《今日のみ言葉》

LOSUNGEN『日々の聖句』

    2020年8月21日(金) 

 

◎今日の聖句

 哀歌5章1-22節

 

◆第五の歌

5:1 主よ/わたしたちにふりかかったことに心を留め/わたしたちの受けた嘲りに目を留めてください。 5:2 わたしたちの嗣業は他国の民のものとなり/家は異邦の民のものとなった。 5:3 父はなく、わたしたちは孤児となり/母はやもめとなった。 5:4 自分の水をすら、金を払って飲み/自分の木からすら、価を払って取り入れる。 5:5 首には軛を負わされて追い立てられ/疲れても、憩いはない。 5:6 わたしたちはエジプトに手を出し/パンに飽こうとアッシリアに向かった。 5:7 父祖は罪を犯したが、今は亡く/その咎をわたしたちが負わされている。 5:8 奴隷であった者らがわたしたちを支配し/その手からわたしたちを奪い返す者はない。 5:9 パンを取って来るには命をかけねばならない。荒れ野には剣が待っている。 5:10 飢えは熱病をもたらし/皮膚は炉のように焼けただれている。 5:11 人妻はシオンで犯され/おとめはユダの町々で犯されている。 5:12 君侯は敵の手で吊り刑にされ/長老も敬われない。 5:13 若者は挽き臼を負わされ/子供は薪を負わされてよろめく。 5:14 長老は町の門の集いから姿を消し/若者の音楽は絶えた。 5:15 わたしたちの心は楽しむことを忘れ/踊りは喪の嘆きに変わった。 5:16 冠は頭から落ちた。いかに災いなことか。わたしたちは罪を犯したのだ。 5:17 それゆえ、心は病み/この有様に目はかすんでゆく。 5:18 シオンの山は荒れ果て、狐がそこを行く。 5:19 主よ、あなたはとこしえにいまし/代々に続く御座にいます方。 5:20 なぜ、いつまでもわたしたちを忘れ/果てしなく見捨てておかれるのですか。 5:21 主よ、御もとに立ち帰らせてください/わたしたちは立ち帰ります。わたしたちの日々を新しくして/昔のようにしてください。 5:22 あなたは激しく憤り/わたしたちをまったく見捨てられました。

 

◎今日の一言

今後2020年は歴史に残る年となるであろう。世界の大変化が更に加速し、世界を異質なものに変えてしまうかもしれない。自然災害、疫病、紛争、飢餓、恐慌、戦争、破局へと向かうかもしれない。神なき世界の悲惨さが人間を悪魔化し歴史の破滅へと導く。聖書の信仰は世の破局を意識しつつ、神と共に世界を再創造する福音の証しである。BC6世紀に起きたユダヤ人の悲惨さを繰り返してはならない。戦後75年、平和を享受してきた日本も世界の危機を回避することはできないであろう。上に立つ人々の目がどこを見ているか、何を目指しているかが一番気にかかる昨今である。主にある平安を願う。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書8章10-13節 

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2020年8月20日(木)

 

◎今日の聖句

  ローマ書11章25-32節

 

◆イスラエルの再興

11:25 兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、 11:26 こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてあるとおりです。「救う方がシオンから来て、/ヤコブから不信心を遠ざける。 11:27 これこそ、わたしが、彼らの罪を取り除くときに、/彼らと結ぶわたしの契約である。」 11:28 福音について言えば、イスラエル人は、あなたがたのために神に敵対していますが、神の選びについて言えば、先祖たちのお陰で神に愛されています。 11:29 神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。 11:30 あなたがたは、かつては神に不従順でしたが、今は彼らの不従順によって憐れみを受けています。 11:31 それと同じように、彼らも、今はあなたがたが受けた憐れみによって不従順になっていますが、それは、彼ら自身も今憐れみを受けるためなのです。 1:32 神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それは、すべての人を憐れむためだったのです。

 

