主日聖書日課 2021年  9月26日(日)

 

詩編90編13-17節

 90:13 主よ、帰って来てください。いつまで捨てておかれるのですか。あなたの僕らを力づけてください。

 90:14 朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ/生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。

 90:15 あなたがわたしたちを苦しめられた日々と/苦難に遭わされた年月を思って/わたしたちに喜びを返してください。

 90:16 あなたの僕らが御業を仰ぎ/子らもあなたの威光を仰ぐことができますように。

 90:17 わたしたちの神、主の喜びが/わたしたちの上にありますように。わたしたちの手の働きを/わたしたちのために確かなものとし/わたしたちの手の働きを/どうか確かなものにしてください。

 

※旧約聖書(預言の言葉) コヘレトの言葉 3章1-13節

 3:1 何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。 3:2 生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時 3:3 殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時 3:4 泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時 3:5 石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時 3:6 求める時、失う時/保つ時、放つ時 3:7 裂く時、縫う時/黙する時、語る時 3:8 愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。 3:9 人が労苦してみたところで何になろう。 3:10 わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。 3:11 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。 3:12 わたしは知った/人間にとって最も幸福なのは/喜び楽しんで一生を送ることだ、と 3:13 人だれもが飲み食いし/その労苦によって満足するのは/神の賜物だ、と。

※使徒書(証言の言葉) Ⅱテサロニケ書 3章6-13節

  ◆怠惰な生活を戒める

3:6 兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。 3:7 あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。 3:8 また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。 3:9 援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。 3:10 実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。 3:11 ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。 3:12 そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。 3:13 そして、兄弟たち、あなたがたは、たゆまず善いことをしなさい。

※福音書(主の福音の言葉) マタイ福音書 20章1-16節

◆「ぶどう園の労働者」のたとえ

 20:1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 20:2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 20:3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 20:4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 20:5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 20:6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 20:7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。 20:8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 20:9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 20:10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 20:11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。 20:12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 20:13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 20:14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 20:15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 20:16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」

 

 ≪メッセージ≫

1.聖書が語る神の時間

  コヘレトは旧約時代の伝道者である。今朝の3章は多くの人々に愛され、よく覚えられ、愛誦聖句の一つに上げられることが多い。人生の悲喜こもごも、悲しみも喜びもすべて人間が経験する時が歌い上げられている。この聖句を読むすべての人々が自分の人生を思い、日常を覚えてそれぞれの時を思うことによって同感を覚え、共感するのである。しかし時間は神の賜物であって、その背後にある恵みの確かさを十二分に確信するところにまで至らない。神を知ることなしに時の中で経験するすべての真理を獲得することはできない。一般的にはそれが歴史であり、生きとし生きる者の運命であると言うが、聖書はそうは教えていない。すべての経験が神の御手に擁かれていることを教える。

 歴史の相対性を神の必然と見る歴史観が首尾一貫しているのである。歴史は偶然に支配されるものではなく、聖書の中には神による救済の物語が語られる。歴史は単なるヒストリエ(Historie・歴史)ではなく、ハイルスゲシヒテ(Heilsgeshichite・救済史)である。それはまた教会史の別名でもある。福音による神の救いの歴史を体験した者のみが語りうるキリスト者の歴史観である。この視点がなければすべてが相対化され、無価値なものとされる。更に聖書はキリストが「歴史の中心」に立つと主張する。新約学者のコンチェルマンはルカ福音書の註解を通して『時の中心』と名付けた。キリストの十字架と復活物語が全歴史のど真ん中に位置することを仲介した。前世紀の神学的主張であるが、その教えは今日も大きな意義を持っている。

