将来展望を開く含蓄あるキリスト者啓発書に出会えたことを感謝したい。本書は書名が記すとおりキリスト教(異質なるもの)に触れた近代日本人の歴史的生の局面を著者自身との個人的出会いを織り交ぜながら情熱的に綴られたものである。各章に記された時代に生きたキリスト者は夫々に各時代の日本キリスト教史を埋め尽くす実に興味深い人々である。教会史はこのような形で各人のモザイク模様を描きながら重層的に大きな神の救済の歴史へと織り込まれている。カイロス(神の時)が異教の地日本に滔々と流れ込んでいることを感銘深く体得させられるものである。

 

 

 

   古屋安雄は一般に『キリスト教国アメリカ』(1967年)を著して以来アメリカのキリスト教を論じる神学者との印象を与えてきた。本書と時を同じくして出版された『キリスト教国アメリカ再訪』においても同様の印象を持つ。しかし大木英夫との共著『日本の神学』(1989年)が上梓されて以来、古屋は『日本伝道論』『日本の将来とキリスト教』『日本のキリスト教』など日本をキリスト教化するために心血を注いでいる伝道者であることを証ししている。「神学者はまず伝道者である」との情熱が随所に感じさせられる。古屋は強い信念をもって「私には夢がある」と語る。説教においても諸論評においても、神学論文等々においても彼が繰り返し語ることは「時がよくても悪くても、御言葉を宣べ伝える」(Ⅱテモテ4:2)と言うことである。その先には欧米のキリスト教国に負けない「キリスト教国日本」を建設する理想がある。彼が語る「神の国」はその為の必然的な前提である。戦前、戦中、戦後を振り返る時、著者自身が納得できる信仰者の証しを見ることができなかった。不徹底なキリスト教信仰にくさびを打ち、本来聖書が人間に約束する真の祝福に立ち返り、嘗ての日本人キリスト者が果たしえなかった福音的信仰に立つ真の国民的自由と尊厳を位置付ける自立的キリスト者を模範として自らをささげているのである。著者はあとがきに「キリスト教を日本に確立するためにはあと数百年かかるであろう。」と記す。いま日本国民の1%しかいないキリスト者がせめて10%になることが当面の課題であると叫ぶ。日本のキリスト教の危機的状況を早くから指摘し、その宣教的使命に立って指導される姿はまさに神の勇士である。

 

 

 

 

 

  しかし日本をキリスト教化する使命を得ていても歴史的にキリスト者が福音により自立した民主的国家建設の一市民として、誰が見ても納得のいく証し人とならねばならない。宣教150年に満たない日本キリスト教会史において、戦後60年を迎えた今日、著者自ら漸く先輩牧師・伝道者達が戦争に反対し切れなかった理由を問い、ともにその責任を担う。将来に向けて一神学者のこのような真摯な神学的営為は多くの若き神学徒に燃える情熱的感化を与えるものである。プロテスタント福音主義は一般に諸宗教が単なる信者獲得に走り、反社会的暴力をもって宗教活動を展開するのとは凡そ異なるものである。キリスト教はイエス・キリストの十字架と復活による神の子の否定媒介の中にその真理を見る。そこに啓示される神はまさしく聖書が証しする徹底的唯一神である。ナザレの主イエスによる徹底的自己否定によって啓示された新しい神の真理がこの十字架教であり歴史的キリスト教である。超越者はこのお方を通してわたしたちに語りかける。古屋はあえてこの真理を「異質なるもの」と呼び、究極の真理に触れて新たに解放された近代日本を生きた先人を回想するのである。

 

 

 

 

 

   日本のキリスト者はなぜ戦争に反対しなかったか。高校三年生で軍隊に召集された古屋をただ一人感動させたのは「死ぬじゃない、生きてかえってこい」と言った年とった伯母だけであったという。学のある先生たちではなかった。立派な牧師・神学者たちが一様に口を閉ざし、教会では「嵐の際は窓を閉じる」といわざるを得なかった当時のキリスト教会は何であったのかを深く問うている。アメリカでは既に「良心的兵役拒否」の権利が認められていた。自由学園に学んだ著者はキリスト教国イギリスやアメリカには良心的兵役拒否の思想があると言うことさえ誰も教えてくれなかったと言う。安部知二の『良心的兵役拒否の思想』(1969年、岩波新書)はかつて筆者が神学校在学中に出た話題の本であった。軍国主義日本の、戦時中では考えられない上海でのセイント・ジョンズ・カレッジのリベラルな日本人教授達の働きは夢の世界ではないかと思わせられる。第4章の新渡戸稲造論は武士道が盛んに論ぜられる昨今、特に銘記して読まれるべきである。第5章は著者自身の母校を論じたものであるが、ミスター&ミセス羽仁の自由学園がキリスト教学校として如何に苦悩しつつ戦中・戦後を生き抜いたか、それは一キリスト教学校の歩みに留まらず日本キリスト教史の一断面を見事に論評していると言うべきである。第6章 賀川豊彦とグローバリゼーション、第7章 隅谷三喜男、第8章 キリスト教の幸福論、第9章 宗教改革の意外な影響 第10章 アジア学院 の各章は現代に生きるキリスト者の心強い伝道論として読む者に感銘を与える。本書を読み終えての感想は歴史的宣教を担う多くの同志と邂逅した気分である。著者が「私は絶望していない」と語る時、筆者もまたキリスト教学校で教える使命の重大さを実感するものである。      

 

  

 

    桜台教会牧師  元聖学院中高 宗教主任   中川  寛

 

 

《慰めと励ましの言葉 70》 (桜台教会月報四月号』より)

 

 

        牧師 中川 寛

 

 

 

   『アメリカ・キリスト教国の復活』などと言う言葉がその内あちらこちらで耳にする機会が増えるであろう。すでにそのようなことを国際政治の専門家が口にしている。また日経にも『アメリカ政治を動かす信仰パワー』なる表題をもとに「聖書の倫理・価値観・選挙でも争点に」とその歴史的起源を解説しながら専門的に概説する文章を載せている。その評価が大きく分かれるトランプ大統領が積極的にアメリカ再生のために経済政策、軍事政策、国際関係をはじめとして、先のオバマ大統領時代とは違って積極的に強い政策を打ち出してきたことがその根拠となっている。

 

 

 

 

 

   余り口にされなかったことだが、実は80年代からの自動車産業の停滞と中国を始め途上国依存の低価格、低賃金が大きく米国社会を蝕んでしまっていたのである。二年前から米国社会のホームレスの現状を紹介してきたが、ミシガン州を始め北部のいわゆるラストベルト地帯の町々は、家庭崩壊と共に低所得者層の人々には教育の機会すら奪われていた。主な産業が疲弊し、人々はその日暮しの厳しい日常を強いられていたのである。トランプ大統領が公約して産業を取り戻し、法人税低減により会社を復興し、給料を引き上げ、ボーナスまで出すと言う環境に代わってきたと言う。この現象についてはNHKドキュメントでも報道している。彼らに生活の希望が持てるようになったことを労働者のインタヴューで紹介していた。しかしまだまだ課題は山積されている。不法入国者の子供たちに対する対応がダッカ問題として議論され、入国制限が厳しくなっている。特にメキシコ国境からの不法入国者には高い壁を建設中ではあるが、すべてを閉鎖することはできない。不法輸入される麻薬とテロリストへの対策も国内の整備と共に全力を挙げて取り組まれている。先月号に記したMS13の脅威はつねにFBIが目をつけ、検挙と組織壊滅のために取り組まれている。教育ローンを抱える生活破産者問題も解決には時間がかかる。それにも増して教育の復興には10年、20年の歳月が必要とされる。およそトランプ大統領が二期その職務を引き継いでも問題はそう簡単ではない。人間が生きている限りそう、戦争や革命によってではなく、恒久的に取り組まれるべき改革の継続がなされねばならない。

 

 

 

 

 

   しかし米国社会は今ようやくその為の取り組みに着手し始めたばかりである。彼らは聖書の教える教育理念に基づいてそれを実行しようとしている。人間に与えられている基本的価値、自由と平等、尊厳と公平を取り戻し、民主的社会を形成するために再び動き始めたのである。それは実に希望に生きるキリスト教精神に裏付けられている。その根拠は全て聖書にあると言わなければならない。理想の国造りにはなお長い年月が求められる。わずか240年そこそこの歴史をもって完成されるようなものではない。しかし彼らは背後に聖書に基づく約束の理念を持ち続けている。これがキリスト教信仰と相まって米国を大きく発展させる力となっているのである。今やそれはユダヤ人に限ったことではない。その父祖アブラハムに約束された祝福はモーセ、ヨシュアに引き継がれ、サムエル、サウル、ダビデ、ソロモンに至り、王国崩壊後は預言者達に引き継がれ、やがてはイエスキリストの出現に至り、パウロによって異邦人世界に広められて今日に至っている。それは五千年に亘って教えられてきた新しい人間と社会の形成理念であると言わなければならない。

 

 

 

 

 

   日本人もまたこの契約思想に目覚め、新しい生き方を選び取ってきた。キリスト教神学教育を受けた者はこの事実をすべて確認しているはずである。福音と呼ばれる聖書の教えに従って、イエスキリストの存在を通して生き方を変えられてきたのがクリスチャンである。今日とりわけその責務を担っているのがキリスト教学校である。私は今その現場に身を置いているわけではないが、長年聖学院という恵まれた学校においてキリスト教教育の責任を担ってきた者としてその思いを篤くしている。

 

 

 

 

 

   実は先日女子聖学院で英語教師として長く教鞭をとられ、その後同窓会(翠耀会)会長の職を引き受けられたO先生の葬儀・告別式を桜台教会でさせていただいた。O先生は家内が女子聖学院高校入学と共に習った英語の先生でもあった。桜台教会に転会されてすでに30年近く経過していたが、先生から詳細にご経歴をお聞きすることがなかった。そこで葬儀に際してご長女からご略歴を紹介され、実に深い信仰に生きた師であったことを知らされた。O先生が英語の教師であられたこと、戦後ご結婚後ご主人と共にニューヨークで生活されたこと、また英国スコットランドのエディンバラを旅行され、宗教改革者ジョン・ノックスの教会でクリスチャンのご夫人と種々思い出深い信仰と教会についての話をされたこと等写真を見せていただいてご旅行の体験談を伺ったことがあった。

 

 

 

   しかし実はもっと驚いたのは2年前に教会に来られた高村光太郎・高村豊周(とよちか)ご兄弟とご縁の深い関係を持ったご家族であった事である。O先生は大正10年のお生れでお父上は東京美術学校(東京芸大)鋳造科教授であられた丸山不忘(本名義男)氏である。高村豊周氏の曽孫に当たる少年が礼拝に出られ、その一族は彫刻家として共に芸大出として名を馳せておられる。高村光太郎のご尊父は上野公園の西郷隆盛像をはじめ多くの鋳造作品を作られた高村光雲氏であるが、そのご子息達の鋳造を手掛けられたのが丸山不忘氏である。

 

 

 

 

 

   当時女子聖の校長となられた内藤淳一郎先生のご尊父内藤春治も同時期の教授で不忘、豊周、春治の三氏は親しい交友であられたと言う。嘗て小田信人先生から北村西望氏による『神を仰ぎ、人に仕う』との女子聖のモットーを記した色紙を頂いたが、長崎の平和公園にある『平和記念像』制作者のお嬢様も在校生で、北村西望氏はPTA会長を引き受けられたと伺ったことがあった。O先生が女子聖に入学されたのもお父上の関係から勧められたとお聞きした。不忘氏は北池袋の自宅に鋳金工場を持ち、後に練馬に転居するまで池袋で制作にあたられたとの事である。戦前は高村光雲、その後は高村光太郎・高村豊周による原型作品をすべて鋳造作品にされたそうだ。また戦後法隆寺大火により金堂と壁画修復のため東京芸大をあげて取り組まれたが、不忘氏は釈迦三尊像の大卓を制作担当された。薬師寺東塔相輪修復に当たられ最上位まで登られたと言う。長野県小諸にある懐古園の藤村詩碑は豊周制作後鋳金に仕上げたそうだ。日本女子大創設者の成瀬仁蔵の銅像もお二人の制作との事である。

 

 

 

 

 

   O先生は14歳で聖学院教会に於いて平井庸吉牧師から洗礼を受けた。聖学院教会は戦後滝野川教会と合併し現在地に移った。女子聖在学中は聖学院教会に学び、当時聖学院神学校の神学生たちと共に宣教師による教会活動に参加された。女子聖卒業後津田塾に学び卒業と共に戦争のため陸軍兵器本部に勤務され、終戦直後は富士見学園で英語教師をされ、人員不足から進駐軍勤務となり、中央郵便局で英文手紙の検閲官となられたと言う。また進駐軍勤務時代の先輩であったご縁から、三神正子さんの弟大井憲雄氏と結婚され、米国帰国後女子聖学院英語教師として奉職された。 

 

 

 

 

 

   O先生の教会生活は同世代のご友人と親しく交わる中で継続された。積極的に活動を推進なさるのではなく礼拝に人が集まる事を常に気に賭けられていた。O先生は英語と日本語の聖書を枕辺においてよく読まれていたと言う。旧約預言者サムエル記の言葉『しもべは聞きます。主よ、お語りください。』との言葉を愛誦聖句として信仰生活を全うされた。神は不思議なご縁をもって神の家である教会の活動を支えられ、常に私たちに広い交わりを提供していて下さる。まことに感謝にたえない。

 

 

 

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 69》(『桜台教会月報三月号』より)

 

 

 

   牧師 中川 寛

 

 

 

   今年の4月1日(日)がイースターに当たる。教会暦では2月14日(水)から日曜日を除く40日間を受難節(四旬節・レント)と呼ぶ。中世以来の教会の伝統に従って、キリストの受難を迎える時期をせめて清く正しく過ごそうとの思いから派手な儀式を控えてきた。40日間に亘る厳格な規律に従って日常を過ごすには耐えがたいとの思いから、各地でカーニヴァル(謝肉祭)か盛んに催されるようになった。フランス・イタリア・ドイツを始め中南米でも約一週間にわたって祭りが繰り広げられる。日本では節分の豆まきや奈良東大寺二月堂のお水取りが行われ、熱心な信者は松明の火の粉を被って魔除けの儀式を行う。昔、子供のころ親戚が持ち帰った灰の一部を見せてもらったことがあった。関西においては「春遠からじ」との季節感を現わす行事でもある。

 

 

 

   今年の灰の水曜日をニューヨークで過ごされた教会員が夜食事に出たところ、老若男女が額に炭をつけて歩いている姿を見たと報告して下さった。桜台教会ではその習慣をもっていないが、或いは同じ行事を守っている教会があるかも知れない。しかし日本で悔い改めのしるしとしての儀式で、オデコに炭を塗る習慣はないので今まで私は町でそのような人々に出会ったことがない。

 

 

 

   本当に悲しいことだが、受難節に入った2月16日(月)、アメリカ・フロリダ州で、青年による銃乱射事件が起こり、17名の死者が出た。大きな高校の退学者による犯行であったが、他に重篤の人々を含めて14名の負傷者がいると言う。また悲劇が起き、多くの若い高校生が犠牲になった。人々は銃が自由に手に入る米国社会の当然の悲劇と受け止めているが、やはり尋常のことではない。米大統領はフロリダ州の高校を尋ね、被害者や家族、関係者に哀悼の意を表した。大統領は今回の事件を契機に積極的に銃規制と再発防止の対策を取るべく、まずかつての被害者関係家族を含めて今回の被害に遭った高校生と家族をホワイトハウスに招き、痛みと悲しみの中にいる人々の意見を聞いて共に対策を協議した。その翌日には全米の州知事を呼び、共に可能な限りの銃対策について意見を交換した。

 

 

 

   日本のように銃剣等の凶器保持を認めない規制を行うべきであるが、歴史と文化、政治と企業の諸問題が銃規制を妨げている。各学校に銃に長けた退役者に依頼し、教師にも銃の取り扱いを可能にする準備をすること。また自動小銃のように連射可能の武器を保持させないこと。21歳以下の者への銃販売を禁止すること等が早急に決められるとの事である。また犯人は精神的病者との事でその対策には銃所持者と共にFBIの監視を強化すること等が話し合われていた。どこまで安全が確保されるのか未定であるが、教育相のベツィ―・デヴォス女史、ペンス副大統領も共に対策に決意をもって向かうとの表明をしていた。

 

 

 

 

 

   マルコ福音書5章には主イエスがゲラサ人の地で墓場に住む悪霊につかれた人を癒した物語が記されている。話によると彼は墓場を住処とし、夜昼絶え間なく大声で叫び、石で自分の体を打ちたたいたりしていたと言う。彼は度々足かせや鎖で縛られたが誰も彼をつなぎ留めておくことが出来なかったとある。恐ろしい狂人の様子であるが、彼の方からイエスに呼びかけ、「後生だから、苦しめないでほしい」と言った。イエスは『汚れた霊、この人から出て行け』と言って彼を正気にさせたと教えている。

 

 

   

 

 

 

    彼は「レギオン」と自称したそうだが、『大勢なのですから』と告げたとある。その名の通り、彼は多くの苦しみ怒りを持っていたに違いない。当時ガリラヤ湖東部はデカポリスと呼ばれ10の大きな町があった。ガリラヤ湖はティベリアスの海とも呼ばれ、ローマ皇帝直轄地となってたいた。政治的社会的混乱が続く中で、主イエスは幾多の価値観に翻弄され、愚弄されたユダヤ人をその精神的拘束、葛藤から解放され、一人の人間に変えられたのであろう。その後弟子の一人としてイエスに従うことを望んだが、家に帰り家族に自分の大きな変化を証しするようにと言われ、デカポリスの地方でイエスキリストを宣べ伝えたとある。

 

 

 

 

 

    フロリダ州パークランドは豊かなアメリカを象徴する恵まれた閑静な地域である。全米でも富裕層が多く、タンパはナショナルリーグ・アメリカンリーグの合宿地でも有名である。オーランドにはマジックキングダムがあり、ケープカナベラルは宇宙へのロケット発射台があり全米の先駆的都市でもある。そのような豊かな州ではあるが、一方マイアミがあり麻薬犯罪も多い。特に不法入国者が耐えない中、中米のエルサルバドル出身の若者たちで構成されたギャング集団「MS13」はニューヨーク、ロサンゼルスを中心に1万人を超える組織化が進んで凶悪殺人事件を次々に引き起こし、FBIが率先して取り組む組織であると報告されている。メキシコから入国する不法者の侵入を食い止めなければ、アメリカの強さは消えるとまで言われている。

 

 

 

 

 

   オバマ前大統領は口先だけで何も積極的に手掛けなかったが、その結果がさらに米国を悪くしたと言う。FBI2015年の記録では年間米国犯罪死者数100~200名以上の10都市が以上のように表示されている。ヒューストン、フィラデルフィア、アトランタ、ワシントンDC 、インディアナポリス、カンサスシティー、メリーランド州ボルチモア、ウィスコンシン州ミルウォーキー、メンフィス、デトロイト、セントルイスに及んでいるとある。

 

 

 

    日本の地上波ではほとんど報道しないが、実際は心と魂を病む多くの若者が犯罪に巻き込まれ、尊い人生を無にしている。その多くは家庭教育を放棄した米社会の結末であり、物質文明に浴くされた欲望の行く末と見ない訳には行かない。このまま放置すれば日本もまた同様の課題を担うことになる。魂の病は銃がないから心配ないとは言えない。集団殺戮の素材は様々な形で平凡な日常を危険にさらしている。高齢者が自動車を走らせるだけで危険が付き纏う。病気の場合もあればストレスから誘惑に負けて悪に走る事件も起こる。高齢者によるスーパーでの万引きが増え、金銭による人間関係の破綻、近親者への嫉妬、罵詈讒謗等々。人を誘惑する様々な要因に負けない生き方が求められる。その為にもみ言葉に親しむことが不可欠となる。自己の品位を罪をもって汚すことは信仰者が決して行ってはならない掟である。どこに神の知恵があるかを覚えて生きる事がすべてのキリスト者に求められている事である。

 

 

 

 

 

    海外の情報を私はBBC(英国放送)を通じて入手している。先日米国の福音宣教者ビリー・グラハム師が99歳で召天され、その送葬の式をワシントンDC国会議事堂内で30分にわたって執り行われた。大統領府は福音伝道者に最高の栄誉を現わしたと思う。米国は聖書の福音、イエス・キリストの愛に目覚めた人々の働きによって形成された国家である。これは米国が健全な国家の回復がなされるための大事な支柱となるものである。今は福音によるリバイバルが待たれている。40年前の古き良き教会の姿が回復されることが待たれる。幸い経済の明るい見通しが聞かれるようになった。かつて米国が風邪をひくと3年後に日本が風邪をひくと言われたが、今はほぼ同時に風邪をひく。回復には3年ではなく1年後にその様子が見えてくる。経済の回復は直接的には日本政府の努力にかかっているが、個々人は望みを失うことなくその兆しを待つことが求められる。若い働き盛りの方々には、頭脳も肉体も健康を維持しつつ、新しい課題に果敢に取り組んでもらいたい。桜台教会では15世紀前後のスペイン・イタリア・ドイツの聖画写真を教会案内に用いているが、聖書による題材は四百年、五百年経っても色あせる事はない。大きな恵みに生かされて、み言葉によって成長することが私たちの新年度の新しい課題である。

