《今日のみ言葉》

 

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年6月10日(木)

 

◎今日の聖句

 ヨハネ福音書21章15-19節

 

21:5 イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。 21:6 イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。 21:7 イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。 21:8 ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 21:9 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。

 

◎今日の一言

復活の主がペトロの前に現れることはペトロには恐ろしい事である。しかしイエスは裏切りの罪を問うことなく大量の魚をもって弟子達を祝福し、聖餐の恵みをもって罪の赦しと悔い改めの喜びをもたらされた。キリスト信者も常にこの事実に学びつつ成長する。

 

☆通読聖書 : 使徒言行録7章54-8章3節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年6月9日(水) 

 

◎今日の聖句

   エゼキエル書3章2227

 

◆エゼキエルの沈黙

3:22 主の御手が、そこで、わたしに臨んだ。主はわたしに言われた。「立って、平野に出て行きなさい。そこでわたしはあなたに語る。」 3:23 わたしが立って平野に出て行くと、そこにケバル川の河畔で見た栄光と同じ主の栄光がとどまっているではないか。わたしはひれ伏した。 3:24 霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた。そのとき彼はわたしに語りかけ、わたしに言われた。「あなたは自分の家に入って閉じこもりなさい。 3:25 人の子よ、あなたは縄をかけられ、縛られ、彼らの所へ出て行けないようにされる。 3:26 また、わたしはあなたの舌を上顎につかせ、ものが言えないようにする。こうして彼らを責める者としてのあなたの役割は終わる。まことに彼らは反逆の家だ。 3:27 しかし、わたしが語りかけるとき、あなたの口を開く。そこであなたは彼らに言わねばならない。主なる神はこう言われる。聞き入れようとする者は聞き入れよ。拒もうとする者は拒むがよい。彼らは反逆の家だから。」

 

◎今日の一言

かつてイエスは「聞く耳のあるものは聞くがよい」と言われた。旧約の預言者エゼキエルも同様であった。反逆の家に向かっては時を経て、それを見分けて語れと言う。神の語りかけを聞いて語ることが主(ヤハウエ)の預言者の使命であった。牧者も同様である。常にキリストにおいて示されたことを語らなければならない。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録7章30-53節

LOSUNGEN『日々の聖句』

          2021年6月8日(火)      

 

◎今日の聖句

Ⅱコリント書1章2324

 

1:23 神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです。 1:24 わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです。  2:1 そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました。 2:2 もしあなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませる人以外のいったいだれが、わたしを喜ばせてくれるでしょう。 2:3 あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです。わたしの喜びはあなたがたすべての喜びでもあると、あなたがた一同について確信しているからです。 2:4 わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。

 

◎今日の一言

使徒パウロが宣べ伝えた福音から離れて混乱していたコリントの教会に宛てて書かれた涙の手紙について告げています。教会は常に問題の多い所ではありますが、信仰においては振れがあってはなりません。正統な信仰告白に基いてキリストの教会の一致が求められます。またそれはキリストの贖罪信仰によって原点への立ち返りが可能とされます。世界の教会はこの点において常に一つなのです。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録7章1-29節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年6月7日(月) 

 

◎今日の聖句

 使徒言行録4章821

 

4:8 そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、 4:9 今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、 4:10 あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。 4:11 この方こそ、/『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、/隅の親石となった石』/です。 4:12 ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」 4:13 議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。 4:14 しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。 4:15 そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、 4:16 言った。「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。 4:17 しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」 4:18 そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。 4:19 しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。 4:20 わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」 4:21 議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。

 

◎今日の一言

ペトロとヨハネがエルサレム神殿の美しい門と呼ばれるところで『金銀は私にはない。しかし私にあるものを上げよう。ナザレ人イエスの名によって立ち上がり歩きなさい。』と言って足の不自由な人を癒したことにより議会で取り調べを受けた。しかし彼らは隅の親石となったイエスこそ救いをもたらすメシアであり、この名の他に救いなしと語った。弟子達の断固たる救いの確信が知らされる。彼らは『神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。』と言って癒された男を前に堂々とイエスの名を証しし続けた。今日においても教会は「この名の他に救いなし」と告白し続けている。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録6章8-15節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年6月6日(日)