 救済史を抜きにして歴史を語ることは空しい。コヘレトはその言葉の最後にこう締め括っている。青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と 言う年齢にならないうちに。  太陽が闇に変わらないうちに。月や星の光がうせないうちに。雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。  その日には 家を守る男も震え、力ある男も身を屈める。粉ひく女の数は減って行き、失われ 窓から眺める女の目はかすむ。  通りでは門が閉ざされ、粉ひく音はやむ。鳥の声に起き上がっても、歌の節は低くなる。 12:5 人は高いところを恐れ、道にはおののきがある。アーモンドの花は咲き、いなごは重荷を負い アビヨナは実をつける。(注 ケーパーの花・若い蕾を酢付けにして食する。薬草として種子や根が利用される) 人は永遠の家へ去り、泣き手は町を巡る。  白銀の糸は断たれ、黄金の鉢は砕ける。泉のほとりに壺は割れ、井戸車は砕けて落ちる。  塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。 12:8 なんと空しいことか、とコヘレトは言う。すべては空しい、と。  コヘレトは知恵を深めるにつれて、より良く民を教え、知識を与えた。多くの格言を吟味し、研究し、編集した。  コヘレトは望ましい語句を探し求め、真理の言葉を忠実に記録しようとした。  賢者の言葉はすべて、突き棒や釘。ただひとりの牧者に由来し、収集家が編集した。  それらよりもなお、わが子よ、心せよ。書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる。  すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。神は、善をも悪をも 一切の業を、隠れたこともすべて 裁きの座に引き出されるであろう。』(12:1-14) 

 

2.キリストに結ばれた者として

 使徒パウロはテサロニケの信者達に『怠惰な生活をしてはならない』と教える。彼は『自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。兄弟たち、あなたがたはたゆまず良いことをしなさい。』と命じている。今日のキリスト者においても同様の事が言える。

 

3.『一日 一デナリオン』の約束

 

 イエスが教えた『ぶどう園の労働者』の話である。私達は皆『この最後の者にもあなたと同じように払ってやりたいのだ。』と言われるイエスの言葉に呼びかけられて教会生活を送っている。人生は神に認められることがが最高の幸せであることを覚えなければならない。この物語の翌日がどうであったかを覚えることである。キリストにある愛の恵みを知る者は翌日朝早くからぶどう園に来た人々によって証明されている。

主日聖書日課 2021年  9月19日(日)

 

詩編119編33-40節

 119:33 主よ、あなたの掟に従う道を示してください。最後までそれを守らせてください。 119:34 あなたの律法を理解させ、保たせてください。わたしは心を尽くしてそれを守ります。 119:35 あなたの戒めに従う道にお導きください。わたしはその道を愛しています。 119:36 不当な利益にではなく あなたの定めに心を傾けるようにしてください。 119:37 むなしいものを見ようとすることから わたしのまなざしを移してください。あなたの道に従って 命を得ることができますように。 119:38 あなたの僕に対して、仰せを成就してください。わたしはあなたを畏れ敬います。 119:39 わたしの恐れる辱めが わたしを避けて行くようにしてください。あなたは良い裁きをなさいます。 119:40 御覧ください わたしはあなたの命令を望み続けています。恵みの御業によって 命を得させてください。

 

※旧約聖書(預言の言葉) 出エジプト記 20章1-17節

◆十戒

 20:1 神はこれらすべての言葉を告げられた。 20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。 20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 20:4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。 20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、 20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。 20:7 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。 20:8 安息日を心に留め、これを聖別せよ。 20:9 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、 20:10 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。 20:11 六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。 20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。 20:13 殺してはならない。 20:14 姦淫してはならない。 20:15 盗んではならない。 20:16 隣人に関して偽証してはならない。 20:17 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」

※使徒書(証言の言葉) エフェソ書5章1-5節

 5:1 あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。 5:2 キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、なたがたも愛によって歩みなさい。 5:3 あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。 5:4 卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。 5:5 すべてみだらな者、汚れた者、また貪欲な者、つまり、偶像礼拝者は、キリストと神との国を受け継ぐことはできません。このことをよくわきまえなさい。

※福音書(主の福音の言葉) マタイ福音書19章13-30節

◆子供を祝福する

 19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。 19:14 しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」 19:15 そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。

 ◆金持ちの青年

 19:16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」 19:17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」 19:18 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、 19:19 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」 19:20 そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」 19:21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 19:23 イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。 19:24 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 19:25 弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。 19:26 イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。 19:27 すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」 19:28 イエスは一同に言われた。「はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。 19:29 わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。 19:30 しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」

 

 ≪メッセージ≫

 