 

 

《慰めと励ましの言葉 68》 (桜台教会月報2月号より)

 

 

牧師 中川 寛

 

 

  昨秋私は宗教改革500年記念に際し、ルターと共にカルヴァンの『キリスト教綱要』が歴史におけるキリスト者の道標であることを再確認した。教会の歴史を通じて福音の確かさを神学的に確立した大著は教会が常に学ばなければならない必読の書である。幸いその要点を記した『カルヴァン神学入門』(G.プラスガー著)が宗教改革五百年記念の年に出版され、日本語で読む事が出来るようになった。不思議な縁だが、翻訳者の矢内義顕氏は早稲田大学教授で、秋から教会に通っている韓国人留学生A君の授業担当者であることが解った。A君はまだ洗礼を受けていないが、ホワイトヘッドの哲学を学び、その伝統を引くカリフォルニア・クレアモント神学大学にこの秋から留学予定だとの事で、教会に初めて足を踏み入れたのである。今春早稲田大学卒業と同時に、クレアモント留学を予定し、今は入学願書を出して返事待ちとの事である。私はぜひ良い道が備えられることを願っている。しかし私の本当の願いはクレアモントで学ぶにせよ、神学の如何なる学問であるかを知らずして、そのホワイトヘッドから演繹された「プロセス神学を」学ぶことについては必ずしも同意するわけではない。留学体験は様々な新しい人間成長の力にはなるが、得てして時流に迎合したアカデミズムを学ぶにすぎず、留学はしなくとも書物を通して知識を身に着ける事はさほど困難なことではない。神学と取り組む場合はまずその根幹である欧米の教会を導いてきた福音の真値を体得することが大事なのである。

 

 

 

 私は一時パサデナのフラー神学校に学んだが、その体験は多くの善良なキリスト者と教会に拠って支えられ、且つ豊かな実りを得る事が出来たと感謝している。帰国後奉職したキリスト教学校での働きと教会での活動の大きな力となった。その経験はすでに38年も昔のものであるが、そこで見出した聖書と教会の偉大な力は、今日世界を取り巻く様々な議論を見聞きする中でも、世界を動かす大きな力点となっている事を思わせられる。この力の源泉を学ぶことが何よりも大切なのである。『青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。』(コヘレト・伝道の書12章1節)との言葉の通り、高齢化が進み、多くの年寄りたちが「まだお迎えが来ない」と焦りとも諦めとも言えない言葉を発し、中には世を儚んで自ら入水自殺するインテリまでいる日々の暮らしの中で、生きる力を失っている現状を打破する道は、キリスト者が聖書と教会に基づいてもう一度生きる力と命を発揮しなければならないことを示していると思わせられているからである。

 

 

 さて前回カルヴァンが神認識は自己認識であるとの提題を最初に掲げて、キリスト教信仰の正当性を証明したことを記したが、第二の提題は聖書こそ神認識の場であると教える。『神学入門』第3章には以下の提題が掲げられている。

 

『正しい神認識と自己認識の場は聖書だ。聖書には、その内容に基づ

いて、卓越した地位が着せられる。ここにおいて神はその言葉を伝え

る。この洞察は聖書によって引き起こされ、他方、聖霊は聖書において

のみ認識されうる。聖書の二つの部分、つまり旧約聖書と新約聖書は、

両方ともに福音を証明する。』 

 

これは卓越した言葉であり、日本的、且つアジア的宗教観とは全く異なる宣言である。まことの神との出会いは聖書を通じて起こるものであると宣言する。そしてそれ以外の神認識は妄想であるとの認識である。特にプロテスタント教会が福音の再発見を通して確信してきた信仰の根拠がここにある。ルターが『聖書のみ』といった言葉がこの信仰の内容をそのままに現している。人間的な自発的宗教感情も超自然体験も、実は自己中心であり、一方的な自己独善の告白である。それはまた旧約聖書が律法書である通り、神の戒めを守りえない人間の深い罪のリアリティーを告発し、その罪を審くものとなっている。しかし新約聖書は福音において裁かれた人を赦し、再創造する新生の根拠が語られる。それがこの世にあらわれたイエス・キリストによって示され、その贖罪が不可欠であることを告げる。キリストの全き義において人を人として生かす新しい神の契約であることを証しする。さらに聖書が神に出会う場であることを規定することは聖書が聖霊によって神の権威の書であることを示す。同時に神の言葉である聖書は神ご自身において啓示の書であることを証しする。

 

 

 

しかしそこで私たちは以下の疑問にぶつかる。人の言葉によって記された聖書がなぜ神の言葉と呼ばれるのか。カルヴァンは個々の記された言葉が神の言葉であると言うのではなく、聖書を全体として読むとき、神の言葉であることが認識されると教える。彼は『聖霊は、聖霊が聖書において告知した真理と固く結び付けられているので、人が聖霊の尊厳にふさわしい畏敬と尊敬とをもってその言葉を受け容れるときに、初めてその力を発揮し、示すのである。』(綱要Ⅰ・9・3)と言う。

 

 

 

毎礼拝時に唱えられる信仰告白において私たちは次のように告白する。『旧新約聖書は神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の依るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救いにつきて、全き知識を我らに与うる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。』 聖書によらなければ正しい神認識は行う事が出来ず、それ以外の神告白は自然宗教ということになる。聖書の真理とその内容を通じて、私たちは正しい神認識に至るのである。聖書と教会は不可分離のものである。共に神の権威が隠されている場である。聖書66巻を通して神への認識が深められ、救いに至る神のみ心が示される。さらに聖霊の働く場としての教会がエクレシア(主の群れ)として神の栄光を示す。この教会の働きを通して礼拝共同体として説教と聖餐を執り行い、聖なる神の宮としての位置を確保するのである。その交わりの働きが信仰者としての聖なる命を育むのである。キリスト教文化はこの聖書と教会の豊かな救済の手段を通して神の栄光を現わす存在となる。日本のキリスト者は欧米文化の中心にこの告白の実態が渦巻いていることを学び取らなければならない。

 

 

 

 

慰めと励ましの言葉 67》 (桜台教会月報12月号より)

  

               牧師 中川 寛

 

 今年は宗教改革500年の記念の年であった。1517年10月31日以来、ルター・カルヴァンに代表されるプロテスタント教会の先駆者たちの働きを回顧しつつ、500年後の現代社会の混乱を思う時、人間の基本的人権と自由平等の理念が著しく誤解され、権利の主張だけが優先して、社会や国家の在り方についての真摯な成長が見られなかったのは残念なことと言わねばならない。科学文明の発達とそれに伴う機械化、IT化、AI化などにより便利で合理的社会が誕生したが、文明の真価が問われている。すべての事象が加速度的に発展してきたが、結果的には経済優先のマンモニズムが世界を支配することとなってしまった。持てる者と持たざる者との対立抗争が世界全体の不安要素となり、各地に様々な紛争、危機が発生している。

 

 宗教改革は確かに中世の封建的権威主義なるキリスト教世界の解放と改革に大きく寄与し、文明の進展に貢献したが、人間成長への貢献度は果たして正しかったかどうか、怪しいと言わねばならない。聖書の教える福音的自由は無神論者が唱える自由とは似て非なるものである。また社会改革とは共産主義者や社会主義者が資本家と労働者の転覆のイデオロギーをもって世界をかく乱した悪しき革命の正当化によって大事な赤子を湯水と共に捨ててしまった改革であったと言わざるを得ない。宗教改革者が福音の再発見と教えた神の権威が蹂躙され、人間性の傲慢さが人々を自由と平等の権利獲得競争へと駆り立てたのである。宗教改革の後、ヨーロッパは30年戦争を体験したが、旧新両派の和解と寛容の融和を得たにもかかわらず、文明は福音に生かされるキリスト者の信仰を廃棄、また軽視し、人間を動物的弱肉強食のみじめな環境へと貶めたのである。独善的欲求に支配された醜い人間の性は、エゴイズムの支配する愚かな動物に成り下がってしまった。現代の世界情勢においても、ある種の勝ち組と負け組に分離していると言える。しかし同時に危険なことは言うまでもなく戦後新興国として先進諸国と対抗する国々によって、紛争と戦争、とりわけ核の脅威のもと、大国志向の国々が武力をもって戦いを挑んでくる現実が我々を危険な状況へと追いつめているのである。政治経済の状況がやはりすべてに優先されて、文化も教育も歴史も歪められている。

 

  心あるキリスト者においてはこの難局を打破するために必死の戦いを展開している。私は敢てキリスト者の革命的働きが世界に希望をもたらすと言いたい。相変わらず日本のマスメディアは社会のフェイクニュースを通じてトランプ、安倍叩きに終始しているが、米国の指導的キリスト者は自国の不況からの立ち直りのために仕事を増やし収入を伸ばす努力を重ねている。働いている限り道が開けるとの強い信念をもって努力している。ホームレスが路上にあふれているのを見て誰も現状維持が良いとは思っていない。どこで銃や車を使ったテロが発生するかわからないことを誰も他人事とは思わない。おそらく米国本土に照準を当てたミサイル発射を絵空事と聞き流す米国人は少ないであろう。これらの現象は日本も同様であるがヨーロッパの国々においても危機は同じである。人々はしかし悲惨な戦争の廃墟から立ち上がった経験を持っているがゆえに、もっと根本からいかに生きるべきかを考え直さねばならない。   

 

 この危機的な事態に対して信仰をもって生きるキリスト者はいかにあるべきかを根本的に問うことは大きな意義がある。すでに歴史において語られた福音的真理はなお健全である。ルターが語ったように『たとい明日世の終わりが来ようとも、わたしはリンゴの種をまき続ける。』との言葉通り、福音の業を捨ててはならない。危機の中で、否闇が覆う世界の中で行き先が見えない人生をいかに生きるかを問うたのが宗教改革者たちであり、福音的信仰を持って生きたキリスト教指導者達であった。私は説教者としての自己の立場を理解しつつ、どのような信仰をもって時代に立ち向かうかを考えた。答えは簡単であった。それは『主イエスを見上げ、主イエスについて語りなさい。』という言葉に終始した。また前途に暗雲が立ち込めた時、聖書に聞き、全能者なる神に従う道を選べとの指針を示された。人に聞いてはいけない。人のすることを見習ってはならない。特に信仰を持たない人々また聖書に聞くことをしないキリスト者の言葉には打算が渦巻いている。そうではなく殉教の聖徒たちに耳を傾ける事が大いに教えられ、慰められることとなる。福音は神に向かって背を伸ばし、自己に対して最善を示す。教会が常にその伝統に従ってみ言葉に聞き、聖なる聖餐と祈りと賛美が継続される時、宗教改革の伝統は引き続き神の栄光を求めて花開くのである。 

 

 今年4月に教文館から出版された『カルヴァン神学入門』(G.プラスガー著 矢内義顕訳)はジャン・カルヴァン(1509年~1560)の『キリスト教綱要』に準じてわかりやすく福音主義の神学とカルヴァンの信仰的施策を解説した書物であるが、私達の信仰のよって立つ根拠をカルヴァンの教えに従って解説した本である。フランスのカトリック支配を逃れてジュネーヴで宗教改革を成し遂げ、バーゼル、ストラスブールで福音主義改革を指導した。彼の始めたアカデミーから英国のジョンノックスが生まれ、スコットランドの福音的長老主義教会の体制は据えられた。またフランスのプロテスタントを始めオランダ改革派やハンガリーのプロテスタントにまで大きな歴史的足跡を残した。著者によれば人生の知恵は神認識と自己認識である。『神は、神がイエスキリストにおいて人間と世界の方を向く神として信じられるときに、正しく認識される。このことは、人間が神を認め、神に信頼し、神を信仰と行為とにおいて讃える事によって、行われる。人間は、自分自身には名誉のためのいかなる理由もないことを見出す時に、自己自身を正しく認識する。このことが、今一度、彼を神認識へと駆り立てるのである。』とのカルヴァンの提題と掲げて、人生の営みとしての神認識と自己認識について語る。ともすれば自分のことは自分が一番よく知っていると思い込んでいるが、実は聖書の教える三位一体の神を知ることなしに自己認識を持つことはできないのである。神を知るとは罪の中に生きる人間を知る事であり、他者に向かって生きる事の出来ない自己目的化した罪の自覚に至り、救いなき自己の現実から救済者なるキリストの贖罪が理解されるに至る。それ故に「キリストなしに救いなし」との教理が深く理解されるのである。この理解を通してキリストを再認識したキリスト者を教会人は「ボーンアゲィン・クリスチャン」と呼ぶ。

 

 カルヴァンの教えに従って神に全幅の信頼を置くキリスト者は徹底的に神の栄光を求めて神の栄光のために生きる。ここに積極的信仰の成果がもたらされる。それは単なるご利益宗教ではない。献身的な愛と秩序と平和を求めての働きとなる。また堂々と神に反する悪魔と戦う信仰の決断をくだす者となる。私はそれを福音のダイナミズムと呼んでいる。次第に期待され、驚きをもって展開されるキリスト者の指導者は聖霊による福音の熱意が冷める事はない。日本のキリスト者は欧米のキリスト教指導者に比べると、残念なことだがまだ幼児教育の域を出ていない。牧師の成長もさることながら、キリスト教諸機関が未成熟である故に、信仰に熱心でさえあれば、世俗の勢力に引きずられ、信仰の独自性を見失ってしまうのである。キリスト教教育においては信仰の真髄を示しつつ、キリスト者の特権と共に広く神が求めておられることは何かを考えなければならない。その点でも信仰の積極性はありとあらゆる生き方に反映するものである。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 65》(桜台教会7月号月報より)

 

 

           牧師 中川 寛

 

 先日千葉にお住いのご夫妻宅を役員の方々とお尋ねし、共に聖餐礼拝を持った。ご主人は今年92歳になられた。「予科練の生き残りですよ」と謙遜に話されたが、終戦と共に明治学院に学ばれキリスト教に触れて山手教会で洗礼を受け、練馬に移って桜台教会開拓期に小林吉保牧師、小林哲夫牧師と共に教会学校教師、教会役員として奉仕された。ご婦人は桜台幼稚園教諭として奉職された。幼稚園廃園の為あまり良い話はできなかったが、自宅にいても聖書を読み、教会を覚え「神さまの御用にお用い下さい、と祈っています」と話された。晴れた日には東京湾を隔てて富士山がきれいに見えると教えられたが、残念ながら雲り空であった。信仰をもって感謝しつつ、ご家族のお世話になりながらも家族、教会を覚えて日を過ごされていることは幸せなことだと私も感謝した。

 

 

 

  去る620日より千葉本町教会で「第44回東北アジア教会宣教協議会」が開催され、久しぶりに韓国台湾の先生方にお会いした。主題は『希望ある終末信仰』で講師は洛雲海(ナグネ)宣教師であった。日本側の参加者は少なかったが、会場教会のK牧師は家族、教会をあげてよい準備をして下さった。また各国の委員の牧師たちも充実したプログラムを準備されていた。韓国から牧師・信徒が25名参加、台湾からは牧師、信徒10名の参加であった。宿泊は市内のホテルで、元気な方は徒歩約10分を歩かれたが、私は参加されていた在日台湾教会のI牧師と車に乗せていただいて会場まで移動した。

 

 

  実はこの会に参加して大きな収穫を得た。講師のナグネ宣教師は日本基督教団からソウルのセムナン教会日本語礼拝牧師として派遣されている方でしたが、私が仕えた大阪教会と長居伝道所に住み、市川恭二牧師に仕えた方であった。私にとっては神学校卒業後最初の赴任した教会で4年間仕えた教会であったので思い出深い教会である。今も牧師は教育実習をさせていただいた岡村牧師で、T氏は役員で上京の際桜台の礼拝に出席して下さっている。平屋の長居伝道所は紛争時礼拝後シュプレヒコールを繰り返し、住宅街をデモして回られたので、教会活動には冷淡であったがその後の牧師たちが良く努力されて、今は長居教会となっている。ナグネ牧師は東京神学大学の後輩ではあるが、よく勉強されて神学者として活躍されている。また韓国からの牧師も若い方々は東京神学大学留学組で、良く活動されていた。 さらに聖学院時代の教え子であるK牧師のご長男はぜひ将来牧師として学んでもらいたいと祈っているが、実によく協力された。ほぼ生活を共にしたI牧師の双子のお孫さん達も聖学院の卒業生で、今は二人とも台湾の大学に留学中とのこと。聖学院時代を思い出してすぐにメールで写真を送信されていた。今後キリスト者として国際的に活躍されることであろう。 

 

 

  久々に足尾銅山の鉱毒事件で著名な田中正造氏の曽孫に当たるK君からメールがあり、ある結婚式場で総支配人として働いているそうだが、司式をされる牧師がかつて聖学院で共に協力していただいたH牧師だったことがわかり驚きであった。田中正造氏は亡くなる前、ズタ袋に村の少女からもらった渡良瀬川の小石と新約聖書を入れていたそうだが、聖書をよく読んでいたことは知られている。K君は野球部で活躍されたが、仲間たちは洗礼を受けて教会生活を送っている。機会があれば教会生活を進めたいと思う。幼少時から教会生活を通して聖書を学ぶことはきっと祝福されて、力強い人生を歩まれるに違いない。

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 64》(桜台教会月報より)

 

                             牧師 中川 寛

 

 今年は「宗教改革五百年」に当たります。

 

1517年10月31日、ドイツ・ヴィッテンベルク城教会の扉に「95か条の質問状」が掲示され、以後瞬く間にヨーロッパ各地に宗教改革の炎が燃え広がったのです。改革者マルチン・ルターの働きは、長い中世ヨーロッパ世界をを打破り、その後近代世界へと大きく切変えられました。カトリック教会もこの動きに対応し、いわゆる対抗宗教改革(カウンター・リフォメーション)として海外宣教に乗り出しました。ザビエルの渡来もその運動の中で理解されます。1582年(天正10年)には、巡察師ヴァリニャーノが引率した「天正遣欧少年使節団」が派遣されています。四人の少年、伊東マンショ(主席正使)、千々石ミゲル(正使)、中浦ジュリアン(副使)、原マルティノ(副使)が参加しています。

 

 

 

 千々石ミゲルは肥前国(長崎県)釜蓋城主大村純忠の甥千々石紀員(のりかず・ミゲル)は帰国後伴天連追放令(1587年)が出されて、棄教したと言われているが、しかしある資料によれば生涯教皇グレゴリウス13世に謁見した事、バチカンで体験したキリスト教文化を思い出して仲間たちを偲んだと言われている。1590年(天正18年)の帰国に至るまで、8年間にわたるルネッサンス華やかなヨーロッパを旅した最初の日本人として心にしみる感動の数々は決して簡単に忘れ去られるものではないであろう。時代の厳しさを思わざるを得ない。以後300年の禁教時代を経て江戸末期にようやくプロテスタントキリスト教が伝達されることとなった。

 

 

 

 教会は神の家族として全教会員共に感謝と喜びをもって豊かな交わりを形成する共同体である。聖書にある通り、『喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。』(ローマ書1215-18節)との教えを心にとめてよい交わりを継続したいと願っている。

 

 

 

   4月から大変うれしいことに教会学校の生徒さんが大勢礼拝に出ている。子供たちは私たちの宝です。否、この世の宝です。子供たちは親のものでも家族のものでもなく、本当は神様から預けられているものなのです。古くは学校教育はルターによる宗教改革の結果誕生した制度ですが、子供たちを養育する務めは両親に課せられています。児童、少年少女は義務教育が課せられていますが、学校教育に任せる前に家庭において両親がその生育に責任を持たねばなりません。両親はその心の成長を豊かな愛情を注ぐことによって育ててゆきます。

 

 

 

  J.J.ルソーの『エミール』に教えられる通り、日々成長の段階に応じて両親は子供の成長にとって益する事柄を学ばせなければなりません。忙しい生活の中ではついつい自己判断や感情にゆだねて子供をしつけようとしますが、こどもは親の強制によって品性を身に着けることはないのです。将来子供たちは世のため人の為に働く人となりますが、その最高の目標は神様によって定められた生き方を身に着ける事なのです。ですから教会で聖書を学ぶ機会を多く持つことがよい父となりよい母となります。やさしさ、正しさ、我慢強さ、熱心さ、は感謝する心によって心に根付きます。私達はその根源をキリストの十字架に至る愛と赦しによって学びます。

 

 

 

  小さい時から祈りの訓練をし、自分の為に祈る事、感謝する事、愛する事、赦すことを言葉に出して練習することが、大人になって窮地に陥っても神と共に克服する力を発揮する事が出来ます。神様を知らない人は裏切りとののしり、復讐と反逆をもって対抗する事しか身に着きません。教会学校を通じて心にゆとりを得、友達との融和と激励を身に着けることになります。普通の生活では対抗、攻撃、反抗心が優先され、愛と赦しは時には偽善を生んでしまいます。聖書を通し、キリストの働きを通して本当に神さまが喜ばれることは何かを考えて身に着ける事が出来るのです。子供たちが興味を持つ事、それはまず自然の環境であり、日常生活の中で見聞きすることが中心になります。熱中している事柄を中断させないようにすることが集中力を養うことにつながります。少なくとも小学校の低学年においては言葉をもって話しかけるようにその行動を見守ることが求められると思います。小さい時に十分集中力を身に着けた子供は中学、高校の受験においても一人で集中して学習能力を高めます。物知りのこどもであっても心から集中力をもっていない子は大学受験においても中々成果が上がらないと思います。これらは長年中高生の教育に携わった私の経験から自信をもってお話しできます。