 

◎今日の聖句

  エレミヤ書23章16-29節

 

23:16 万軍の主はこう言われる。お前たちに預言する預言者たちの/言葉を聞いてはならない。彼らはお前たちに空しい望みを抱かせ/主の口の言葉ではなく、自分の心の幻を語る。 23:17 わたしを侮る者たちに向かって/彼らは常に言う。「平和があなたたちに臨むと/主が語られた」と。また、かたくなな心のままに歩む者に向かって/「災いがあなたたちに来ることはない」と言う。 23:18 誰が主の会議に立ち/また、その言葉を見聞きしたか。誰が耳を傾けて、その言葉を聞いたか。 23:19 見よ、主の嵐が激しく吹き/つむじ風が巻き起こって/神に逆らう者らの頭上に渦を巻く。 23:20 主の怒りは/思い定められた事を成し遂げるまではやまない。終わりの日に、お前たちは/このことをはっきりと悟る。 23:21 わたしが遣わさないのに/預言者たちは走る。わたしは彼らに語っていないのに/彼らは預言する。 23:22 もし、彼らがわたしの会議に立ったのなら/わが民にわたしの言葉を聞かせ/彼らの悪い道、悪の行いから/帰らせることができたであろう。 23:23 わたしはただ近くにいる神なのか、と主は言われる。わたしは遠くからの神ではないのか。 23:24 誰かが隠れ場に身を隠したなら/わたしは彼を見つけられないと言うのかと/主は言われる。天をも地をも、わたしは満たしているではないかと/主は言われる。 23:25 わたしは、わが名によって偽りを預言する預言者たちが、「わたしは夢を見た、夢を見た」と言うのを聞いた。 23:26 いつまで、彼らはこうなのか。偽りを預言し、自分の心が欺くままに預言する預言者たちは、 23:27 互いに夢を解き明かして、わが民がわたしの名を忘れるように仕向ける。彼らの父祖たちがバアルのゆえにわたしの名を忘れたように。 23:28 夢を見た預言者は夢を解き明かすがよい。しかし、わたしの言葉を受けた者は、忠実にわたしの言葉を語るがよい。もみ殻と穀物が比べものになろうかと/主は言われる。 23:29 このように、わたしの言葉は火に似ていないか。岩を打ち砕く槌のようではないか、と主は言われる。

 

◎今日の一言

主の預言者エレミヤはイスラエルの民に向かって誰が正しい預言者であるかを問う。常に偽りを語る預言者がいると言う。平和か無いのに平和平和と言うものの言葉を聞いてはならない。その言葉は神の言葉か偽預言者の夢、幻かを見極めることが大事である。主の言葉は時に厳しい裁きの言葉ともなる。それは時代を超えて今の世でも同じである。

 

 

☆通読聖書 : Ⅰヨハネ書4章16-21節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年6(土)   

 

◎今日の聖句

 ヨハネ福音書14章7-14節

 

14:7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 14:8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、 14:9 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。 14:10 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。 14:11 わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。 14:12 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。 14:13 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。 14:14 わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

 

◎今日の一言

ヨハネ福音書の記者は既に三一信仰に立って神の子としてのイエスの働きを描写している。イエスは神の子であり同時に神である。全能者であり同時にイエスも神であることを証しする。キリストが同時に神であり、キリストの名によって願うことは天の父に願う事であると言う。キリスト教的三位一体論に立たなければキリストが神であり世に来られた神の子メシアであることは理解できない。それは信仰的理解であり神学的告白である。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録6章1-7節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年6月4日(金)  

 

◎今日の聖句

 Ⅱペトロ1章16-21節

 

◆キリストの栄光、預言の言葉

1:16 わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。 1:17 荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。 1:18 わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。 1:19 こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。 1:20 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。 1:21 なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。

 