1.新しい神の戒めに生きる民 

 出エジプトの民に与えられた『モーセの十戒』は自由を得たイスラエルの民の生きる基本でありヤハウエと共に歩む者の信仰の証しでもある。十戒は今日の混乱した世界の中においても、人が人として生きて行く為の唯一の基準となる教えであり、人間の最も基本的な生活原理を指示している。十戒は単なる倫理的戒律ではなく、神と共に歩む信仰者の守るべき契約規範である。これを抜きにして人は正しい人生を歩むことはできない。信仰者は神の祝福に与かったものとしてこの教えを生活信条として日々守り抜くことが求められている。信仰者の証しはこの十戒の実践において証しされる。

 

2.キリストと神の国を受け継ぐ者

 使徒パウロはエフェソの繁栄した、しかし同時に堕落した人々とは違ってキリストにあって救われた信仰者として『神に倣う者となりなさい』と奨める。 『あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。』(エフェソ5:34) キリストの十字架による自己犠牲の愛を体験した者は、その本性において『私に向けられた愛の真実と深さ』を決して無価値なものに転嫁したりはしない。どれほど厳しい日常が私達を覆っても、キリストの愛を受け留めるならば大いなる希望と勇気が湧いてくる。混乱する世界の闇の中にも神の国の光明を確認することができる。信じがたい世界の悪魔化が進行する中で、教会の福音は唯一の希望の光となる。教会もまた福音を曖昧にするとき、世界の希望は見失われることとなる。このコロナの猛威はすべての人々に魂の救済と真理と正義が行われることを呼び求める警鐘となっているのではないか。苦悩するすべての人々に神にある平和を証しするためには各人の不満と鬱憤を晴らすことではなく、感謝のこころを証しすることが必要とされる。

 

3.「永遠の命」を得る為には何をすべきでしょうか

 

 主イエスに問いかけた富める青年に主は『もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』と言われた。彼は幼い時から律法の戒めが大切であることを学んでいた。しかし富に安住して神の国を生きる方策を知らなかった。多くの現代人もまた自己の生活を優先するが、その先に在るものは空しい死以外に待ち受けてるものはない。キリストと共に神に生きる道はおさなごのように、純真な心をもってキリストの呼びかけにこたえて生きる事である。 Ⅰヨハネ書5章には『イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。  だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。(5:1-5) と力強く教えている。聖書の真理はどれ程時代が流れ変わろうとも、決して色褪せ、変質することはないのです。 

主日聖書日課 2021年  9月 5日(日)

 

詩編14717

147:1 ハレルヤ。わたしたちの神をほめ歌うのはいかに喜ばしく 神への賛美はいかに美しく快いことか。 147:2 主はエルサレムを再建し イスラエルの追いやられた人々を集めてくださる。 147:3 打ち砕かれた心の人々を癒し その傷を包んでくださる。 147:4 主は星に数を定め それぞれに呼び名をお与えになる。 147:5 わたしたちの主は大いなる方、御力は強く 英知の御業は数知れない。 147:6 主は貧しい人々を励まし 逆らう者を地に倒される。 147:7 感謝の献げ物をささげて主に歌え。竪琴に合わせてわたしたちの神にほめ歌をうたえ。

 

