「桜台教会の音を求めて」 N0.173

                     中川 まり子

 

  クリスマス礼拝とキャンドルサービスの奏楽を終えて、ほっと一

息ついてクリスマスの曲のCDを毎晩聴いています。忙しい間は、

大好きな音楽さえ聴く元気がでないものだな、と実感しました。ク

リスマスの音楽といっても千差万別で静かな弦楽四重奏、ギター

とソプラノのキャスリン・バトル、オーケストラ伴奏でプラシド・ドミン

ゴとダイアナ・ロス、少年合唱団、ウクレレ(ハワイアン風)、アコー

スティックギター、アイリッシキャロル、ジャズ、ブルーグラス(アメ

リカのアパラチア南部に入植したスコッチ・アイリッシュの伝承音

楽をベースに発展した音楽)、そしてパイプオルガン。とくにノエ

ルは美しいメロディーやリズムに親しみを覚えます。海外でとりあ

えず買ったCDも帰宅してから聴くまで全く予想がつかないところ

がなかなか面白いです。

 

 日本ではどんなに素敵な飾りつけも、25日夜中にはきれいに片

ずけてしまいせっかくのクリスマスを味わう暇もありません。華や

かな雰囲気もご馳走もなくとも、待降節から始まった1年をふり返

り、神様の恵みにふさわしい働きが出来たかどうかを考えるため

の余韻が必要です。

 

 2023年は「大人の発表会」(4月)「アフタヌーン・コンサート」(5月)「花の日こどもコンサート」(6月)「パイプオルガン修復記念コンサート」(7月)「大人の発表会(第2回)」(10月)とコンサートの準備に追われた1年で、すべてのコンサートは大変好評を得ることが出来ました。「パイプオルガン修復記念コンサート」は教会員全員の協力なくしては開催できなかったと思います。

 

 

 コロナ感染症への対応は各教会において様々ですが、桜台教会では2024年は聖歌隊を再開したいと考えています。歌う喜びを取り戻し、聖書のみ言葉を全身全霊で感じたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。

「桜台教会の音を求めて」   N0.172

 

                     中川 まり子

 

 11月6日にフェリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ作曲のオ

ラトリオ「エリヤ」の全曲演奏を聴く機会がありました。合唱団、11

名のソリスト、オーケストラにパイプオルガンという豪華さでした。

 

 「エリヤ」は「聖パウロ」と並ぶ2大オラトリオといわれ、さらに「キリ

ト」と合わせて3部作になるはずであったが「キリスト」は未完に

わっている。このオラトリオは旧約聖書の「列王記」の預言者エ

ヤの生涯を題材にしています。 フェリクス・メンデルスゾーンは

09年にハンブルグに生まれました。父アブラハムは銀行員、

レアはピアニスト、父方の祖父はユダヤ人の歴史上極めて重

要な人物であった哲学者モーゼス・メンデルスゾーン。さらにその

父のメンデルはデッサウのユダヤ人ゲットーに住み、貧困家庭の

子弟のために学校を経営し、聖句を羊皮紙に筆写し、それを信

者に売って生活の足しにしていました。

 

 「エリヤ」を貫くユダヤ教の深さ、確かさはフェリクスのキリスト教

徒を表すバルトルディの名や「聖パウロ」の作曲者であることを肯

定させつつも、祖先が真摯に守ったユダヤ教の信仰が、奔流のよ

うに彼に流れ込んでいる様をはっきりと知らせています。(演奏会

当日のプログラムより)10年間の構想を経て完成した翌年、38歳

でこの世を去りました。讃美歌2,30,98,190,314,406番に美

しいメロディーが残されています。98番「あめにはさかえ みかみ

にあれや」はクリスマスの曲です研修中のパリから中川あんな姉

が録音した教会のミサのオルガンの音をメールで送って聞かせて

くれました。特に歴史の古いサン・セヴラン教会のオルガンは、

D・ケルン氏の父アルフレッド・ケルン氏により修復され、その包

み込むような音色は深く柔らかく、他に類を見ません。M.シャピ

ュイ氏が長くオルガニストを務められました。

「桜台教会の音を求めて」 N0.171

 

                     中川 まり子

 

 正に芸術の秋、あちこちからコンサートの嬉しいお誘いがあり、

 

また区や都の広報では日ごろは手の届かないコンサートの無料

 

の企画の情報が入り、何となく忙しい気分になります。 「自撮り

 

おばあちゃん」の愛称で親しまれている、95歳の現役カメラマン

 

西本喜美子さんをご存知の方も多いと思います。アートディレクタ

 

ーのご長男が主宰する写真塾に72歳で入り、初めてカメラに触

 

れました。82歳で初の個展を開催すると技術力の高さで数々の

 

を受賞し、88歳で初の写真集を出版。その翌年の個展では17

 

カ国のマスコミの取材を受け、海外でも注目を集めました。さらに

 

翌年開設したインスタグラムのフォロワー数は32万人です。すべ

 

ての作品は自分自身をモデルにユーモア溢れる発想に編集の

 

術力で、思わずにやりとさせます。結婚前は美容師から競輪選手

 

になり全国を周り優勝もしましたが、今は可愛らしいおばあちゃん

 

です。 10月21日(土)の気持ちのよい秋晴れの日、音楽好きの

 

方々が集まり「大人の発表会」を行い思い思いに楽器、歌を披露

 

しました。十分に練習してきたはずなのに、皆さん本番の緊張感

 

からミスが出て、演奏後には頭の中であそこでああなって、こうな

 

って、、、と反省しきりでした。にもかかわらず全員が次回への意

 

欲を示されて、ひとまず笑顔で帰途につきました。そして何よりオ

 

ルガンを何人もの方々が弾いてくださり、楽器の可能性を十二分

 

に引き出してくださったのは素晴らしいことです。

 

自撮りおばあちゃんは、「人生で大切なことは3つある」 と言っ

 

ています。それは 「趣味」「仲間」「発表する場」です。 何事も、

 

ひとりで楽しむことも出来ますが、お互いにアドバイスしあった

 

り、時には競いあう仲間たちは人生の宝です。どうぞ遠慮なく加

 

わってください。

「桜台教会の音を求めて」 N0.170

中川 まり子

       

沸騰時代とまで言われた夏もいつしか秋の気配を感じるようになった頃、オルガンに不具合が生じ修理してもらいました。原因は分からないが湿気のせいではないかといわれ、温暖化が進む中、気がかりです。

 

7月の「パイプオルガン修復記念コンサート」でL.アヴォ氏が、フランス人作曲家ボエリーの「ドゥニゾーの聖歌による14の前奏曲0p.15」を演奏されました。その楽譜をコンサートのあと、我が家のピアノの上に積みあがった楽譜を整理した時に見つけました。以前、アヴォ氏のレッスンを受けた際に、「こんな曲もあるから弾いてみたら?」 と楽譜のコピーをくださいました。メロディーも和声もとらえどころのない感じで手をつけられずにいましが、今回演奏を聴くことが出来て弾いてみたくなりました。おまけに指使いが細かく楽譜に書き込んであり、助かったと言いたいところですがこれが大変なのです。

 

 

出版社によっては楽譜にかなり丁寧に指使いが印刷されていますが、若い頃は自己流に弾きたくて、敬遠していました。しかし、今回は古典奏法を学ぶよい機会と思いアヴォ氏の指使いに徹底的に従ってみることにしました。67年も鍵盤に触れていると、普段はどの指を使うとか考えず自然に弾いてしまっているので、独特な指の運び方をするこの奏法はなかなか頭に入らず苦労しました。ようやく頭と手足が繋がってきましたが未だに頭を誰かにつかまれて無理やり違う方向に向けられているような抵抗感があります。 10月21日(土)の「大人の発表会」ではオルガン、ピアノ、声楽などをそれぞれ披露して楽しみます。完璧に準備ができたら参加しようと思ったら一生輪に加わることは出来ません。少々失敗しても、また次の機会に名誉挽回しようと思えば良いのです。

「桜台教会の音を求めて」 N0.169  

 

                 中川 まり子

 

   ご高齢になっても現役で活動している姿に励まされたり夢を

 与えられたりすることがあります。1990年代、100歳の双子姉

 妹の金さん、銀さんの存在は大人気になりました。以前ご紹介し

 た長唄の五代目勘五郎の娘の杵屋響泉さんは104歳で舞台に

 立ち続けています。

 

 室井麻耶子さんは102歳の現役ピアニストです。6歳でピアノ

を始め東京音楽学校(現・東京藝術大学)、及び研究科を卒

業。小学校の卒業文集に「私はピアニストになって世界中を演

奏してまわります」と書き、30歳を過ぎて、「モーツァルト誕生

200年記念祭」への派遣を機に、第1回ドイツ政府給費留学生

としてベルリン音楽大学に留学しました。渡欧して8年後、高齢

の女性ピアニストのベートーヴェンのソナタを聴いて感銘を受

けました。「優しいお婆さんが孫をあやすような、なんともいえな

い響きなのです。ゆったりしたテンポ、優しいタッチ、それはい

ままで耳にしたことがないピアノの音色でした」(「マヤコ101歳」

より)82歳の老婦人にしか表現できない音を感じ、プロとは私自

身になることで、自分を無理に表現せずとも個性は自然と醸し

出されると気づかされました。60歳を前に帰国して今なおベー

トーヴェンと、ドイツ語の「Musizierenムジチーレン」音楽と対

話する日々を送っています。

 

 

 90歳のピアニスト、フジコ・ヘミングさんは国籍を持たず難民   としてベルリンに留学するが差別、経済面などで苦労の末、

の聴力を失い日本でのデビューは中年を過ぎてからでし

た。しかし、報われた姿は人生の希望の星でした。またアメリカ

の農婦だったグランマ・モーゼス(愛称)は70代で絵を描き始

め、80歳で初の個展、101歳で亡くなるまで農民の日常生活

を描き、ニューヨーク州知事により100歳の誕生日は「グラン

マ・モーゼスの日」と定められました。

 

  「桜台教会の音を求めて」 N0.168  

 

                 中川 まり子

 

  7月1日(土曜日)午後3時より「パイプオルガン修復記念コンサート」が

催されました。当日は朝からの雨も上がり、お昼には青空が広がりまし

た。念入りに調律をしてくださった望月氏はオルガンの状態を気にかけて

最後まで待機していて下さいました。1995年オルガン設置後初のコンサ

ートの演奏者の今井奈緒子氏もご来場下さいました。いつも教会の前まで

きれいに掃いてくださる近くのマンションの管理人さんは、マンションの住

人にご自分の招待券をプレゼントして献金のつもりで、と入場料を払って

聴いてくさいました。また多くの方々にこの日を楽しみにしていた、と言

われま

 

  コンサートは休憩を挟んで二部形式の久々のフルコンサートでした。第

1部はL.アヴォ氏によるオルガンソロの演奏。第2部は3曲目からは中川

あんな姉のヴァイオリンとの共演で、息の合った演奏と極上の音色は礼拝

堂に響き渡り、聴衆を包み込みました。アンコールも2曲演奏されました。

 

  私は譜めくり、ストップ操作のために演奏者のすぐ横に座っていました

張の中にあってもそこは特等席です。アヴォ氏の息使い、身体の使い

方、鍵盤に触れる指のタッチ、ペダルの足の運び、フレージング、指使い、

何もかもが勉強になりました。海外の歴史的大オルガンでの演奏に慣れて

おられるので、桜台教会のような小さな楽器では美しく繊細な音をもって

ケルン・オルガンの良さを引き出されたように感じました。次回の来日の際

にはマスタークラスを企画してレッスンの場を提供したいと思います。

 

 

   オルガンの練習を終えて外へ出ると綺麗な音が聞こえていましたね、と

 近隣の方に声をかけられることがあります。他教会のオルガニストへの貸し 

 出しもしていますが、教会員の皆様も様々なストップの音色を体験してみま

 せんか。

 

「桜台教会の音を求めて」 N0.167

  

               中川 まり子

 

   2023年7月1日(土曜日) 午後3時より 「パイプオルガン修復記念コンサート」が開催されました。お披露目と感謝のためのコンサートです。2019年7月に、何年もかけて徐々に劣化していたふいごの皮が破れて空気の漏れる音がしだしました。それ以降はガムテープで応急処置を試みましたが、急激な劣化は止められず、3基の羊の皮、全てを張り替えることになりました。

 

   オルガン委員会で協議を重ねて、2020年1月から工事のための献金を募らせていただきました。教会員以外にもコンサート来場者の皆様のご理解とご協力を得て、4月の工事には最適な時期に無事、皮の張替え工事は完了しました。新しくなったふいごのおかげでオルガンは再び力強く、豊かな音を奏でてくれるようになりました。ところが、コロナの蔓延のために、コンサート活動は自粛せざるを得ない状況が続き、お披露目の機会は得られませんでした。

 

   2023年6月27日、L.アヴオ氏(パリ・エトワール教会オルガニスト)がリハーサルのためにお越しになりました。(4年前の7月、オルガンが使えなくなる一週間前のマスタークラスでのレッスン以来です)。前の週には調律も6時間かけて入念に行なわれ準備万端です。この日はオルガンの音選びと響き方の確認、ヴァイオリンとの合わせ、アシスタントとの打ち合わせ(急遽私が務めることになった為)の後、次のコンサートのリハーサル会場へ向かわれました。ランチタイムに少しお話を伺い、久しぶりにフランスの香りを感じることが出来ました。

 

 

   ドイツでは近年、礼拝はしていません、と看板を出し内部はコンサートホール仕様に改造された「コンサート教会」やサーカスの練習場になった教会もあります。桜台教会がみ言葉と賛美で満たされていることに改めて感謝いたします。

 「桜台教会の音を求めて」 N0.166 

               

                       中川 まり子

 