 

 

 

   さて70歳を超えて感じるところは日々経験する事ですが、何事にも適応できる体力を要請する事です。私は家族の教育費に余裕をもって対応できる環境にあったわけではなかったので、赦される限り精一杯働きました。40代ではクラス担任をしながらラグビー部を指導し、チャプレンとして任務を果たし、水曜日と日曜日は教会で働き、さらに神学校で授業も数コマ担当しました。おかげで銀行から沢山借金をしながら家族を支えました。健康で体力があったから可能であったと思います。小学生、中学生、高校生の体の成長期には十分な活動をすることが将来の活力を支えることになります。米国留学中に欧米人は数日徹夜しても頑張れる体力を持っていることに驚きました。食生活と運動量の違いであることを知りました。病気や障害がある場合は別ですが、問題がなければ子供たちにぜひ十分な体力をつけさせてもらいたいと思います。子供たち一人一人は皆違った存在です。しかも将来どのような働き人になるのかもわかりません。教会は一人一人を大事に育てます。

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 63》

 

 

牧師 中川 寛

 

 

 

 

 去る3月19日、礼拝に引き続き教会員であったT兄の

 

記念会が執り行われた。昨年12月23日、引っ越し先の

 

石垣島で膵炎が悪化し亡くなられた。享年61歳であった。

 

記念会には東京在住の親族の方々をはじめ、豊玉中学

 

時代の恩師、同級生の方々が参列され共に故人を偲んだ。

 

T兄は聖学院高校に進学され、その後電子工学を学び、

 

卒業後は種子島に渡りロケット工学を専門に、日本の宇宙

 

開発事業に従事された。聖学院を卒業された後洗礼を受けて

 

クリスチャンとして桜台教会の青年会で活躍された。後に

 

種子島での仕事を終えて長く西表島で自然保護と観光

 

の仕事に就かれていたが、先に召された御母上の介護の為

 

東京に戻られ、教会学校の教師としても協力して下さった。

 

御母上が召された後、昨年2月に石垣島に亘ることを決意

 

され、引っ越し先の近くに教会があるとの事で、あちらでの

 

教会生活を楽しみにしておられた。姉上の話によれば

 

体調を壊して教会生活も不本意ながら十分にできなかった

 

との事であったが、ご家族をあげて教会生活をされた

 

桜台教会でお別れの時を持ちたいとのご希望により、

 

納骨前に記念会を持つこととした。

 

 

 T兄は生前教会の愛唱讃美歌、愛唱聖句の登録を

 

されていて、記念会ではその賛美歌を歌い、残された

 

聖書の箇所から説教をさせていただいた。

 

その聖句から聖学院時代に身につけられ、信仰を温めて

 

生きてこられた足跡を知らされることとなった。高校時代の

 

同級生には献身して牧師になった者、洗礼を受けて

 

クリスチャンになった方々も大勢いたことを知らされた。

 

特に詩編の139編を愛唱聖書とされていたのには大いに

 

教えられた。その聖書の語るところは彼の人生そのものを

 

物語っている思いがした。

 

 

信仰者の目標としてその個所を紹介しておこう。

 

詩編139編より主よ、あなたはわたしを究め わたしを

 

知っておられる。 座るのも立つのも知り遠くからわたしの

 

計らいを悟っておられる。 歩くのも伏すのも見分け わたしの

 

道にことごとく通じておられる。わたしの舌がまだひと言も語ら

 

ぬさきに 主よ、あなたはすべてを知っておられる。前からも

 

後ろからもわたしを囲み 御手をわたしの上に置いていて

 

くださる。その驚くべき知識はわたしを超え あまりにも

 

高くて到達できない。 どこに行けば あなたの霊から離れ

 

ることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることが

 

できよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし 陰府に

 

身を横たえようとも 見よ、あなたはそこにいます。 曙の翼

 

を駆って海のかなたに行き着こうとも あなたはそこにも

 

いまし 御手をもってわたしを導き 右の御手をもって

 

わたしをとらえてくださる。 わたしは言う。「闇の中でも主は

 

わたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」 

 

闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を

 

放ち 闇も、光も、変わるところがない。あなたは、わたしの

 

内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。

 

わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力に

 

よって 驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに

 

驚くべきものか わたしの魂はよく知っている。 秘められた

 

ところでわたしは造られ 深い地の底で織りなされた。

 

あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。 胎児であった

 

わたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々は

 

あなたの書にすべて記されている まだその一日も造られ

 

ないうちから。 あなたの御計らいは わたしにとっていかに

 

貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。 数えようと

 

しても、砂の粒より多く その果てを極めたと思っても 

 

わたしはなお、あなたの中にいる。どうか神よ、逆らう者を

 

打ち滅ぼしてください。わたしを離れよ、流血を謀る者。

 

たくらみをもって御名を唱え あなたの町々をむなしくして

 

しまう者。 主よ、あなたを憎む者をわたしも憎み あなたに

 

立ち向かう者を忌むべきものとし 激しい憎しみをもって

 

彼らを憎み 彼らをわたしの敵とします。 神よ、わたしを究め 

 

わたしの心を知ってください。わたしを試し、悩みを知って

 

ください。 御覧ください わたしの内に迷いの道があるか

 

どうかを。どうか、わたしを とこしえの道に導いてください。』

 

 

 これは偉大なイスラエルのダビデ王が詠んだ歌である。

 

全能なる神のご経綸にすべてをゆだね、その誕生の時から

 

人生の紆余曲折に至るまで、神のご支配に圧倒されつつ

 

信仰の確かさを感謝する詩である。かつてT兄は「咲島諸島

 

からは夜は南十字星が見え、日中は台湾も見えるんです。」

 

と話されたことがあった。中国との政治的問題を除けば、

 

「台風はあっても冬でも暖かく、自然に恵まれた最高のところ

 

す。」と話されていたことを覚えている。まだまだ活躍して

 

もらいたいと願っていたが、天上にある兄弟の霊を覚えつつ

 

善き交わりを感謝した。

 

 

 

 

 

  米国が疲弊した現実を改革するために多方面で

 

新しい方策を取り入れて国造りに着手している事情は、

 

大統領への反発やフェイクニューズに左右される中でも、

 

驚きをもって見直される。ペンス副大統領が自ら『わたしは

 

ボーン・アゲイン・クリスチャンである。』と表明する姿勢に

 

強いキリスト教精神を感じさせられる。中でも新たに選ばれた

 

保険・教育長官のベツィー・デボス女史の働きには大いに

 

期待されるところである。その就任の様子を実況放送で

 

見たが、改めてミシガン州での成功の実績を高く評価

 

されたデボス女史の評価の高さに驚かされた。彼女の

 

ご主人は「アムウェー」創設者の一人、リッチ・デボス氏の

 

長男で成功した実業家ではあるが、熱心な改革派教会の

 

長老として奉仕するミシガン州知事候補にもなった人である。

 

ベツィー自身もミシガン州のカルヴァン大学を卒業しており、

 

数年前までパサデナのフラー神学校の理事として貢献した

 

人物である。先にNHKで放映されたオレゴン州ポートランド

 

市のホームレスに落ちて行く米国社会は、かつて中流であった

 

大学出の家族の現状同様に。ミシガン州では数年前から

 

悲劇的な社会現象として、多くのクリスチャン達が大きな

 

復興への課題として取り組んでいた。彼女は学校に行け

 

ない子供たちの為に、多くのチャーター・スクール(認可学校)

 

を作り、奨学金を保証していたと言う。彼女自身多くの養子を

 

育て、米国再建の為には家族の復興が第一であることを訴え、

 

地域社会に健全なキリスト教的家族愛を育てる努力を

 

続けてきた。彼らの働きが功を奏するにはまだ時間が

 

かかるが、キリスト者としての強い信念に裏打ちされた

 

成果は必ず実現されることと思う。米国がわずか1%の

 

金持ちに支配され、多くの健全な働き盛りの中流であった

 

人々が、ここ20年の内に自殺者やアルコール中毒者、

 

薬物使用者で死者が1,2倍に増していると言う。この実情は

 

一般には報告されない。また日本においてはまだこれから厳しい

 

社会現象が起こると言われる。貧困女子問題、下流老人の

 

年金問題は他人事とは言えない社会問題である。大学生へ

 

の奨学金返済無用があっても、社会構造的に救済可能なのか、

 

地方の格差が著しい今日においては一時凌ぎとしか

 

思われない。私たちにできることは大きくはないが、そして

 

大きなことは望めないが、希望を捨てないで努力し続ける

 

ことが大きな証しになると思う。

 

 

 

 子供達への教育はまずキリストの学校において、

 

自信をもって聖書教育を行うことである。見える世界が

 

すべてではなく、見えない神が見ておられることを知らせる

 

ことが求められる。聖書の神は真実であって真理を告げてい

 

ることを教会は広く証ししなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 62》

 

 

  牧師 中川 寛

 

 

 

『皆さんに神のご加護を。米国に神のご加護

 

がありますように。』 これは去る228

 

米国大統領トランプ氏が行った最初の議会演説文

 

の毎日新聞に掲載された翻訳の最後の言葉です。

 

就任40日、大統領がどのような働きをするかは

 

まだ不透明です。軍事費増強により戦争の危機は

 

増したと言わねばなりません。『偉大なアメリカ』

 

を標榜する大統領の意図は世界を平和に導くとは

 

言えません。米国の力の復権のために「神のご加護を」

 

と結ぶのは余りにも傲慢であると言わざるを得ません

 

。一般に「God bless you.」は「神様があなたを祝福

 

して下さるように」との意味であって「神様があなたを

 

ご加護される」との確証ではありません。「アメリカは

 

今後神が祝福されるように努力しましょう。その結果を

 

神が祝福されることを願います。」との意味であって

 

、何でも神のご加護をもって終えるならば人間の努力は

 

不要になります。日本人の宗教意識が問題だと言う

 

べきでしょう。聖書が語る祝福は旧約族長物語にある

 

通り、老いた族長イサクが妻リベカの陰謀により双子

 

の兄エサウに長子の権を与えるべきところ、弟の

 

ヤコブに祝福を与え、兄エサウが父イサクに祝福を

 

願ったけれども与えられなかったのです。Blessing

 

(祝福)は「神のご加護」とは異質のものであって

 

単なる慰めの言葉ではないのです。

 

 

 

 私は米国の再生のために大統領自ら分裂した民主、

 

共和両党の議員たちに努力を呼びかけた最後に、

 

神による祝福を勝ち取りましょうとの宣言として

 

語られた言葉だと理解しています。それはやがて

 

トランプ政権の成果として実現されなければならない

 

事柄で、私自身この成り行きを見守って行きたいと

 

思います。対立するメディア攻撃に見られる通り、

 

また出席議員の服装や反応において確認される通り、

 

反対者の多い中での最初の議会演説ではあったもの

 

の、ウソの情報を流していたと、その動向を許さなか

 

った米国CNNの視聴者の70%を超える人々が歓迎を

 

もって演説を聞いたという結果報告には驚いた。また

 

選挙戦最中のトランプ氏のスピーチと違って好印象の

 

内容であったと思う。それが議会演説の作戦であった

 

としても120%の賛辞を与えた人までいたと言う

 

ことは今後の活動に弾みをつけるものとなったに

 

違いない。米国株価の上昇も3月中に暴落するとの

 

予測はあっても最上昇したことは間違いがない。

 

やがて米国の影響は日本にも及ぶであろうが、

 

良い影響を受けたいものだ。

 

 

 

 「トランプの神は聖書の神ではない」と厳しく

 

批判する米国主流派の神学校教授たちが激しい批判

 

を加えてはいるが、CNNやオバマ勢力に影響を受けた

 

印象を拭いきれない。米国福音派のリバイバル的覚醒

 

がトランプ氏を支持する勢力となっていることは事実

 

である。ノーマン・ビンセント・ピール牧師の

 

『積極的信仰』を不信仰の証しとして裁断することは

 

できないであろう。今や日本のキリスト教会は米国

 

大統領の信仰を否定するほどの余裕はない。自立し

 

自覚的宣教の使命をはたすためには祝福を勝ち取る

 

ために、あれもこれもしなければならない。十字架の

 

キリストが福音そのものである証しは教会においてこそ

 

明らかにされなければならない。ウォール街の議論では

 

なく貧しくとも絶えることのない宣教の努力が継続され

 

なければならないのである。

 

 

 

 暗殺された金正男氏の事件に見るまでもなく、

 

世界は魑魅魍魎(ちみもうりょう)跳梁跋扈

 

(ちょうりょうばっこ)する世である。善なるもの

 

が疎んじられ、不義なるものが跋扈する悲しい時代で

 

ある。人間としての品位と尊厳が軽視される時代は

 

社会の頽落の時代である。人生の目的を自覚し、

 

高貴な人間性を磨くことが求められる。そのためにも

 

教育の再生が促される。

 

 

 

 

 先日ハワイに住む孫達に会いに行った。まだ二歳に

 

なったばかりの孫娘が熱心にiPadをスラッシュして

 

好きな動画を見ていた。この歳の子がもうiPad

 

自分のものにしているのをみてショックを受けた。

 

レストランでの態度もおとなしく、他の客に迷惑を

 

かけないしつけは両親の努力の賜物であろうと感じた。

 

子供のしつけは教会でも同じである。礼拝の間中静かに

 

できる子は初めから静かにしているのではない。親が

 

時に応じて訓練し、讃美歌を共に歌う喜びの中で

 

自然に身に着けるものである。会衆が讃美歌を

 

楽しく歌っている姿を見て子供達も楽しく歌うことを

 

身に着ける。教会学校で訓練された子は将来世界の

 

舞台で自信をもって活躍する事が出来る。聖書の

 

話を通して何をなすべきか、良いことはどのような

 

ことか、しなければならないことは何かを学ぶ。

 

それは親が厳しく教育する事柄ではなく、周囲の環境

 

によって子供たち自身が自覚し見習ってゆくのである。

 

クリスチャンは自分の信仰の証しの為にのみ礼拝に

 

参加するのではない。教会に集うクリスチャンの模範

 

として子供たちが見習うのである。信仰の継承は

 

そのようにしてなされる。残念なことだが自分の

 

都合によって教会生活を送る者は信仰の継承が

 

できない。教会学校の再生と年配クリスチャンの

 

リバイバルが教会を活性化させる。牧師の家庭や

 

教会役員の家庭では信仰の良い証しができにくい。

 

教会員の悪口を言ったり、教会の問題点をさらけ

 

出して、教会は余りにも問題が多い場所である

 

ことを吹聴してしまっている。良い証しができる

 

ためには、人を判断するより天を見上げ、キリスト

 

を賛美する喜びを語らなければならならない。

 

桜台教会はやがて迎える創立70周年を前に

 

それを目指して宣教する。次年度から新しい企画を

 

提示し、ともに信仰の成長を目指したいと願っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 61》

 

 

   牧師 中川 寛

 

 

 

 去る1月20日(金)の第45代トランプ大統領の

 

就任式をCNNの実況中継で見た。予想以上に秩序だった、

 

感動を与えるものであった。トランプ夫人の持つ

 

リンカーンの聖書とトランプ家の聖書の上に手を

 

置いて誠実に大統領の職務を全うすると言う宣誓に

 

多くの人々が感動したようだ。しかし就任式においても、

 

その後の大統領の職務発動においても世界の大手メディア

 

の報道は反トランプに彩られている。日本の多くの

 

マスコミも同様である。様々な世界政治の報道には

 

いずれも報道の意図が表明されるものだが、今日悪意

 

ある報道や偽の情報が放たれ、庶民が聞かされている

 

情報の真偽がさらに深く疑問を抱かせるものになって

 

いる。トランプ政権は既に偽情報を流すものとして

 

大手マスコミを相手にせず、独自のSNSを使っている

 

。これは悲しい深刻な事態である。日本の報道もその

 

真偽は疑わしいものになりつつある。情報こそ正確で

 

なくてならないにも拘らず、メディアの発信する情報

 

が偏っていては国民が危機にさらされる。私は見な

 

かったが、NHKの実況中継も客観性を欠いていたと

 

言われる。議事堂前に広がる公園にはオベリスクの前に

 

至るまで大群衆が詰めかけていたが、あえてまだ空席

 

の目立つ就任式前に撮った写真をオバマ大統領の

 

就任式と比較して参加者が少なかったと公表した。

 

しかしCNNで見た限りやはり空白が目立つなどと

 

いうことはなかった。特に残念だったのは就任式

 

の通訳者の無知と語彙不足はCNNの通訳放送では

 

聞けるものではなかった。途中から通訳をやめて

 

しまったが、その方がよく理解できた。聖書の朗読

 

や引用についての教養の無さは嘆かわしいものであった。

 

 

 

 

 トランプ大統領のクリスチャンとしての有り様に

 

ついては選挙前からの諸演説において、必ずしも

 

手本とされるようなものではなかったが、しかし

 

就任演説ではキリスト教国アメリカの味を十分出し

 

ていた。旧・新教派を超えて牧師、聖職者、ラビに

 

至るまで聖書朗読、祈祷、祝祷を担当し、式後の

 

昼食会においても祈祷をもって開式し祈祷と祝祷を

 

もって閉会する様子は他に見られない教会方式と

 

なっていた。過去の大統領がどうであったかは知ら

 

ないが、就任式前に家族とスタッフ一同が教会に

 

集い礼拝をもって就任式に臨む姿は初めて見た。

 

たとえすべてが形式的であると差し引いてみても、

 

改めてキリスト教国アメリカがなすべき筋道を

 

手本として示していたように思う。保守派キリスト

 

教徒の支援を得たものと言われる中でも、彼が

 

若い時からノーマン・ヴィンセント・ピール牧師

 

の推奨した『積極的信仰』を身に着けてビジネス

 

マンとして努力した人物であることを思えば、

 

就任式でのビリー・グラハム二世の祈りが大きな

 

意味を持ったと思われる。今後どのような

 

キリスト教的手腕を発揮するかは見ものだが、

 

すでに教会人として政治に責任を持つべきである

 

ことを発言している。そのために福音派の政教分離

 

の原則を見直すべきであるとの発言も聞かれる。

 

すでに日本の非キリスト教系保守派は宗教法人法に

 

ある教会の非課税を撤廃せよと発言している。

 

これは他宗教にも関係する事なのですぐに議論される

 

ことではないと思われるが、反戦平和を主張する左翼

 

系キリスト者の活動を敵視する人々の言いがかりとも

 

受け取れる。

 

 

 

 過去8年間のオバマ政権が実施した様々な政策が

 

代えられようとしている。まだ暫くは大変化が起こる

 

と思われるが、しかしEUにおいてもその影響は大きい

 

と言われる。先日欧州を襲った寒気団によりイタリア

 

南部でも大量の降雪があり、アドリア海に面した

 

リゾート地に雪崩が起こり宿泊者をはじめ大勢の方々

 

が亡くなった。多くの国際世論は寒さに凍える難民

 

 

 

にイタリア政府は支援すべきだとの意見が発表され

 

たが、実はイタリア人自身が初めて体験する豪雪の

 

被害で、難民は米国のオバマ政権が生み出したもので

 

あるから米国が積極的に救援すべきだとの意見が発表

 

された。信じがたい報道ではあったが、昨年地震で

 

被災した地域の復興も放置された状態で、難民救済

 

を優先する余裕は全くないとの意見であった。

 

これはインターネットで報道された記事ではある

 

が理解できる。

 

 

 

 今やメディアの報道が信頼されない事実を含む

 

とき、私たちは冷静にその発信源と報道機関を

 

見極めなければならない。日本の国政についても

 

同様のことが問われている。対馬は韓国に近い

 

日本海に位置するが、その多くは韓国からの

 

観光旅行者に依存していると言う。韓国風の

 

旅館が立ち、土産物店や食堂まで韓国人の経営だ

 

そうだ。自衛隊が駐留し、訓練を行う山奥の高台

 

に韓国人の男女3名が観光と称して島全体の写真を

 

撮っていたという。多くは北の工作員が誘致運動を

 

して島の議員たちも韓国旅行社に依存する島の経済

 

では口出しできないそうだ。ある写真を見たが、

 

対馬にある旅行者歓迎の看板はハングルと共に

 

「東海に位置する対馬へようこそ」と書かれていた。

 

やがて「竹島」同様に対馬も占有されかねない実情

 

であるとの事。大手メディアは一切このような記事を

 

報じてはいない。池袋北口近辺がチャイナタウンと

 

化しているように、善良な日本人は犯罪が多発化する

 

中で日本脱出を志向するようになっているのかも

 

しれない。

 

 

 

 トランプ新大統領の本領がどのように発揮される

 

かはなお不透明であるが、わたしはその根底に福音的

 

信仰のあることを信じて大いに期待したいと思う。

 

平和ボケした日本人の事情に誰かがくさびを打ち込む

 