※旧約聖書(預言の言葉) エゼキエル書371528

◆一つとなる神の民

 37:15 主の言葉がわたしに臨んだ。 37:16 「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『ユダおよびそれと結ばれたイスラエルの子らのために』と書き記しなさい。また、別の木をとり、その上には『エフライムの木であるヨセフおよびそれと結ばれたイスラエルの全家のために』と書き記しなさい。 37:17 それらを互いに近づけて一本の木としなさい。それらはあなたの手の中で一つとなる。 37:18 あなたの民の子らがあなたに向かって、『これらはあなたにとって何を意味するのか告げてくれないか』と言うとき、 37:19 彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはエフライムの手の中にあるヨセフの木、およびそれと結ばれたイスラエルの諸部族を取り、それをユダの木につないで一本の木とする。それらはわたしの手の中で一つとなる。 37:20 あなたがその上に書き記した木は、彼らの目の前であなたの手にある。 37:21 そこで、彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはイスラエルの子らを、彼らが行っていた国々の中から取り、周囲から集め、彼らの土地に連れて行く。 37:22 わたしはわたしの地、イスラエルの山々で彼らを一つの国とする。一人の王が彼らすべての王となる。彼らは二度と二つの国となることなく、二度と二つの王国に分かれることはない。 37:23 彼らは二度と彼らの偶像や憎むべきもの、もろもろの背きによって汚されることはない。わたしは、彼らが過ちを犯したすべての背信から彼らを救い清める。そして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。 37:24 わたしの僕ダビデは彼らの王となり、一人の牧者が彼らすべての牧者となる。彼らはわたしの裁きに従って歩み、わたしの掟を守り行う。 37:25 彼らはわたしがわが僕ヤコブに与えた土地に住む。そこはお前たちの先祖が住んだ土地である。彼らも、その子らも、孫たちも、皆、永遠に至るまでそこに住む。そして、わが僕ダビデが永遠に彼らの支配者となる。 37:26 わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。それは彼らとの永遠の契約となる。わたしは彼らの住居を定め、彼らを増し加える。わたしはまた、永遠に彼らの真ん中にわたしの聖所を置く。 37:27 わたしの住まいは彼らと共にあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 37:28 わたしの聖所が永遠に彼らの真ん中に置かれるとき、諸国民は、わたしがイスラエルを聖別する主であることを知るようになる。」

※使徒書(証言の言葉) Ⅰコリント書11017

◆復活の体

15:35 しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。15:36 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。 15:37 あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。 15:38 神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。 15:39 どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。 15:40 また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。 15:41 太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。 15:42 死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、 15:43 蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。 15:44 つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。 15:45 「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。 15:46 最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。 15:47 最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。 15:48 土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。 15:49 わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。 15:50 兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。 15:51 わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。 15:52 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。

※福音書(主の福音の言葉) マタイ福音書18章1020

◆「迷い出た羊」のたとえ

18:10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。 18:11人の子は、失われたものを救うために来た。

18:12 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。 18:13 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。 18:14 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

 ◆兄弟の忠告

 18:15 「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。 18:16 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。 18:17 それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。 18:18 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。 18:19 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。 18:20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

 

 ≪メッセージ≫

1.選ばれた神の民 

  エゼキエル書37章の前半は神の霊による枯れた骨の復活物語である。神の霊によって命ある民とされた新しいイスラエルの民は神の目的に従って新しい契約の民となると言う。滅びの民ではなく、愛と喜びの民、平和の民として生きると言われる。キリスト者もまた同様にキリストによる平安を生きる民となる。『わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。それは彼らとの永遠の契約となる。わたしは彼らの住居を定め、彼らを増し加える。わたしはまた、永遠に彼らの真ん中にわたしの聖所を置く。わたしの住まいは彼らと共にあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。』(37:26-27)

 

2.復活の姿

 使徒パウロは死人の復活により新しい神の霊に生きる救いの完成を語る。人は復活の主と共に永遠の命を生きる者となり、霊あるものとしてキリストの命に与るものとなる。復活による永遠の命が既に約束されていることを大胆に語る。キリストの信仰の力が私たち自身を変えるのである。それは霊による見えない神のの力である。キリスト者にはすでにその命が与えられていると教える。『わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。』(15:49-52)

 

3.教会共同体とは

 

 永遠の大牧者キリストはその共同体(コミュニティ-)において信仰者を生かされる。キリスト自ら『二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。』(18:20)と言われる。

主日聖書日課 2021年  8月 29日(日)

 

※旧約聖書(預言の言葉) 列王記上3章4-15節

 

 3:4 王はいけにえをささげるためにギブオンへ行った。そこに重要な聖なる高台があったからである。ソロモンはその祭壇に一千頭もの焼き尽くす献げ物をささげた。 3:5 その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。 3:6 ソロモンは答えた。「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。 3:7 わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。 3:8 僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。 3:9 どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」 3:10 主はソロモンのこの願いをお喜びになった。 3:11 神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。 3:12 見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。 3:13 わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。 3:14 もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」 3:15 ソロモンは目を覚まして、それが夢だと知った。ソロモンはエルサレムに帰り、主の契約の箱の前に立って、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、家臣のすべてを招いて宴を張った。

 

※使徒書(証言の言葉) Ⅰコリント書15章35-52節

 