◎今日の一言

まことの神を知り、全人類がその憐れみに与かること、これが福音の意図するすべてであると使徒パウロは教える。イエスキリストの贖罪が全人類に及ぶ時、世界は平和を実現する。聖書の真理が実現する為にはまだ数億年の歴史を有する。愚かなことかも知れないが、キリスト者はまじめに日々この目的実現のために祈り、宣教に励んでいる。この意味でキリスト者は世界一の楽天家であると言える。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書8章1-9節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2020年8月19日(水) 

 

◎今日の聖句

 ヨハネ福音書4章19-26節

 

4:19 女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。 4:20 わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」 4:21 イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。 4:22 あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。 4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。 4:24 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」 4:25 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」 4:26 イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

 

◎今日の一言

サマリヤのスカルの井戸で日中人目を避けて水を汲みに来ていたひとりの婦人に、イエスは「水を飲ませて下さい」と声を掛けられた。種々の悩みを持つ婦人はただ人目を避けて水を汲みに来ていたが、イエスとの会話を通じて真のメシア(キリスト)に出会った。この婦人の証しによってサマリアの人々もイエスを受け入れ救いを知った。有名な「井戸端の女」の物語である。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書7章31-37節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2020年8月18日(火) 

 

◎今日の聖句

 哀歌1章1-11節

 

1:1 なにゆえ、独りで座っているのか/人に溢れていたこの都が。やもめとなってしまったのか/多くの民の女王であったこの都が。奴隷となってしまったのか/国々の姫君であったこの都が。 1:2 夜もすがら泣き、頬に涙が流れる。彼女を愛した人のだれも、今は慰めを与えない。友は皆、彼女を欺き、ことごとく敵となった。 1:3 貧苦と重い苦役の末にユダは捕囚となって行き/異国の民の中に座り、憩いは得られず/苦難のはざまに追い詰められてしまった。 1:4 シオンに上る道は嘆く/祭りに集う人がもはやいないのを。シオンの城門はすべて荒廃し、祭司らは呻く。シオンの苦しみを、おとめらは悲しむ。 1:5 シオンの背きは甚だしかった。主は懲らしめようと、敵がはびこることを許し/苦しめる者らを頭とされた。彼女の子らはとりことなり/苦しめる者らの前を、引かれて行った。 1:6 栄光はことごとくおとめシオンを去り/その君侯らは野の鹿となった。青草を求めたが得られず/疲れ果ててなお、追い立てられてゆく。 1:7 エルサレムは心に留める/貧しく放浪の旅に出た日を/いにしえから彼女のものであった/宝物のすべてを。苦しめる者らの手に落ちた彼女の民を/助ける者はない。絶えゆくさまを見て、彼らは笑っている。 1:8 エルサレムは罪に罪を重ね/笑いものになった。恥があばかれたので/重んじてくれた者にも軽んじられる。彼女は呻きつつ身を引く。 1:9 衣の裾には汚れが付いている。彼女は行く末を心に留めなかったのだ。落ちぶれたさまは驚くばかり。慰める者はない。「御覧ください、主よ/わたしの惨めさを、敵の驕りを。」 1:10 宝物のすべてに敵は手を伸ばした。彼女は見た、異国の民が聖所を侵すのを。聖なる集会に連なることを/主に禁じられた者らが。 1:11 彼女の民は皆、パンを求めて呻く。宝物を食べ物に換えて命をつなごうとする。「御覧ください、主よ/わたしのむさぼるさまを見てください。」

 

◎今日の一言

通常『エレミヤの哀歌』と呼ばれる悲しみの歌である。バビロンによる攻撃によりエルサレムの町は廃墟と化し、イスラエルの住民は捕囚の民として連行されていった。突然迎えた破局に対して預言者はなお神に向かって歌い続ける。終戦直後の日本の現状も同様であったかと想像する。常に廃墟の中から立ち上がる生きる勇気と希望を備えておかなければならない。教訓に満ちた書である。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書7章24-30節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年8月17日(月) 