  ジローラモ・フレスコバルディ(1585-1643)は当時のフェラーラ公国(現

イタリア)に生まれルッツァスキについて鍵盤音楽を学び、1607年ローマの

サンタ・マリア・イン・トラステヴェーレン教会オルガのニストとなる。同年、ブリ

ュッセルに旅行し、1608年にローマに戻るとオルガニスト最高峰のサン・ピ

エトロ大聖堂のオルガニストに就任する。1628年から1634年までフィレンツ

のメディチ家宮廷オルガニストを務める。

 

 ミサ用に書かれたオルガン曲集 「音楽の花束」では、ひとつひとつの曲を

花や花束に例え、自由なリズムと音価とおりには弾かないなど、幻想様式と

呼ばれ人間の感情の動きを音楽が的確に表現すバロック音楽を、洗練さ

たものとした。バッハは写譜したものを手元に置いていた。

 

 同時期、ルネサンス最盛期のヴェネツィアではアントニオ・ヴィヴァルディ

(1678-1741)が活躍した。父親は理髪師、外科医であり優れたヴァイオリ

ニストでもあった。父親からヴァイオリンを、父親の幅広い音楽仲間から作曲

法などを学ぶ。

 

  庶民階級であったので、世に出る為には聖職者になるのがもっとも確実な

方法で、10歳で教会付属学校に入り見習いヴァイオリニストになり、段階を

へて25歳で司祭に叙階される。後にピエタ慈善院付属(孤児院)の教師とな

り、才能ある女子への音楽教育の為に書いた弦楽曲「調和の霊感」はアムス

テルダムの出版社から出版されベストセラーとなる。ヴァイオリンのレッスン

は欠かせない名曲ある。オペラで名声は世界に広まるも歴史の流れに翻

弄され、興業が中止となり負債を負い体調を崩し、ヴェネツィアに戻ることも

かなわず、劇場の宿舎で63歳で死去した。夏であった為、翌日貧民墓地に

埋葬された。

 

 

 

 フレスコバルディもヴィヴァルディも「オルガン修復記念コンサート」で演奏さ

れる作曲家です。 

 「桜台教会の音を求めて」   N0.165

                   中川 まり子

 

   数年前にスペインのバルセロナを訪ねた折にアントニオ・ガウディの建築に興味を持ち、サクラダ・ファミリア教会のほかにも建築物を見たいと思いました。有名な建物は予約してないと入れません。幸いホテルの近くにある「グエル邸」はすぐに入ることが出来ました。そこのパンフレットには「グエル邸は、若き日のガウディがエウセビ・グエルから受注した初めての大規模な仕事でした。エウセビ・グエルはガウディの最も重要な顧客かつ親友の一人となった実業家、政治家、文学・学術後援者です。」と書いてあります。1886年から1890年にかけて建造され、創意にあふれ、金属、陶器、ガラス、石、木材による独創的な建築で、1945年にグエルの末娘によりバルセロナ県議会に譲渡され、1984年ユネスコによって世界遺産に登録されました。これは後に改築が行われなかった唯一の住宅建築例となっています。

 

  地階から屋上まで中2階、中3階を含み7つフロアがあり吹き抜けになっています。小型のパイプオルガンを備え、楽団席があり、名だたる作曲家、演奏家が集まっていました。感動したのは、上階にいる妻のために上からでも聴くことが出来るように設計されたことです。子供たちを寝かしつけた後でも女性が参加するということは考えられない時代だったのでしょうか。

  

 

  4月22日(土)に行われました「大人の発表会」は9名の方々の演奏がありました。弾き合い会の様な形ですが一人8分前後という条件のみで各自好きな曲を演奏し、拍手を贈りました。ケルン社のオルガンの素晴らしさをよく知っている方々ですが、今回は教会のピアノの音の素晴らしさにも感動され、終了後には夫々ピアノにも触れてみるという場面もあり、非常に楽しい集いのひと時で、次回は半年後を約束して解散しました。

 「桜台教会の音を求めて」   N0.164

                   中川 まり子

 

    芸術の価値基準はどこにあると思いますか?レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「サルヴァドール・ムンディ」は2017年のオークションで約508億円で落札されました。素人は値段を聞いて名画だと判断し、来日展覧会にはとりあえず駆けつけます。音楽はどうでしょうか。有名なコンクールでの上位入賞が判断材料になっています。そこで自分の耳と感性を確かめたいとばかりに、数万円のチケット代も惜しむことはありません。

 

    芸術のもうひとつの楽しみ方は、何にもとらわれずに自由な感性と感覚で身近なところを見まわすことでしょう。そもそもの始まりは、母親の声で歌ってもらった「子守唄」であり、一緒に楽しんだ「お絵かき」ではなかったでしょうか。音楽も図工も幼稚園ですでに、教師からの指図で嫌いになってしまう子供もいるでしょう。学校ではさらに成績が付いてまわります。しかし、カラオケで自由に歌うことが出来ますし、描くことが好きであれば誰でも楽しむことも出来ます。

 

    生徒たちが日々努力して成長した姿を披露するために発表会というものがあります。家族に見てもらい、誉めてもらうことは大いに励みになります。一方大人になってからヴァイオリンを習うことがブームになったり、歌曲を習いドレス姿でステージに立つことも楽しみになっているようです。新しいことに挑戦することは目を開かせられることでもあります。誰とも比べない、純粋に音楽を愛する人と音楽仲間を作りたい、と「大人の発表会」(4月22日土曜日)を企画しました。 作家の井上ひさし氏の持論は、「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを愉快に、愉快なことを真面目に」だそうです。子供たちが小学校で使ったリコーダーなども美しい音がします。二人いれば合奏も出来ます。どこかで埃をかぶってはいませんか。何か始めてみましょう。

 

 

「桜台教会の音を求めて」  N0.163

                  

          中川 まり子

 

  イギリスという国には旅行で訪れたこともありませんが、憧れと同時に懐かしさも感じます。イギリス民謡には日本人の琴線に触れる美しいメロディーが沢山あり、小説の世界とともに想像は膨らみます。

 

 レイフ・ヴォーン・ウイリアムズ(18721958)はイギリスのグロスタシャー州出身の作曲家です。裕福な家庭に生まれ、ケンブリッジ大学とロンドン王立音楽大学を卒業しました。86歳近くまで生き、大器晩成でゆっくりと自分のスタイルを作り上げました。作曲家としては35歳、バレー音楽は51歳、映画音楽は68歳からのスタートでした。「イギリスに必要なのは本物の音楽だ。たとえそれがミュージックホールの歌にすぎなかったとしても」「音楽はすべてのひとのためだ」という信念のもとに作曲を続けました。

 

 16世紀のポリフォニーや和音、バロック時代の対位法、フランスの作曲家ラヴェルから学んだ繊細なオーケストレーションに加え(ラヴェルは後に自らの弟子の中で唯一ラヴェル風の音楽をかかなかった人物だと評しました)、イギリス民謡やチューダー王朝時代の教会音楽からも影響を受けました。また親友の作曲家ホルストのアドバイスにも支えられました。81歳で再婚する前後の10年間に交響曲4曲を仕上げ、最後の第9番を書き上げたのは85歳でした。難聴には悩まされたものの作曲への情熱を持ち続け、他人に対する寛容と親切を失うことはありませんでした。

 

 

  「海の交響曲」「南極交響曲」「協奏曲」「吹奏楽」「室内楽」「グリーンスリーヴス幻想曲」などのほかにバニヤンの小説をオペラ化した「天路歴程」や「『富める人とラザロ』の5つのヴァリアント」などの宗教を題材とした曲もあります。『富める人』はルカによる福音書16章19―31節をもとにしていて、短調のメロディーが心に残ります。礼拝でも幾度か弾いていますので、興味のある方はyoutubeにてどうぞお聴き下さい。

 「桜台教会の音を求めて」  N0.162

                   中川 まり子

 

   讃美歌にはなぜこんなにアウフタクトの曲が多いのかしら?と以前から不思議に思っています。例えば、讃美歌第1篇の第4番「よろずのくにびと」の楽譜をご覧ください。

 

   多分疑うことなく、始まりの「よ」の言葉と音にアクセントをおいて歌い始めていることと思います。正しくはこの「よ」の音はアウフタクトといって、指揮をするならこの場合1.2.3.のつぎの4という所で、上に指揮棒を振り上げた瞬間で弱拍です。次に棒を振り下ろした第1拍目が「ろ」で強拍にあたる音なのです。讃美歌集の全体の半分以上の曲がこのようなアウフタクトの形式で始まっています。このような始まりの方が感情を込めやすいのか、歌いやすいのかなどと思いを巡らせています。しかし、日本語訳では言葉によってはアクセントに違和感が生じてしまいます。

 

   現在、教会学校で使用している1966年日本基督教団出版の「こどもさんびか」は、日本人の作詞、作曲の曲も多く編纂されていて、第1拍目からの歌いだしのメロディーが多く、言葉のアクセントとメロディーが合っていて自然に歌えます。海外の讃美歌にもきれいな曲が多くあるので、礼拝ではできるだけ多くの曲に触れるように配慮しています。

 

 

   奏楽者としてはアウフタクトを意識しつつリードして弾いていても、歌うほうには関係なく、フェルマータ記号のところで時間調整しなければ、何かにつまずいたようになってしまいます。ひとり相撲のような気もしますが、1/f ゆらぎを目指して、なによりも歌いやすいようにと伴奏の役割を務めたいと思います。マスクなしで空気を吸って心地よく歌える日はまだでしょうか。

   「桜台教会の音を求めて」  N0.161

 

                   中川 まり子

 

 新年を迎えると、また新たに時間をたっぷりと与えられたような気がします。昨年は出来なかった事にも取り組んでいきたいと考えています。

   “1/f ゆらぎ”(f 分の1ゆらぎ)に関しては幾度か書きましたが、簡単に言うと心地よく感じる感覚を線グラフで表したもの、といえばよいでしょうか?

   一般的な例としてモーツァルトの音楽や川のせせらぎなどが上げられたりします.私は音楽のテンポ(速さ)についての“ゆらぎ”について関心をもっています。元がピアノ科出身のため、細かい音符や速いテンポの曲に挑戦したくなりがちです。練習をしているととても楽しく、頭と手足が一致して弾けてくると、自己満足の達成感があります。しかし、礼拝の奏楽曲の選択においてはふさわしい内容の曲でなければなりません。讃美歌の伴奏のテンポは、どの曲にも♪=112などと曲ごとに指示が書いてあります。ところがその通りなら良いかといえば、そうでもありません。礼拝の流れの中では速め、あるいはゆっくり目が良い場合もあります。会衆が心地よく歌える速さを感じとらなければなりません。長年の習慣で讃美歌のテンポにも各教会、あるいは牧師によっても特徴があります。その中で常に歌いやすいテンポというものを意識しています。讃美歌ごとに違う速さで弾き始めるのは案外気を使います。

   昨年の故エリザベス女王の葬儀での讃美歌を聴きつつ、その場(大聖堂)にあった相応しいテンポのとり方が印象的で、参考にしつつ会衆の皆さんの心地よい賛美のリードを心がけています。       

 

   神様の栄光をあらわすオルガンの音が一人ひとりにとっての /fゆらぎであるように今後も努めていきたいと思います。

  「桜台教会の音を求めて」  N0.160

                   中川 まり子

  私の好きな降誕の讃美歌のひとつに、第一篇98番「あめにはさかえ みかみにあれや」があります。堂々として力強く奏楽の喜びを感じます。

 

  ウイリアム.H.カミングズ1831-1915)は英国人で、教会オルガニストおよび声楽家として活躍したが、とくにテノールの美声は国民を魅了した。パーセル協会を設立し、パーセルの作品を出版した。1900年にはダブリン大学から音楽博士の学位を受ける。音楽家辞典を出版したほか、讃美歌、カンタータ、グリー、独唱曲などを作曲した。「あめにはさかえ」はカミングズがメンデルスゾーンの『Festgesang』から編曲したものである。『Festgesang』は1846年6月、ケルンで催された第1回ドイツ・フランダース声楽祭の開会式のために、詩人シラーの“An die Kunstler”にメンデルスゾーンが作曲した男性合唱と管弦楽とのための「祝典歌」(Op.68)であり、その後1885年にこの演奏を聴いたカミングズが特別な感激を覚えて、その第2番目の合唱曲をC.ウエスリの“Hark!the herald angels sing”に付けることを思いついた。それまでこれは「アレルヤ」という歌詞をつけてイースターの歌になったり色々な曲が付けられたりしたが全く普及しなかった。ところがカミングズがメンデルスゾーンの曲を編曲してウォールタム聖堂で発表したところ好評で、やがてあらゆる英国の讃美歌がこれを収録することとなった。メンデルスゾーン自身は手紙に歌詞は明るく且つ一般受けのするものでなければならない、と残している。しかしC.ウエスリの宗教的な歌詞によって全世界にひろがることとなった。

 

 

  先月訪ねたテキサスで近所の女性にお会いした時、娘が私を50年間奏楽していると紹介してくれたがその数字に皆で驚きました。感謝です。

 「桜台教会の音を求めて」  N0.159

                   中川 まり子

  いわゆる児童書と呼ばれる小学生向けの本を、年をとって読むとその作品の深い意味を知り感動します。祖父母と孫の物語であれば、逆の立場から読み直すことになります。大人になってから、ではまだ十分ではなく本当に年寄りになってからです。例えばヨハンナ・スピリ作「ハイジ」とエレノア・ポーター作「小女ポリアンナ」では日常の中に讃美歌の歌詞、聖書の言葉が出てきますし、祈ることの大切さ、祈りの本質を物語の中でさりげなく教えています。ローラ・インガルス・ワイルダー原作のテレビドラマ「大草原の小さな家」を見ていた人も多いと思いますが、いつでも教会が中心にあります。

 

  9月の元エリザベス女王の国葬に関連するすべての儀式での聖歌隊は素晴らしいものでした。中でも子供たちが大人の聖歌隊に交じってかなりの大曲を歌っていたのですが、これは国葬が決まってからわずか10日かそこらで練習したとは考えられず、すでに準備が出来ていたのではないか、と推察しました。聖歌隊の長い歴史のなかで無理なく年長の子どもたちから引き継いでいる事と思います。