◆復活の体

 15:35 しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。 15:36 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。 15:37 あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。 15:38 神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。 15:39 どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。 15:40 また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。 15:41 太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。 15:42 死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、 15:43 蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。 15:44 つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。 15:45 「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。 15:46 最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。 15:47 最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。 15:48 土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。 15:49 わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。 15:50 兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。 15:51 わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。 15:52 最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。

 

※福音書(主の福音の言葉) マタイ福音書13章44-52節

 

◆「天の国」のたとえ

 13:44 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。 13:45 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 13:46 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。 13:47 また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。 13:48 網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。 13:49 世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、 13:50 燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」

 ◆天の国のことを学んだ学者

 13:51 「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。 13:52 そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」

 

詩編(交誦) 104編24-35節

 

104:24 主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。 104:25 同じように、海も大きく豊かで/その中を動きまわる大小の生き物は数知れない。 104:26 舟がそこを行き交い/お造りになったレビヤタンもそこに戯れる。 104:27 彼らはすべて、あなたに望みをおき/ときに応じて食べ物をくださるのを待っている。 104:28 あなたがお与えになるものを彼らは集め/御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。 104:29 御顔を隠されれば彼らは恐れ/息吹を取り上げられれば彼らは息絶え/元の塵に返る。 104:30 あなたは御自分の息を送って彼らを創造し/地の面を新たにされる。 104:31 どうか、主の栄光がとこしえに続くように。主が御自分の業を喜び祝われるように。 104:32 主が地を見渡されれば地は震え/山に触れられれば山は煙を上げる。 104:33 命ある限り、わたしは主に向かって歌い/長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。 104:34 どうか、わたしの歌が御心にかなうように。わたしは主によって喜び祝う。 104:35 どうか、罪ある者がこの地からすべてうせ/主に逆らう者がもはや跡を絶つように。わたしの魂よ、主をたたえよ。ハレルヤ。

 

 ≪メッセージ≫

 

1.ソロモン王の求めたもの

3:11 神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。 3:12 見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。」』 それゆえに神と共に歩むソロモンは神の知恵を残した。

 

2.キリストによる新しい霊の体

キリスト者は新しい存在として生きる。神が与えてくださった霊の働きである。それはこの世のすべてに優って人を正しく導く神の力である。信仰とは常にこの働きを求めて正しく生きることである。

 

3.隠されている天の宝

 まず求めるべきものは罪の赦しと体の贖い。福音の力は信仰により自己を栄光の輝きあるものに変えられる。隠されている天の宝は新しい命であり聖霊の喜びである。キリストの与える十字架の贖罪にはキリスト者だけが味わい知ることのできる信仰の形が隠されている。福音とは隠されている天の宝物である。それを知る事が信仰生活の成長なのである。自己の願いを実現させる力が福音なのではない。人生の成功者がみな祝福された最後を迎えるのではない。

ルカ福音書の「愚かな金持ち」のたとえは明確にその事実を語る。12:15 そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。あり余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」 12:16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。 12:17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、 12:18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、 12:19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』 12:20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。 12:21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」』 

 

またマタイ福音書6章では次のように教える。『6:31 だから、「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」と言って、思い悩むな。6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。 6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。』 これが聖書の教えるキリストにある福音の本義である。

主日礼拝聖書日課 2021年  8月 22日(日)

 

※旧約聖書(預言の言葉) ハバクク書 3章17-19節

3:17 いちじくの木に花は咲かず ぶどうの枝は実をつけず オリーブは収穫の期待を裏切り 田畑は食物を生ぜず 羊はおりから断たれ 牛舎には牛がいなくなる。 3:18 しかし、わたしは主によって喜び わが救いの神のゆえに踊る。 3:19 わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を雌鹿のようにし 聖なる高台を歩ませられる。

 

※使徒書(証言の言葉) ローマ書 8章18-25節

◆将来の栄光

 8:18 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。 8:19 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。 8:20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。 8:21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。 8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。 8:23 被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 8:24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。 8:25 わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。

 

※福音書(主の福音の言葉) マタイ福音書13章24-43節

◆「毒麦」のたとえ

 13:24 イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。 13:25 人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。 13:26 芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。 13:27 僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』 13:28 主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、 13:29 主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。 13:30 刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」

 ◆「からし種」と「パン種」のたとえ

 13:31 イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、 13:32 どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」 13:33 また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」