 

◎今日の聖句

 ローマ書11章1-12節

 

◆イスラエルの残りの者

11:1 では、尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない。わたしもイスラエル人で、アブラハムの子孫であり、ベニヤミン族の者です。 11:2 神は、前もって知っておられた御自分の民を退けたりなさいませんでした。それとも、エリヤについて聖書に何と書いてあるか、あなたがたは知らないのですか。彼は、イスラエルを神にこう訴えています。 11:3 「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊しました。そして、わたしだけが残りましたが、彼らはわたしの命をねらっています。」 11:4 しかし、神は彼に何と告げているか。「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と告げておられます。 11:5 同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています。 11:6 もしそれが恵みによるとすれば、行いにはよりません。もしそうでなければ、恵みはもはや恵みではなくなります。 11:7 では、どうなのか。イスラエルは求めているものを得ないで、選ばれた者がそれを得たのです。他の者はかたくなにされたのです。 11:8 「神は、彼らに鈍い心、見えない目、/聞こえない耳を与えられた、今日に至るまで」と書いてあるとおりです。 11:9 ダビデもまた言っています。「彼らの食卓は、/自分たちの罠となり、網となるように。つまずきとなり、罰となるように。 11:10 彼らの目はくらんで見えなくなるように。彼らの背をいつも曲げておいてください。」

 ◆異邦人の救い

 11:11 では、尋ねよう。ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。 11:12 彼らの罪が世の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、まして彼らが皆救いにあずかるとすれば、どんなにかすばらしいことでしょう。

 

◎今日の一言

神の恵みは最初にユダヤ人に向けられた。しかし彼らはその証しを立てることができず、神のメシアとして来られたイエスキリストを殺してしまった。神はこのキリストによってその恵みの契約をユダヤ人以外に異邦人にも開かれた。ではユダヤ人は捨てられたのか。パウロはそうではなく異邦人がその恵みに与かり、ユダヤ人にねたみをおこして奮起させるためであったと記す。異邦人が神の祝福に与かることが選民イスラエル人を救いに導く契機となると言う。異教徒が回心してキリストの恵みに与かり祝福された人生を歩むことはやがてはユダヤ人も回心に導く証しになると教える。逆説的だが信仰をもって生きる異邦人が豊かに祝福されることは全世界の救いに至る不可欠の道であるとも言える。キリスト者はねたみを恐れてはならない。否、ねたまれるほどに幸せを得て初めてその信仰が本物であることを知ることとなる。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書7章1723節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年8月16日(日)

 

◎今日の聖句

 マルコ福音書12章28-34節

 

◆最も重要な掟

12:28 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」 12:29 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 12:30 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 12:31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」 12:32 律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。 12:33 そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」 12:34 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

 

◎今日の一言

聖書が教える黄金律である。『神を愛し、隣人を愛する。』 少なくともキリスト者としてこの二つの掟を同時に順守することが私達の務めである。神を愛するとはイエスに従う事、隣人を愛するとはキリストの教えに従う事である。すなわち「イエス・キリストと共に生きる事」である。

 

☆通読聖書 : ローマ書11章25-32節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2020年8月15日(土)

 

◎今日の聖句

 ルカ福音書12章42-48節

 

12:42 主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。 12:43 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。 12:44 確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。 12:45 しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、 12:46 その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。 12:47 主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。 12:48 しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」

 

◎今日の一言

イエスの教えは単純明快である。主人は忠実で賢い管理人には全財産を管理させると言う。そして『すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。』と言う。世界を平和と安全に導く指導者にはきびしい責任が問われる。混乱する世界の忠実で賢い管理人は誰か。恐らく多くの責任が求められている事であろう。冬までに真偽が明らかにされると思われる。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書7章1-15節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年8月14日(金)   

 

◎今日の聖句

 エレミヤ書1章11-19節

 