ことであろう。

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 60》

 

    

    牧師 中川 寛

 

 

 

 

 様々な感動を呼んだリオ・オリンピックが閉幕し、

 

引き続きリオ・パラリンピックが開催される。困難を

 

克服して四年ぶりに世界の各アスリートたちが競技

 

を競う。そして四年後には東京・オリンピック、パラリン

 

ピックが開催される。すでにその準備が着々と進め

 

られている。暗い紛争とテロの時代を迎えたが、世界

 

の人々が平和の祭典を成し遂げることには大きな

 

意義がある。人はどのような環境にあっても夢を

 

持ち続け、努力を重ねることが世界平和と発展に

 

結びつくことを覚えたい。同時に様々な不正も

 

暴かれ、時間はかかってもよい進展がみられるに

 

違いない。

 

 

 

 

 1964年の前回東京オリンピック開催時、私は

 

高校2年であったが、前年のプレオリンピックを

 

通じて大阪でマラソンのアベベ選手を見た。

 

またアフターオリンピックでは当時の新設長居

 

競技場で英国の美人ランナー、アン・パッカー

 

選手を見た。日本のアスリート達の熱戦の様子を

 

テレビ観戦したが、同時に直接外国選手の様子

 

を見ることができたのも世界に目を向けるきっかけ

 

になった。ぜひ東京では青少年たちに大きな夢を

 

描かせる大会を開催してもらいたい。教会も世界

 

の人々を招く礼拝の準備をしたいと考えている。

 

 

 

 

 この八月、教会関係のK婦人が亡くなられた。

 

先に亡くなられたご主人の葬儀を行った関係から

 

ご子息が八月初めに相談に来られ、主治医から

 

病状が進んでいるとの話を受けたという。いつも九月

 

の召天者記念礼拝にご家族で礼拝に参加され、

 

お孫さん達も卒園生であった関係から、バザーでも

 

協力して下さった方であった。話を伺って入院先の

 

病院にお見舞いに伺ったが、すでに人工呼吸器を

 

つけて眠っておられた。一週間後に息を引き取られ

 

葬儀を行った。改めて深く身に感じたことであった

 

が、一人一人の人生は推し量ることのできない

 

深く大きな歴史と伝統に支えられている。そして

 

どんな人も豊かに価値あるものとされているという

 

を覚えさせられた。

 

 

 

 

 お元気な頃、お目にかかって言葉を交わす中に、

 

K夫人は常に凛とした気品ある立ち居振る舞いを

 

される方だとの印象を持っていた。ご家族の話から

 

生前、茶道石州流の師範をされ、お茶の仲間と深く

 

親交を持たれたとの事であった。私は茶道に

 

ついては千利休と共に裏と表の関係しか理解して

 

いなかったが、石州流についての知識を深くした。

 

 

 

 

 

片桐貞昌(石州)は関ヶ原の戦い後、小泉藩

 

(大和郡山)の第2代藩主であったが、1665年

 

徳川家綱の時代に茶道指南となり江戸時代の

 

武家社会において、武士道を志す作法の一つ

 

として深く深く武士階級に浸透した流派である。

 

芭蕉の門人であった宝井其角もその流儀の茶を

 

たしなんでいたという。歌舞伎で有名な赤穂浪士

 

討入前夜の忠臣蔵外伝『松浦の太鼓』は私の

 

好きな演目の一つであるが、見事に武士道精神

 

が演出されている。

 

 

 

吉良邸隣の平戸藩江戸屋敷の松浦候が主催した

 

茶会の席で、赤穂藩と親しい俳人其角を罵倒し、

 

松浦候は、仇討ちをせぬ赤穂は、同じ山鹿の門下

 

であっても、赤穂藩は意気地なし、と卑下していた。

 

其角の友人、歌人でもあった赤穂浪士大高源吾

 

忠雄)は前日両国橋の袂で、大晦日のすす払い

 

の竹売りしていたところ、其角に出会い西国への

 

就職が決まり明日旅たちすると話した。宝井其角

 

はそれを聞いて、『年の瀬や水の流れと人の身は』

 

 

と詠んだが、大高源吾はこれに応えて、『あした待た

 

るるその宝船』と返したという。宝井其角が罵倒され

 

た松浦邸の茶会を去ったあと、隣の吉良邸から

 

山鹿の陣太鼓が響き、松浦候もその音を聞いた。

 

やっと赤穂浪士の仇討ちが行われたことを確認し、

 

松浦候は興奮して赤穂藩を褒め、喜んだという

 

内容である。茶道石州流は松江の松平藩、彦根

 

の井伊直弼らにも受け継がれて礼節を知る武士道

 

の精神的人格形成にも大きな影響を与えた。

 

 

 

 

 実はK夫人の家系から他に大きな武士の伝統を

 

学んだ。旧姓恩田と言われ、信州松代藩真田信安

 

に家老として仕えた恩田民親(木工もく)の末裔で

 

あることを教えられた。テレビでは真田幸村物語が

 

行われているが、信州に残った江戸中期の松代藩

 

真田家再興に努力された恩田木工については

 

直接歴史を学ぶ人か信州地元の人でしか知らない

 

のではないかと思う。しかし恩田木工の働きは注目に

 

値する。文献によれば次のように記されている。

 

恩田 民親(おんだ たみちか、享保2年(1717

 

- 宝暦121月617621月30))江戸時代

 

中期の松代藩家老百官名は木工。恩田木工

 

(おんだ もく、「杢」とも記される)として知られる。

 

宝暦7年(1757)民親は「勝手方御用兼帯」に

 

任ぜられ藩政の改革を任された。質素倹約を

 

励行し、贈収賄を禁止、不公正な民政の防止など

 

前藩主時代に弛んだ綱紀の粛正に取り組んだ。

 

また、宝暦8年(1758藩校「文学館」を開き文武

 

の鍛錬を奨励した。民親の取り組んだ公正な政治

 

姿勢や文武の奨励は、藩士・領民の意識を改革

 

した。松代藩は幕末期には8代幸貫は佐久間象山

 

を登用した。1847弘化4年)善光寺地震

 

起こり復旧資金の借り入れにより、藩債は10万両に

 

達した。9幸教は、ペリーの浦賀来航時に横浜

 

応接場の警備を命じられ、その後も江戸湾の第六

 

台場等の警備などを務めたことで、藩財政は破綻

 

寸前となった。先代幸貫が計画した新たな藩校

 

文武学校」を1855安政2年)に開校した。

 

1864元治元年)、朝廷から京都南門の警衛を

 

命じられ藩兵を率いて上洛し、禁門の変が起こると

 

参内して朝廷の守りについた。明治維新の際、松代

 

藩は比較的早くから倒幕で藩論が一致し、戊辰戦争

 

には新政府軍に参加して多大な軍功を挙げた。

 

1871明治4年)廃藩置県により松代県となり、

 

その後、長野県に編入された。』とある。夫人の

 

弟君が葬儀に伴われ、「姉が亡くなって寂しく

 

なった」と悲しまれたが、激動期を生き抜いてきた

 

ご家族の伝統は今後も消えるものではないだろう。

 

しかし夫人は決して自らの家系を誇ることはなかった。

 

ご子息によると『母は内助の功に徹して、父に対して

 

あれこれ言うことは全くなかった。』との事であった。

 

 

 

 今日各世界で女性の活躍には目覚ましいもの

 

がある。しかしそれは単なるウーマンリブとは違うもの

 

である。筋の通った立ち居振る舞いができる背後

 

にはそれなりに教育されてきた伝統がある。世の為

 

 

人の為に働くことは一朝一夕でなしうることはできな

 

い。せいぜい続いても三代までと言われるのも無理

 

からぬことである。かつて新渡戸稲造は『武士道』を

 

発表したが、内助の功を語る婦人について次のよう

 

に記している。『娘としては父のため、妻としては

 

夫のため、母としては息子のために尽くすことが

 

女性の役割であった。男性が忠義を心に、主君と

 

国のために身を捨てることと同様に、女性は夫、家、

 

家族のために自らを犠牲にすることが、たいへん名誉

 

なことであるとされた。自己否定があってこそ、

 

夫を引き立てる「内助の功」が認められたので

 

ある。』 かつてはそれが良妻賢母の教えであった。

 

今働く女性を前に同じことは言えない。しかし家族の

 

伝統は様々な場で培われることに違いはない。

 

悲しいかな今日では葬儀も簡単に済まされて

 

しまう時代であるが、冠婚葬祭を通して実は人は

 

精神的に深く養われているのである。物質主義

 

やエゴを主張する新自由主義も実は人間の本当

 

の豊かさを刈り取ることになっていないかを反省

 

しなければならない。多くの友人に恵まれている

 

ことを感謝する。

 

 

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 59》(『月報7月号』より)

 

 

牧師 中川 寛

 

 

 

 英国のEU離脱についての選挙結果には

 

驚いたが、しかし難民を抱えたEU世界の実体

 

を知らされるにつけ、各国の経済的社会的現状

 

が将来の不安を生んでいることが理解される。

 

英国の離脱決議も実行されるのは二年後との

 

事であるが、世界経済がどのように推移するかは誰

 

にもわからない。一時の株価暴落によって300兆円

 

ものお金が消える世界は理解しがたいが、やがて

 

社会にも反映される事であろう。グローバルな

 

世界に縛られている世界の現状では金融業界

 

は一番左右されることになる。或いは持てる者

 

の悩みと言うべきか。その日暮らしの小市民に

 

すぎない私達には尽くす手立てなどないが、

 

せめて日本の将来を考え、世界の未来を志向

 

する政治家に立ち上がってもらいたい。あらゆる

 

利権にあぐらをかいて政治的権力を行使する

 

人々には天罰が降るとあえて予告したい。政治

 

資金規正法による常識を超えた金銭感覚に

 

生きる人々の実体を知らされ、減税を断行せよ

 

と叫ばなければならない。富を持たざる小市民

 

はせめて正義を貫き良心を尊重する生き方を

 

貫きたいと思う。

 

 

 

 

 

 それにつけてもクリスチャンが神を畏れ真実と

 

公平、正義を求めて生きる価値観を身につけて

 

いるはずなのに、その信仰が子孫に継承され

 

ないのは残念なことである。教会との結びつき

 

を曖昧にしてきた結果である。西洋の自由主義

 

と共に信仰の自由を放置したことが家庭崩壊を

 

生み倫理の規範を持たないまま成長して瓦解

 

する結果となる。封建時代への復古主義は是と

 

しがたいが、武士道に裏打ちされた日本人の

 

精神的健全さはそれなりの価値を持っていた。

 

終戦後は天皇制と復古主義は否定されたが

 

キリスト教的精神文化が継承されなくなって

 

混乱を来した。教育勅語は『朕思うに~』から

 

始まるゆえに天皇優先の勅語であるが、モーセ

 

の十戒、山上の説教、主の祈り、キリスト者の

 

生活訓等聖書に基づく教訓を学べば、

 

教育勅語よりはるかに優れた教えであること

 

が分かる。キリスト者はそれらの戒めを軽んじ

 

てきた。信仰は個人の自由との思い込みにより

 

聖書の絶対性を解いてこなかった。『修身』とは

 

まさに身を治めることであるが、中国では君子・

 

貴人・大人の教育の為には『四書五経』【四書

 

とは大学・中庸・論語・孟子、五経とは易経・

 

詩経・書経・春秋・礼記(らいき 儀式作法の

 

書)】を学ばせた。士族の家庭においても

 

「修身」を重んじた。また古くから日本では

 

修身・斉家・国家安寧』(身を修め、家を整え、

 

しかして後に国が安定する)との教えがあった。

 

しかし戦後教育は戦争に結びつくものとして

 

すべて古い教育を否定し、新しい自由主義

 

なる道徳倫理を教えることになった。聖書は

 

最も古い人間教育の書であり人生の教導書で

 

あるが教会もまたこれを軽んじた。

 

 

 

 先日聖学院で開催された『教会と学校との

 

懇談会』に参加した。聖書科の教師が文科省

 

の決定した「道徳」教科の推進に危惧を抱いて

 

いたが、かつて聖学院院長であった小田信人

 

牧師は、戦後義務教育課程においてキリスト

 

学校の道徳教育は「聖書」をもって行う事を

 

主張し、中学校における教科としての「道徳」

 

に聖書の教育を認可させた。それ故に私の

 

教員免許は「宗教」であり、「聖書」を教える

 

のである。私は教科としての聖書を教授して

 

きた。聖書の教授は日本の道徳教育に先立ち

 

世界の人間形成の規範として受容されている

 

ことを確認すべきである。キリスト教の経典を

 

教えることに異議を唱える者がいても。かつての

 

文部省が道徳に代わる教科として「聖書」を認可

 

している事実を認識しなければならない。これは

 

日本文化・教育への戦いの足跡であり、福音の

 

勝利のしるしである。

 

 

 

 

 

 

  《慰めと励ましの言葉 58》(『月報6月号』より)

 

 

牧師 中川 寛

 

 

 

 

 

    先日G7サミットが閉幕し、米国のオバマ大統領が

 

  広島の平和公園に足を延ばし、原爆資料館の見学と

 

  原爆慰霊碑に花輪を飾った。現役大統領としては

 

  71年目にして最初の人となった。戦争の様々な弊害

 

  が今日も多くの人々の人生を狂わせている。どのような

 

  ことがあっても戦争を起こしてはならない。不戦の誓い

 

  を持ち続けたい。米国大統領の広島訪問については

 

  様々な議論が飛び交った。その基本は謝罪はあるか

 

  とのことであるが、現役の米国大統領が謝罪するはず

 

  がない。45年8月6日の朝、祖父を失った私も謝罪を

 

  望んでいたわけではない。今更謝罪されても私たち

 

  の現実は変わらない。それより被爆地に足を運ぶこと

 

  の方が重要なのだ。

 

 

 

 

    米国は日本の終戦後も世界戦争を継続して

 

  いる国である。その国の責任者が71年前とはいえ、

 

  被爆国日本に謝罪するなど、世界の笑い者になる

 

  以外の何者でもない。謝罪するなら初めから戦争

 

  を仕掛けなければ良いのだ。しかしミリタリー優先の

 

  国家形成をしてきた米国がかつての敵国に謝罪す

 

  れば、将来にわたって米国は窮地に落とされてしま

 

  う。それでも謝罪を要求するなら、それは平和的

 

  展望を開くことのできない戦争愛好者になるだろう。

 

  現に各地域で戦う米国の存在が曖昧になるととも

 

  に、被害を受けた様々な国々が当然黙ってはいな

 

  いからである。

 

 

   

 

    まず被爆地を訪問して、かつて普通の人々が

 

  突然その生活を破壊され、地獄の惨状を味わわ

 

  されたか、またかつての惨状から広島長崎の

 

  人々、また日本国民がどのように立ち上がって

 

  きたかを見て、知るべきなのである。多少とも

 

  この残虐な世界をともに共有することが大事

 

  なのである。米国は今後も核爆弾を使用しない

 

  と言う約束はない。しかし広島長崎を訪問すれば

 

  直ちに核戦争を引き起こそうとする野心は制限さ

 

  れるのではないかと思う。

 

 

 

 

 

    オバマ大統領が真剣な表情で献花する映像は

 

  それなりに世界最高の為政者として緊張と決意

 

  に満ちたものであったと思う。その演説の内に核

 

  削減の決意は表明されていたが、勇気だけでは

 

  実現しないだろう。スピーチの後のヒバクシャとの

 

  握手と抱擁においてこそ謝罪と核廃絶の思いの

 

  表れがあったと思う。恨みを超えて敵国のヒバク

 

  シャが大統領を迎え入れるその心情こそ偉大な

 

  ものであった。

 

 

 

 

 

    日本人は被害を受けてもおとなしく、消極的な

 

  人種だと思われているが、もしそうなら戦後の

 

  目覚ましい復興と発展はなかったであろう。他の

 

  人種とは違った高い倫理性と向上心を持つ民族

 

  であることを自覚すべきであろう。

 

 

 

 

   戦時国際法に照らしても民間人への無差別

 

 攻撃であった原爆投下は赦されるものではない。

  

 東京大空襲や終戦間近か地方都市への空襲も

  

 同様である。また東京裁判における戦犯者への

  

 不公平な判定についても断じて許しがたいものが

  

 ある。戦争は軍関係を相互にやり合うことであって

   

 無辜の市民への虐殺行為は許されるものではない。

 

 

 

 

    謝罪は責任が伴うと共に相互に裁き合う結末を

  

 得る。謝罪があったから相互の関係が友好的にな

  

 るとは限らない。本当に赦された経験を持つ者の

  

 みが敵を許すことができるのである。キリスト教国

  

 であったはずの米国内において、大統領の広島

  

 訪問を良しとしない事情は目に見えて貧相な国民

  

 性を表明していることではないだろうか。しかし

  

 米国の国内事情はともかくも、オバマ大統領が

  

 被爆地を訪問し、歴史的なスピーチを行ったこと

  

 は是としたい。戦争の悲劇は終わらないが、反戦

  

 平和運動をもって平和が実現できるものではない。

  

 平和への意思が平和を生むのである。

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 57》(桜台教会『月報5月号』より)

 

 

    牧師 中川 寛

 

 

 千回を超える余震の続く熊本地震は今なお大勢の方々に

 

避難所暮らしを強いている。健康の被害は更に人々を苦しめ、

 

将来に対する不安の度を増している。私達は一刻も早く余震が

 

治まることを祈り続けている。直接的にはヴォランティア支援に

 

出かけることはできないが、様々な形で応援している。21年前

 

の阪神淡路大震災以来、東日本の災害に続いて今回もまた

 

日頃余り地震災害を予想していない地域で起こった。関西で

 

育った私は大きな揺れを経験したことが無かった。三鷹の寮

 

にいて、東京での小さな地震を経験して表に飛び出し、友人

 

達から笑われたことがあった。伊豆の新島では地鳴りのする

 

地震を経験し、動物の悲鳴を聞いて多少の怖さを経験した

 

が、島の人々は日常の事としてさほど慌てた様子はなかった。

 

しかしその後、火山の噴火を経験した大島や三宅島の方々に

 

おいては、離島避難しなければならない困難を経験される事

 

となった。小さな奉仕ではあるが、常に相互扶助の精神をもって

 

人々の救援援助の為に協力することを惜しんではならないと

 

肝に銘じている。特にゴールデンウィークに当たり被災者の

 

方々に平安が得られるように祈りたい。

 

 

 

 

 しかし人の不幸に乗じて泥棒や詐欺を働く輩は赦せない。

 

困難に乗じて悪を働く人々には必ず天罰が降ると明言したい。

 

そんな中、嬉しいことがあった。礼拝に来ていた求道中の青年

 

が牧師と挨拶を交わして別れた後に、自分のマンションの部屋

 

の鍵と自転車の鍵の付いたキーホルダーが無くなったと再び

 

戻ってきた。本人は自転車を固定して礼拝堂に入ったので

 

他に落ちている場所は無いと10分近く探し回ったが、果たして

 

発見できなかった。それは彼が私に受洗を申し出た直後で

 

あったので、私も何とか見つかるようにと必死で祈った。最近

 

のマンションの玄関の鍵は共同なので、住民全体に迷惑がか

 

かる。さらに交換の為に金額も高くなる。全員がほぼ諦めかけ

 

ていた時、念のために交番に届けておいた方がよいと御婦人

 

からアドヴァイスがあり、近くの交番に届けることにした。教会

 

では午後役員会があり協議案に集中したが、約1時間後に

 

ご本人が大喜びで教会へ戻ってきた。開口一番、どなたかが

 

教会の前の通りで鍵を拾い交番に届けておいてくれたと言う

 

のである。彼は自転車を置いた後、向かいの自販機で飲み物

 

を買った際落としたのではないかと自分の足跡を振り返った。

 

どなたか知らないが殊勝な方に皆感謝した次第である。一瞬

 

彼は地獄から天国に入った気分であると感謝して帰って行った。

 

 

 

 

 もう一つの話題も香港からの留学生の嬉しい報告である。留学

 

生の呉君は最近教会へ来た求道者であるが、熊本での地震の

 

実情を知り、中国人旅行者が日本語が分からず困っていた時、

 

SNSを通じて日本語に通訳して日本人に見せるとどこに行けば

 

良いかを教えてくれると言う翻訳のヴォランティアを始めた。

 

実際は日本人がどう伝えて良いのかわからなかったようだが、

 

旅行中の中国人にも安心できる手助けになったと言う。バク買

 

いやモラルの無さで批判されることの多い中国人旅行者では

 

あるが、震災の中でも安心できる情報を提供してあげることは、

 

人間同士の平和への大きな証しである。今後文化交流がさら

 

に進む上で、教会員は少なくとも『善』と言われることについて

 

は積極的に実行したいと思う。

 

 

 

 

 今教会では可愛いベィビー達が次々に与えられている。都会

 

での子育ては若い夫婦に負担がかかり様々な困難に遭遇して

 

いるが、是非、若いカップルの良い交流がなされ、継続して互

 

いに協力し合い、育児の手助けになる機会を提供したいと願

 

っている。

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 56》(桜台教会月報4月号より)

 

牧師 中川 寛

 

 

 

   昨年の秋以来教会の新しい展開を模索しつつ、他方桜台幼稚園

 