◎今日の一言

初期キリスト教会の指導者たちは単に熱狂的に福音を語ることをせず、三位一体の信仰を通じて正統主義の信仰告白を確立する道を選んだ。聖書の言葉が勝手に解釈される時異端が生まれ合理主義に支配されたり熱狂主義的カルト集団へと転落する。キリスト教信仰は普遍妥当性を確保しつつ歴史を修正する力を発揮してきた。神学的には常にキリスト論的三一論を標榜するものである。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録5章34-42節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年6月3日(木)  

 

◎今日の聖句

エフェソ書4章1-7節

 

◆キリストの体は一つ

4:1 そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、 4:2 一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、 4:3 平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。 4:4 体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。 4:5 主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、 4:6 すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。 4:7 しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。

 

◎今日の一言

世界史の流れを学びつつ何が平和を生み出す力であるかを学び直す時が来ている。文化や伝統には征服・被征服の血なまぐさい歴史が渦巻いている。それらを超える真理を持つことが新しい時代を切り開く力になる。その基本は神学史に学び比較宗教学に学ぶことである。それらすべての源流は聖書にある。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録5章17-33節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年6月2日(水) 

 

◎今日の聖句

使徒言行録17章22-34節

 

17:22 パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。 17:23 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。 17:24 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。 17:25 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。 17:26 神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。 17:27 これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。 17:28 皆さんのうちのある詩人たちも、/『我らは神の中に生き、動き、存在する』/『我らもその子孫である』と、/言っているとおりです。 17:29 わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。 17:30 さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。 17:31 それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」 17:32 死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。 17:33 それで、パウロはその場を立ち去った。 17:34 しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。

 

◎今日の一言

パウロがアテネのアレオパゴス評議所で『知られざる神に』ついて語った言葉は有名である。しかしキリストの福音は深く理解されなかった。贖罪の十字架と復活の意味を理解できなかったのである。贖罪の信仰に立たなければ赦されて生かされる確かな確証を得ることはできない。歴史的客観的な十字架の出来事が福音的贖罪信仰に至るには虚無と戦う自己との格闘を経なければならない。人はこの虚無と戦う経験を経て十字架の意味を悟る。この経験を経なければ救い主・キリストを見ることができない。福音とは実に不思議な魂の驚きを体験させるものである。パウロはこの体験を『目からうろこが落ちる』と表現した。

 

☆通読聖書 : 使徒言行録5章1-16節 

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年6月1日(火) 

 

◎今日の聖句

  イザヤ書43章8-13節

 

◆イスラエルの贖い

43:8 引き出せ、目があっても、見えぬ民を/耳があっても、聞こえぬ民を。 43:9 国々を一堂に集わせ、すべての民を集めよ。彼らの中に、このことを告げ/初めからのことを聞かせる者があろうか。自分たちの証人を立て、正しさを示し/聞く者に、そのとおりだ、と/言わせうる者があろうか。 43:10 わたしの証人はあなたたち/わたしが選んだわたしの僕だ、と主は言われる。あなたたちはわたしを知り、信じ/理解するであろう/わたしこそ主、わたしの前に神は造られず/わたしの後にも存在しないことを。 43:11 わたし、わたしが主である。わたしのほかに救い主はない。 43:12 わたしはあらかじめ告げ、そして救いを与え/あなたたちに、ほかに神はないことを知らせた。あなたたちがわたしの証人である、と/主は言われる。わたしは神 43:13 今より後も、わたしこそ主。わたしの手から救い出せる者はない。わたしが事を起こせば、誰が元に戻しえようか。

 

◎今日の一言

預言者イザヤはイスラエルの神ヤハウエは『わたし、わたしが主である。わたしのほかに救い主はない。』と言われると断言する。キリスト者は唯一全能者にして三位一体の神を同じように信じているが、しかし残念なことの更にその神について深く明確に学び取ろうとはしない。もしキリスト者がその信仰と共にさらに深く明確に神を学びとるならばもっと大きな力を発揮することができるのだが残念である。ヒッタイト文明以来のトルコの歴史を学び直すだけでも、カッパドキアの大バシレウスの神学的働きが今日に至るまでどれほど大きな歴史的影響を与えて来たかが理解されるのだが・・・。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録4章32-37節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2021年5月31日(月)