 ◆たとえを用いて語る

 13:34 イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。 13:35 それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「わたしは口を開いてたとえを用い、 天地創造の時から隠されていたことを告げる。」

 ◆「毒麦」のたとえの説明

 13:36 それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。 13:37 イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、 13:38 畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。 13:39 毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。 13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。 13:41 人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、 13:42 燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。 13:43 そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

 

詩編(交誦) 90編1-12節

 90:1 【祈り。神の人モーセの詩。】主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。 90:2 山々が生まれる前から 大地が、人の世が、生み出される前から 世々とこしえに、あなたは神。 90:3 あなたは人を塵に返し 「人の子よ、帰れ」と仰せになります。 90:4 千年といえども御目には 昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。 90:5 あなたは眠りの中に人を漂わせ 朝が来れば、人は草のように移ろいます。 90:6 朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい 夕べにはしおれ、枯れて行きます。 90:7 あなたの怒りにわたしたちは絶え入り あなたの憤りに恐れます。 90:8 あなたはわたしたちの罪を御前に 隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。 90:9 わたしたちの生涯は御怒りに消え去り 人生はため息のように消えうせます。 90:10 人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。 90:11 御怒りの力を誰が知りえましょうか。あなたを畏れ敬うにつれて あなたの憤りをも知ることでしょう。 90:12 生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。

 

 

 ≪メッセージ≫

1.苦難の中で

 BC586年南王国ユダを襲ったバビロニア帝国の勢いの下エルサレム神殿は破壊され、イスラエルの人々は捕囚としてバビロンに連行された。預言者ハバククはその破滅の時期を体験し国家滅亡の時を体験した。信仰者が共に苦しみを担う苦難の時代である。しかし預言者の言葉は『いちじくの木に花は咲かず ぶどうの枝は実をつけず オリーブは収穫の期待を裏切り 田畑は食物を生ぜず 羊はおりから断たれ 牛舎には牛がいなくなる。しかし、わたしは主によって喜び わが救いの神のゆえに踊る。わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を雌鹿のようにし 聖なる高台を歩ませられる。』(ハバクク3:17-19)と神への信頼を持ち続ける。苦難の時代にも神への希望を捨ててはならない。混乱の中にも大きな祝福をもたらされる。先の見えない中にもキリスト者の歩みは豊かに祝福される。祝福の道を模索しその目標に従って努力を傾注する時神は豊かにその人生を祝福される。これが聖書の信仰である。

 

2.見えない希望に生きる

 使徒パウロは信仰者の生き方、信仰の本義を語る。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。(ローマ8:22-25)  ヘブライ書の著者が『信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。』(ヘブライ11:1) と語る通り、使徒パウロも十字架の主と共に希望をもって生きる事が大事であると教えている。

 

 

3.「毒麦のたとえ」を覚えて生きる

 イエスは弟子達に天国のたとえを教えられた。それは一粒のからし種によって獲得される。良い種によって多くの収穫が得られる。悪魔の手口は常に見掛け倒しである。コロナ禍と不況により世界はさらに悪魔化する。しかし信仰者は主の言葉によって正しい道を歩む。悪い情報に惑わされることなく常に祝福された可能性を探ることが求められる。コロナの世界的猛威は来年まで続くと言われる。皆様の上に主にある安全と平安を祈ります。

 

 

主日礼拝聖書日課 2021年  8月 15日(日)

 

※旧約聖書(預言の言葉) 創世記24章62-67節

 24:62 イサクはネゲブ地方に住んでいた。そのころ、ベエル・ラハイ・ロイから帰ったところであった。 24:63 夕方暗くなるころ、野原を散策していた。目を上げて眺めると、らくだがやって来るのが見えた。 24:64 リベカも目を上げて眺め、イサクを見た。リベカはらくだから下り、 24:65 「野原を歩いて、わたしたちを迎えに来るあの人は誰ですか」と僕に尋ねた。「あの方がわたしの主人です」と僕が答えると、リベカはベールを取り出してかぶった。 24:66 僕は、自分が成し遂げたことをすべてイサクに報告した。 24:67 イサクは、母サラの天幕に彼女を案内した。彼はリベカを迎えて妻とした。イサクは、リベカを愛して、亡くなった母に代わる慰めを得た。