 

 

  桜台教会ではようやく、こども聖歌隊の再開が11月から許可されました。コロナの感染予防のために自粛が続いていました。約2年半のブランクは成長過程の子供にとっては大きかったと感じています。合同礼拝において合唱を披露する場は練習の励みでした。きれいなメロディーや歌詞は心に残り、習ったときには理解できなかった言葉の意味を知ることも嬉しいことです。美しい物語、美しい音楽を浴びるように与られる幸せなこども時代が必要です。次に待たれるのは大人の聖歌隊の再開です。大人の場合は逆に自粛時間の経験は、歌える喜びを表現してくれるのではないかと期待しています。

  「桜台教会の音を求めて」  No.158

                   中川 まり子

  9月11日エリザベス女王2世はスコットランド、バルモラル城で息を引き取り、敷地内の礼拝堂にて追悼礼拝が行われました。続いてウエストミンスター寺院で国葬を、ウインザー城セントジョージ礼拝堂にて埋葬式が行われました。

  テレビ中継において関心があるのは、その中で使われる音楽です。今回公にされた3箇所での礼拝において歌われた讃美歌を英語の讃美歌集の中から探して歌詞を読んでみました。式の中で使われたのは9曲くらいあったと思いますが、3曲は共通して歌われていました。

 「The Day Thou Gavest」」

 「Guide Me,O Though Great Redeemer

 「Love Devine」」

 

  カテドラルがよく響くためゆっくりと歌われ、メロディーが分かりやすく、よく歌われる讃美歌であることは、出席者が大きな声で歌っていたことからも察せられます。海外からの招待客がごく自然にともに賛美する姿は、その場にいなくても感動が伝わります。セントジョージ礼拝堂での追悼式では、初めに桜台教会でも馴染みの「主は我が牧者」が歌われましたが、これは1947年のフィリップ殿下との結婚式で歌われたゆかりの讃美歌です。また1953年の戴冠式のために作曲されたV.ウイリアムズの「味わい、見よ、主の恵み深さを」が、ウエストミンスター寺院ではバッハのオルガン曲「幻想曲ハ短調」が演奏されました。そして埋葬式の終わりはバグパイプの心をこめた演奏で「おやすみ、大切なあなた、おやすみなさい」でした。棺の移動の際はメンデルスゾーンの葬送行進曲が繰り返し奏されました。一連の儀式でイギリス国教会の伝統と信仰を垣間見ることができました。音楽葬により天国に凱旋する姿を41億人が、たとえ興味本位であっても目撃したことには意義があると思いました。

   「桜台教会の音を求めて」   No.157

 

                   中川 まり子

  昨年末以来、60年以上前から父と私が溜め込んだレコードを片っ端から聴いています。処分するにはもったいなくて一度聞いてから、と思ったら魅力にはまりました。久しぶりに針をレコードに下ろすときは緊張しました。驚いたのは、あっという間に片面が終わってしまったことでした。今は何番目の曲だろう?途中の曲を聞きたい、ということが簡単には出来ないことにも。

 

  懐かしい音は独特な雑音が入り、演奏も速すぎずに曲を正しく解釈しています。特にオルガンは巨大なカテドラルでの収録で、低音や静かな音は拾いにくいのかプレイヤーの音量を最大限にあげないと聞こえない楽章があり、次はオーケストラのようなストップ構成だったりするとあわてて音を絞らなくてはなりません。大きなスピーカーはすでにないのですが。そういう意味でもレコードを聴くということは、そばについて集中して聴く、ということなのだと思います。

 

  レコード(音声記録)システムは1857年にフランスのレオン・スコットの発明に始まり、ベルの電話やエジソンの盲人用の補助器具の考案などを経て完成し、1887年にグラモフォンが3分間のレコードを、さらに1948年コロンビア(アメリカ)が30分のレコードを発売した。1982年にソニーがCDを発売し1990年代からLPレコード゙の生産はされなくなったが、中ごろからキングレコードの高品質アナログのレコードがシリーズ化され、2000年以来デジタル配信に押されていたCDの売り上げを、レコードは今や上回っている。

 

 

  CDの収録時間をカラヤンは第九交響曲が収まる65分を推奨し、クラシックの曲の95%は75分(オペラの一幕)に収まるということから74分と決まった。だが人の手を入れてまで完璧な演奏に作り上げられる音楽より、昔の人間味のある演奏がときには心地良いものです。

『桜台教会の音を求めて』    No.156

                    

                     中川 まり子

 

 ジャン・アランは1911年2月3日、フランスのサン=ジェルマン=アン=レーにてオルガニスト、作曲家兼オルガン建造家である父のもとに生まれた。ヴェルサイユのサン=ルイ教会のオルガニストにピアノを、父親からオルガンの手ほどきを受け、パリ音楽院にてオルガン演奏のほか作曲、即興演奏を学んだ。1936年には「オルガン組曲」Op.48の作曲によりオルガン楽友賞を得る。1935年24歳でパリのオルガニストとしての活動にはいり、シナゴーグでも勤めを果たした。1939年にシナゴーグでの6分間の即興演奏が唯一残された録音である。

 

 作曲家としての生涯は18歳からの10年間ということになる。東洋の音楽、舞踊、哲学に興味を持ち、またルネッサンス、バロックといった古楽にも関心を持ち、さらにジャズの流行にも影響されたという。オルガン曲、管弦楽曲、などの多くの作品は20世紀において非常に独創的である。オルガン曲では「連祷(Litanies)」が有名で、しばしば演奏される。

 

 1939年、第二次世界大戦に従軍し、バイクでナチス・ドイツ軍の先遣部隊として偵察中にドイツ軍に出くわし、降伏を拒否して殺害された。1940年3人の子供を残し、29歳で無念の死を遂げた。

 

 

 ジャン・アランの妹のマリー・クレール・アラン(1926-2013)は幼い頃から、兄が家のオルガンで練習や作曲をするのを聞いてすべて覚えてしまい、驚異的な記憶力で3ヶ月の演奏旅行でも楽譜は携えなかったという。バッハのオルガン曲全集を3回にわたって録音、また他にも重要な作曲家のオルガン曲全集を制作という前代未聞の業績を残した。それも曲によって各地の教会のオルガンを使い分けての録音であった。86歳で亡くなるまで教師としても力を注いだ。今も戦争によって将来ある人間が失われている。

 

 『桜台教会の音を求めて』    No.155

 

                     中川 まり子

 

 6月は子供たちの発表会を行い、どんなに小さな子供でも音楽を愛するお仲間という感動を味わい、良い指導を受ける事によって限りなく成長をしてゆく姿を確認することができました。又一度は生で聴いてみたいと思っていた、かつてホセ・カレーラス、ルチアーノ・パヴァロッテイと共に世界の三大テノールといわれたプラシド・ドミンゴの演奏をついに聴くことが出来ました。80歳と聞いて少しは変化も覚悟していましたが、コンサートが始まると柔らかな声と声量に圧倒され、ソプラノ歌手と共にオペラの役になりきるパフォーマンスに会場は感動に包まれました。

 

 幼い時から音楽が身近にあると生涯の楽しみとなるとと思います。では、プロの演奏家としてはいつまで続けられるものでしょうか?比較的演奏の姿勢に無理のないピアニストは高齢になっても続けられるように思います。室井麻耶子さん(1921年―)は101歳の現在も数時間の練習を欠かしません。昨年4月に「第509回日経ミューズサロン室井麻耶子百寿記念スペシャル・コンサート」を開催し、名誉都民に選定されました。

 

 

 邦楽の世界では、長唄宗家の家系の5代目勘五郎の娘、杵屋響泉さん(1914―)がいます。父から可愛がられ、4歳で父の三味線に合わせて唄ったのが最初でしたが、父は44歳で他界。母親のスパルタ教育をうけ成長する。一昨年の秋 105歳にして初のレコーディングにのぞみ作年、CD「一〇五 娘がつなぐ五世勘五郎の長唄世界」が発売された。現在は107歳。100歳のとき右手首を骨折するも3ヶ月で復帰。美しい姿勢で丹田に力を入れて長唄を唄い、三味線を弾くこれがアスリートのような体を作っているとのことです。伝統長唄保存会、重要無形文化財長唄保持者に認定される。父の作品を繋ぐという使命感で、娘、孫とともに舞台にたち続けます。

『桜台教会の音を求めて』    No.154

 

                     中川 まり子

 

フィギュアスケートはジャンプだけでなく音楽と演技の融合性、衣装など見所満載の芸術だと思います。最近のアイスショーで、かつてオリンピックの選手として活躍した町田樹氏の振り付けで、同じくオリンピアンの田中刑事氏が演技しました。テーマは「失敗の美学」です。

 

 私的な経験ですが、まだ部活に入れない小学4年生のときから音楽部の上級生の練習のためにピアノの弾けるアシスタントとして毎週、土曜日の午後学校に呼び出されていました。これが私の伴奏者としての始まりでしょうか。中学・高校のコーラス部では歌うよりピアノ伴奏、また音大では打楽器、管楽器、弦楽器、声楽科の方から頼まれるままに、レッスンを一緒に受け、試験で伴奏をしました。色々な楽器と、演奏する人との出会いも貴重なものでした。恥も沢山掻いたはずですが、幸か不幸か我が家には「恥ずかしい、みっともない」といった言葉はなく挑戦出来ました。パイプオルガンはオーケストラの演奏が出来ます。色々な楽器との触れ合いの数々がパレットに並んだ絵の具です。音に色を付けてくれます。まさに「音色」になるのです。

 

 ドイツの物理学者アインシュタインは突出した頭脳のため、またユダヤ人であるために大学入試や就職で挫折を重ねましたが「失敗したことのない人間は、挑戦したことのない人間」と腐らずユーモアを忘れず、気分転換にバイオリンを弾きました。また北京オリンピックのスケートで金銀メダルに輝いた高木美保氏は「本気の戦いに挑戦しないのはもったいない」と言っています。挑戦することは楽しいことです。

 

 

今さらですが、プリンストン高等研究所でのクリスマス会で、学者家族の子供たち一人一人にアインシュタインから手渡しされたプレゼントというのが残っていたなら、と思ったりしています。

 

 『桜台教会の音を求めて』    No.153

 

 

                     中川 まり子

 

 「ART/MUSIC 私たちの創作は音楽とともにある」という企画展が世田谷美術館にて開催された。

 

 アンリ・ルソー1844年はフランスの北西部に生まれる。裕福な家庭ではなかった為、官吏士として働きながらの日曜画家であった。最初の妻、幼かった子供、2番目の妻も亡くし、最初の妻のためにヴァイオリンでワルツを作曲し、時折夜会で演奏した。四重奏も作曲し2013年の当館での展覧会で世界初演された。どの曲もすべてハ長調というのも面白い。画家に専念するために早期退職し年金生活に入る。代表作は主にこの50代に描かれた。1910年に亡くなるまでに評価したのはロートレック、ピカソ、ゴーギャン、アポリネールなどわずかであった。作品も人柄も「素朴」と評される。自宅に掲げられた看板には「デッサン、絵画、ならびに音楽、自宅教授、授業料廉価」とある。素朴で偉大なる日曜画家は音楽で生活費をかせぐ音楽家でもあったのだ。

 

この他にも、シェーンベルクの無調整音楽に刺激をうけ、音楽を色彩で表現したカンディンスキー、音楽一家に生まれ、生涯ヴァイオリン(11才でオーケストラ団員となる)と画家を職業としたクレイなど音楽と美術の関連性は多々ある。

「こうしたアーティストにとっては、絵を描くことも楽器を奏で、時に作曲することも、いわば生活の一部で、美術(ART )を製作するうえでも、音楽(MUSIC)は欠かせないものとなっている。」(企画展あとがきより)

 

 

さらに「信仰」が芸術を完成させると考えます。趣味の油絵で初めてヴァイオリンを描いてみました。身近にあってもいざとなると形も描けず、観察するうちに構造なども勉強になりました。美しい音色まで表現出来ればと思うので、身近な音楽家の存在はとても有難いものです。

 『桜台教会の音を求めて』    No.152

 

                     中川 まり子

 

  昨年の4月にオルガンのふいごの張替え工事が終了して1年が経ち、羊の皮が楽器その物に馴染んできたのでしょうか、音が柔らかくなったような気がします。礼拝の奏楽者の仕事は前奏に始まり後奏まで次から次へと休む間なく追われ、常に緊張の連続です。従って残念なことになかなか説教に集中できません。昨年末から新たなオルガニストが加わったお陰で、月に一度は静かに席について礼拝を守れるようになりました。今までも奏楽をほかのオルガニストに代わってもらうことはありましたが、それは主に私が不在の折りでした。ですから一信徒として礼拝に集中できること、それは忘れていた感覚で懐かしいような幸せを感じています。

 

  3月末に敬愛する教会員のご葬儀がありました。ご子息に35年前のお父様のご葬儀のときと同じ曲を弾かせていただきます、と申し上げると覚えていますと仰いました。今までにおよそ40人の方のご葬儀で弾かせて頂きましたが、その度に音楽の役割の大きさを感じます

 

  オルガンを作ってくださったD.ケルン氏との出会いは40年前になります。ストラスブールの工場を牧師と小学生だった娘と3人でたずねた折に、郊外のご自宅に案内してくださいました。それ以来親しい交流は続き、ケルン氏が亡くなった後は奥様にはメールや季節のカードにて近況やオルガンの状況を報告しています。次の代にも良い関係は続く事と安心しています。

 

  コロナの緊急事態宣言が発令されて以来、聖歌隊は自粛です。その半年後に気が付いてみれば歌おうとしても声が全く出ないのです。もう皆で楽しく合唱することも出来ないのかと気落ちしていましたが、最近は礼拝の中でオルガンの伴奏でなら少しずつ歌えるようになり、奏楽しない日の楽しみになりました。 

 

 

  『桜台教会の音を求めて』    No.151

 