1:11 主の言葉がわたしに臨んだ。「エレミヤよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。」 1:12 主はわたしに言われた。「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと/見張っている(ショーケード)。」  1:13 主の言葉が再びわたしに臨んで言われた。「何が見えるか。」わたしは答えた。「煮えたぎる鍋が見えます。北からこちらへ傾いています。」 1:14 主はわたしに言われた。北から災いが襲いかかる/この地に住む者すべてに。 1:15 北のすべての民とすべての国に/わたしは今、呼びかける、と主は言われる。彼らはやって来て、エルサレムの門の前に/都をとりまく城壁と/ユダのすべての町に向かって/それぞれ王座を据える。 1:16 わたしは、わが民の甚だしい悪に対して/裁きを告げる。彼らはわたしを捨て、他の神々に香をたき/手で造ったものの前にひれ伏した。 1:17 あなたは腰に帯を締め/立って、彼らに語れ/わたしが命じることをすべて。彼らの前におののくな/わたし自身があなたを/彼らの前でおののかせることがないように。 1:18 わたしは今日、あなたをこの国全土に向けて/堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として/ユダの王やその高官たち/その祭司や国の民に立ち向かわせる。 1:19 彼らはあなたに戦いを挑むが/勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて、救い出すと/主は言われた。

 

◎今日の一言

預言者エレミヤの召命物語である。バビロン捕囚に先駆けてイスラエル民族の敗北を予告する預言者を立て、春の到来を告げるアーモンドの木の満開の花を見せ、言葉に合わせてエレミヤの働きとイスラエルの歴史を見張っていると言う。歴史の破局に神の目が向けられている。しかし神による復興に希望は50年後の残りの民(イミグレ)においてであった。大きな不況の到来と更なる争いと混乱の時代が続く。コロナによるパンデミックは世界的な危機を招来させるのではないかとの不安を覚える。しかしエレミヤに語られた主の言葉は『わたしがあなたと共にいて、救い出す』 と言うものである。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書6章45-56節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2020年8月13日(木) 

 

◎今日の聖句

 Ⅰコリント書9章16-23節

 

9:16 もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。 9:17 自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。 9:18 では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。 9:19 わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。 9:20 ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。 9:21 また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。 9:22 弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。 9:23 福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。

 

◎今日の一言

伝道者としての使徒パウロの使命感が最も明らかにされている個所です。彼は大胆に「福音のためならわたしはどんなことでもします。」と告白します。キリストの福音には命を懸ける究極の価値が内包されています。自由と民主主義を根幹とする米国建国の精神にはこの福音的価値観が息づいています。唯物史観を超えた人間の尊厳が再考される時代なのです。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書6章30-44節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年8月12日(水) 

 

◎今日の聖句

 Ⅰコリント書10章23-31節

 

 

◆すべてを神の栄光のために

10:23 「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。 10:24 だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。 10:25 市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。 10:26 「地とそこに満ちているものは、主のもの」だからです。 10:27 あなたがたが、信仰を持っていない人から招待され、それに応じる場合、自分の前に出されるものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。 10:28 しかし、もしだれかがあなたがたに、「これは偶像に供えられた肉です」と言うなら、その人のため、また、良心のために食べてはいけません。 10:29 わたしがこの場合、「良心」と言うのは、自分の良心ではなく、そのように言う他人の良心のことです。どうしてわたしの自由が、他人の良心によって左右されることがありましょう。 10:30 わたしが感謝して食べているのに、そのわたしが感謝しているものについて、なぜ悪口を言われるわけがあるのです。 10:31 だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。

 

◎今日の一言

『キリスト者の自由』について教えられる。キリスト者にはすべての事が許されている。気にせず何でもできる。しかしすべての事が自分にとって益する事ではないと言う。確かにその通りである。ルターは大胆に自由に生きろと言う。しかし同時に大胆に悔い改めよと教える。キリスト者の自由程有難いものはない。文化の発展にはこの自由のハンドルをしっかり握ることである。進むべき道に迷った時は神の栄光を表わす道はどの道かを求めることである。世界の平和はこの道の上に備えられる。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書6章14-29節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年8月11日(火)   