 

※使徒書(証言の言葉) コロサイ書3章18節―4章1節

◆家族に対して

 3:18 妻たちよ、主を信じる者にふさわしく、夫に仕えなさい。 3:19 夫たちよ、妻を愛しなさい。つらく当たってはならない。 3:20 子供たち、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです。 3:21 父親たち、子供をいらだたせてはならない。いじけるといけないからです。 3:22 奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。 3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。 3:24 あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。 3:25 不義を行う者は、その不義の報いを受けるでしょう。そこには分け隔てはありません。 4:1 主人たち、奴隷を正しく、公平に扱いなさい。知ってのとおり、あなたがたにも主人が天におられるのです。

 

※福音書(主の福音の言葉) マタイ福音書12章43-50節

◆汚れた霊が戻って来る

 12:43 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。

 12:44 それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。 12:45 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」

 ◆イエスの母、兄弟

 12:46 イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。 12:47 そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。 12:48 しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」 12:49 そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 12:50 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

 

詩編(交誦) 128編1-6節

 128:1 【都に上る歌。】いかに幸いなことか 主を畏れ、主の道に歩む人よ。 128:2 あなたの手が労して得たものはすべて あなたの食べ物となる。あなたはいかに幸いなことか いかに恵まれていることか。 128:3 妻は家の奥にいて、豊かな房をつけるぶどうの木。食卓を囲む子らは、オリーブの若木。 128:4 見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。 128:5 シオンから 主があなたを祝福してくださるように。命のある限りエルサレムの繁栄を見 128:6 多くの子や孫を見るように。イスラエルに平和。

 

 ≪メッセージ≫

1.結婚の意義

 アブラハムは息子のためにハランに住む親族に使いを遣って息子イサクに嫁を迎えた。リベカはこの結婚は主が与えたものであると信じイサクの嫁となった。結婚は神が与えた恵みの約束であることを忘れてはならない。信仰をもって神と共に歩む家族には神からの祝福が降り注ぐ。家族が神からの賜物であることを忘れた時家族の崩壊が始まる。

  『リベカの兄と母はリベカを呼んで、「お前はこの人と一緒に行きますか」と尋ねた。「はい、参ります」と彼女は答えた。彼らは妹であるリベカとその乳母、アブラハムの僕とその従者たちを一緒に出立させることにし、リベカを祝福して言った。「わたしたちの妹よ あなたが幾千万の民となるように。あなたの子孫が敵の門を勝ち取るように。」リベカは、侍女たちと共に立ち上がり、らくだに乗り、その人の後ろに従った。僕はリベカを連れて行った。』(創世記24:58~61)

 

2.家族に対して

 家族制度は封建制の権威主義であってはならない。しかし結婚の自由は信仰を基礎にする民主制度であって身勝手な自由主義ではない。神の主権が家族を支えるものでなければならない。人生を共に生き抜く為の努力は共に大きな試練を潜り抜けて与えられる恵みへと変えられるものである。

 『何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。』(コロサイ3: 2324 )

 

3.幸せな家族には常にサタンの誘惑が待ち構えている

 隣の家族を羨むことはない。またさげすむこともない。聖書は常に家族の危機が襲い来ることを予告する。

それゆえに日々神のみ心がどこにあるかを伺って生きる事が求められる。

 「汚れた霊は砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。と『出て来たわが家に戻ろう』と言う。

 

それで、戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」 (マタイ12:43-45)

主日礼拝聖書日課 2021年  8月 8日(日)

 