                     中川 まり子

 

 受難節を迎えました。音楽をとおして静かに信仰を見つめるときを大切にしたいと思います。

 2015年9月20日、スペイン・バルセロナではカタルーニャ国立バルセロナ交響楽団の芸術監督に大野和士氏が指揮者として就任する、記念演奏会がサグラダ・ファミリア教会で行われました。これは史上初のオーケストラ公演でした。キリスト教の聖地と言われるモンセラートでの演奏会に、相応しい曲として大野氏が選んだのは、フォーレ作曲「レクイエム」でした。練習初日、高い天井に音が昇ってゆくのを楽団員たちも感じ、思いをひとつにして演奏をしたとのことです。

 

大野氏は30才の頃、ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者でした。当時ザグレブは内戦状態で練習中も空襲警報が鳴ると防空壕に入るという日々でしたが、2年間1回も演奏会を止めず、2500人収容の会場は常に満席でした。「人間は感動する特権を与えられた存在。感動し生きていることを尊ぶ気持ちがおびやかされたからこそ、人間であることを確かめに音楽を聴きに来ていた」 「音楽は国境も民族も人種の差も越える」と語っています。

 

 

世界大戦中、チェリスト、パブロ・カザルスがフェスティヴァルのためにバルセロナ交響楽団の前身のパブロ・カザルス交響楽団でベートーヴェン第九の練習で指揮をしていたとき、独裁者フランコがカタルーニャの境界を越えて来た、という一報が入り、手をとめました。楽団員に続けるか否か問いかけ、全員の希望で演奏をしました。オーケストラは第九を演奏したあと解散しフランコ政権に反対したカザルスも二度とカタルーニャの地を踏むことはありませんでした。現在バルセロナ交響楽団は20カ国の団員で構成され、第九の演奏は特別な機会に続けています。「全ての人よ抱き合え」「全ての人は兄弟である」(歌詞)

 『桜台教会の音を求めて』     No.150

 

                     中川 まり子

 

  2019年12月に発生したコロナ・ウィルスは世界中を震撼とさせ一体感をもたらせました。2020412日のイースターにはイタリア・ミラノの大聖堂でオペラ歌手のA・ボッチェッリ氏による無観客コンサートが行われ、16日クレモナで横山令奈さんが病院の屋上でヴァイオリンの演奏をして職員たちを励ます映像が流されました。

 

  1941年6月、ナチス率いるドイツ軍が突如として旧ソ連に侵攻し戦争状態になりました。9月、レニングラードはドイツ軍に包囲され1944年まで900日近く飢餓や砲爆撃により、100万人以上が死亡する事態と成る。1906年生まれのショスタコヴィッチは1941年国威発揚のため交響曲第七番を疎開先にて完成させる。プラウダ紙上で「私は自分の第七交響曲を我々のファシズムに対する戦いと我々の宿命的勝利、そして我が故郷レニングラードに捧げる」と述べているがパーティ席上では「この音楽が語っているのは恐怖、屈従、精神的束縛である。第七番ではファシズムだけではなくソビエトの全体主義も描いた」と語っている。1942年3月の初演後楽譜は「国家機密」扱いとなりマイクロフィルムに収められ陸路テヘランに運ばれ、カイロ経由で連合国アメリカへ運ばれ、7月全世界にラジオ中継され、62回も各地で慰問演奏される。

 

 

  89日夜7時。零下40度のレニングラードでは前線から呼び戻された楽団員による劇場での演奏を街中のスピーカーで流し、第七番に聴き入った人々は「音楽が自分たちを正気に戻してくれた」「大事なのは人間であり続けること」と900日の包囲を生き抜いた。前線のドイツ兵は「我々は絶対にレニングラードを倒せないと感じた」そうです。畏敬と親しみをこめて「レニングラード交響曲」と呼ばれています。音楽は癒しなどという曖昧なものではなく“命の糧”だと思います。

 

 『桜台教会の音を求めて』   No.101

 

 

 

クリスマス礼拝の4週間前からを待降節と言いますが、

 

せっかくのこの時期に地域の方々にクリスマスの歌を

 

通してオルガンにも興味を持ってもらえたら、と12月9日

 

(土)に「オルガンと歌おう クリスマス!」という会を開き

 

ました。当日は礼拝堂2階のオルガンの前に少々窮屈

 

に肩寄せ合って座り、クリスマスの讃美歌を6曲一緒に

 

歌いました。アルトをつけてくださる方もいてなかなか

 

素敵でした。オルガン演奏3曲のあとオルガンの説明

 

をし、楽器の構造を少しでも実感できるように、904本

 

あるパイプやふいごなどを見てもらいました。そして

 

最後にオルガンとヴァイオリンの演奏で終了しました。

 

参加された方々は和やかな雰囲気のうちに楽しまれ

 

たようです。

 

 

 

17日(日)の教会学校のページェントの中ではこども

 

さんびかの他に大人の讃美歌も織り込まれています。

 

分級の時間に少しは練習しますが、毎年同じ曲を

 

歌うので年長のこどもに従い自然に上手になって

 

いきます。

 

 

 

24日(日)は午前のクリスマス礼拝と夜のキャンドル

 

サービスがありました。こども聖歌隊は夕方から

 

キャンドルサービスの為に練習しましたが、中・高生

 

は感性がやわらかくてあっという間に曲の雰囲気を

 

つかみ仕上げることが出来、駆けつけてくれた

 

小学生も含め、本番も素晴らしく歌ってくれました。

 

私、奏楽者としては前奏から後奏まで、次の楽譜

 

を準備するのに精一杯の忙しさで良く務めを果た

 

せたかどうか、いかがでしょうか。

 

 

 

オルガン曲の中でもクリスマスの曲は本当に、

 

美しいだけでなく心に響くものが多くて練習しながら

 

も感動に満たされます。2018年にはどのような課題

 

を神さまから与えられるのか楽しみです。

 

 

 

桜台教会のオルガンがもっと地域に親しまれる存在

 

になることは目標のひとつです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』    No.97

 

 

中川 まり子

 

 

 宗教改革500年の記念の年と言うことで、7月に行われた

 

ルーテル学院大学チャペルにてのコンサートも「宗教改革

 

500年 ルターとバッハ オルガンコンサート」とのタイトルが

 

付けられました。ドイツのアイゼナッハで生まれた J.S.バッハ

 

は熱心なルター派の信者でした。アイゼナッハにはルターが

 

聖書を翻訳するために篭ったヴァルトブルク城があります。

 

ルターのコラールは、バッハに後年オルガン前奏曲の作曲をする

 

当り大きな影響を与えました。バッハはルターのことを同時代の人

 

のように思い、また神に仕える偉人、と尊敬していたそうですが、

 

同じ高校の先輩でもあったというのですから、縁の深さに驚きます。

 

 

 

 

 「神はわがやぐら」という讃美歌はよく歌われますが、ルターは

 

礼拝の中で会衆が自国語で歌うことができる讃美歌(コラール)

 

を作りました。ルター自身が作詞作曲したものの他、既存の

 

ラテン語の聖歌をドイツ語に訳したものや、旋律に歌詞をつけた

 

ものなどが今日ルターのコラールとして知られています。

 

 

 

 3年前、桜台教会のオルガンコンサートで演奏をして頂いた

 

 L.アヴァオ氏のヴィジュアルコンサートが東京オペラシティで

 

ありました。大オルガンでの演奏でありながら、最初のバッハの

 

「バビロン川のほとりで」 (ライプツィッヒ・コラールより)では少し

 

の音栓のみの使用で、澄んだ音色、独特の繊細な表現で神聖

 

な雰囲気を作り出しました。オルガンに近い2階席前方に居た

 

せいでしょうか、スクリーンに映る指の動きが先ならまだしも、

 

音が先でそのずれが何ともいえない違和感でした。奥様共々

 

親日家で前回より日本語が上手になり(かえって会話が

 

ややこしくなるのですが)日本食や、温泉も楽しみにして

 

おられました。

 

 

 『桜台教会の音を求めて』    No.96

 

 

中川 まり子

 

 

 

東京ルーテルセンター教会では1972年に辻オルガンが

 

設置され、2016年の秋にその楽器の修復作業が行われ

 

ました。6月3日にはそのお披露目の演奏会がありました。

 

私がキリスト教音楽院でオルガンを習い始めて最初に練習

 

に通い、レッスンを受けていた思い出深い楽器です。懐か

 

しい音色を廣野嗣雄氏の演奏で聴かせて頂きました。

 

当時は何も分からず、パイプオルガンに触れる喜びしか

 

ありませんでしたが、完成してわずか数ヶ月の楽器だった

 

事をこの度知りました。桜台教会に現在のオルガンを設置

 

出来た時を振り返ると、初心者に係わらず使わせて頂けた

 

有り難さが身にしみます。後の茶話会で戦後の多くの宣教師

 

や諸先生方の働きを伺い、また世界的オルガニスト達が育った

 

ことにも感慨深いものがありました。桜台教会でもこの環境を

 

若い方々に提供していきたいと思います。

 

 

 

11日(日)は「花の日こどもコンサート」が行われました。朝は

 

いつもの通りに9時から教会学校の礼拝を守り、交番や

 

消防署に花束を届け、一度家に戻り又お昼にはリハーサル

 

に教会へ呼び出され、2時からコンサート本番です。教師も

 

子供も家族も一日がかりで気力と体力を要する日です。今年

 

は出演者も多く盛り沢山になりましたが、プログラム最後の

 

賛助演奏まで皆静かに聴き入り、音楽の素晴らしさを参加者

 

全員で共有しました。しかし終了後に緊張から開放されると、

 

庭で走り回るエネルギーは充分残っているようでした。どの子

 

にも個性はあり、発揮の仕方もそれぞれですが、素敵な音楽的

 

センスを感じさせてくれたりすると嬉しくなります。一年間の

 

成長ぶりに各ご家庭の熱意が伝わり、今後も指導する機会を

 

与えられていることを仕合せに思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』    No.95

 

 

中川 まり子

 

 

 

6月11日(日)は「花の日こどもコンサート」 が開催されます。

 

毎年このコンサートに出たことで自信を持ち、見違えるほど

 

成長する子供たちの姿が私たちの喜びです。専門的な音楽

 

教育を受けなくとも、音楽を楽しめる人生を歩んで欲しいと

 

思います。

 

 

 

リベラル・アーツ(ヨーロッパの大学制度において、中世以降、

 

人が持つ必要がある技芸『実践的な知識・学問』の基本の

 

自由7科)の一つに音楽があります。アメリカのハーバード大学

 

では1636年の創立から220年後に西欧に習い漸く音楽科が

 

設立されました。「音楽で多様な価値観を理解する力を育む

 

こと」を目的としています。他の大学でも創立当初から教会の

 

礼拝や催しで学生が聖歌隊として歌い、室内楽団の活動も

 

音楽学科設立に寄与しました。音楽を専門的に学ぶだけで

 

なく教養として学ぶことを含め「音楽を学ぶとは何か」「芸術に

 

触れるとは何か」「芸術をとおして何を学べるのか」を問いかけ、

 

カリキュラムに反映しています。著名な音楽院でも「アーティスト

 

の人格形成をすること」を掲げています。

 

 

 

 

リベラル・アーツとして音楽を学ぶのは実技として楽器を習い

 

ステージで演奏することも含め学問としても深く、幅広く学び

 

ます。音楽専門の大学ではないので音楽家以外の人との

 

交わりがあり、音楽が得意でも医者になる人もいます。修士

 

課程を終え23歳になって精神的に落ちついてくる頃に、音楽

 

家を本格的にめざす環境に入るという考え方もあるのです。

 

 

 

日本では幼い時から技巧的な演奏をする事が評価されがち

 

ですが、年齢に相応しい音楽に触れて楽しむことが望ましい

 

と思われます。こうして身に着けた感性が、やがて音楽に限

 

らず豊かな人生の実りとなることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』  No.94

 

 

 

 中川 まり子

 

 

 

イースターを迎え、明るい春の陽気に誘われて、

 

A.モーツァルトについて少しご紹介したいと思います。

 

モーツァルトは1756年1月27日 オーストリアの

 

ザルツブルグで誕生しました。当時のザルツブルグの

 

大司教は最高権威をもつ領主でした。宮廷楽団の

 

ヴァイオリン奏者であったモーツァルトの父は、息子に

 

クラヴィーア ヴァイオリン、さらに作曲まで教えました。

 

そして「神童」として売り込み、ヨーロッパ各地を周る

 

興行主、マネージャーとしてすべてを支配しました。

 

しかし、成長に伴い神童ビジネスは破綻し、モーツァルト

 

は宮廷楽団の一員として働くことになりました。

 

音楽家は身分が低く、音楽家の子しか音楽家にならな

 

かった時代です。

 

 

 

 

父に反抗心を持つモーツァルトは楽団からの退団を

 

望みますが、大司教のもとではその権利すらありません。

 

そこで、1781年ウィーンに出た際にわざといつまでも

 

戻らず、大司教を怒らせついに解雇され、晴れて自由の身

 

となりました。史上初のフリーランスの音楽家かも

 

しれません。しかし、王侯貴族の宮廷や教会、歌劇場に

 

雇われて作曲、演奏をするのが慣わしでしたので、

 

彼には仕事がありません。そこで、初めて自らに依頼

 

して作曲し演奏することを考えました。それまでの

 

演奏会は宮廷などに招待された人しか入れなかった

 

のですが、入場料を払えば誰でも入れる形にし、

 

人気を集めました。宮廷楽団の終身雇用の音楽家たちは

 

フリーランスで自由に生きるモーツァルトを蔑視し、

 

半ば嫉妬したようです。

 

 

 

 桜台教会のランチタイムコンサートも好評の

 

 うちに5月13日(土)には第6回を迎えます。

 

 モーツァルトの時代背景などを想像しながら当日は

 

 ぜひ生演奏でお楽しみください。

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.93        

                 

                      中川 まり子

 

 