 

◎今日の聖句

 エフェソ書5章15-20節

 

5:15 愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。 5:16 時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。 5:17 だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。 5:18 酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、 5:19 詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。 5:20 そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。

 

◎今日の一言

パウロは『今は悪い時代なのです』と言う。二千年後のこんにちもおなじである。価値ある人生の勝利を獲得するために如何に生きるかを学ばなければならない。コロナ危機は数年続くと言われる。知恵が求められる。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書6章7‐13節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2020年8月10日(月)  

 

◎今日の聖句

 列王記上3章16-28節

 

3:16 そのころ、遊女が二人王のもとに来て、その前に立った。 3:17 一人はこう言った。「王様、よろしくお願いします。わたしはこの人と同じ家に住んでいて、その家で、この人のいるところでお産をしました。 3:18 三日後に、この人もお産をしました。わたしたちは一緒に家にいて、ほかにだれもいず、わたしたちは二人きりでした。 3:19 ある晩のこと、この人は寝ているときに赤ん坊に寄りかかったため、この人の赤ん坊が死んでしまいました。 3:20 そこで夜中に起きて、わたしの眠っている間にわたしの赤ん坊を取って自分のふところに寝かせ、死んだ子をわたしのふところに寝かせたのです。 3:21 わたしが朝起きて自分の子に乳をふくませようとしたところ、子供は死んでいるではありませんか。その朝子供をよく見ますと、わたしの産んだ子ではありませんでした。」 3:22 もう一人の女が言った。「いいえ、生きているのがわたしの子で、死んだのがあなたの子です。」さきの女は言った。「いいえ、死んだのはあなたの子で、生きているのがわたしの子です。」二人は王の前で言い争った。 3:23 王は言った。「『生きているのがわたしの子で、死んだのはあなたの子だ』と一人が言えば、もう一人は、『いいえ、死んだのはあなたの子で、生きているのがわたしの子だ』と言う。」 3:24 そして王は、「剣を持って来るように」と命じた。王の前に剣が持って来られると、 3:25 王は命じた。「生きている子を二つに裂き、一人に半分を、もう一人に他の半分を与えよ。」 3:26 生きている子の母親は、その子を哀れに思うあまり、「王様、お願いです。この子を生かしたままこの人にあげてください。この子を絶対に殺さないでください」と言った。しかし、もう一人の女は、「この子をわたしのものにも、この人のものにもしないで、裂いて分けてください」と言った。 3:27 王はそれに答えて宣言した。「この子を生かしたまま、さきの女に与えよ。この子を殺してはならない。その女がこの子の母である。」 3:28 王の下した裁きを聞いて、イスラエルの人々は皆、王を畏れ敬うようになった。神の知恵が王のうちにあって、正しい裁きを行うのを見たからである。

 

◎今日の一言

知恵の王ソロモンが三千年昔に語った「大岡裁き」である。縄文・弥生時代の日本には記録された言語文書はない。カルディアのウルから出たユダヤ人にはクサビ形文字に代表される記録された言語文化の歴史がある。BC八千年以来彼らは言葉による記録を残した。民族の蓄積された知恵の継承が書き言葉によってなされる。正しい言語の継承が歴史形成に結びつく。文字による言葉の継承が文明の発展にも結び付く。国語教育、漢字教育は日本文化の継承に不可欠である。それは心の育成と人格の形成に結びつくからである。ユダヤ人の強さは神の言葉による民族育成の原理にある。ソロモンの知恵に見る通り、彼らは三千年の昔から正しい知恵の継承を聖書の文書を通じて継続してきた。これは単なる日常の知恵の継承に留まらない民族の歴史形成力となったものである。その歴史に対抗する日本の歴史的文化的言語価値を確立することが世界に誇れる日本国となる道ではないか思われる。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書6章1-6節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年8月9日(日)  