の閉園処置が不透明のまま、都税事務所から教会が無償の賃貸契約

 

している幼稚園使用地に対して2年分の固定資産税を課税するとの

 

通知を受けていた。その額約五百万円と言われていたが、今年2月に

 

なって四百七十余万円の請求書が届いた。教会の財政は赤字続き

 

で自転車操業の中、降って湧いた様な多額の税金支払いに困惑し

 

ていたが、逆に幼稚園から園舎を借りているとの無償の契約書が

 

あれば宗教法人は本来無税であるとの民法に従って処置すること

 

が出来るとの話を聞き、幼稚園側に話して契約書を作成した。

 

受難週の出来事であったが、都税事務所から桜台教会に対す

 

る固定資産税の課税は無税扱いとするとの連絡があり、年度末

 

の慌ただしい時であったがホット胸をなでおろした。教会の課題

 

がすべて解決したわけではないが、新しい活動の方針を確定す

 

るためにも今後の決断が求められることとなった。ぜひ皆さんに

 

教会の課題を覚えて祈っていただきたいと願う。

 

 

 

 

 

   イースター礼拝では信仰告白式があった。主イエスが言わ

 

れたように『幼子のようにならなければ天の国に入ることはでき

 

ない。』との言葉の通り、Aさんの立派な信仰告白を聞いて

 

出席者一同心から感謝した。教会員であろうとも各自は

 

信仰の度合いを推し量ることはできない。しかし福音に

 

生かされ、神への信頼に生きる信仰者を神は選び分かち、

 

豊かな祝福をもって支えておられることを知らせてくださった。

 

茅ヶ崎に住むY姉が久しぶりに礼拝に出席され、お目出度の

 

吉報を知らせてくださった。また多くの子供たちが礼拝後

 

エッグハントをし、楽しい愛餐の時を持った。久しぶりに

 

礼拝に参加された求道者の方々や初めて桜台教会に来られ

 

た方々など新しい夜明けを告げるイースターの礼拝を共に

 

することが出来た。年配の方々も礼拝に出たいとの願望を

 

もって日曜日を過しているとの事であった。確かに礼拝出席者

 

が少ないことはある種のさみしさを覚えるものではあるが、

 

できるだけ多くの方々を覚えて、平安と祝福が与えられる

 

ようにと牧会祈祷をささげている。

 

 

   私は日曜日の夜Ustreamを使って米国の日曜朝礼拝の

 

様子を学んでいるが、イースター礼拝で会衆が『キリストは甦

 

られた!』と声を合わせて語り合っている姿に触れ、時代を超

 

えて主の復活を喜ぶ共同体の在り方を学んだ。米国の教会も

 

礼拝の様子は様々で、共通しているところは聖歌隊で歌う方々

 

に高齢化が進んでいることや礼拝出席者が減少しているとこと

 

である。普段の礼拝では空席が目立っている。説教者は絶え

 

その問題を受け止めているようだが、様々な理由で礼拝に

 

参加できない人々が増えていることに変わりはない。

伝統的な賛美歌を歌うところもあれば、ギターを弾いてゴスペルで

讃美しているところもある。黒人教会では手を挙げて体を震わせて

讃美するところも少なくない。改革派や長老教会、メソジスト派

やバプテスト派の教会観の違いも鮮明である。ルーテル派は

信徒が司会を担当している。できることならインターネットで

配信できるような準備もしたいと考えているが、やはり礼拝に

共に集って互いの顔を見、声を掛け合って、初めて生きた

神の家族としての交わりが保たれることを覚えたい。特に桜台

には有難いパイプオルガンの響きがあることを感謝したいと思う。

自然の音が直接五感にひびく美しいオルガンの音色が小さな

子供の時から肌に伝えられることは何と幸せな事かと感謝

したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 54》(桜台教会月報3月号より)

 

        牧師 中川 寛

 

 

 

 今年の2月末、友人知人の死とご家族の死亡連絡を受けた。又自死した若い大学生の母親からも連絡を受けた。彼はうつ病で苦しんだ後電車に飛び込んだとの事であった。特に学校での働きを長く続けた私には普通の方より人間関係が多くあり、感謝と共に責任を感じることも多い。バス事故で多くの大学生の尊い命が損なわれたニュースもあったが、まだ若い多くの可能性を持つ若者の死は特に心が痛む。

 

 

 

3月に入って聖学院関係の方の葬儀が続いた。お一人は学校でくも膜下出血の為倒れ、五日後意識が戻らないまま亡くなられた。現役の数学のS先生で、前夜式には生徒と共に保護者の方々が大勢弔問に参加された。寒い夜であったが同僚の教員達がよく奉仕された。定年まで数年を残しての死は本人は元よりご家族、学校にとっても大きな損失であった。大学卒業後母校に奉職され私も随分世話になった。35年前、中学校は生徒不足で中学担当の教員が、遠く近く生徒募集の案内書をもって公立小学校への訪問を重ね何とか中学校を維持してきた。『やる気、本気、根気』の三気主義を掲げて教員が率先して校外授業に出かけ、その下見には若いS先生が常に率先して自動車を提供された。クラブ活動対外試合などでの生徒引率で担当教員が引率出来ない時も自分の責任のように自ら引受け責任を果たされた。長く進路指導部の責任を持たれたが、3年生が大学合格発表なるときれいな字で短冊に祝合格と大学学部名を書いて廊下を張り紙で一杯にされた。理科大卒の数学担当で、ややこしい会議の議論が行き詰った時には必ず論理の筋を通して事柄の解析をして議事進行に寄与された。同期の卒業生仲間からもその頭脳明晰さには一目を置かれ、裁判官になられた卒業生の保護者から頭の良さを褒められていたことを思い出す。まだまだ学校にとっても重要な役職を担う方であったのに残念でならない。

 

 

 

もうお一人の卒業生はもとNHKのスポーツアナウンサーとして活躍された西田善夫さんである。彼は母校を愛し通された。ある時滝野川教会での説教の奉仕をさせて頂いたが、西田さんは役員として接待して下さり、礼拝前の一時、祈祷室で礼拝の為と聖学院の為に熱心にお祈り下さった。キリスト教学校がこうした卒業生の熱心な信仰に支えられて祈られながら教育活動が進められていることを実感として味わうことが出来て感謝した。ノンクリスチャンの教員の多いキリスト教学校ではあるが、卒業生の祈りが学校を支えている事実は実にすばらしい。聖学院ならではの事であろう。西田さんのアナウンサーとしての働きや横浜サッカー場場長としての働き、話術の巧みさについては私が述べるには及ばないが、ラジオを聞きながら西田さんの声を聞くと安心して実況に耳を傾けた。実業界においてもその働きの広さ深さは葬儀で捧げられた献花のご芳名から納得されるものである。聖学院の卒業生には共通した誠実さがある。皆真面目に精一杯職務にまい進し社会に良い感化を残される。同窓の方々に報道関係の方が多いのも西田さんの存在が大きいものであったと思われる。ご遺族の皆様に主の平安と慰めを祈りたい。

 

 

 

 聖書に基づく生き方は崩れることが無い。常に魂の在りかを神においているためである。先の見えない厳しい時代ではあっても様々な良き知恵に導かれて栄光のために用いられる。先日オルガン委員会で教会の働きが世界の方々に注目されていることを知った。今年もヨーロッパからオルガン演奏の申し込みが続いているとの事。楽しみである。

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 53》  (桜台教会月報2月号より)

 

牧師 中川 寛

 

 

 

 

 

かつて長男が早逝した時、彼の中高生時代の遺品を

 

整理していて西武の清原選手の写真やグッズが

 

沢山出てきた。勿論それらは処分したが、

 

覚せい剤所持の現行犯で逮捕された事件を知り、

 

PL時代から注目していた大物スラッガーで、

 

岸和田出身者でもあったので私も多少の関心を

 

持っていた。

 

薬物に走る人々にはそれなりの理由はあるので

 

あろう。しかし反社会的犯罪であること、

 

またダルクの人々を通じて聖学院中高の教師時代

 

毎年特別講演を実施し、「あなたは人間を止め

 

ますか」との覚せい剤についての恐ろしい誘惑

 

について教えてきたにもかかわらず、有名人の間

 

からこのような事実が明るみに出て、次々と

 

逮捕者を出す現実に教育はいったいどうなって

 

いるのかと思わざるを得ない。今日の社会的虚構

 

をもっと深くあばくことが求められる。個々人の

 

人間は本来孤独なものであるが、その深みに

 

はまらないために魂の教育と信頼できる人間関係

 

の構築が求められる。

 

 

 

 

 

キリスト教学校においてこそもっと積極的に

 

良い手本を示し、若い時から本物に触れる感動

 

の教育を提供して行かなければならない。

 

日本社会には孤独な魂を活性化する福音が無い。

 

宗教においても同様である。人々に注意を喚起

 

することはできても、残念ながら良い模範を

 

体験させる場が無い。大人各自がその精神に

 

生きる努力を失っている。ある年配の評論家

 

は「戦後日本の全てに失望している。日本のみ

 

ならず世界に失望している」と言う。

 

 

 

 

しかし私はそうは思わない。

 

昨年の秋以来昨年の秋以来新しい

 

 目覚めを経験している。一つは昨秋英国で行われた

 

ラグビーワールドカップ2015で不屈の三勝を挙げた

 

ジャパンラグビーの出現である。南アフリカとの対戦に

 

勝利した試合のビデオは何度見ても不可能を可能に変え、

 

我々に新しい生き方を示唆してくれる。もう一つはNHK

 

朝ドラの主人公「広岡浅子」の生き方である。朝のドラマ

 

では展開されないが、60歳を超えて大阪教会で洗礼を

 

受け、クリスチャンとして書き残された著書『広岡浅子

 

人を恐れず天を仰いで「復刊一週一信」』(新教出版社)

 

は百年前の書物とは思えない新鮮さを提供し、ドラマと

 

は比較にならない質の高い内実を私達に語りかけている。

 

企業人としての多忙極める日常生活にあって、彼女は次の

 

ように記している。

 

 

 

『黄塵万丈(こうじんばんじょう)の大都会に居を

 

 占めている者は、色々な社会の暗黒面が目につき、

 

気にかかり、さてはこれがために心痛し、かつ憤慨

 

し、悲哀を催すことがある。多忙の身はようやくに

 

して一週一日の聖日に教会に出席して礼拝すること

 

によって、心の塵やあくたも穢れも洗い清められる。

 

これによって心の雑念を払い、礼拝の間は少なくとも

 

聖別を覚ゆるのであるが、たちまちにして六日の間は

 

また塵にまみれ、穢れに泥み、朝に夕に神に接し

 

キリストに交わらんとしても、あらゆる雑念汚思の

 

ために耐えきれない感じがする。けれども、神は

 

卑しき者の祈りにも耳傾け、かつは心に鴻大なる

 

恩恵を与えてくださる経験をするのである。

 

夏の天地自然の懐は、俗事に忙殺され疲労し切って

 

いる人心を抱擁しようと待っている。そこに神の黙示

 

とインスピレーションを与えんとしておる。かかる

 

天地自然の間にあって、思索し、瞑想にふけり、更に

 

祈祷に思念を凝らすことは、我らクリスチャンにとって

 

いかに楽しく喜ばしいことであろう。』(92頁より) 

 

 

 

 

 

教会生活を通じて『聖なるもの』との触れ合いを

 

経験することが魂の再生の原点である。先日桜台教会

 

で開催された「オルガン弾き合い会」で7名の方々に

 

よる演奏会が催された。直接肌に触れ、響きわたる

 

オルガンの音色は作曲者の目指す曲質と演奏者の

 

真心と傾聴する聴衆の聞く姿勢に大きく共鳴し、

 

聖なる至福の時を提供し、聖霊の祝福を実感する

 

場となった。感謝である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 52》


     牧師 中川 寛



  8月以来書きたいことが書けないでいた。その理由の


第一は約一カ月に亘る入院生活の所為である。変形性股関


節症による痛みを除去するためにラグビー部OBの整形


外科医の勧めに従った。経過は良好で手術した右の股関節


の痛みは消えた。今は手術していない左の痛みが増して


いる。歩きすぎたり、重い荷物を持った後は必ず左足に


神経に痛みが走る。良い機会を得て早い時期に左側の


手術をして頂こうと思っている。実は右足が術後1.5㎝


長くなった。執刀医によればそのうち縮むとの事であるが、


約12センチの大腿骨置換手術で、見た目には約10センチ


に切り傷が残るが、やはり大手術だったそうだ。多少ビッコ


で歩いてはいるが、痛みのない生活がこれほど有難いとは


思いもしなかった。世話になった方々には感謝である。


足の長さの違いに気付いたのは4日目にベッドから降り


て立ち上がった時であった。足の長さの違いによって


以前記憶していた平衡感覚がずれて目眩を覚えるほど


であった。両足で立ってはいるが奇妙な感覚で存在の


不安を経験する事となった。入院中はずっとその感覚


が消えなかった。『しっかり立ちなさい。』と言われた


事態が実は足元が定まっていないことにより、不安と


目眩を惹き起こすことになるとは70歳を前に恥ずかしい


思いを持った。人生を間違いなく生きるために、両方の


足でしっかり立つことがどれほど恵まれていたかを感謝


した。4人部屋に入院したが出入りの激しい部屋で


あった。34日間は長期入院と言えるが、それでも


一度も顔を合わせない同室の方がいた。彼はもっと


長く入院して歩くための治療を受けているようで


あった。また様々な障害をもって入院されていて、


看護師さんが始終呼び出されたり、深夜に検診される


姿を見て医療に従事される方々の努力の一端を垣間


見ることが出来た。

   


  病院の紹介によって今回の手術で障害者の申請を


した。股関節置換手術は以前は「障害度4」であったが


片方だけで「障害度6」となり、両方手術の場合は


「5」になるとの事であった。区役所の職員の方々も


とりわけ優しく対応して下さったように思われた。


杖は用心のために常に持ち歩いている。しかし杖なし


で歩くのであちこちに忘れがちである。医療環境が


進んで大変ありがたい経験をすることが出来た。

 


  11月に入って療養を兼ねてハワイの長女宅へ


出かけた。有難いことにプールに入ってリハビリを


続けることが出来た。しかしハワイの事情も多々知ら


されるにつけて、こちらも努力しなければ強く生きて


行けない現実を思った。ホームレスは相変わらずで、


全米でハワイ州が一番多いそうだ。本土からホームレス


の人々が片道チケットでハワイに来ると言う。温かい


ので暮らし良いとの事だが、ホノルルの子育て中の方


によると、近くの公園では子供たちを散歩に連れて


行けないと言う。ワイキキの並びにはきれいな公園


があるが「ゲイパーク」と呼ばれて夕方から夜間は


同性夫婦が集まってきて気持ちが悪いと言う。


とりわけ大きな問題は4年前の東日本大震災に


よって引き起こされた津波で流されたゴミが半端


でなく、ハワイの各海岸に流れ着いて砂浜の掃除


に合わないとの事であった。温暖化の影響かゴミ


の影響か人食いサメの出現で、オアフ島でも被害に


遭った人が出て注意を呼び掛けているとの事で


あった。それでも美しい虹と夜空の星の輝きは


自然の美しさを誇っていた。またある友人の誕生


パーティーに行く機会を得てハワイの方々の交友


関係の豊かさに与かった。ハワイは狭い社会だと


言うが、人々は世界を相手に広く活躍している人々


が多い。世界の情報を交換し合いつつ、そして多く


の場合クリスチャンの交わりを保ちつつ、彼らは


日常生活を神と国家と家族のために努力している姿を


見せてもらった。ホノルルにある日系人教会の


マキキ聖城キリスト教会も日系人の子連れのママ


達が、子供達への日本語教育と共に情報を交換


しつつ安全に生活ができるよう良い交わりを


続けていた。



さて、新しい日本社会の出発の時が来たように


思われる。直接的には企業に従事しているわけ


ではないが、9月のラグビーワールドカップ


英国大会で果たしたジャパンの成果は今後の


日本人の在り方を示しているように感じた。


まさかと思われる三勝一敗の醍醐味は今後の


日本社会の行方を暗示する刺激的な教訓を


見せてくれた。エディーHCと共に活躍した


ジャパンラガーメンの成果は、世界を驚かせ、


新しい日本人像を明瞭に抱かせたものと


なった。50年前、初めて花園の芝生の上で準


決勝を戦った高校時代には想像もしなかった


新しい時代の幕開けである。古い思い出しか


持っていない私ではあったが、ワールドカップ


にはオリンピック同様、従来通り参加する事に


意義があるとの思いしかなかった。体格、経験、


実力が余りにも違いすぎたラグビーの世界で、


まさかと思う成績を残した。南アを倒し、


サモアを倒し、アメリカに勝利したその善戦


ぶりは古いイメージしか持たない私の思いを


撃破した。スコットランドには敗れたが、しかし


それもまた日本の現状を自覚させるものであり、


合わせて次回につながる戦いであった。どんなに


強くなっても、優れた実力を持つ選手がいても、


15人の集団で三勝挙げることは至難の業で


あるが、チームがまとまり激しい練習を経て


高い目標を持続し、成し遂げた成果はまさに


不可能を可能に変え、新しい風をまき散らした。


「ジャパン・ウエィ」なる方策が世界に認められ


ることとなった勝利の成果である。

 


  中高時代にクラブ活動を通じてラグビーに触れ、


その後聖学院中高でラグビー部創設と仲間たちとの


プレーを共にしてきたことは実に大きな私の人生の


成果であった。キリスト教的、聖書的精神に裏打ち


されたラグビーはその人生においても自己犠牲の精神


をもって社会に貢献する人々を育成し、企業の成功の


秘訣を提供する。高校時代に全国大会出場を狙える


練習を積み重ねた経験から見ても、ワールドカップ


を狙うチームにとってもその激しい練習を二度と


味わいたくないと思わせるものであったようだ。


コーチの姿を見ることも避けたくなるほどで、


しかし勝利を手にした瞬間にはその思いは感謝に


代わっている。高い目標を掲げて限界まで鍛えぬいた


時にその報酬として何ものにも変えがたい宝物が


授けられるのである。それはどのような人生に


おいても大きな財産となって各人を支える


ものとなる。優れたコーチとの出会いも人生を


大きく左右する。教育も同様である。

 


  ジャパン・ウエィなるジャパンラグビーを通して


教えられたことは「7Sの目標設定」である。


フィジカル&マインドストレングネス、スピード、


スタミナ、スキル、ストラタジー(戦術的に賢く


戦えるチームになる)、スピリット(何を目指すか)。


これらを総合的に組み合わせて引っ張ってくれる


実力あるコーチがいたならば、必ず成果は得られる。


小国日本が正しい存在を世界に披瀝する為には、


今後ジャパンラグビーが大きなカギを握っていると


言えるのではないか。私はこの秋なお大きな


ヴィジョンを与えられて感謝している。


一人一人が日本を担う気概をもって日々努力する


ことが今求められているのである。









 


《慰めと励ましの言葉 》 (桜台教会「7月号月報」より)


                     牧師 中川 寛

 

    自国防衛の為に集団的自衛権の論議が繰り広げられている。


報道機関を批判の対象として言論の自由の論戦が張られている。


民主国家としての権利と責任が問われる政治的状況であるが、


戦後民主主義教育()を受けてきた者として、日本国憲法に即して


平和国家建設の義務教育を経、教えられるままに学んできた教育


機関で、様々なねつ造と偏向の上に反戦平和と教えられてきた


ような気がする。政治的諸問題については70年安保の時代、


革マル全共闘のデモに参加を呼びかけられたことがあった。


神学生がとも思ったが友人の呼び掛けに応えた。


体が大きく頑丈なガタイであったので最前列に加わって


『反帝反スタ』と書かれたヘルメットをかぶりデモをした。


すると一緒にスクラムを組んだ全共闘執行委員らしき人物から、


『そんなに強くにぎるな』と言われた。もし機動隊が出動したら


すぐに逃げられないからだと言う。正統なデモをしながら、また


どんな事態になっても自己責任を果たす覚悟で命を賭けて


デモに参加しているのだと思っていたにも拘らず、いつでも


逃げる準備をしていた連中と知って腹立たしくなった。


スクラムを組むのはラグビー部上がりの練習を積んでいた


ので最後まで逃げないようにギュッと体をつかんで、最後まで


離さないようにデモに参加した。終了後彼は逃げるように


私から離れて行った。以後活動家の本心を知ってデモに


参加するのは馬鹿らしくなって政治的活動は止めた。



    最近はパソコンで政治的活動の実態を見ることが出来る


ようになった。 様々な学者・評論家の討論を見ることが出来る


ようになり、いわゆる反日活動家の実体を見るにつけ70年


時代の同じグループが同じように罵声とシュプレヒコールを


繰り返しているのを見て嘆かわしく思った。平和運動の


美辞麗句を並べながら、その実態は嫌悪すべきものである。


歴史の有難さはその虚偽と作為がやがてあばかれ、その責任


が公平に問われることである。種々のイデオロギーに支配され、


人道主義なる美辞麗句に振り回されながら、最後は生活の為に


生存が確保されればよいとのエゴイズムが暴露される。


悲しいかな人間の罪の実体である。



    私は母方の祖父たちが広島原爆で一瞬にして消えた実話


を持っている。爆心地の近くで住んでいて、家もろとも消滅した


のだと言う。母は2週間後家族を捜す為廃墟と化した広島に


戻り、先に家族を探していた兄たちに『ここにいてはだめだ。


早く大阪へ帰れ。』と叱られてなくなく大阪に戻ったと言う。


その当時放射能の危険をどの程度教えられていたのかは


知らないが、私たち家族は無事戦後を生きて来た。その後


学生時代から私は「被爆者の救済無くして戦後はない」と


平和運動にも参加した。聞くところによると沖縄では軍の命令


と称して集団自決で家族を殺害した家族に、一人に付き毎年


200万円程の補償金が出ていると言う。4人の死者がいたら


毎年800万円の補償金で教育資金にも十分にあったと言う。


東京では大空襲で死んだ家族への補償はない。戦災で


無碍に殺戮された一般国民への補償は聞いたことが無い。


確かに声を出さなければ保証もされない戦後政策である。


しかし私は『人はパンだけで生きる者ではない』との聖書の


教えを教訓としつつ、平和社会実現の為に使命を果たしたい


と願っている。今日の不安な社会風潮にも心しなければ


ならない。何の責任もない一般市民に思わぬ危害を加える


事件事故が多すぎる。先日向かいのアパートの住民が


自殺していたようで消防士と警察官が来て窓を割って侵入、


確認した。残念!