 フェリス女学院大学のホールで「フランスの響き、ドイツの響き

 

-オルガンと聖歌で綴る教会音楽-」という、受難節に相応しい

 

コンサートを聴く機会がありました。以前ご紹介したN.de グリニー

 

作曲ミサ「全能の父なる神よ」より 『Kyrie あわれみの賛歌』と

 

『Gloria 栄光の賛歌』14曲が演奏されました。太陽王ルイ14世

 

の統治下、フランスでは華麗なミサ典礼において、典礼文に

 

そって歌と交互に演奏されるというオルガン音楽のスタイルが

 

確立されました。各曲のタイトルはオルガンの音色の組み合わ

 

せ方を示し、ステンドグラスの薔薇窓のように色彩豊かな音色

 

が広がります。グリニーの洗練された様式美とミサのテキストの

 

深い解釈が、早島万紀子氏の信仰による演奏をもって再現さ

 

れ、会場は感動で満たされました。  続いて宮本とも子氏に

 

よる J.S.バッハ「オルガン小曲集」より受難と復活のコラール

 

(BWV618~BWV630)がバリトン歌手の聖歌と交互に荘厳

 

に演奏されました。識字率の低い時代にルターのドイツ語訳

 

の聖書が歌詞により民衆に広まり、1517年の宗教改革には

 

音楽の力が大いに取り入れられました。その200年後、ルター

 

派の伝統で日常的にコラールに親しんで育ったにバッハが、

 

宗教音楽家として単純なコラール旋律を基に沢山の名曲を

 

生み出しました。そして最後のバッハの教会カンタータ第82番

 

「私は満ち足りています」では、また早島氏の音色に空気が

 

一変しました。

 

 

 

 今年はルターの宗教改革500年の記念の年です。

 

歴史を振り返るとき、信仰と音楽の密接な関わりを改めて

 

思います。同時に信仰なくして音楽を追求することの困難さも

 

思います。新しい年度も、益々オルガンが桜台教会の伝道の

 

力となるよう努力したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.92

 

                  中川 まり子

 

 

 

 

「Landfill Harmonic ランドフィル ハーモニック」

 

(ゴミ処理場の交響楽団)をご存知でしょうか?

 

誕生した所は南米パラグアイの首都アスンシン近郊

 

のカテウラという町です。2、500の家族は日々持ち込

 

まれる1、500トン以上のゴミから、プラスチックや段ボール

 

を拾っては売る生活で、土地、水は汚染され、ギャングや

 

麻薬中毒者が徘徊するスラムです。ゴミのリサイクル事業

 

に携わっていた元音楽教師が、学校に通うこともままなら

 

ない子供たちに音楽の楽しさを教えようと活動を始めました。

 

手持ちのバイオリンはわずかなのに、習いたい子供は増える

 

一方。楽器は家を買うより高価だし、あっという間に盗まれて

 

しまいます。そこでバイオリンを見たこともない大工が

 

ドラム缶、フォークからバイオリンやチェロを、水道管、

 

スプーンからフルートを見よう見まねで作り、どんどん腕を

 

上げていきました。楽器はどれも拾ってきた缶の絵や文字

 

そのままの模様です。盗まれる心配もなく家に持ち帰り

 

練習することが出来ます。

 

 

 

 2012年にこのオーケストラの動画がSNSで世界中に

 

広まったことからドキュメンタリー映画の製作が始まり、

 

2015年に映画が公開されると世界ツアーが実現しま

 

した。ステージ上の子供たちは自信に輝き、町にも希望を

 

与えました。南米ではこのような音楽による福祉、教育活動

 

があちこちで行われています。

 

 

 

 音楽を習うと言うことは、テクニックを学びつつ、

 

 

実は練習により忍耐をおぼえ、努力すれば出来る喜び

 

を味わい、また共に演奏する一体感を経験します。

 

桜台教会の子供たちは歌うことを通して大人以上に

 

感性が磨かれていいます。もう分かっている、もう出来て

 

いると思わずに、ただ心をこめて歌うことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.91

 

                  中川 まり子

 

 何世紀も前から、芸術は各分野で深いつながりがあり

 

ました。画家と音楽家はその個人的な交友関係により、

 

大きな影響を与え合いました。肖像画は音楽家の内面を深

 

く捉え、音楽家は絵画からインスピレーションを得、オペラや

 

交響曲の創作に繋がりました。画家レーピンは才能ある友人

 

ムソルグスキーが、アルコール中毒によりわずか42歳で亡く

 

なる間際の素顔を描きました。ルノワールは憧れのワグナー

 

を15時間の船旅に耐えシチリア島に訪ね、たったの35分間

 

ポーズをとってくれた間に描き上げました。カッレラは最愛の

 

長女を亡くしたばかりの、マーラーの静かな表情を捉えて

 

います。カッレラ自身も幼い長女を亡くしていました。また、

 

シベリウスはカッレラが亡くなったときオルガンのための

 

「葬送曲」を書いています。こうして数知れぬ名作が残されました。

 

 

 

 画家自身が音楽を愛し、どちらを職業にすべきか選びきれ

 

ない場合も多々ありました。ヴァイオリンを弾く画家は多く、

 

ルソー、クレー、ルドン、アングルなどが挙げられます。とくに

 

アングルはオーケストラにも属し、ソリストを務めることもあり

 

ました。グノーとピアノ連弾をしたり、パガニーニと弦楽四重

 

奏団を組んだりしました。「アングルのヴァイオリン」と言う

 

言葉も生まれ、余技、手すさびを意味しますが、実際に

 

すぐれた音楽家でもありました。

 

 

 

 

 モネは浮世絵を収集し、庭には日本式の池を造り、

 

睡蓮を題材に多くの傑作を残しています。関東大震災の

 

際には、日本の罹災者のためにチャリティーの個展を開い

 

ています。桜台教会のパイプオルガンも、弾かれる楽曲に

 

於いては様々な分野の芸術と繋がりがあります。自分の

 

興味のあることから少しずつ歴史を紐解いてみてはいか

 

がでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.90

 

                  中川 まり子

 

 

 

 クリスマスのシーズンを終えてひと月たち、一年で一番、

 

多方面に勉強できる時期です。2016年は、春はスペイン

 

から、秋もスロヴァキア、フランス出身のふたりのオルガニスト

 

を迎えて、2回のコンサートとマスタークラスを開催することが

 

出来、大きな恵みの年でした。

 

 

 

 私が出席させて頂いている早島万紀子氏のオルガン

 

講座では、昨年からはニコラ・ド・グリニーの「オルガン・ミサ曲」

 

を勉強しています。グリニーは1672年フランス・ランスの

 

音楽一家に生まれました。1693年から21歳にしてパリの

 

サン・ドニ教会のオルガニストを務め、1695年には祖父、

 

父共にオルガニストとして活躍したランスのノートルダム

 

大聖堂に迎えられました。この大聖堂は大戦でドイツ軍の

 

爆撃により大破しましたが、幸い15世紀に建造された

 

オルガンの損傷は軽く、戦後D.ゴンザレスにより大改修

 

されました。ここでは歴代フランス国王が戴冠式を挙げて

 

きましたが、グリニーが在席した当時はルイ14世の治世下

 

で、国王の戴冠式で演奏するという機会はありませんでした。

 

1695年に結婚し、7人の子供をもうけましたが、1703年に31歳

 

で亡くなりました。

 

 

 

 彼の作品は1699年に出版した「オルガン曲集第一巻。

 

(グレゴリオ聖歌の賛歌=来たれ、創造主たる聖霊よ=を

 

もとにオルガンと聖歌隊が交互に演奏する)」だけが残って

 

います。この作品はフランス・バロックのオルガン音楽の

 

頂点とみなされ、音楽的な知識の広さ、宗教的霊感の深さは

 

高く評価されています。 J.S.バッハもワイマール時代の

 

1709年から1712年の間に筆写譜を作成しており、

 

後のバッハの曲にはグリニーの作品の影響が色濃く見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.89

 

                 

 

                      中川 まり子

 

 

 

2016年10月は「オクトーバー・フェスティバル」として、

 

ジョイフルデーとふたつのオルガンコンサートを開催しました。

 

22日(土)はフランスのシャルル=メジエールの大聖堂

 

オルガニスト、ウィーリー・イポリート氏。今年の2月、パリで

 

L.アヴォ氏からイポリート氏演奏のCDを頂き、バッハの

 

トリオソナタを既に聴いていましたが今回、桜台教会の

 

コンサートでは会場と楽器の規模を考え、力強さと

 

愛らしさを感じさせる美しい音でトリオソナタ第6番を

 

演奏されました。コンサート終了後のサイン会には

 

買い求めたCDを持った方々の列ができました。

 

 

 

30日(日)は欧米を飛び回り活躍しておられる、

 

モニカ・メルツォーヴァ氏のコンサートでした。

 

それに先立ち、オルガンのマスタークラスの日を設け、

 

27日(木)は午前中のリハーサルに続き、個人レッスンと

 

即興演奏のグループレッスンをしていただきました。

 

通訳の労を執ってくださった中川あんな姉のおかげで、

 

夫々に充実した学びの機会を与えられました。本来

 

オルガンを学ぶ為に即興演奏は必須科目ですが、

 

日本にはその伝統がなく耳にする機会も余りありません。

 

昔から偉大な作曲家、演奏家は同時に即興演奏の

 

名士でもあります。

 

 

 

   30日のコンサートはバラエティに富んだプログラムで、

 

  私はアシスタントとして間近で音の選択、演奏のタッチ、

 

  表現などに接することが出来、しっかり沢山の事を吸収

 

   させてもらいました。最後の日本の歌による即興演奏

 

  では「ふるさと」「ちいさい秋みつけた」のメロディーの

 

  リクエストに応え、両方を盛り込んだ壮大な曲に仕上

 

  げて下さり、驚異的なテクニックと豊かな音楽性に感動し

 

  ました。そして、あらためて桜台教会のオルガンの無限の

 

  可能性を実感させてくれた両コンサートでした。

 

 

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.88

 

                 

 

 

                       中川 まり子

 

 

 

少しずつ深まる秋はオルガンのコンサートをお楽しみください。

 

今年は10月後半にふたつ計画しています。昨年の秋から交渉

 

を始め、ようやく準備が整いました。M.メルツォーヴァさんは

 

昨年のバレンタインコンサートに続き2回目ですが、

 

W.イポリートさんは以前桜台教会でコンサートをされた

 

L.アヴォさんのご紹介です。どちらもヨーロッパ中心に

 

大変活躍しておられる実力者です。礼拝では聞く機会の

 

ないバッハの大曲、フランス古典、日本の馴染み深い

 

メロディーによる即興演奏など盛り沢山のプログラムが

 

用意されています。

 

 

 

 

 

7月の「オルガン弾き合い会」では新しく他教会の

 

オルガニストの男性が加わり充実した会になりました。

 

J.S.バッハ作曲「装いせよ、わが魂よ」BWV654を

 

心底幸せそうに演奏されました。終了後「メンデルスゾーン

 

はこの曲さえあれば何もいらない、と言っていたんだ」と

 

にこやかに、ご自分の事のようにお話になりました。

 

又このオルガンを弾きに来たい、と言い残して帰られました。

 

ところが、2ヵ月後に旅先で突然召されました。お仕事でも

 

教会の奉仕でも大変有能な方であったそうです。

 

全くの独学でバッハを弾ききったことに感服し、

 

何とも寂しい気分が続きました。9月の召天者記念礼拝では

 

同じコラールによるブラームス作曲「装いせよ、わが魂よ」を

 

弾かせて頂きました。

 

 

 

その召天者記念礼拝に高坂進氏が、昨年召されたお母様

 

である千恵子姉の残されたオルガンの楽譜を沢山お持ち

 

くださいました。以前は奏楽、聖歌隊で活躍された方の貴重な

 

財産です。早速次の礼拝で用いさせて頂きました。楽譜に残る

 

ちょっとした書き込みにも面影を感じ、こうしてささやかな事で

 

奉仕の業は受け継がれてゆくことを感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.87

 

 

                  中川 まり子

 

 

 

「よく僕は音楽は分からないと云う人がいるのに気がつく。如何

 

なる意味で云うのかはこちらではわからないけれども、こちらで

 

勝手に解釈をしておく。思うに誰でも名人と言われる程の人の

 

かなでる、琴、三味線の音、ピアノ、ヴァイオリンの響きに対し

 

て不快を感じる人はいないだろう。だからして聞いて快いという

 

丈のことで誰でも音楽が分かるといえるのではないだろうか。

 

 

 

勿論その技巧的な部分といった様な理知的、批判的な意味で

 

は、どういうところがよいとか巧拙の区別がはっきりつかない。そし

 

て恐らく快不快が、聞こえてくる音自身と同時に或いはむしろより

 

多く、聞く自分の気持ちなり心構えなりによると思うと、極自然的

 

な素直な気になると時計のカチカチいう響き下駄の音も気持ち

 

良く聞くことが出来る様に思われる。更に進んで、全宇宙の物音

 

が快い音楽に聞こえることも決して起こり得ないことではないだろ

 

う。そうなったら、その人はある意味で最もすぐれた音楽家であ

 

り、最もよく音楽を理解していると云ってもよいだろう。若しもこの

 

意味で自分には音楽は分からぬと決めてかかる人があるとした

 

ら、その人の感性は素直でない反自然的にとらわれたと非難され

 

て良いだろう。一事が万事、このことは、音楽から絵画にも広げら

 

れ、更に何事にも素朴的に謙譲な偏見をいだかぬ、物事を率直

 

に受け入れ、万事に興味をもつことの出来得る態度と、ひねくれ

 

た、自らつくった厚い殻のなかに閉じ込んでしまうとする態度の相

 

違に迄帰納されても大した誤りに陥ることはないだろう。」 生誕

 

100年、音楽好き数学者河田敬義(父です)の若き日の文章で

 

す。せっかくの“芸術の秋”を堪能しましょう。桜台教会には素敵

 

なプログラムが用意されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.85

 