 

◎今日の聖句

 マタイ福音書13章44-46節

 

◆「天の国」のたとえ

13:44 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。13:45 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。13:46 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。

 

◎今日の一言

天の国は神と共に生きる世界である。そこに入るために人々は良き業に励む。イエスの教えた譬え話は単純明快である。魂の救済はキリストへの信頼の証しによって獲得される。贖罪者キリストへの信仰が生きた証となる。

 

☆通読聖書 : フィリピ書3章7-14節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2020年8月8日(土) 

 

◎今日の聖句

 フィリピ書2章12-18節

 

◆共に喜ぶ

 2:12 だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。 2:13 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。 2:14 何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。  2:15 そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、 2:16 命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。 2:17 更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。 2:18 同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。

 

◎今日の一言

主にある喜びはキリスト者の宝物である。人種、国籍、年齢を超えてキリストと共に交わりキリストの恵みを共有し信仰による一致を確認する。教会の交わりが世界平和につながる。信仰による一致が人々を平和の交わりへと育成する。教派を超えて私達はエキュメニカルな交わりを求めて行く。キリストは一人十字架は一つだからである。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書5章35-43節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2020年8月7日(金) 

 

◎今日の聖句

 Ⅰペトロ書3章8-17節

 

◆正しいことのために苦しむ

3:8 終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。 3:9 悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。 3:10 「命を愛し、/幸せな日々を過ごしたい人は、/舌を制して、悪を言わず、/唇を閉じて、偽りを語らず、 3:11 悪から遠ざかり、善を行い、/平和を願って、これを追い求めよ。 3:12 主の目は正しい者に注がれ、/主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」 3:13 もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。 3:14 しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。 3:15 心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。 3:16 それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。 3:17 神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。

 

◎今日の一言

「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。」 初代教会以来キリスト者の生き方がこの言葉に集約されている。前を向き今日も力強く歩みましょう。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書5章21-34節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年8月6日(木) 

 

◎今日の聖句

 Ⅰコリント書12章27節-13章3節

 

12:27 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。 12:28 神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。 12:29 皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。 12:30 皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。 12:31 あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。

 ◆愛

 12:31 そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。13:1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。 13:2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。 13:3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

 

◎今日の一言

聖書が語る愛はアガペー(キリストの十字架に啓示された神の自己犠牲の愛)である。この愛が体験される時、人は最高の道を歩むことができる。エロス(人間愛)もストルゲー(家族愛)もフィーリア(友愛)もアガペーがあって貫徹されるものである。若いうちから自己犠牲の愛を身に着けることは完全な人生を歩むことができる。それは教会教育によってしか学ぶことができない。故李登輝元総統は30歳の時ご長男を失ってこの愛を体験した。

 

☆通読聖書 ; マルコ福音書5章1-20節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2020年8月5日(水)

 

◎今日の聖句

 マタイ福音書5章33-37節

 

◆誓ってはならない

 5:33 「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。 5:34 しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。 5:35 地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。 5:36 また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。 5:37 あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」

 

◎今日の一言

ユダヤ人の潔さと執念はすべて神への誓約を基準としている。同時に神への信仰的忠誠が日常性を全て規定する。聖書的信仰の確信がここにある。人間形成の基礎はその心の判断にあるが、人格の完成は「然り、然り」「否、否」と言える心の成長にある。自然を旨とする浮き草的人生は国際社会では通用しないものとなった。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書4章35-41節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年8月4日(火)

 

◎今日の聖句

 ルカ福音書6章27-35節

 

◆敵を愛しなさい

 6:27 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。 6:28 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。 6:29 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。 6:30 求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。 6:31 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。 6:32 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。 6:33 また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。 6:34 返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。 6:35 しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。 6:36 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