《慰めと励ましの言葉49》 (5月号桜台教会月報より)

                    

牧師 中川 寛

 

  4月初め、イースターを終えてハワイの長女宅へ行った。娘は2月に二番


目の子、女児を出産したのでお祝いに出かけた。私にとっては3人目の孫


であるが、嬉しいことこの上ない体験である。勿論当事者は日々育児の


戦いで私が訪問することは痛しかゆしであろう。短い期間ではあったが孫


との対応で日常を忘れて有意義に過ごすことが出来た。観光でもなく研修


でもなく、育ちゆく孫との生活に次世代への希望をつないだ。海しかない


ハワイではあるが、夜空の美しさは格別である。一日の仕事を終えて娘が


外に連れ出してくれた。満月ではないが、東から昇る十六夜の月が大きく


見事に輝いていた。火星、土星も美しく、北極星もすぐに確認できた。


美しい夜空を仰ぐことが出来たのも喜びの一つであった。

 

  

  帰国前日KellyがワイキキのELKSCLUBに招待してくれた。ハワイの


由緒ある会員制のクラブでワイキキの浜辺に近く、専用プールにダンス


フロアー、バーなどだ揃っていた。夕日を望む最高の場所で、日没の太陽


が沈む海の彼方に『グリーン・フラッシュ』を見ることが出来た。ハワイに住ん


でいてもめったに見られないそうで、その場にいた人々の歓声と拍手が


巻き起こった。美しいハワイの海に沈んた直後、太陽が緑の光線を放つ


その瞬間は自然現象とは言え圧巻であった。携帯とカメラが電池切れで


写真は撮れなかったが、じっとその瞬間を目に焼き付けた。虹の多さも


ハワイの特色ではあるが、太陽が緑の光線だけを放つその瞬間はこの世


のものとは思えないほど神秘的体験であった。

 

  

  夏を前にサーフィングッヅを輸出している彼は南ア、ヨ―ロッパ、


ニュージーランド、オーストラリア、米本土と忙しく製品を梱包して発送して


いたが、初めてサーフィンの世界大会の実況放送を見た。それは


オーストラリアのゴールドビーチで開催されたもので、特に世界チャンピオン


の競技は最高であった。競技時間30分以内で良い波を捉え、さまざまな


パフォーマンスを繰り広げて波乗りを行うスポーツである。ハワイ出身の


6連覇を遂げたベテラン選手がオーストラリアの20歳の新人に優勝を


奪われた試合は不運としか言いようがなかった。自然に打ち寄せる波は


常に大小が決まっているわけではない。またいつ良い波が来るのかも


わからない。一度目の試技を終えた競技者は判断を見極めてジェット


スクーターに迎えの合図を送り、高速で競技範囲の領域に連れて行って


もらい、次の良い波を待つ。サーファーの肉体は強い体幹で鍛えられ、


大きな波の泡を潜り抜け、手でこいで次の試技に向かう。見ている分には


楽しそうだが、大変な運動量であることが分かる。日本にいる時には、


サーフィンとはみな波打ち際でやっているのだと思っていたが、実際はそう


ではなかった。上級者は沖合に出て、更に大きな波を相手に腕を磨いて


いた。ワイキキの海の沖合でも上級者たちが盛んに素晴らしい波乗りを


やっているのが見えた。もはや私にはできそうにないが、大海原で


チャレンジする若者たちが誕生してほしいと思った。

 

   

  今回の旅行で改めて体験したことだが、庶民には値の張る飛行機での


ハワイ旅行は誰でも行けるものではない。飛行機代もばかにならないもので


ある。しかし4月初めの安い時期に飛行機の予約ができたのも感謝であっ


た。旅客も少なく座席も3人分独り占めにできた。しかし娘たちの住む


カイルアにもホームレスが増えたと残念がっていた。観光客が増えると


浮浪者も増えるのはサンタモニカで十分体験したが、ハワイも同様である。


まだ救われるのは、カイルアの住宅街では観光バスやレンタカーが駐車


できないので、多少の俗化が制限されていることである。しかしオバマさん


がやって来る12月クリスマスシーズンは、SPと護衛車の隊列で住民には


大迷惑なことだそうだ。人が安心して生きてゆけるために、今や世界中で、


更なる経済生活の進展が求められていることを深く感じた。









《慰めと励ましの言葉 48》

 

              牧師 中川 寛

 

 不思議な経験であったが、今年1月末母が95歳を待たずに死んだ。妹の

 

話によればその日も朝からケアセンターへ出かけての事であったと言う。死

 

因は心不全による心臓発作であったが、眠るように死んだらしい。ホームドク

 

ターに看取られ、何の心配もなく最後の救命措置をしたが戻らなかったと言

 

う。亡くなる前夜も好きなものを食べ、介護する妹と無駄口をたたきながらい

 

つものように漫才のようなやり取りをして普通に過ごしていたと聞いた。母は

 

戦前広島市内水主(カコ)町で生まれ育った。祖父は県庁に勤める役人で

 

あった。二人の兄たちは大学を出て二人とも教員となり学校長を歴任して生

 

涯を終えた。1920年生まれの母はモダンガールとしてハイカラな環境で

 

育った。彼女はその頃の詳細を私達には語らなかったが、残された写真を

 

見て広島県立女学校を卒業した秀才であることを知った。しかし彼女は

 

ナイチンゲールにあこがれ日赤の看護学校に進んだ。昭和15年には甲種

 

看護婦として赤紙をもらったが、祖母が亡くなり、友人の多くが従軍看護婦と

 

して各地の病院へ派遣される中、松山の日赤で勤務した後に、兄たちの反

 

対を押し切って祖父が持ち込んだ父との見合い結婚をした。もし結婚してい

 

なかったなら、父と共に爆心地に近い場所で行くえ不明者となっていただろ

 

うと妹が語っていた。大阪にいたことは昭和20年8月6日をまぬかれる事と

 

なったが、戦後の母の生活は祖父と共に原爆により消滅した親族友人達へ

 

の後ろ髪を引かれる郷愁の日々であったと思われる。彼女は生前体が動く

 

限り一月はやい7月6日には広島詣でを続けていた。

 

 

 

 生前の母は昔の広島生活を私には話さなかった。しかし家の改築などで

 

彼女の持ち込んだ結婚時の箪笥・長持ちの中からめずらしいものが発見さ

 

れた。古い物の中には白鞘に納まった小柄(小柄)や県女卒業時の卒業アル

 

バム、それに私が始めて見る祖父母との家族写真、テニスや卓球に興じる

 

女学生時代の写真等。町から村に嫁いできたので戦後晴着を持っていない

 

村の娘たちに結婚の晴れ着を何度も貸してあげたと言う着物などもあったと

 

言う。大阪での生活は聞いていた事情とは異なり大家族の借家住まいで、

 

隣近所は牛やヤギを飼う百姓家ばかり、兄たちとの学問の話や野球・サッ

 

カーに興じた娯楽に話はまるで通じない異文化を経験したらしく、すべて

 

去の事は封印する事となったと妹が話していた。祖父の顔写真は広島の

 

原爆記念館へ行き『研井九右衛門』とコンピューターに打ち込めば写真を見

 

ることができると聞かされていたので、いつか見に行こうと思っていたのだ

 

が、母の残したアルバムで確認することができた。 戦後は生活苦から再び

 

大阪日赤へ勤めに出たが、彼女はレントゲン科婦長としての職務をもって

 

定年退職した。京大、阪大卒の医師たちと自由に話すことができて知的

 

満足を得ていたとは妹の弁である。

 

 

 日常生活を変える大きな出来事は大阪の田舎で父が洗礼を受けて

 

クリスチャンとなったことである。母も忙しい当直勤務を終えて教会に通い

 

32歳で洗礼を受けた。彼女にとっては聖書とキリスト教の話は魂の息吹を

 

感じる安らぎのひと時であったようだ。自宅で行われた納骨式の際、牧師が

 

読み上げた教会の機関誌に寄稿した証しの文章からその信仰の喜びが述

 

べられていた。聖書の語る「からし種の譬え」は桜台教会に来た際、玄関

 

口に植えられていたからし種の木を見て事実であると知って感動した

 

との事であった。父の死後も母は教会を支え続け、85歳を過ぎるまで役員

 

として礼拝の司会役を担当し、祈祷会を休まなかったと言う。教会堂改築に

 

際しては私も驚く額を献金して改築の事業を支えたと聞いた。すべて母が

 

亡くなって聞かされたことであるが、善かつ忠なる僕として教会に仕え、

 

天国へ凱旋していったと思われる。

 

 

 実は彼女の信仰生活は介護を受ける環境になってからさらに深められた。

 

実に不思議なことであるが、私の生まれ育った所は昔『大阪府泉北郡

 

東陶器村大字福田』と呼ばれた地である。通称西高野街道筋にあり、

 

大阪から河内長野・橋本を経由して高野山に向かう旧高野街道筋に位置

 

する。江戸時代に『氏家』と名乗る京都の材木商が開墾した村で、北は

 

大阪平野を一望し、神戸六甲の山並みを見、西は大阪湾を超えて淡路島

 

が眺望でき、東は金剛・葛城・二上山の山並みと南には岩湧山を見る

 

南河内の高台に位置するところである。今は実家の周辺に高い背丈の家屋

 

が立てられ眺望は悪くなったが、私の高校時代までは大阪湾を行き来

 

する大型タンカーが確認できたのである。『氏家』家は干ばつで食糧に窮し

 

た時、大阪から転居して「福田」で一時を過したと言う地主であった。私の

 

子供時代は「大きなお屋敷の家」と教えられていた。しかし今後継者が

 

亡くなり、同家の家人を看取ったドクターがその後を譲り受け、ケアセンター

 

を設立され、母と妹が世話になっていた。母の葬儀にも参列して下さった

 

そうであるが、実は私が東京練馬の桜台教会の牧師であることを耳にされ、

 

理事長のお妹夫婦が桜台教会で教会生活をされ、理事長ご自身も度々

 

教会の礼拝に出席したとの事であった。私は兄と妹からその話を聞かされ、

 

早速会員名簿を調べた結果、そのご夫妻の名前を発見した。当時国際

 

電電に勤務されていた「梶原信吾兄ご家族」で、その夫人の妹が福町

 

ケアセンターの理事長であった。癌の手術後、今も妹が世話になっており、

 

まさかあのド田舎の福町に桜台教会の関係者の方がおられ、私の家族が

 

世話になっているとは全くの驚きであり、神様の業の不思議さに感謝せざる

 

を得ない思いに至らされた次第である。

 

 

 

 不思議なご縁は広島の従兄弟の長女が校長となった経緯についても

 

祈りを新たにした。「広島音楽高等学校」は戦後本願寺系のお寺によって

 

被爆地ヒロシマに設立された学校で、既に大勢の著名な音楽家を輩出して

 

いる。桜台では迫田先生、木野先生は大先輩に当たる方である。付属高校

 

でない音高の厳しさから生徒数が激減し、閉校の話まで出たそうだが、

 

同校の理事さんの説得で研井貴馨子が校長を引き受けることになったと

 

言う。わざわざ母親が納骨式に広島から参加下さり、親しく母の話を聞き

 

親交を温めた。時代は常に厳しい裁きを行うが、信仰をもって努力する人に

 

は神は必ず道を開かれる。教会はそのように生きる努力をする人々と共に

 

歩んでいることを深く感謝したい。宗派を超えて生かされている信仰者の

 

働きは必ず祝福される。それが復活の主の祝福である。

 

 

 

 日本においてキリスト者は少数者ではあるが恐れてはならない。たじろい

 

ではならない。誠実に生きる者には必ず道が開かれる。これは復活の主の

 

約束である。復活された主は弟子たちに出会い『平安あれ』と言わ

 

れた。歴史的経緯はともかくも京都の平安神宮はこの聖書の言葉から

 

来ていると言われている。復活の力は古い日本の文化に大きな影響を与え

 

ていることをキリスト者は自信をもって宣伝すべきではないかと思う。 

 

新年度が更なる飛躍の年となるよう感謝と祈りをもって前進したい。












《慰めと励ましの言葉 47》          牧師 中川 寛

 

 困難な時代を確かな思いをもって生きることが求められる。21世


紀に何を期待すべきか。既に残忍なテロによる殺戮が繰り返され


る中、「IS」集団への恐怖は高まっている。エジプトのコプト・キリス


ト教徒21名の殺害は彼らの活動がさらに激化されたことを裏付け


ている。イタリアはついにリビア大使館を閉鎖した。欧州諸国が


早々と大使館を閉鎖した後最後まで旧宗主国として留まっていた


が、さらに危機が迫ったと判断した。「IS」外国人戦闘員2万人の


中で3400人が西側諸国出身者であると言われ、彼らは殺害され


た住民の遺体から臓器を摘出して密売し、資金源にしているとも


言われる。イラク共同墓地に埋葬されている遺体から臓器を摘出


せよとの命令を拒否した医師12名が殺された、とイラク国連大使


が述べたと言う。テロリスト達はイタリアへの難民渡航に交じって悪


事を企んでいるとも言われる。残忍な彼らは神出鬼没であることを


表明し、「以前はシリアの丘陵地帯だったが、今、自分たちはロー


マ南方のリビアにいる」との宣言を出した。もしイタリアにまで事件


が及ぶなら想像を絶する事態を招来する。彼らの資金源を断ち、


武力による抑え込み以外に方途はないと言うべきか。



 かつて平然と武力をもって世界を譴責した欧米諸国はその逆襲


を受けることとなっている。残念だが、日本も歴史的にその一役を


担った。恒久の平和主義とは言えない欧米の戦争に加担してきた


日本も、この新しい事態に深く学ばせられる事となる。日本人が平


和活動を目的として紛争地に向うことは、たとい自己責任でも命は


保証されない。将来国際貢献できる敗戦国日本の道は、まず「生


命の尊厳」が基礎に据えられた上での行動であるべきである。命


は神が与え給うたものであるが故に、人はこれを奪ってはならな


い。A.シュヴァイツアー博士が教えた生命哲学をもう一度心に銘


記されねばならない。



聖書の語る『十戒』の教えが共通に規範とされる世界を造ること


が我々の共通目的となる時、真の平和がもたらされる。十戒の


教えには人間の守らなければならない倫理的規範が網羅され


いるからである。第一戒から第四戒までは創造者であり全能者で


ある神を第一とすべきことが教えられる。第五戒から倫理規範とな


る。


第五戒 あなたの父母を敬いなさい。


 第六戒 殺してはならない。


 第七戒 姦淫してはならない。


 第八戒 盗んではならない。


 第九戒 隣人に関して偽証してはならない。


 第十戒 隣人の家を欲してはならない。


 社会生活の守るべき規範であるが、これらは既に旧約聖書以前


のバビロニア古代において教えられていた道徳である。人は宗派


を超えて、各家庭でこの教えを子供のころから覚えさせなければ


ならない。社会の安定は人間の倫理・道徳の高低によって決定す


るものである。社会を改善する第一の事業は人間教育においてこ


の戒めを子供の時から身につけさせることによって実現する。或い


は人が人生の破局に立たされようとも、この戒めと神への信頼が


人を再び立たせる力となる。同時にこの戒めが人生の危機から


人々を守る。人が経験する人生の失敗は、すべてこの戒めを守ら


ないことから起きている。



 新しい日本の再建は戦後七十年の経過によって保守反動の国


家主義が横行するであろう。しかし建国の為の自由な生き方は


シュヴァイツアー博士の語った『生命への畏敬』の教えと『十戒』の


戒め順守によって開かれるものであることを私達は主張する。




《慰めと励ましの言葉 46》


          牧師 中川 寛



 早、2月を迎えた。今年の正月はスポーツ観戦に明け暮


れた。大学箱根駅伝の実況はすべて見たわけではないが、


青山学院大学の初優勝は圧倒的であった。新たな「山の


神」の誕生と共に復路の大手町ゴールに記録破りの優勝を


もたらした。かつての常連上位校には大きな課題を与える


ものとなった。今後往復10時間50分を切る選手たちを


どのように育成して行くのか、優勝した大学が来年どのよ


うに走るのか、また日本陸連の選手層の恵まれた将来も楽


しみでもある。



もう一つは帝京大学ラグビー部の6連覇達成である。し


かも準優勝の筑波大学に大差をつけた大勝利であった。今


後どこまで連勝が続くのか楽しみでもある。総じて指導さ


れる監督やコーチ、組織の援助も昔と違って専門のチーム


である。スポーツは文化の祭典であるので、凡人の願いで


はあるが、人類文化の発展のためにさらに寄与してほしい


ところである。プロの世界に入っても健全な金銭の流れの


中で努力してもらいたい。2020年の東京オリンピック


開催決定を受けて、青年のためにはもっとも意義ある祭典


であると思うので、この機会に青年たちには大きく成長し


てもらいたいと思う。特にスケートにおいてもテニスにお


いてもトップスターの活躍は興味津々である。ぜひ、日本


人として生まれて来てよかったと思われる活躍を期待した


い。



 同時に「イスラム国」による二人の日本人拉致、惨殺事


件も大きなショックである。イスラム教徒の多くの方々が


マホメットとコーランの教えに基づいて、隣人をもてなす


愛に長けた方々であることを思う時、このような事件に巻


き込まれたことは本当に残念である。この陰惨な事件の背


景には何があったか、人はこの事態をどのように考えるべ


きか、識者の教示に待たねばならないが、同時にキリスト


教的にどのように理解すべきか、問題の論拠が明らかにさ


れねばならない。



拉致された方々の救済については北朝鮮に連行された


方々も同様である。身代金をもって問題を解決することは


可能であろう。しかし、かつて政府は人命尊重の立場から


連合赤軍等の主要な活動家を超法規的措置と称して解放


し、ダッカ事件のような爆破事件を次々に惹き起こさせ


た。殺人鬼と呼ばれる人々を人命救済の立場から保釈する


ことは絶対に許してはならない。



多くの場合犯罪者の再犯事件に例を見る通り、被害が倍


加して行くのである。私はかつて東京拘置所を何度も訪問


し、前科十数犯と言われた窃盗犯の回生のために努力し


た。彼はお金に困り、生活ができなくなると事件を起こ


し、刑務所に戻って行った。私も若かったので度々回生で


きないA氏について検事と論争したが、最後は刑務所に留


め置くには限界があり、娑婆に知り合いがいたら早く世に


出して世話をしてもらわねばならないと言われた。人間教


育の基本は幼少年期からであって、50歳過ぎたA氏には


遅すぎると言わねばならない。もし彼が生きていたら既に


80歳を超えているであろう。



 「愛」がいかに大事であるか、各人の人格形成に不可欠


であることは言うに及ばず、国家間においても同じであ


る。私は西洋史を学びつつ、ある識者が、人類は紀元前


15世紀から紀元1945年の約三千四百年に亘る歴史の


中で、戦争の無い年月は僅か数百年であったと聞いた。通


常三百年に一年の平和の期間があったに過ぎないと言う。


それほど世界は戦争に明け暮れている。戦後70年に亘っ


て戦争が無く平和であった日本は奇跡の国であると言われ


る。

 