 

                   中川 まり子

 

 

 

 もう15年前になりますが、2001年9月6日に「ミシェル・シャピュイ

 

オルガンコンサート」を開催しました。シャピュイ氏はフランス・

 

ドール出身のフランスを代表するオルガニストです。当時、

 

毎夏講習会の講師として来日しておられました。そこで、

 

オルガンビルダーの望月氏のご紹介で、教会でのコンサート

 

が実現することになりました。D.ケルン氏とシャピュイ氏が

 

懇意であったことが快諾の理由だと思います。前年の11月に

 

満70歳になられたシャピュイ氏がパリ国立高等音楽院教授を

 

退官するにあたり、フランス政府は200年前のフランス革命に

 

より壊されたままになっていた、ヴェルサイユ宮殿王室礼拝堂

 

のオルガンを、シャピュイ氏をオルガニストにお迎えするため

 

に新しく製造したのです。コンサートではブクステフーデの

 

作品が中心でした。中でも「暁の星 いと美しきかな」

 

(讃美歌346番のメロディー)が忘れられず、今月7月9日(土)

 

の「オルガン弾き合い会」で、同じコラールを弾きたいと思います。

 

5年後にも再びコンサートに御招きしました。昨年、シャピュイ氏

 

85歳のお祝いにはオルガニスト達のほかに、多くの来賓が

 

ドールにお祝いに駆けつけました。

 

 

 

 先月の「花の日こどもコンサート」では、どの出演者も精一杯

 

の力を発揮して、素晴らしい可能性を感じさせてくれました。

 

歌をうたう子ども達が多く、かなり古くからあると思われる唱歌が、

 

いまでも愛唱されていることは嬉しいことです。「赤い屋根の家

 

は、昨年歌った生徒さんに教えてもらい、皆で歌うようになりました

 

が、この曲はすでに親子でなつかしく歌える曲のようです。

 

こどもさんびかも、よく歌詞を覚えて歌ってくれました。

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.84

 

                   中川 まり子

 

 

 

 去る5月8日(日)桜台教会創立65周年記念「デュオ・

 

コンサート」が開催されました。ヴァイオリンとピアノによる

 

演奏で、名曲の数々に、感動で涙がでたとの感想を

 

参加者の方々から頂きました。教会学校生徒として

 

亀田祐希ちゃんが花束贈呈の役を務めてくれました。

 

 

 

 5年前、教会創立60周年記念としてCDを製作しま

 

した。パイプオルガンの演奏を中心に、ヴァイオリン演奏、

 

教会聖歌隊、そして前年のクリスマスに結成したばかりの

 

こども聖歌隊も、こどもさんびかを3曲歌いました。小学3年

 

生以下の生徒たちが、わずかな期間に歌詞をすべて暗記

 

して緊張の録音に臨みました。きれいな発声にそろえるの

 

は難しいことでしたが、みな良くがんばりました。また、

 

ご父母の方々も大人の聖歌隊に加わってくださりおかげで

 

豊かな混声合唱となりました。皆様の全面的なご協力を

 

得てひとつにまとまり、5月の創立記念礼拝までに完成

 

させることが出来ました。さらに翌年の創立記念日には

 

再び全員集合し、CDの内容をすべて生演奏でご披露

 

しました。よくぞこれだけの事が出来た、と思えることの連続です。

 

 

 

 今年も6月12日(日)「花の日こどもコンサート」が行われます。

 

たった数分の出番でも大きな自信となり、その後の成長は

 

目を見張るものがあります。大人でも本番は思うように

 

いきません。まして子どもは観客がいるだけでびっくりして

 

しまいます。それでも懲りずに大人が励まして、またチャンス

 

を与えてあげることが大切です。16世紀の作曲家

 

フレスコバルディは「経験こそはあらゆる芸事の女主人

 

である」、また大リーグのバレンタイン監督は「経験だけは

 

教えられない」と言っています。勇気をもってステージに

 

立つ子ども達をどうぞ盛大な拍手で励まして下さるようお願い

 

します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.83

 

 

                   中川 まり子

 

  

 

 

    日本中が待ちわびた桜の開花日。自然は雄大さ、

 

崇高さなど様々な印象を与えます。感じ方は人それぞれ

 

ですが、桜だけは誰もが美しいと言います。皆がそう言う

 

からでしょうか。

 

 

 

    美しい音楽、花々、絵画、映画、舞踊など感動する

 

対象は至る所に有ります。感動には純粋に自分が感じる

 

ものと、他人が良いと認めたので感じようとするものと二種類

 

あるように思います。15世紀頃から出版された楽譜などを

 

学ぶ時、必ずしも気に入るわけではありません。しかし長く

 

演奏されてきたからには価値があるのでしょう。バッハの

 

「マタイ受難曲」は死後100年もたってメンデルスゾーンに

 

より歴史的な復活上演がなされ再評価されました。ゴッホ

 

の名画は生前一枚(異説でも数枚)しか売れなかった

 

そうです。ドガの可愛らしい踊り子の像も、当初はあまりに

 

リアルで猿のようだなどと酷評されました。真実はどうなの

 

かと考えてしまいます。時代の先駆け故の不幸なのか、

 

或いは人は時代の流れの中で良いとされたならば受け

 

入れてしまうのでしょうか。

 

 

 

    オルガンのCDで世界のあちこちの教会のオルガン

 

の音を聞くことが出来ます。ドイツ・ドレスデンの再建された

 

聖母教会には2005年にケルン社のオルガンが完成しまし

 

た。ぜひ生で聴きたい荘厳な音です。私事ですが、油絵

 

を最近始めました。面白いことに、絵とオルガンの演奏には

 

同じ感想をいただくのです。どちらも持って生まれたものと、

 

日々の”感動“の積み重ねが大いに影響しています。

 

ケルン社の音色は規模にかかわらず世界中同じです。

 

ケルン氏が父親から受け継いだ音と信仰こそは、歴史上

 

に永遠に引き継がれてゆくはずです。詩篇の賛美が

 

永遠に続くように。

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.82

 

 

 

                   中川 まり子

 

 

 

  昨年の4月に始まり、過る3月の「イースターオルガン

 

コンサート」をもって、オルガン設置20周年記念企画を

 

全て終了しました。奏楽に加えての準備に追いかけられた

 

一年間でした。

 

 

 

  およそ30年間コンサートを開催してきて、どのコンサートを

 

とっても楽なときはありませんでした。特に海外からの演奏家

 

をお迎えするのは日本人とは違う気遣いをします。リハーサル

 

の為に初めてオルガンに触れる日は少しでも緊張を和らげて

 

練習できるようにとサポートします。大教会の残響の豊かな

 

オルガンと違い、音がそのままむき出しになるのでミスなく

 

弾くこと自体がむずかしいのですが、どなたもケルン社の

 

オルガンの音色を気に入ってくださいます。また日本式の

 

挨拶ではどうも距離を感じるようなので、フランス流に挨拶

 

を交わすと老若男女すぐに仲良くなれます。コンサート開始前

 

は緊張感が漂い、終了直後は何かしらのミス、思い通りに弾け

 

なかった部分などが頭の中を駆け巡っているので複雑な表情を

 

しています。でもお茶会で歓談している内に自然な笑顔に

 

変わっていく様子に、主催者は漸くほっとします。

 

 

 

 

  コンサートはその同じ空間と時間、生きた音を共有すること

 

に価値があるのだと思います。そのことを知っている良い

 

聴衆が、良いコンサートを作ると言ってもよいでしょう。

 

殆んどのオルガン曲の演奏に本当に相応しい場は教会

 

だけです。ミスのない演奏を第一とするならCDで十分

 

です。この一年間の毎月の企画を支えてくれたオルガン

 

委員の方々、特に新しい風を吹き込み、さらにヴァイオリン

 

演奏をもって企画に華をそえてくれたた若い委員には

 

心からの感謝を致します。また気分一新してスタートします。

 

どうぞ良い聴衆として今後もおたのしみください。

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.81

 

                 

  中川 まり子

 

 

 

2月の初め、思いがけず久々にパリに行く機会が与えられ

 

ました。出発直前に一昨年桜台教会でコンサートをされた

 

アヴォ氏に連絡をしたところ、ご自身がオルガニストを務

 

めるサン・エトワール教会のカヴァイエコル・オルガンで

 

レッスンをして下さいました。アヴォ氏の音楽への温かく

 

かつ厳しい姿勢から多くのことを学びました。また、

 

コンサートはマドレーヌ教会で弦楽四重奏、新しいシン

 

フォニーホールではオルガンお披露目の為の華やかな

 

 

演奏を聴きました。因みにフランスでは教会以外に

 

オルガンが入るのは非常にまれです。しかし、より素晴

 

らしかったのはコンセルヴァトワールのオルガン科の生徒

 

達によるコンサートでした。イタリアの一段鍵盤の可愛ら

 

しいオルガンで、 1617世紀の曲を見事に美しく聞か

 

せてくれました。

 

 

 

 今回は数年前にコンセルヴァトワールを卒業した娘

 

が恩師のレッスンを受けに行く、 というので急遽便乗

 

した形でした。レッスンはスコラカントルムという由緒

 

ある音楽院のホールで行われ見学させてもらいましたが、

 

ステージ正面のオルガンはフランクが弾いていたと聞き、

 

同じ空間にいるだけで感動しました。また日曜日は

 

ノートルダム寺院でミサに参列し聖歌隊とオルガンの

 

壮大な響きを何時間も浴び続けました。 

 

 

 ケルン氏からシャピユイ、メルカルト、アヴォ、

 

メルツォーヴァ、今井奈緒子、早島万紀子の各氏

 

そして2月に来日されたメンディサヴァル氏と、

 

皆さん良いオルガンを求めて紹介仕合い、研鑽を

 

積んでいます。私もお蔭様でパリでも良い機会を

 

もらい、素晴らしい楽器に触れることが出来ます。

 

 

 

 内外のオルガニストとのつながりも広がり、益々

 

当教会のオルガンの素晴らしさは世界の音楽家の

 

注目を集めることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.80

 

                        中川 まり子

 

 

 

  今月の220日(土)のコンサートはスペイン出身

 

のアリセ・メンディサヴァル氏によるオルガンコンサート

 

です。昨年2月のヴァレンタインコンサートで演奏された

 

モニカ・メルツォーヴァ氏は以前札幌のキタラホールで

 

ケルン社のオルガンの専属オルガニストを勤められま

 

した。そして以前モニカさんのコンサートを開催された

 

苫小牧弥生教会の木村姉の紹介で桜台教会での

 

コンサートが実現しました。そのコンサートの

 

折にとても良い印象を持たれたモニカさんは、

 

友人であるアリセさんに日本に行く折はぜひ

 

桜台教会で演奏する様薦めました。今回はアリセさん

 

とフランスの音楽院で共に学ばれた日本人オルガニスト

 

が間に入り交渉を進めて下さり、この度コンサートが

 

実現します。あちらこちらでオルガニストの

 

人間関係が良いつながりとして発展し、この20年間に

 

重ねてきた活動が、広く世界に尊敬すべき音楽家たち

 

との交わりをもたらしてくれました。

 

 

 

     1月30日(土)には第2回「オルガン弾き合い会」

 

が行われました。お互いが聞きあうという主旨ですが、

 

練習をすればするほど楽譜からの発見があり、

 

終わることのない戦いになります。7名の参加者が

 

集まりバラエティに富んだプログラムになりました。

 

それぞれの演奏から得るものがあります。

 

フレスコバルディは親切なことに、オルガンを学ぶ者

 

の為に楽譜に序文として演奏上の注意点を具体的に

 

書いています。その最後に「経験こそはあらゆる

 

芸の女主人である」とあります。この経験が一歩前に

 

進ませてくれるのだ、と自分に言い聞かせて日々

 

練習に励みました。今回も他教会の奏楽者との

 

交わりの輪が広がり、またインターネットで

 

催しを知り遠方からお越しくださった方も

 

おられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『桜台教会の音を求めて』     No.79

 

                   中川 まり子

 

 

 

20151212日(土)にオルガンとヴァイオリン

 

によるコンサートを行いました。4月から毎月、

 

コンサート初め、様々な催しを楽しく実現させる

 

ことが出来たことは感謝です。

 

 

ケルン社はA.ケルン(190-1989)により創設

 

されました。「私達の工房は1953年ストラスブール

 

のオルガン制作家、アルフレッド・ケルンによって

 

創設されました。シュヴァイツァー博士に強く

 

励まされてのスタートでした。歴史的楽器に対する

 

多くの敬意と、シルバーマン、クリコ、カリネといった

 

オルガン製作の巨匠たちについての深い造詣から、

 

彼のもとには高い価値を持つ楽器の修復依頼が

 

くるようになりました。彼はまた、メカニカル方式

 

のオルガンへの復帰を粘り強く熱心に主張しながら

 

貫き通し、その作品は多くの賞や栄誉に輝いています。」

 

 「私達のオルガン工房の全工程(構想、デッサンと

 

図面製作、金属板の鋳造、パイプ製作、ケース製作、

 

メカニックの製作など)は、すべて私達の工房内で

 

行われます。その結果、すべての工程は完璧に把握、

 

管理され、全工程間の調整も完全に可能となるのです。

 

環境への配慮も怠っておりません。木工に使用する

 

木材は、計画的に植林されたフランスの森、特に

 

アルザスの森から伐採された原木を使用して

 

おります。また1973年のワシントン条約を遵守し、

 

象牙は使用しておりません。」「私達の情熱は、

 

音楽そのものへ捧げられます。オルガンが楽器の王者

 

であり続けるために、私達はあらゆる角度から

 

オルガン建造技法を蓄積してきました。」

 

(ケルン社ホームページより)

 

 

 

 

この様に立派な方々の情熱と平和への思いが込められた

 

桜台教会のオルガンが、創設の信念を引継ぎ、

 

信仰の証しとして鳴り続けるためには教会員一人

 

ひとりの協力が必要です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『桜台教会の音を求めて』     No.78