 

◎今日の一言

『しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。』 難しい事だがこの教えがわかるためにはかなりの年月を要する。おそらくは70歳を超えてなるほどと納得させられる。その年になってもこの教えが理解されないならば寂しい人生で終わってしまう事となる。愛あるところに奇跡は起こるものである。すべていと高き方はお見通しである。若者よ、希望を捨てるな!誘惑に負けてはいけない。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書4章30‐34節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年8月3日(月) 

 

◎今日の聖句

 マタイ福音書7章7-12節

 

◆求めなさい

7:7 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 7:8 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 7:9 あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。 7:10 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。 7:11 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。 7:12 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」

 

◎今日の一言

求めなさい。そうすれば、与えられる。」 イエスが教えた有名な言葉である。キリスト者は祈りによって真実を求める。キリスト教はご利益宗教ではないが神が必要としたものは必ず与えられる。その目的が不純なものでない限り成就される。求め続けることが真理に近付く唯一の道である。求めることにおいて自己が試され神が啓示される。

 

☆通読聖書 :  マルコ福音書4章26-29節  

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年8月2日(日)  

 

◎今日の聖句

 マタイ福音書5章13-16節

 

◆地の塩、世の光

5:13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 5:14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 5:15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

 

◎今日の一言

イエスが語った山上の説教である。イエスの弟子たる者はこの教えを実践することが求められる。選ばれた使徒たちへの教えであるが、キリスト者はその教えに導かれて神の子となるべく率先垂範する。「地の塩、世の光」となるべく努力することが期待される。

 

☆通読聖書 :   エフェソ書8章8-14節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年81日(土) 

 

◎今日の聖句

 ヨハネ黙示録19章4-9節

 

19:4 そこで、二十四人の長老と四つの生き物とはひれ伏して、玉座に座っておられる神を礼拝して言った。「アーメン、ハレルヤ。」

 ◆小羊の婚宴

19:5 また、玉座から声がして、こう言った。「すべて神の僕たちよ、/神を畏れる者たちよ、/小さな者も大きな者も、/わたしたちの神をたたえよ。」 19:6 わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ、/全能者であり、/わたしたちの神である主が王となられた。 19:7 わたしたちは喜び、大いに喜び、/神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、/花嫁は用意を整えた。 19:8 花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、/聖なる者たちの正しい行いである。」 19:9 それから天使はわたしに、「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。

 

 

◎今日の一言

新しい天と地の饗宴が歌われる。『ハレルヤ、全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた。わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。』 天上にある神の世界は小羊の婚礼の画に譬えられる。堕落したバビロンの地から引き揚げられ、聖なる祝福の場が与えられると言う。地上の苦境も信仰による天上への希望により祝福されると教える。

 

☆通読聖書 : マルコ福音書4章21-25節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2020年731日(金)

 

◎今日の聖句

  ルカ福音書22章14-20節

 

◆主の晩餐

22:14 時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。

 22:15 イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。 22:16 言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」 22:17 そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。 22:18 言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」 22:19 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」 22:20 食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

 

◎今日の一言

『最後の晩餐』はダビデの町の二階の部屋で行われた。ユダヤ人にとっては出エジプトの大事な記念日である。この日ユダヤ人家庭では出エジプト記を読み子供達に民族の歴史を教える。正統派は必ず故郷に帰って共に祝う。教会はキリストが世を贖う犠牲の小羊となったことを記念して主の聖餐に与かる。神の恵みと祝福の証しであり、「パンとぶどう酒」は犠牲となられたキリストの体の象徴である。

 

☆通読聖書 :  マルコ福音書4章10-20節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年730日(木)

 

◎今日の聖句

Ⅰコリント書10章16、17節

 

10:16 わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。 10:17 パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。

 

◎今日の一言

聖餐式で語られる言葉である。キリストの体を記念するパンとぶどう酒により贖罪のキリストと結びつき信仰者の一致の証しを共有する。恵みの共同体である。コミュニティはコミュニオン(聖餐)によって成り立つ。