聖書の教えはキリストによる平和主義である。平和のた


めの基本原理は聖書の語る通り、愛によって平和がもたら


されるのである。理念としてのみならず原理として『神の


国』の平和を理想とする。これは実に大事な理念である。


この理念がなくなれば、人は弱肉強食となり、動物同様に


なる。人類にとって平和実現は不可能であっても、戦争を


回避する道をもっと模索しなければならない。戦争は必ず


報復を生む。人を殺せば必ず殺される。その連鎖をどのよ


うに断ち切るか。それが一番の課題である。



1862年、幕末の『生麦事件』を思い返せば国際関係


の厳しさは理解されよう。その事態は翌年の薩英戦争にま


で発展したのである。殺された英国セイラ-達は諦めた


か、そうではなかった。その後の戦争によって砲火を浴び


て殺された薩摩の人々はその恐ろしさを忘れたか。直接事


件に関係した一族にとっては決してそうではない。争いは


必ず報復を生むのである。真珠湾攻撃、広島・長崎への原


爆投下を含めて戦争は過去の事ではない。何をもって報復


の連鎖を断ち切ることができるか。根本的には人を信頼


し、愛をもって再生すること以外にない。



その点では特に明治22年のトルコ艦船エルトゥールル


号遭難沈没に救援の手を差し伸べた串本の人々の歴史は深


く心に刻まなければならない。愛の救援によって和解と信


頼の絆が生まれる。戦争の終結は人を赦し、愛の犠牲と


なって、各人の心底が通じることによってもたらされる。


怒りや反感、勝者・敗者の決着をつけた暁に実施される証


書調印による和解決議は、殺された遺族や傷ついた敗者に


は何の効果ももたらさない。復讐心を燃やして次の機会を


狙う。それが人間の心理である。国際関係は戦争の結果に


依拠しつつ、醜い相互排斥の機会をうかがう私利私欲に


よって構成されていると言わなければならない。平和憲法


を有する日本人にとって、太平洋戦争の敗北は過去の事で


はない。広島、長崎の被爆犠牲者は言うに及ばず、東京大


空襲の犠牲家族も心の整理はついていない。同じことを欧


米は中東での戦争で行っている。イラク戦争後、欧米諸国


が残されたイラクの一般人への救済をしなかったゆえに、


新たな『イスラム国』なる過激派が誕生したのである。戦


争終結後いくら力をもって抑え込んでも、結果は戦後日本


の平和社会形成と同じようにはいかないのである。日本人


においても、一度体験した戦争への怒りと不条理な死の経


験は消え去るものではない。欧米並みの近代国家ではない


中東においては、親兄弟たちは悲しいかな、幼い子供たち


に復讐の精神を教え込むのである。 



日露戦争後のロシア人捕虜待遇において、ある手本が示


されている。戦争捕虜たちは松山の道後温泉に自由に入っ


たともわれ、帰国した捕虜たちは松山を懐かしんで日露戦


争終結後夫婦で松山に来た人もいたと聞いた。兵士たちの


間では『捕虜になるなら松山へ』との言葉が合言葉になっ


たと言う。しかし残念なことに終戦の昭和天皇による終戦


詔勅の後に旧ソ連は北方領土を支配下に置き北支を襲い、


日本人を殺戮、略奪し、兵隊を捕虜としてソ連奥地に連行


したのである。旧ロシアと社会主義革命を成し終えた後の


旧ソ連とは全く対応の仕方が違っていた。もちろん日露戦


争に対する復讐の意識が強力に働いたと思われるが、四国


松山の温泉体験が旧ソ連の軍人には浸透していなかったの


かもしれない。人や国家を簡単に信じてはいけないという


ことを教えられたのが太平洋戦争であった。しかし平和を


希求する日本人の真心を忘れてはならない。









 

《慰めと励ましの言葉 44》

 

                牧師 中川 寛

 

 先日行き付けの床屋で『克己心-一歩を踏み出す勇

 

気と挑戦』(來間克己著・文芸社)なる書物に出会っ

 

た。出雲出身の著者が成し遂げた理容師45年の集大

 

成と言える本である。既に20年近く通う床屋の経営

 

者であるが今年東京、埼玉、千葉、新潟に45店舗を

 

構え300名のスタッフを擁しているという。さらに

 

学校法人の美容・理容専門学校二つを経営し、健康・

 

環境機械製品の研究開発と販売を手掛ける一大グルー

 

プを形成している。貧しい農家の八人兄弟の末っ子で

 

高校進学を断念し、叔父の勧めで中学卒業後理容専門

 

学校に学んで独立を志したという。私はたまたま店に

 

おいてあった書物を通して著者を知ったのだが、通い

 

始めてから店で働く職人さんたちの雰囲気が良いの

 

で、恐らくは特別に訓練を受けた方々なのだろうと想

 

像していた。

 

 店長はソフトバンクの勇退する秋山監督のような方

 

だが、常に店内の様子に目配りし、お客はもちろん、

 

スタッフの手順や会話のタイミングに至るまで気配り

 

する方で、洗髪後はお店の全員が声を揃えて『お疲れ

 

様でした』と声を掛け合う。気持ちよく応対される心

 

意気は中々のものだと感心していたのであるが、苦労

 

して立て上げた経営者の方針をそのままよく身につけ

 

て実践されている。本のタイトル『克己心』はご本人

 

の名前からとったものだと思われるが、「真心経営の

 

ノウハウ初公開 自分を磨き世を照らせ」とあり、裏

 

面には『愛[人が人を呼ぶ経営] 心をもって 人を育み

 

次代を拓く』と印刷されている。様々な苦労を重ねら

 

れた様子が記述されているが、その名の通り克己心を

 

もって今日を開かれたのであることがよく理解され、

 

なるほどと納得させられる。人は志をもって仕事に就

 

く時、必ず道が開かれるとの勇気を与えられる書で

 

あった。

 

 

先のバザーで教会学校の父兄である三平和男氏から


『年金 医療保険 介護保険のしくみがわかる本』(


書院出版)を頂いた。帯には「老後に損をしないため


に!!気になる年金と医療保険と介護保険のことがこ


の一冊で理解できる!」とある。若い時には年金制


度にもあまり関心が無かったが、この本にはわかり


やすく年金の仕組みと申請の方法まで丁寧に紹介さ


れている。医療保険についても同様である。今まで


関心を持っていなかったが、それぞれに深く準備され


ている福利厚生の内容がよく理解できる。介護保険制


度についてはそのうちお世話になるのでさらによく学


んでおきたい項目である。既に家族の事でお世話に


なっている方々も大勢おられることであるが、さまざ


まなケースについて紹介されているので知っておくべ


き事項である。訪問入浴介護の利用の仕方、利用料、


衛生管理に至るまで紹介されている。

 

 

三平氏は二人の共同執筆者と共にこの書を上梓され


たが、普段は社労士事務所を持たれて様々な社会の不


条理と戦っておられる。とりわけ障害者の福祉に取り


組みヴォランティア活動にも力を注がれている。この


ような方の働きによって社会が支えられ、多くの人々


が安心して生きることができているのである。

 

 

私はかつて息子が過労死した時、残された家族のた


めにどの様にすべきか、三平氏から様々なお知恵を頂


いた。死んだ息子は帰っては来ないが、残された家族


が安心して生きることができるためには様々な支えが


必要となる。社会的な知恵を頂いたことに感謝してい


る。近日、卒業生で恵比寿に和食レストランを開店す


る者がいる。実にたくましいOBだが、堂々と社会に


対峙しつつ、自己の生き方をアッピールする事業を展


開する。彼の決断と実行力を祝したいと思う。

 

 

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 43》

 

                牧師 中川 寛

 

 

 

桜台教会と私個人のFacebookを通じて強く生きる人生の知恵を掲載している。もうすでに旧約外典の『シラ書』を終え、旧約の『箴言』掲載も終わった。多くの読者の方々より良い意見を聞いた。日頃意識しない後、何かあった時に聖書の知恵が役に立ったとか、子供の教育に役立てたいとか、夫婦関係の在り方とか女性問題について痛い所を突かれたと言う方、また負債を背負いこんだ人々の自覚や半ばアル中毒気味の方から酒は恐ろしいと言う反省の意見などあった。

 

  

  私自身は若い時から豊かな生活の知恵を身につけることは、その人の人生を成功に導く道案内の役目を果たすものと考えている。もっと早く何が大事な事柄であるかを知っていたら、失敗も最小限に抑えることができたのにと思う。特に中高生時代に強力にこれを学べと真剣に教える教師や先輩がいたら、そして明確に聖書の使信を教える牧師に出会っていたらもっと早く目が開けたに違いないと思う。それ故により良い教育環境を確保することは大切である。これらは外的環境であるが、内的要因として自信をもって積極的に学び取る勇気が必要であったとも反省する。それらは幼少年時代から育成される家庭環境にもよるが、愛をもって積極的に育てられた子供たちに自覚的に養成されるものである。小さい時から積極的に大きな心で生きる夢を持つことが求められる。

 

 

私は今子育てを終えて、孫の成長を観察する時代になってようやく人間の成長には何が必要であるかが理解されて来たのである。既に遅いとは思わないが、愛に満ちた教育哲学が一人一人の人格を育成し、同時に広い世界の教訓に豊かな知恵を得るのではないかと思わせられる。世界を知ることも大事である。発明家が全てそうだとは思わないが、小さい時に種々の興味関心を持つことは大事なことである。それを支える親の子供への信頼がもっと大切であると思われる。親は神を畏れつつ、聖書的な教育哲学をもって、断固たる教育を子供に躾ける義務がある。その為に自己研さんは欠かせない。何のための人生であるかをわきまえない親にはどうでもいい人生を送る子供を教育する事になる。社会規範に照らしてどう生きるかが年齢を超えて誰にでも問われている大切な課題である。聖書とキリスト教を拒否してきた日本の近代文化はその根本において考え直さねばならない。また欧米の先進諸国もキリスト教国家と呼ばれる歴史にあぐらをかいていては激しい文明の進歩についてゆくことができない。もちろんそれらの国々は時代に取り残されているとは言えないが、圧倒的な新興国の人口と経済力により多くの国で危機的な未来が語られるものとなる。

 

 

先日行われたスコットランドの独立を問う選挙戦は今に始まったことではないが、常に英国の将来を見据えつつ、スコットランドの在り方に警鐘を鳴らす一つの先導的シグナルであったと言えるであろう。しかしすぐには独立を勝ち取ったとしても、英国の歴史的つながりにおいて、我々が創造するような全く独立した国家を形成するようなものにはならない。彼らはそれ以上に豊かな知恵を絞って自国の将来を見据えているのである。翻って島国日本はどのように将来選択するか。長い時間が掛かるが私は人間教育による国家の再創造以外にないと考えている。そのためにはキリスト教学校や諸教会の教育活動の働きが重要視されることとなる。教会は常に改革発展されねばならない。しかし原点は罪ある人間の育成ではなく、罪から解放された新しい人間の育成が求められているのである。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

《慰めと励ましの言葉 42》

 

                牧師 中川 寛

 

 先日原稿を書こうと準備していたら以下のメールを頂いた。私は改めて教会は正しい情報を発しなければならないと思いを新たにした。嬉しい内容であったので感謝をもって原文のまま掲載したいと思う。

 

 

桜台教会 牧師 中川 寛様

 

  突然メールを差し上げますことお許し下さい。

 

  私は現在、神奈川工科大学の教育開発センター顧問として勤務している松本邦男と申す者です。この3月までは教員として勤務しておりました。

 

 もう少しお話しいたしますと、企業に約30年ほど勤めたのち、大学教員になりました。当年72歳の老人です。

 

  本日メールを差し上げました理由は、私のライフワークでもあります、抗生物質ペニシリン関係の研究に端を発します。バイオテクノロジーを利用した、β-ラクタム系抗生物質(ペニシリンやセファロスポリン)の合成やその原料生産の研究開発に携わってきました。これらは企業で行いました。

 

  大学に来ましてからは、むしろ科学史的なことに取組み、ペニシリンの発見や実用化開発の歴史、特に日本における開発史について取組んでいます。ご存知のように、角田房子氏の「碧素・日本ペニシリン物語」にはその詳細な内容が克明に記されています。

 

 私が特に注目していますのは、ペニシリン開発に携わった研究者の人となりです。特にリーダーシップを発揮しペニシリン委員会を立ち上げて終戦までの間、世話役として活躍した「稲垣 克彦氏」や戦後、日本大学の医学部長になられました「相沢 憲氏」には注目しています。ペニシリン委員会の一人であった「田宮猛雄氏」は後の日本医師会会長になられましたが、私の先生である田宮信雄氏(故人)のお父上です。

 

 

 

 角田房子氏の「碧素・日本ペニシリン物語」の中に相沢 憲氏に関する記載(p.229)には、大変感銘を受けました。学生に対しても授業の中で幾度となくお話をしました。

 

 ただ、相沢先生とペニシリンに関する文献や資料がないため、そのままにしておりました。そうこうしているうちに、桜台教会便りに、中川先生記載による相沢先生のことに関する記事を見つけました。

 

 大変厚かましいとは思いましたが、中川先生のところに、相沢先生とペニシリン開発に関係する資料があるのではないかと思い、メールを差し上げました次第です。

 

 相沢先生が語っている下記の言葉は、本当に重たくしかも科学者倫理に通じることだと、いつも心に刻んでおります。

 

 昨今の、小保方さんの問題(STAP細胞)においても、小保方さんが学生時代に相沢先生のこの言葉を聞いておれば、もっと違った行動がとれたのかもしれないと思っております。

 

 私も長く科学者・教育者として学生に対する教育を行ってきましたが、昨今のあまりにも「成果主義」が蔓延っていることに対して、戦時中の「ペニシリン開発」に携わった多くの研究者の心を学んでもらいたいと、日々思っている次第です。

 

 相沢憲先生の言葉(「碧素・日本ペニシリン物語」より抜粋)

 

 「……戦後の抗生物質のめざましい発展に,戦中のペニシリン研究はその基礎になったという意味で,非常に役だったと思います。もう30年余り前の昔話になりましたが,空襲下の極度に貧しい条件の下で,みなが自分の名誉など問題にせず,一致協力してあそこまで研究をやりとげたことは,高く評価されていいと思います。

 

 その後,二度とあれだけの研究体制がとられないのは残念です。その理由はいくつか挙げら  

 

れましょうが,私はそれを承知の上でなお,なぜできないのかと問いかけたい気持ちです 抗がん剤の研究も,それぞれが自分の城にたてこもってやっていますが,戦中のペニシリン研究のように,互いに研究内容を知らせあい,助け合って進めていけば,アメリカのように大金を投じなくとも立派な成果が挙がるはずです。あのころは,今にも日本が負けるというギリギリの状況だったから共同研究もできたが,今のような豊で平和な時代にはできない……ということでは,研究者として情けない話です。

 

 確かに,学問は非常に進みましたが,人間もまた進歩した……といえないのが,実に残念です」…… 

 

  桜台教会では、教育にも力を入れているとのことですが、これからの日本を眺めてみると、やはり将来の日本を支えてくれる人作りです。そのためには「教育」が非常に重要です。教会といえども、これからの日本を支える青少年に対する教育は大切だと思います。陰ながら応援しております。

 

 神奈川工科大学 松本邦男

 

  追伸:

 

 私は現在、静岡県三島市に住んでおりますが、今から約40年ほど前に、三島のある教会(今はなくなりました)で、月に1回ですが日曜日の夜(19002100)に、色々な話題についての勉強会をやっておりました。人数は10人足らずでしたが、私は飛び込みで聞かせて頂きました。お茶を飲みながらのお話会で、今でいえば、「・・・カフェ」と称して喫茶店等で行われている先駆けの様でした。教会は間もなく移転してしまい、お話会が無くなり残念な思いが今でも蘇ってきます。』

 

 

 

どこでどのようにお読み下さったのかはわからないが、このつながりは有難い。かつて北海道日独協会の鈴木会長も『シュヴァイツアー博士ドキュメンタリー映画』についての問い合わせを受けた。桜台教会の活動は小さな証しにすぎないが、しかしその活動が日本と世界を考える人の輪を広げていることに大きな喜びを感ずる。大学教授として若い魂を育てる教育に従事する者にとってはより良く社会に貢献できる人材の育成が使命となるのは当然の事と思う。STAP細胞についてはなお期待して良い成果を待ちたいところだが、既に有能な研究者を死に追いやった魔力を防ぐことができなかったかと残念でならない。

 

 

 私自身は理化学分野の門外漢であるからその詳細について論じることはできないが、かつてUCLAの歯科研究室で研究に従事させて頂いていた娘を訪問した際、インプラントの最新医学の研究所の在り様を見て大きく教えられることがあった。チームワークの素晴らしさと研究に対する取り組みの信頼関係は羨ましくも見えた。責任者である指導教授の采配振りはもちろんであるが、国籍を超えて研究者の互いに尊敬しあう姿には素晴らしい感動を覚えた。ヒューマンな事柄に対する責任と自覚が研究者各自に深く自覚され、その崇高な使命感がチームを支えていることを感じ取った。桜台教会の働きの中で医学研究者として偉大な成果を残された梅澤濱夫先生と相澤憲先生の足跡が今日様々な研究者たちの中でも再認識されていることは大きな喜びである。私はかつて岳父が勤務した東京大学理学部数学科にも同じようなエートスが漂っていたように思う。直接的に体験したわけではないが、岳父河田敬義の葬儀に際し、多くの数学者たちも同様に連携をとりサポートされた。それは高木・弥永先生以来の伝統であったか。

 

 

 

 

 

《慰めと励ましの言葉 41》

 

                 牧師 中川 寛

 

キリスト教教育を手掛ける者は聖書がいかに楽しく面白い書であるかをまず子供たちに伝える事から始めなければならない。

 

特に旧約聖書はその登場人物においてひときわ興味をそそる。

 

創世記の創造神話を最初に教えるのはかなりの熟練が必要である。

 

『天地創造の7日間』の意味を理解させ、なぜ神がこの世を創造し、最後に人間を創造したか。

 

或いは『アダムとエバの楽園物語』や堕罪の物語は最初に記されているので大切であると考えるが、それよりは聖書の神を信じて生きた人々の話を学ばせるのが効果的である。

 

 

 

かつて創造神話は高校2年生で教えていたが、人間的な成長と、男女問題、この世の創出についての科学的興味と共に聖書の歴史観を教えた。

 

中学生にはアブラハムから始まる族長物語とモーセの出エジプト、王国成立前の士師たちの活動、サウル、ダビデ、ソロモンの時代とその後、さらに預言者の出現とバビロン捕囚の時代を年間をかけて語った。

 

50分の聖書の時間はあっという間に終わった。

 

生徒たちの中には小学校時代から学んだ者、教会学校で学んだ者などが授業を盛り上げてくれる。

 

初めて聞く生徒達も目を丸くして興味を持って聞いていた。

 

 

 

残念ながら私のやり方が時代遅れと言わんばかりに後から来た聖書科教師がカリキュラムを変えてしまった。

 

私は彼には聖書への興味関心が薄かったのか、或いは正面から聖書を語る自信が無かったのだと思っている。

 

ビデオや音楽でまるで映画館に行くような授業ではキリスト教教育は身に付かないだろうと思うのだが・・・。

 

礼拝も同様でコンサートで間に合わせている特別礼拝では福音は伝わらないだろう。

 

或いはそれが福音派のやり方なのだろうが、薄っぺらい信仰で終わってしまい、教会生活は青春の思い出に留まるのではないかと思われる。

 

 

 

『言葉』が人を動かし人を支える。聖書と直接向き合う経験がやがて人を育てる。

 

人は言葉によって生きる存在であるから、言葉をもってまず教育体制を整えるべきである。

 

『言葉』は人間の存在と行動の原理である。価値観、哲学、感情その一つ一つが言葉によって養われて人となる。

 

その意味でも『言葉』の乏しい人は不安な人生を送る事になる。

 

ユダヤ・キリスト教社会ではまず家庭において聖書を学ばせ、「トーラー」を学ばせる。

 

これは人間としての基礎を固め、将来への生きる希望を抱かせる。

 

父母、祖父母を持つ家庭環境で育った子供は実に柔軟な考えを持ち、困難に対処する忍耐力を身に備えている。

 

私の場合は褒められたものではないが、短気でカッとなりやすい性格である。

 

両親共働きで「鍵っ子」と呼ばれた子供時代であった。

 

今から思えば大事なことをもっと早く学んでおくべきであったとも思う。

 

しかし家を離れてから人一倍勉強できたことは幸いであった。

 

聖書が面白くなったのは実は神学校へ行ってからであったが、それまでの国語的興味は文学小説に明け暮れた中高時代が役に立ったと思っている。

 

実際手当たり次第に小説をあさったが、人生を肯定的に捉える作品の手引きをしてくれる人がいたら遠回りしなくて良かったのにとも思う。

 

人間観においてはある時期ニヒリズムに惹かれ、シニカルに人を見、お金があればデカダンに陥っていただろうと反省する。

 

しかし福音を知ってのち聖書の持つ意味と価値が新しい人間形成の原理であることに目覚め、この道が与えられた伝道者の正道であると自覚した。

 

 

 

『福音の言葉』が自分の生活原理となり人間形成の力となる体験はさらなる成長へと自己を駆り立てる。

 

深く広く聖書を身につける事は喜びとなり確信となって行く。これを広く多くの方々に体験してもらいたいと方策を練っている。

 

即座に良い言葉に出会うことを願うのならば聖書の『知恵書』を読む事であろう。

 

しかし信仰優先的な語調に鼻を衝く人には人生の教訓となる言葉を学べばよい。

 

桜台教会HPで7月から『ベン・シラの書』(外典)を紹介し始めたが、意をついた文言に出会い気づかされることが多い。

 

ぜひ広く読んで頂きたいのでこの論考でも再度載せさせていただく。

 

 

 

-ベン・シラの書について-

 