                中川 まり子



 街に遅れること約1ヶ月、教会は正しい日を待って


アドベント・クランツを出しました。「待ちに待った」


と言う言葉がありますが、それは抑えきれないほどの


嬉しさを表わしています。待つことで喜びが大きく


なるのです。こども聖歌隊は収穫感謝礼拝で「頌栄」


という大変美しい曲を賛美しました。子供でも琴線に


触れるものがあると難しくても挑戦して歌えるように


なります。どんどん力をつけ、毎週キャンドル・


サーヴィスの練習を重ねています。ぜひ聞いて下さい。




ヨーロッパでは、かつては“白鳥”など美しい物を


象徴する言葉を用いて詩を作り、実は隠語で、


とんでもない下品な内容を宗教曲として歌う、


という時代も有りました。一方、16世紀の


イタリアの曲を弾く場合は「フィグーラ 


figura」を学ぶ必要があります。


フィグーラとは修辞学と言う意味で、


古代ギリシャの演説の技法でした。言葉の彩、


として裁判で聞き手を説得するために、逸脱した


表現手段を使うことを言いました。音楽では、


例えばフレスコバルディの「聖体奉挙」では


キリストの苦痛を表わす半音進行、力が


失せる様を表わす疑終止、当時は禁止されていた


7度の進行など、まさに逸脱した手法が様々


使われます。十字架を表わす音形、涙を表わす


下降ラインの動きもあります。音符を音にした


だけの演奏は無意味で、これらを読み取り、


深い意味を音にして演奏することが求められて


います。もっとも、これはこの時代の音楽を


演奏する場合のことで、現代はこの様な決まりは


なく、何でも有り、と言えます。



 教会でこそ讃美歌を歌い、音楽に耳を傾けて


もらいたいと思います。


コンサート、クリスマス礼拝、キャンドル・


サーヴィスと、友人をお誘いするにも最適な


アドベントです。

 


 

 『桜台教会の音を求めて』     No.77



                    中川 まり子



 10月24日(土)桜台教会パイプオルガン設置20周年記念


「オルガン弾き合い会」を行いました。オルガンコンサート


とは違い、オルガンの演奏経験があり、このケルン社の


オルガンを弾いてみたいという方々を募集しました。


一人の方は本番の3日前に練習に来られ、その時生まれて


初めて本物のパイプオイガンに触れてとても楽しかった、


と喜んでおられました。他の方々は毎週、あるいは今回の


為に数回練習に来ておられましたが、また違う曲を弾いて


みたいとの意欲的な感想をいただきました。私も最後に


「愛するイエスよ、われらここにあり」J.S.Bach/BWV731


を当日集まられた一人ひとりを想い、オルガンへの


20年間の感謝をこめて弾かせていただきました。


今回の演奏者は、それぞれの教会の奏楽者でした。


お互いの音楽を分かち合え、意義ある会でした。


 偶然、秋から二つの講座がフレスコバルディ(1583-1643


を取り上げています。8月号で紹介しましたが、非常に才能


ある作曲家であり、オルガニストです。出版物の序文に


箇条書きで音符やパッセージなどの解釈、演奏上の


アドヴァイスを分かりやすく記しています。書かれている


音符の音価そのままに弾くのではないのです。「正しい


テンポの選択は演奏者の良い趣味と質の高い判断に


ゆだねられており、これこそがこの様式の音楽を演奏


する真髄をつかみとり完璧な域に達するために不可欠


のものである。」と。 講座では聖霊が降りてきて、頭の


上でとってくれるテンポで弾くこと、Today‘s tempo


弾くことを教えられました。瞑想に導く大切な要素と


なります。これからは、奏楽が心地よいテンポで弾かれて


いるかも、ご感想をいただければ、と思います。








 『桜台教会の音を求めて』     No.76

                    

                                                       中川 まり子

 

 

 926日(土)早島万紀子氏によるオルガンコンサートが開催

 

されました。20数年前までケルン社の工房のあるストラスブール

 

の教会でオルガニストを勤められ、新宿文化センターにケルン社

 

のオルガンが設置されるに伴い、専属オルガニストを勤められる

 

べく帰国されました。それ程ケルン氏からの信頼も篤く、桜台教会

 

のオルガンへの思い入れも強い早島氏以上に、今回の「オルガン

 

設置20周年記念コンサート」に相応しいオルガニストはいなかった

 

と思われます。そして、楽器の特性を活かす選曲で、色彩豊か

 

な音色を響かせ会衆を魅了しました。

 

 20年振りに教会のオルガンに触れられた印象を伺うと、礼拝堂

 

に馴染み、空間そのものが楽器になって響いているとのこと。

 

コンサート当日は、「20年前は生まれたばかりの赤ちゃんだった

 

オルガンが、成熟し艶のある音を出す乙女に成長し嬉しい」と

 

述べられました。また、演奏していて楽器が日頃十分に活用

 

されていることを感じるとの事でした。桜台教会のオルガニスト

 

として、この20年間のオルガンの用い方、管理が間違えて

 

なかったことが証しされ、ほっとしました。

 

 

 1995年91日、一度解体された楽器を詰め込んだ

 

コンテナが教会に到着し、設置が始まり、一部パイプが入り、

 

6日には初めての音を神さまに奉げる奉音式をしてお祝い

 

しました。23日にはオルガンの鍵がケルン社から正式に

 

牧師に渡されました。翌日、初めて聖日礼拝の奏楽に用い、

 

続けて奉献式を行いました。およそ7年に亘る募金活動、

 

ケルン社と委員会との度重なる交渉が、神さまの導きを

 

得て実現しました。今では海外の演奏家からも注目を

 

集める存在になりましたが、今後も礼拝に於ける瞑想と、

 

賛美の助けを第一の御旨として用いてゆきたいと思います。











 『桜台教会の音を求めて』     No.75

                    中川 まり子

 

 8月22日(土)「オルガンのお話と演奏」の第二回目を

 

開催しました。楽器のお話を聞き実際にストップや鍵盤に

 

触れて音を出してみました。思ったより軽く大きな音が出せた、

 

との感想でした。オルガンの扉を全部開けると子供たちも

 

盛んに内部の写真を撮りました。そんな中、一人の母親は

 

お子さんに「こんな素晴らしい機会に 恵まれて幸せね」

 

と語りかけておられました。最後にバッハの曲を聴いて

 

頂きましたが、一人一人が熱心に見学された事が伝わる

 

感想を述べ て下さいました。

 

 

 今後は子供向けに加え、ご要望により11月 には大人

 

向けの見学会も計画しています。又、9月26日(土)

 

には桜台教会にオルガンが設 置された、20前のクリスマス

 

コンサートでも 演奏して下さいました早島万紀子氏をお迎え

 

してオルガンコンサートを開催致します。20年を経た楽器

 

への評価も楽しみです。

 

 

 今年はルイ14世の没後300年の年です。1638年に

 

生まれ、5才の時にはルイ13世 の死去により国王となり

 

ました。ルターの宗教改革以前、16世紀のヨーロッパで

 

権威を持っていたのは教会の教皇やローマ帝国の皇帝でし

 

 

た。しかし、宗教改革以後はその権力は弱まり独立性を高め、

 

主権国家と呼ばれるようになりました。ルイ14世は権威を

 

表す為にヴェルサイユ宮殿の建設を始め、1682年にパリ

 

から宮廷を移しました。”太陽王”と呼ばれた王は、

 

宮廷内では貴族同士でファッションを競わせ、自らルイヒール

 

という高い靴を履きバレエを踊り、オペラ等音楽も発展させて、

 

当時フランスはヨーロッパ諸国の憧れの存在でした。

 

ところで、桜台教会のオルガンの金色に輝く装飾は、

 

“ルイ14世の紋様” とお気づきでしょうか。











 『桜台教会の音を求めて』     No.74

                    中川 まり子

 

 

  7月22日(土)にパイプオルガン設置20周年記念 

 

夏休み特別企画!「オルガンのお話と演奏」を開催しました。

 

桜台教会の子供達の他に練馬区内の教会から子供達と付き添い

 

の方々がみえて、礼拝堂の2階は満席でした。子供向けの分かり

 

やすい解説を、設置当時の写真を見ながら聞き、参加者一人

 

ずつ好きなストップを引っぱり、音を鳴らしてみる、という

 

経験をしました。見るだけではなく、実際に自分の手で楽器に

 

触れることで、興味は格段に増します。最後にバッハの

 

「トッカータとフーガ 二短調」の演奏を間近で聞いてもらい

 

ました。子供達の目は本物に接すると本当にきらきら輝きます。

 

 

 前号では16世紀のイタリアの先進的音楽家として

 

ジェズアルドをご紹介しました。同時代、ジロラモ・

 

フレスコバルディ(1583-1643)はイタリアのフェラーレ

 

という宮廷のある地で生まれ、ルッツァスキに学び、

 

ジェズアルドの影響も受けました。1607年にS.Maria in

 

Trastevere教会のオルガニストに就任、同年パトロンに

 

随行してブリュッセルへ行き、翌1608年にはローマのサン・

 

ピエトロ寺院のオルガニストに選出されました。

 

また1628年からはフィレンツェのメディチ家宮廷の

 

オルガニストをも兼任しました。



 出版に関しては、1608年に初めての鍵盤音楽である

 

ファンタジー第1巻、1615年にトッカータ第1巻

 

「チェンバロのためのトッカータとパルティータ集 第1巻」

 

を出していますが、これが飛ぶように売れて同年、翌年、

 

1928年にも増補版がでています。9月26日(土)の

 

パイプオルガン設置20年周記念「オルガンコンサート」

 

で早島万紀子氏による演奏がありますが、毎月行われている

 

早島氏によるオルガン講座では、9月からはフレスコバルディ

 

を勉強します。












 『桜台教会の音を求めて』     No.73

                   

                     中川 まり子


 パリでは雲の流れが速い為か、傘をもたもた開いている間に


雨は止んで閉じれば降る、の繰り返し。気がつけば誰も


さしていない。子どもたちも、校外学習にでる時はフード付


ジャケトを着て、雨の中2列に並んで歩いていました。


勿論先生も傘なしで。


 さて桜台教会では先月6月14日は雨も上がり


「花の日こどもコンサート」が開催されました。


<パイプオルガン設置20年記念特別企画!>として


小・中学生がオルガンでの演奏にもチャレンジした事は


貴重な体験でした。



 16世紀のヨーロッパではイタリアの音楽が優れた発展を


続け、世俗音楽の代表であったマドリガーレは上品で洒落た


音楽へと変わりました。フランスの庶民の音楽シャンソンは


下品な内容のものでしたが、イタリアに入ってカンツォフランセ


となり、カンツォーネとなりました。



C.ジェズアルド(1561~1613)はイタリアの貴族で、


激情的な詩を自ら作詞し、禁止されていた半音階を用い、


ルネサンス的な無調性で統一感のない曲を作る、


時代の最先端をいく作曲家でした。


1586年侯爵令嬢と結婚するが妻の不貞を知り、


同じく貴族である相手もろとも惨殺し、赤子の我が子まで


殺してしまいました。しかし、ジェズアルドは貴族ゆえに


追われることもなく修道僧となり、宗教曲の作曲を始めました。



  1611年には恋の痛みを十字架の痛みに変えて同じ手法で


マドリガーレを発表し、再婚するも孤独な中で詩篇51番による


「ミゼレーレ」を書きました。殺人犯として有名な反面ルネサンス


音楽の表現主義的で大胆な半音階的技法の作曲家として


名高く、近年になり現代音楽と共にFM放送で盛んに


紹介されている。その時代ならではの背景を知ることは、


音楽史の理解に親近感を持たせてくれます。







『桜台教会の音を求めて』     No.72            

                                               中川 まり子

 

5月10日(日)は桜台教会創立64年記念礼拝に続き、


オルガンとヴァイオリンによるコンサートが開催されました。


教会の誕生日であり、母の日でもありました。演奏の準備


をするのは容易ではありませんが、コンサート本番では  


演奏中に何度も「感謝します」と言う言葉が胸に湧いて


きました。音楽が身近にあること、それは人生の中の幸運


    のひとつです、その中でもオルガンという楽器を通して神を


    賛美できることは感謝です。更にはケルン社の最上の楽器


    を与えられたということは教会への大きな恵みです。




今回も終了後、来会者の一人の女性の第一声は


「来てよかった!」 高齢の母親を連れてくるのはさぞかし


 大変だったことと思います。その日の夕方、その母親を


 訪ねると「あの空間にいられて、天国だったわ。」と


 感激して話してくれました。神様を近くに感じてもらえた


 なら嬉しいことです。他にも母と子で楽しんでくださった


 方々が私ども母娘を含めて10組位、また一人での参加


 でも母親の立場の方々が大勢おられ“母の日”の贈り物に


 なったなら幸いです。



福島県出身の詩人、長田弘氏は東京都内の病院で手術を


受けることを決め、準備のために一時帰宅した15分後に


3.11の震災に遭いました。大手術と震災を経て書いた


詩に「・・・いつも考えるようになった。ほんとうに意味ある


ものは、ありふれた、何でもないものだと。魂のかたちを


した雲。樹々の、枝々の、先端のかがやき。すべて


ちいさなものは偉大だと」(猫のボブ)。その2年後の


「奇跡-ミラクル-」と言う詩集では「幸福とは、


単純な真実だ。必要最小限プラス1」とあります。


必要最小限に信仰も含めると、私のプラス1は“賛美”です。


皆さんのプラス1は何ですか。










 

 『桜台教会の音を求めて』     No.7

                   