 

☆通読聖書 :  マルコ福音書4章1-9節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年729日(水)

 

 

◎今日の聖句

 使徒言行録10章24-36節

 

10:24 次の日、一行はカイサリアに到着した。コルネリウスは親類や親しい友人を呼び集めて待っていた。 10:25 ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。 10:26 ペトロは彼を起こして言った。「お立ちください。わたしもただの人間です。」 10:27 そして、話しながら家に入ってみると、大勢の人が集まっていたので、 10:28 彼らに言った。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。 10:29 それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか。」 10:30 すると、コルネリウスが言った。「四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、輝く服を着た人がわたしの前に立って、 10:31 言うのです。『コルネリウス、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられた。 10:32 ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、海岸にある革なめし職人シモンの家に泊まっている。』 10:33 それで、早速あなたのところに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」

◆ペトロ、コルネリウスの家で福音を告げる

10:34 そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。 10:35 どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。 10:36 神がイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、

 

◎今日の一言

カイザリアはその名の通りローマ皇帝の直轄地である。パレスチナを統括するローマの港湾要塞都市でもあった。その後十字軍が居住した。今も大きな円形劇場跡、兵舎、ホール、住居跡が残っている。ローマの百人隊長がイエスの福音を聞いてキリスト教徒となった最初の証しである。福音はすべての人々に語り伝えられる人間育成のメッセージである。混乱期にあっても平和を希求する人々によって受け入れられ人生を取り戻すけん引力となっている。神のアガペー(キリストの自己犠牲愛)が無い所では悲劇が助長され罪の力が猛威を振るう。しかし愛あるところには平和と希望が生まれる。特に軍人には平和構築のために権威(法と秩序)と宥和が求められる。

 

 

☆通読聖書 :  ミカ書7章8-20節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2020年728日(火)

 

◎今日の聖句

マタイ福音書22章1-14節

 

◆「婚宴」のたとえ

22:1 イエスは、また、たとえを用いて語られた。 22:2 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。 22:3 王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。 22:4 そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』 22:5 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、 22:6 また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。 22:7 そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。 22:8 そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。 22:9 だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』 22:10 そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。 22:11 王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。 22:12 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、 22:13 王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』 22:14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

 

◎今日の一言

考えられない譬えだが、しかしその意図は明確である。キリストの福音に招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。 またその世界にはそれなりの礼儀がある。初期キリスト教も初めから無計画に伝道と教会形成が行われたわけではない。魂の救いと悔い無き人生を送るためには礼儀をわきまえ、その使命に生きる事が求められる。自己流の信仰生活は自己破滅の道である。信仰の本義、教会の伝統を身に着けることが今の時代を力強く生きる正道である。この道を獲得するには自己の魂のこの世との断絶と復活を体験しなければならない。伝道者にはこの内的体験が常に息づいている。

 

☆通読聖書 :  ミカ書7章1-7節

LOSUNGEN『日々の聖句』

    2020年727日(月)   

 

 

◎今日の聖句

 ヨハネ福音書6章47-56節

 

6:47 はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。 6:48 わたしは命のパンである。 6:49 あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。6:50 しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。 6:51 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」 6:52 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。 6:53 イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。 6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。 6:55 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。 6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。

 

◎今日の一言

キリスト者にとって礼拝での聖餐式は特別の意味を持つ。キリストの贖罪の確かさを得、同時にその恵みに答える誓約、確認の時である。私達は毎週礼拝時に聖餐式を挙行する。そうしなければキリストへの信仰の確信が疎遠になり雑な生活に埋没するからである。罪の赦しと永遠の命の約束のしるしとして聖餐に与かることがキリスト者の務めである。同時にそれは信仰の原点に返ることとなる。

 

☆通読聖書 :  ミカ書6章1-16節