※旧約聖書(預言の言葉) エレミヤ書20章7-13節

◆エレミヤの告白

 20:7 主よ、あなたがわたしを惑わし わたしは惑わされて あなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ 人が皆、わたしを嘲ります。 20:8 わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり 「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中 恥とそしりを受けねばなりません。 20:9 主の名を口にすまい もうその名によって語るまい、と思っても 主の言葉は、わたしの心の中 骨の中に閉じ込められて 火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。 20:10 わたしには聞こえています 多くの人の非難が。「恐怖が四方から迫る」と彼らは言う。「共に彼を弾劾しよう」と。わたしの味方だった者も皆 わたしがつまずくのを待ち構えている。「彼は惑わされて 我々は勝つことができる。彼に復讐してやろう」と。 20:11 しかし主は、恐るべき勇士として わたしと共にいます。それゆえ、わたしを迫害する者はつまずき 勝つことを得ず、成功することなく 甚だしく辱めを受ける。それは忘れられることのない とこしえの恥辱である。 20:12 万軍の主よ 正義をもって人のはらわたと心を究め 見抜かれる方よ。わたしに見させてください あなたが彼らに復讐されるのを。わたしの訴えをあなたに打ち明け お任せします。 20:13 主に向かって歌い、主を賛美せよ。主は貧しい人の魂を 悪事を謀る者の手から助け出される。

 

※使徒書(証言の言葉) 使徒言行録20章17-35節

◆エフェソの長老たちに別れを告げる

 20:17 パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。 20:18 長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。 20:19 すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。 20:20 役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。 20:21 神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。 20:22 そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。 20:23 ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。 20:24 しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。 20:25 そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。 20:26 だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。 20:27 わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。 20:28 どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。 20:29 わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。 20:30 また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。 20:31 だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。 20:32 そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。 20:33 わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。 20:34 ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。 20:35 あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」

 

※福音書(主の福音の言葉) マタイ福音書10章16-25節

◆迫害を予告する

 10:16 「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。 10:17 人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。 10:18 また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。 10:19 引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。 10:20 実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。 10:21 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。 10:22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 10:23 一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。 10:24 弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。 10:25 弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」

 

詩編(交誦) 57編2-12節

57:2 憐れんでください 神よ、わたしを憐れんでください。わたしの魂はあなたを避けどころとし 災いの過ぎ去るまで あなたの翼の陰を避けどころとします。

 57:3 いと高き神を呼びます わたしのために何事も成し遂げてくださる神を。

 57:4 天から遣わしてください 神よ、遣わしてください、慈しみとまことを。わたしを踏みにじる者の嘲りから  わたしを救ってください。〔セラ

 57:5 わたしの魂は獅子の中に 火を吐く人の子らの中に伏しています。彼らの歯は槍のように、矢のように 舌は剣のように、鋭いのです。

 57:6 神よ、天の上に高くいまし 栄光を全地に輝かせてください。

 57:7 わたしの魂は屈み込んでいました。彼らはわたしの足もとに網を仕掛け わたしの前に落とし穴を掘りましたが その中に落ち込んだのは彼ら自身でした。〔セラ

 57:8 わたしは心を確かにします。神よ、わたしは心を確かにして あなたに賛美の歌をうたいます。

 57:9 目覚めよ、わたしの誉れよ 目覚めよ、竪琴よ、琴よ。わたしは曙を呼び覚まそう。

 57:10 主よ、諸国の民の中でわたしはあなたに感謝し 国々の中でほめ歌をうたいます。

 57:11 あなたの慈しみは大きく、天に満ち あなたのまことは大きく、雲を覆います。

 57:12 神よ、天の上に高くいま /栄光を全地に輝かせてください。

 

 ≪メッセージ≫

1.預言者エレミヤの苦悩から出たことばを覚えましょう。

 破壊と混乱の渦巻く中で主の預言者の言葉に揺るぎはありません。困難の中でも主に目を向けて最善の努力を続けましょう。神は必ず新しい世界を打ち開いてくださいます。

 『主は貧しい人の魂を 悪事を謀る者の手から助け出される。』 (エレミヤ20:13)

 

2.使徒パウロの決別の言葉

 第三伝道旅行を終えてエル。サレムに戻る決意をした使徒パウロの熱意は世界を変える大きな力になりました。ローマ帝国の中で生きた福音の証しがやがて世界史を変える働きをすることになります。

 『主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。』(使徒20:24)

 

3.主イエスの福音

 悲しいかな喜びの福音ではなく信仰者の決断が求められている。悪しき時代を立て直す唯一の手立ては家庭に平和を取り戻すことである。夫婦の愛と赦しに支えられて家族の信頼が回復され、子供達の心に家族の平安が伝えられた時人と社会は大きく成長します。主イエスの教えは常に悪の誘惑に打ち勝つ祝福の道を教えています。

 

 『蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。』(マタイ10:16)