                                中川 まり子


   今から300年前に誕生したドイツの名窯「マイセン」をほとんどの方は


 ご存知でしょう。17世紀、ヨーロッパでは中国の磁器や日本の伊万里など


 が盛んでしたが純白で薄く、艶のある硬質磁器の製作に列国の王侯


 貴族、事業家はしのぎを削っていました。東洋磁器の蒐集家であった、


 ザクセンの選帝侯でポーランド王を兼任していたアウグスト王(1670-


 1733)は錬金術師を監禁して製造法を研究させ、ついに1710年


 「マイセン」が誕生しました。後に王はパイプオルガンの製造を要求します。


 磁器は鐘、パイプ、フルートには適しても、18世紀の技術では正確に音を


 合わせることは無理でした。



    270年を経、2000年にマイセンの技術者Zepnerがようやくパイプの


 製造に成功し、ドレスデンのオルガン製作所イエームリッヒオルゲルと


 マイセンの2社でとうとうパイプオルガンを完成させました。楽器は梨の


 無垢材で覆われ、扉はマイセン磁器。48cm~112㎝の磁器のパイプが


 22本、木管36本、金属管170本からなり、ペダルはありません。また


 415Hz,440Hz、465Hzとピッチ(音の高さ)を変えることも出来るの


 です。その楽器はマイセン工場のショールームにありますが、日本にも


 2007年”ららぽーと横浜“に磁器製のカリヨンとパイプオルガンを融合


 させた世界初の楽器「KUJYAKU」が設置されています。城をマイセン


 の磁器で造ることを望み、すべてをマイセンに賭けた王は「余の人生は


 罪の連続であった」と言っていますが、オルガン製作を命じたことに当時


 の教会の存在、文化、権威の表わし方など様々感じさせられます。



   4月4日のパイプオルガン設置20周年企画  「イースターオルガン


 コンサート」は“本当に来てよかった!”と多数嬉しい感想を頂きました。 






 

 『桜台教会の音を求めて』     No.70

                    

                     中川 まり子

 


  2015年の9月で、教会にオルガンを設置して満20年となります。礼拝堂に


馴染み、ますます美しい響きとなりました。この間皆さんのご協力を得ながら


コンサートを重ねてきましたが、残念ながらこの地域の方々にはまだ身近な


存在とはなっていないようです。そこで、オルガン委員会で話し合い、この


4月から毎月コンサートあるいは見学会などを通して、オルガンの音を聞い


てもらい、楽器の存在を身近に感じてもらおうということになりました。もしも


旅行に行き素晴らしい風景に感動したり、歴史的な建築物、大聖堂などを


見学した時、きっと家族や友人にも見せてあげたいと思うことでしょう。


ですからこのオルガンの音色を聞いて今までに一度でも慰められたり、勇気


けられた方は、どうぞご家族、友人、或いは近隣の方々にもお勧めくだ


さい。今後も委員会で色々なアイデアを出し合いながら進めていきたいと


思います。




   ピアノを習い始めると、どんな初歩的な段階でも暗譜して弾くことを


訓練され、これだけは音楽大学の学生になっても鉄則でした。ところが


オルガンは殆んどの場合、コンサートでも楽譜を譜面台に置きます。


それは、音を変化させるための操作上の、また別の段の鍵盤に移動する


という演奏上の指示などが書き込まれているからです。しかし、いつまでも


楽譜に頼っているような後ろめたさを感じていました。ところが最近、常に


楽譜を置いて演奏していた偉大なピアニストのリヒテルは、そのほうが


想像が広がる、と説明していたと知りました。これを聞いてにわかに自由


な気持ちになれました。聞いている方にも想像の翼を広げていただける


ように楽器を鳴らすことが出来たらと思います。


 『桜台教会の音を求めて』 No.69

                         中川 まり子

 


 2月14日、モニカ・メルツォーヴァ氏による「バレンタイン オルガ


ンコンサート」が開催されました。スロヴァキア出身でパり国立高


等音楽院を卒業後、2003年から1年間札幌コンサートホール


Kitaraの専属オルガニストとしてケルン社のオルガンを弾かれま


した。



 今回は札幌でのコンサートの後に東京のサントリーホールで演奏


をされるとの情報を苫小牧の木村陽子さんが下さり、Kitaraホー


ルの事業課の篠原朗子さんが間を取り持ち、招聘のための書類


作りなどの労をとってくださいました。私は約半年間モニカさんと


度々細かい打ち合わせのメールを交換してきました。



 12日はサントリーホールでお昼のプロムナードコンサートがあり、


中川牧師と楽屋に挨拶に行き、翌日のリハーサルの確認をしまし


た。


 13日は厳しい冷え込みの朝から望月氏親子によるオルガン調律


があり、午後からのリハーサルは和やかな雰囲気の内に進みまし


た。


 14日の当日もお昼前から練習と打ち合わせをしました。急遽、


私が譜めくりなどのアシスタントをしました。変則的な拍数の、テン


ポの速い現代曲に緊張しましたが、ま近にいることで音の選び方


など、とても勉強になりました。圧巻は得意の即興演奏です。今回


は「椰子の木」と「雪の降る街を」の楽譜を直前に渡しました。2曲


を取り混ぜて元の曲の雰囲気を活かしつつ、美しく演奏されまし


た。アンコールもスロヴァキアの民謡で即興演奏をされました。一


人の音楽家を迎えることで果てしなく世界は広がります。また、各


教会の奏楽者の間にも新たなつながりが出来、学びの輪が広がり


ます。教会の皆様のご奉仕にも好印象を持って、名残を惜しみつ


つ、翌朝日本を発たれました。

 


 『桜台教会の音を求めて』 No.68

           

                             中川 まり子

  



  昨年の7月に桜台教会でコンサートをされたリオネル・アヴォ氏


がフランスの有名なオルガン誌『Orgues』にひと夏の間滞在した


日本各地での体験を、4ページに亘りリポートしました。


来日して最初のコンサートは、東京オペラシティでの“ヴィジュ


アル オルガンコンサート”で4台のカメラで手元、足元をスクリー


ンに映す形式でした。大勢のサラリーマンがお昼休みに聞きにくる


こと、日本での労働時間の長さにもおどろいたようです。桜台教会


に関しては、「Thé vert à lissue du concert」(コンサート


が終わったあとの緑茶)と題して印象を述べています。オペラシ


ティでのコンサートを終えた夕方、桜台教会に夫人と見え、リハー


サルはその日の夜までと翌日の本番直前の午前中に行われまし


た。


「東京の、桜台の小さなプロテスタント教会における翌日のコン


サートのおかげで完全に気分を一新したこと。プログラムのイヴ・ラ


ファルグの小パッサカリアでは“静かに”の指示に合う美しいブルド


ン8の音を見つけた。ミシェル・シャプュイは日本で一度ならず私


を導き、氏のサインはここの礼拝堂の入り口にもあった。牧師と奥


様はとても熱意にあふれ、リハーサルの間にもお弁当を用意してく


れた。 途中省略― コンサートは土曜日の午後開かれ、アン


コールにはクリストフ・マルシャンの[Saltarello]を弾いたが、それは


コンサートのあとの緑茶をめぐっての交わりが証明するように、大変


快かった。」



 桜台教会の“おもてなし”は定評があります。当たり前のことと


思って行っていることですが、よそでも同じというわけではないよう


です。この楽しい交わりに是非積極的に加わって下さい。

 

 



 


 

 『桜台教会の音を求めて』     No.67

                  

                    中川 まり子

 

 2014年も世界中の教会と共に、クリスマス礼拝をも


てた事を感謝いたします。礼拝後の祝会では、今までとは


違う小さなピアノで「もろびとこぞりて」の伴奏をしまし


た。私事ですが40年前に愛用のグランドピアノを実家に


残して結婚しました。大阪から再び東京に戻ったとき義父


がアップライトのピアノを買うように勧めてくれました。


嬉しくて楽器店に飛んでいったのはきのうのことのようで


す。今年、グランドピアノが3階ホールから消え、これを


機に昨年の夏に家から運びました。子育てにもレッスンに


も活用したこのピアノが、神さまの御用をする日が来るな


んて考えたこともありませんでした。信仰深く、優しかっ


た義父の笑顔と共に祝ったひとときでした。



 24日は音楽礼拝のキャンドルサービスが行われまし


た。点火は中2と小5の姉妹が担当してくれました。こど


も聖歌隊は中1と小2のふたりでしたが、見事に美しい二


重唱を聞かせてくれました。日頃の真摯な姿勢が本番に表


れるのだと思います。「音楽家は、自分自身が感動しなけ


れば、聴き手を感動させることはできない。」(カール・


フィリップ・エマニュエル・バッハ)



 また14日には『クリスマス コンサート』が開かれ


ました。アドベントクランツの蝋燭に火がともり、ポイ


ンセチアが並ぶ美しい礼拝堂で名曲に加え、クリスマス


の曲、楽しい曲がヴァイオリンとピアノの芳醇な響きとな


り会衆を包み、本当の待降節を体感するときを与えられま


した。良いものを共有したあとは、お茶会でも心地よい交


わりの輪が広がりました。2015年はオルガン設置20


年の記念の年です。2月14日「モニカ・メルツォーヴァ


バレンタイン オルガンコンサート」をご期待ください。 

 

 

 



『桜台教会の音を求めて』 No.65

 

                 中川 まり子

 

 

 

 テレビで偶然異様な光景を目にし、度肝を抜かれました。形、大きさはチェロのようですが、肩というより胸で支えてヴァイオリンのように弾いているのです。バッハの無伴奏チェロ組曲1番でしたが、次に演奏する3番は高音があるからと、なんと5本目の弦を足しました。歴史に消えた幻の楽器「ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ」でした。春から、楽器と楽譜の起源からの変遷を学んでいます。楽譜は1320年頃にイングランドの修道院に収められた羊皮紙に書かれた<ロバートブリッジ写本>が始まりです。フランスの修道士が息抜きに作ったらしき、エスタンピーという舞曲です。

 

 

 さて紀元前数世紀には北アフリカに、ローマの円形劇場の音響の原理を用いた水オルガンが存在し、当時としては音の大きな楽器だったので闘技場で使われました。その後ヨーロッパでは消滅しましたが、中世のビザンチン帝国には残り、8~9世紀にフランク王国に贈られ、世俗世界から教会のものとなり、又プラトンの思想がアラブ世界から再びヨーロッパにとりいれられルネサンスとなりました。12世紀初頭には水オルガンではなく、また鍵盤ではなくレバーを引いて音をだすオルガンになりました。“聖なる音楽”は「理性」と「精神」を持ち、科学的システムで音程を合わせ、歌手は記録されたものを歌い“俗なる音楽”と区別されました。教会に設置された比較的規模の大きなオルガンは鍵盤上平面にパイプを並べ、音は一つに混ざり、常に大きな音で鳴っていました。ローラーボードという方式で、どのようなパイプの並べ方でもタッチやアクションがそのまま伝わるようになったのが1441年で現在まで仕組みは変わりません。

 

 

 

 

 

 

  『桜台教会の音を求めて』    No.64 

 

                

                 中川 まり子

 

 

「万軍の主よ、あなたのいますところはどれほど愛さ

 れていることでしょう。主の庭を慕って、わたしの

 魂は絶え入りそうです。命の神に向かって、わたし

 の身も心も叫びます。あなたの祭壇に、鳥は住みか

 を作りつばめは巣をかけて、雛を置いています。

  万軍の主、わたしの王、わたしの神よ。

  いかに幸いなことでしょう

  あなたの家に住むことができるなら

  まして、あなたを賛美することができるなら。」

 

               (詩篇84)                                                       

 

 

 この、最後の行を読むとき何とも言えない安らぎと仕合せを感じます。外国に行く楽しみのひとつに、

教会を訪ねることがありです。パリではひとりで歩き、時間がいつでもたっぷりあったので、扉が開いてさえいれば平日でもひんやりとした大聖堂に入りました。大小の蝋燭があり、各自献金して火を灯し、ゆっくりと祈る場所がありました。どんな観光よりも平安が与えられ、本当に大切にすべきことを考えることが出来ました。もっとも、歩きつかれてへとへとで座りこんでいることもしばしばありました。それにしても、この石造りの天井も見えないほどの大きさには、何があっても守られるという安心感と、神の偉大さを容易に感じさせてくれものがあります。

 

 このような所で降ってくるのは力強い神の声、慰めの天使の声としてのオルガンの音です。パリのサン・セヴラン教会で弾きつつ感動しました。たとえ少人数の礼拝であろうとも、奏楽者は神の前に身をゆだねて来る者と共に賛美するありがたさを、共有することを大切にしてゆきたいと思います。

 

 

 

 

  『桜台教会の音を求めて』    No.63 

 

               中川 まり子

 

  

 1995年に桜台教会にパイプオルガンを設置し、来年は20周年の年を迎えます。オルガンという楽器は環境を整えれば数百年でも使えますので、きちんと記録を残す責任があると思います。8月の猛暑の一日、オルガン委員の藤井智子役員のご協力を得て、今までに行った全コンサートの資料等をファイルしました。予算もない中、素人ながらも知恵をしぼり夢中で企画、運営をした30年近くを共に振り返りました。

 

 19年前の9月、オルガンが完成し教会をあげてお祝いをしたものの、ケルン社への支払いには1,000万円ほど足りず、オルガン委員会として通常会計から借金をしました。以来、毎年50万円を返済してきました。資金難で今年はいよいよ無理かと思われる年もありましたが、働きを理解してくださる方の指定献金に助けられ、今年の7月には繰り上げ返済し完了しました。主の支えなくして成し遂げられたでしょうか。新たなスタートに皆様のご支援をお願いします。

 

 これまでに教会コンサートには、日本人に限らず海外の演奏家も、来日の機会に合わせてお招きしました。コンサートの前日、又は数日前に初めてお会いし、ベストコンデイションで本番を迎えられるよう、リハーサルにも付き合います。誠意を持って対応すれば良い結果と喜びが得られ、またひとつ人生の財産となります。前回の演奏者のL.アヴォ氏はご自身のCDに「あなた方の美しいオルガンでのコンサートの思い出に。私はあなた方の厚いもてなしと心地よい微笑みをけっして忘れません。かたい友情をもって。アヴォ」とサインしてプレゼントしてくれました。オルガンを通して世界に広がる主にある交わりこそ、次世代に残すべき宝です。