 この書は『ソロモンの知恵(箴言)』や『コヘレトの言葉(伝道の書)』と同じ知恵文学に属する。我々が持つ聖書正典66巻から外されているが、カトリック教会ではラテン語訳により古くから「教会の書」として用いられ会員も良く読んでいる。プロテスタント教会では「旧約聖書続編つき」を購入しなければ読む機会が無い。『外典』と位置付け、66巻の正典から外している為、信仰義認など魂の救済に関する教義が教えられていないことにより教会でも積極的に学ぶことを勧めて来なかった。そのために一般の信者には読む機会が失われている。しかし、カトリック教会はもとより長いキリスト教伝統に生きる欧米社会では、この書は信仰者の生活の知恵として愛読され、倫理的規範としての子供への躾け書としても用いられてキリスト教的常識を形成している。キリスト教的歴史の浅い日本のキリスト者が世界的に活躍する時代を思えば、早い段階でこの書物に触れることがキリスト教世界を生きる知恵を得るためにも重要であろう。

 

 

 

本書は序文にその著述の意図と背景が書かれている。原書名は『シラクの子イエスの知恵』であるが、一般に『ベン・シラの書』と呼んでいる。このように呼ぶ書名そのものに意味がある。『ベン・シラ(シラの子)』とはこの書を学んで『道を究めて生きる人』とも解釈される。ヘブル語でベンは子、シラは人名であると共に、道、いばら、シロアム(遣わされた者)などの意味がある。著者は「シラ・エレアザルの子、エルサレムに住むイエス」(50:27)とあり、その孫がBC132年、プトレマイオス7世の時、アレキサンドリアでギリシャ語に翻訳したとある。ヘブル語による実際の著作年代は紀元前190年から180年ごろである。当時イスラエルはエジプトとシリアの大国のはざ間にあった。後にイスラエルはシリアのアンティオカスエピファネス王の下に蹂躙されるが、ギリシャ化(ヘレニズム)が進む中、祭司の職にあった著者がイスラエルの伝統を回復するために英知を結集して著作した文書である。

 

 

 

アレキサンダー大王によるヘレニズム化はイスラエルの歴史文化にも大きな影響を残している。アレキサンドリアは紀元前3世紀以来ディアスポラ(離散した)ユダヤ人が多く住み、異文化ではあったがその文化レベルは図書館にも代表される通り、世界最大の繁栄を誇っていた。著者はイスラエルの信仰と宗教を誇りとしつつ、ヘレニズムの退廃する生活圏の中でヤーウエへの信仰を保持する生き方を教示する。それは神と共に生きる生き方であり、旧約の歴史を学び直して民族のアイデンティティを回復する事にあった。それ故にシラ書の44章以下には創世記から始まる歴史的人物について言及している。これもまたクリスチャンには有益な学びとなる。 クリスチャンがさらに豊かな知恵を得て、この時代を賢く、元気よく生きるために読んで頂きたい文書である。(以下本文は桜台教会新ホームページをご覧いただきたい)

 

 

 

最後に今の時代を強く、正しく、価値ある人生を送る為に一言述べておきたい。

 

人生は孤独だと言うが、決してそうではない。

 

努力した人々の足跡があちこちに残され、私たちに声援を送っていることを覚えていただきたい。

 

教会はその意味で出会いの場であり救いの場となっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

7月号《慰めと励ましの言葉 40》

 

                               牧師 中川 寛

 

キリスト教教育を手掛けるためにはまず教師自身がその聖書の豊かさ触れて、感動を体験していなければ福音の喜びは伝わらない。聖書の持つ豊かさをどう伝えるかは教育的カリキュラム作成に基づいて準備される。中学生には人々に感動を与えるイエスの生き様をまず教えることが大事である。各キリスト教学校の聖書科は独自の工夫をもって学校の教派的背景と学校創設の歴史を教えるが、良く考えれば教派的背景によってミッションスクールを受験する生徒はほんの僅かにすぎない。それにこだわるならば、福音の魅力に絆されて信仰者となり、宣教師となって来日した人間のダイナミックな決断と行動を教えるだけで十分である。

 

旧約新約聖書の違いは別として、始めから聖書を系統的に教えることにも無理がある。それらは知的成長が進んだ高学年で良い。それよりは面白い福音書の譬え話をまず教えるべきである。聖書の譬え話は単なるお話しではない。聞く者に強い決断と行動を迫る。最初はルカ福音書が適当であると思う。有名な物語である「善きサマリヤ人」の話は聖書に初めて触れる方々にも最適であろう。以下に引用する。

 

 

『 ◆善いサマリア人

 

  10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 10:26 イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 10:27 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」 10:28 イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」 10:29 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。 10:30 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。 10:31 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 10:32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 10:33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 10:34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。10:35 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』 10:36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 10:37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」  』 

 

 

 

この物語の結末は『あなたも行って同じようにしなさい。』と言われていることである。聖書の話は聞くだけではない。話を聞いた人々に決断と行動を要求する。最初は祭司であるが、追いはぎに襲われ、半殺しになった人のそばを宗教家が見捨てて通り過ぎたと言う。レビ人も神殿に仕える宗教的特権階級の人である。彼もまた遠回りして行ってしまった。しかし三番目に通りかかったサマリヤ人は、ユダヤ人を嫌悪し敵対する人であった。その人サマリヤ人が、傷ついた人を介抱し、宿屋に連れて行って翌朝宿屋の主人に費用が余計にかかったなら、帰りがけに支払います、と言って出かけたと言う。実に感動する話である。この話を聞いた律法の専門家にイエスは『あなたも行って同じようにしなさい』と言われた。人を愛する隣人愛の最も具体的な話をしたイエスの生き様が我々の心を刺激する。若い時にできるだけ多く、このような話を聞く人は祭司やレビ人のような生き方はしない。もし祭司やレビ人と同じように助けないで遠回りする人がいるならば、親の教育が間違っている。たとい世間はどうであれ、人は助けあって生きるべきものである、との聖書の教えは間違ってはいない。

 

 

 

 次の譬え話も深く考えさせられる。マタイ福音書20章の「ぶどう園の労働者」のたとえである。一般に理解不可能な話のように思われるが、重要な視点を我々に提供する。かつて教会学校の教師をしていると言うクリスチャン教師がこの物語の意味が解らないと話したのには呆れてしまった。神がなさる社会的弱者へのご配慮は如何にすばらしいか、一般社会で理想とすべき天の国の労働者の姿がここに描かれている。物語を記そう。

 

 

『 ◆「ぶどう園の労働者」のたとえ

 

  20:1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 20:2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 20:3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 20:4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 20:5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 20:6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 20:7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたがたもぶどう園に行きなさい』と言った。 20:8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 20:9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 20:10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 20:11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。 20:12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 20:13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 20:14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 20:15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 20:16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」  』

 

 

 

「一日一デナリオン」は当時民衆が得る日給分であるが、人々は一日中働いた労働者とわずか一時間しか働かなかった人とが同じ報酬だったことに腹を立て不公平だと言う。しかし今日の人間社会でも、働きたくとも働けない方々、障害ある方や高齢者が相手にされない環境を考えると、人間の価値を能力で差別するあり方が公平であると見てはならないとの聖書の戒めがある。賃金は正統に支払われるが、労働力に差をつけるこの世のやり方と神の前に生きる人々の生き方とは大きく違う。結果は直ちに判断される。翌日働かなければならない人々は、それぞれどう判断するかだ。「先の人が後になり、後の人が先になる」現実を再び見るであろう。恐らく打算に走って楽をしたい人は早くから働かないであろう。サボる人が増えるに違いない。しかし今まで人前で一人前に扱われなかった人は、おそらく喜び、感謝し、謙遜に、或いは報酬をド返してぶどう園で働くことを申し出るに違いない。人には神の視点が必要であリ、神の前に人が平等であるとはどういうことか、愛を基本に教えることがなければならない。

 

 

 

6月号《慰めと励ましの言葉 39》

 

                                牧師 中川 寛

 

『人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。』(ガラテヤ6:7-9)

 

   かつて青年時代信仰をもって神の不公平さに憤りを感じたことがあった。神学生の貧乏暮らしがそのように感じさせたのであろう。世の中には生活の苦労を経験しない金持ちもいる。私は自分の境遇に不満を抱き、神の不公平さに不信の念を持った。一生懸命努力を重ねても生活は楽にならなかった。何とか食費を稼ぎ、アルバイトにも勤しんだ。しかし今思えば神は必要をすべて満たして下さったと言える。かつてのエリートたちが借金苦に苛まれ、家庭不和、離婚、孤独、大病と苦労しているのを見聞きするにつけ、人生は終わりまで分からないものだと感じさせられる。大金持ちの地主が税金が払えないとあくせくしている。時には遺産相続で兄弟仲違し、互いの不満を言い合っている。話題に事欠かないほどかつて勇ましかった人々が、密かに孤独死を遂げている。生涯幸せな日々を過ごした方々も居るに違いないが、残された家族が分裂しているのも無残な姿である。

 

パウロが語るように『めいめいが、自分の重荷を担うべきです。』とは実に深い言葉である。しかし残念なのは信仰者がその証しを十分にできず、信仰生活が中途半端に終わってしまうことである。教会生活が続かず、年を取るとその多くが童子かえりに戻リ、あとは家族や介護施設の世話になり、信仰の熱心さは消えてしまう。そうなる前に聖書を良く学び、キリスト教の歴史を深く知リ、家族に福音を伝える努力をしなければならない。

 

  日本のキリスト教は学校教育によって活性化しなければならない。キリスト教学校が聖書を教え、礼拝に取り組み、福音を語り、信仰を共有しなければキリスト教教育は成功しない。戦後キリスト教学校は日教組の配下にあり、賃上げと労働者としての教員の職務時間確保で学校理事者との団交に終始した。組合運動の中でキリスト教信仰は二の次になり、私が勤めた時代はほとんど教員に信仰が要請されることはなかった。ひどいキリスト教主義だと思ったが自由にやらせてもらった環境には感謝している。しかしクリスチャンの割合は三割以下、宗教活動はクリスチャン教員で行ってくれと言わんばかりであった。幸い校長が牧師でもあり、キリスト教教育の立て直しのために中・高学年に応じたカリキュラムの編成と宗教教育の要である礼拝の確保、PTA保護者への聖書研究や委員会活動の活性化のために施設訪問や奉仕活動を独自に実行できた。しかし忙しい教員達はクリスチャンであっても日曜日に礼拝に出ることは年に数回であったかと思われる。日本社会が土・日に様々な行事を盛り込み、安息日としての日曜日確保が難しい事情であった。教科やクラブ活動、生徒指導に熱心な教員ほど休みが取れない実情である。教員としての熱心さは言うに及ばず、クリスチャンとしての日曜日の過ごし方はどこの学校でも同様ではないかと思われる。

 

 聖書科教員はもちろんの事クリスチャン教員が教会生活を重視し、日曜日には皆教会に行くことを積極的に勧める事が必要である。その為クリスチャン教員はできるだけ自分の教会の礼拝に真面目に出席することが求められる。

 

生徒はクリスチャン教員の動向をよく見ている。口先だけのクリスチャンか信用できる教員かは日常の生活を通して生徒たちは既に評価を下している。人並みに教員としての使命を果たしていても、当然のことながら信仰生活がだらしない人には信頼を寄せない。もちろん教員相互においてノン・クリスチャン教員から信頼され、共同の仲間としてチームワークが任されるようでなければ更に事態は悪化する。日頃勇ましい論戦を張っていても、信頼されることはない。しかし誠実に仕事をこなしていくならば長い勤務体制の中で人は大きく評価するものである。私はかつて多くのノン・クリスチャンの同僚に支えられたことを感謝している。

 

教員の多くがクリスチャンである場合は環境が確保されているので教育効果は高いと思われる。しかし教育に賭ける熱意が生徒たちの意識を目覚めさせる。聖学院中高はその意味でキリスト教学校として多くの牧師を輩出している学校である。また受洗者の数も他校に比べて多いと言える。それは牧師の師弟が多いこととクリスチャンの保護者が多いことにも関係している。私はかねがね『牧師の子は牧師になれ。医者の子は医者になれ。クリスチャンの子は早く親の信仰に倣って洗礼を受けろ。牧師でも医者でもクリスチャンでもない生徒は親父を超える生き方をせよ。』と語ってきた。これは私自身の体験による檄である。数少ない日本のクリスチャン人口の中で牧師として宣教に努力されている方々には大きな責任が負わせられている。それを継承する事は息子として将来を考える宿題になると思う。私は息子が生きていて牧師になってくれたら大いに喜んだことである。日本の教会の牧師は生活が苦しいと言われるが、恵みもまた大きい。医者になるにはあまりにも大きな資金が必要である。娘を歯科医にさせるだけでも私は一人ではできなかった。家族親族の援助を受けてようやく実現できたからである。娘も頑張ったに違いないが、この職業を一代で終わらせるには余りにもモッタイナイ。その子弟にはまず親の職業を継がせる使命を持たせたいと思ったからである。今後どうなるか不明であるが娘はマルチタイプのアメリカ人と結婚して、今は子育てに専念している。音楽家の場合は良くわからないが、偉大な芸術をトップレベルで身に着けた環境を生きているだけでも価値ある人生だと認識している。子供達は夫々に紆余曲折の中高時代を過ごしたが、信仰の継承は有難いことに自覚的に受け入れてくれた。親が要求しないで子供が従うはずがない。特に若い日にその姿勢を正しく打ち出すことが求められる。

 

 キリスト教学校の使命は福音の宣教と聖書の信仰がバックボーンになければならない。その為に教師は聖書を直に良く学ぶことが求められる。福音の遺産に目を向けつつ、さらに自分の証しが無ければ信仰は伝わらない。映画の話やネットからの借用では生徒の方が詳しい。キリスト教教育はレンタルでは成り立たないことを学ばなければならない。今はやりのコピペまがいの話題を揃えても信仰は伝わらない。キリストにじかに触れて初めて福音の有難さや大切さが会得されるのである。

 

 日本の教会が更に活性化されるためにはキリスト教学校と教会との結びつきが深く求められる。右も左も弁えない子供たちに正しい聖書の福音を真正面から語る先生が一人でも多く出ることを期待したい。保障された環境で給料泥棒と言われるクリスチャン教員であってはならない。時代が変わっても変わらない福音に立って教育者としての使命を果たし、教会の展望をもって信仰者を産み出すならば日本の教会もまた大きく変わる事となる。次号はキリスト教教育の実際を書くこととしたい。

 

 

 

 

5月号《慰めと励ましの言葉 38》より

 

                               牧師 中川 寛

 

先日ある方からイースターに卒業生の母親が洗礼を受けられたとの話を聞いた。初めてお会いしたのは既に20年も昔の事だが、縁あって近くの教会に通われ、ようやく受洗にこぎ着けられた。ご子息はわが教会員であるがビジネスに忙しく世界を飛び回っている。私は折あるごとに洗礼を受けるように勧めている。聖書との深い結びつきを持って生きる事は必ず大きな生きる力を得るからである。95歳になる私の母親も介護を受けながら50年前にクリスチャンとなったことを感謝して、日々元気に過ごしている。行き先はキリストのもとであることが明確に自覚される。聖書はそれを「神の種(スペルマ)がまかれた」と言う。どのように成長して実を結ぶかは人にはわからない。信仰をもって過去を振り返った時、それは聖霊による導きの人生であった事を悟るのである。

 

洗礼は信仰者の神との真剣なかかわりの初めである。『口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。』(ローマ:10:9) と使徒パウロが語る通り、その信仰が人を生かす力になるのです。みんな魂の野垂れ死にになってはいけない。しかし皆が天国、天国と言うが、死んだらすべての人が天国へ入るわけではないだろう。やがて最後の時、キリストと共に救いにいる約束が与えられている。これはキリスト者の特権である。だから将来に不安を持つことなく全力で今を生きることができるのである。苦労の多い人生であっても、神はすべてをみそなわし、一人一人を贖ってくださると聖書は約束する。それを受け入れるキリスト者は単純バカと呼ばれても恥じることはない。もっと力を得ることができる。キリストと共に前向きにチャレンジできる。

 

先日ソフトバンクの孫正義氏のYouTubeを見た。彼の生まれは佐賀県鳥栖市の無番地と言われるところで、在日の苦難を受けながら、彼は家族を食べさせるためにアメリカへ行くと決断し、16歳で渡米したと言う。赤貧の中でその努力は並大抵のものではなかったが、今や押しも押されもしない大企業を先導する起業家として活躍する。その苦闘は人一倍、並大抵のものではない。祖母が14歳で日本に亘り、20歳上の祖父と結婚し、豚を飼い、密造のマッコリを作って生計を立てたと言う。彼は幼少時、おばあちゃんの引くリアカーに散歩に行くかと誘われ、乗せてもらい駅前の店で残飯をもらって帰るのが楽しみだったと言う。

 

在日の方々が受けている差別と偏見の苦しみの深さは計り知れないが、青年時代に夢を持ち、ビジョンを掲げて努力した成果が今のソフトバンクを形成していることは確かだ。彼の弟もジャパンヤフーを作り、今や起業家青年を育てている。ビル・ゲイツもジョブズ同世代で渡米時代からの友人であった。孫氏はビジネスにおいて戦略や戦術、計画立案はビジョンの下にあるものであって、頂点には理念が無ければならないと言う。理念とは夢であり理想の世界である。聖書的に言えば「神の国」思想に相当する。これを地上において生きる信仰がすなわちビジョンである。欧米流のキリスト教価値観に支えられていると言える。彼にキリスト教信仰があるかどうかは知らないが、その起業精神と人生哲学はキリスト教的であると思われる。彼は若者には『脳が腐る程に考えよ』と語る。それが彼の体験であり、努力の結果である。若者には若さと言う宝がある。金が無くとも若いエネルギーがある。これを無駄にすることなく深く学び取り組むことが求められる。

 

かつてグーグルの創始者ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンの事を書いたが、彼らの場合は明らかにユダヤ教に裏付けられた終末信仰の哲学から世界を変えるビジョンをもって創業したことが見て取れる。世界の人々が努力さえすれば道が開け、生活を維持できる環境を持つことができると言う。今後さらにキリスト教教育の真価が問われる時代となった。興味ある方は孫正義氏のYouTubuを見て下さい。

 

http://www.youtube.com/watch?v=DYjooacju_8

 

 人は早い時から自分の将来を考えるに越したことはない。定年を迎える年になっても体力のある限リ、世界の状況を見極め、若者に良いアドヴァイスを与えられるようになりたいと思う。世界が大きく変化し、昔の価値観では生きていくことができない。唯物主義ではないが、聖書の信仰を根底におくことが更に急務である。日本社会の現状は早やアメリカ社会と同時並行で進行している。NHKドキュメントでネットカフェに寝泊まりする母と二人の娘のことを知った。ネットカフェに親子家族で住まなければならない社会とは何かを深く考えさせられた。誰も好き好んでそこにいる訳ではない。しかしそこから出る手立てをどうするのか。アメリカ社会のホームレスの様子は以前書いた通りだが、それは今、日本の現実となっている。どこで寝泊まりしているのか知らないが、朝9時過ぎに必ず向かいのマンションの木陰で身を正してゆく人がいる。両手に大きな手提げ袋を持ち、先日は数冊の全集ものの本が詰め込まれていた。どこかにごみ出ししてあったのであろうか、彼はそれを売りに行くのであろう。身支度は整えるが、髪の毛は伸び放題である。ごみの中でも金目の物はそっと目を付けて袋に入れて持っていく。寒い冬はどう過ごしていたのかと他人事ながら心配もしたが、長年の生活感覚か、良く歩くためか元気である。

 

教会は信仰と同時に生きる術を教え学ぶことが求められる。若い人々が行き詰まらないように、支えてあげることが求められる。貧富の格差はなかなか縮まらない。若い元気な青年にはよく勉強して世界を見る目を養うことが求められる。信仰者として頑張っている教会の若者には少しの援助でも良いから笑顔で励ましてほしい。世界で活躍する若者を育てる事が教会の使命でもある。

 

桜台教会は幼稚園の閉園と共に新しい活動を展開しようとしている。急にもたらされた施設維持の為に蓄えのない財政の中で困窮してはいるが、皆新しいビジョンを考えている。先日のイースター礼拝で経験したように70名を超える方々が参加された。中でも子供たちが多く参加してくれた。安心して教会で子育てができるように、明るく安全なマットを敷いた子供の部屋があれば安心だとの声を聞いた。旧幼稚園ホールは様々な集会に活用できる。せめて礼拝堂に障害ある方や高齢者が車椅子で上れるように大型リフトがあれば教会も近くなると言われた。それよりも台所の改修やトイレもきれいにしたいとの意見が出された。庭の手入れもしましょうと有志の方が働いてくれる。新しい看板も付けられ、教会もわかりやすくなった。これらの声を聞いて、私はお金集めにも熱心でありたいと思う。キリスト者は全収入の10分の一を神さまに献げることが求められている。若い時はなかなかできないが、献げる心があれば可能である。黒田(如水)官兵衛はキリシタンであった。一説に依れば如水の名は旧約のヨシュアから来ていると言う。戦乱の軍師はモーセの後継者でカナン侵入の先駆者ヨシュアに学んだのかも知れない。彼は58歳で死ぬ時、教会に320石を献げる遺言を残したのである。