 

◎今日の聖句

  出エジプト書3章13-20節

 

3:13 モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」 3:14 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」 3:15 神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名/これこそ、世々にわたしの呼び名。 3:16 さあ、行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい。『あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主がわたしに現れて、こう言われた。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちがエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。 3:17 あなたたちを苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ導き上ろうと決心した』と。 3:18 彼らはあなたの言葉に従うであろう。あなたはイスラエルの長老たちを伴い、エジプト王のもとに行って彼に言いなさい。『ヘブライ人の神、主がわたしたちに出現されました。どうか、今、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。』 3:19 しかしわたしは、強い手を用いなければ、エジプト王が行かせないことを知っている。 3:20 わたしは自ら手を下しあらゆる驚くべき業をエジプトの中で行い、これを打つ。その後初めて、王はあなたたちを去らせるであろう。

 

◎今日の一言

天皇家が所有する三種の神器の一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」には『わたしはある』とのモーセの言葉が記されている。戦前青山学院で旧約学の教鞭をとっていた左近義弼(よしすけ・1865~1944)は宮内省の依頼を受けてヘブル語のハーヤーを解説したと言われる。「わたしはある」との旧約の神が三種の神器と共に天皇家に継承されて神道信仰の形と伝統を守っていると解される。出エジプトに先立ち歴史の神がモーセに語られた意義は大きい。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録4章23-31節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2021年5月30日(日) 

 

◎今日の聖句

 イザヤ書6章9-13節

 

6:9 主は言われた。「行け、この民に言うがよい/よく聞け、しかし理解するな/よく見よ、しかし悟るな、と。 6:10 この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために。」 6:11 わたしは言った。「主よ、いつまででしょうか。」主は答えられた。「町々が崩れ去って、住む者もなく/家々には人影もなく/大地が荒廃して崩れ去るときまで。」 6:12 主は人を遠くへ移される。国の中央にすら見捨てられたところが多くなる。 6:13 なお、そこに十分の一が残るが/それも焼き尽くされる。切り倒されたテレビンの木、樫の木のように。しかし、それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。

 

◎今日の一言

イザヤに語った神の言葉は一貫矛盾しているようだがしかし真実である。神が期待されるのは聖なる切り株、すなわちひこばえである。そのひこばえが成長する時、神の正義と平安がもたらされると言う。神の義は裁きの中にこそ現れるのである。

 

 

☆通読聖書 : ローマ書11章33-36節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月29日(土) 

 

◎今日の聖句

 使徒言行録18章1-11節

 

◆コリントで

18:1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。 18:2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、 18:3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。 18:4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。 18:5 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。 18:6 しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」 18:7 パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。18:8 会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。 18:9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。 18:10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」 18:11 パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。

 

◎今日の一言

パウロはアジアから海を渡りアテネ、コリントへと向かった。時はクラウディウス帝の時代であったと言う。彼は水道を完成させAD54年に没している。イエスの死後すでに20年余経過しているがキリスト者の数が増えていたことを思わせる。パウロは不安ではあったが『恐れるな。語り続けよ。この町には、わたしの民が大勢いる』との声を聞いたと言う。古代遺跡の多いトルコ・ギリシャにはローマ帝国と原始キリスト教時代からの発展の足跡が見える。福音が大きく働いたことが解る。世界は今のように海外交流が盛んであった。早くコロナが収束することを共に祈りたい。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録4章13-22節

LOSUNGEN『日々の聖句』

     2021年5月28日(金)   

 

◎今日の聖句

 ガラテヤ書3章1-5節

 

◆律法によるか、信仰によるか

3:1 ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。 3:2 あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが“霊”を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。 3:3 あなたがたは、それほど物分かりが悪く、“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか。 3:4 あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか。無駄であったはずはないでしょうに。 3:5 あなたがたに“霊”を授け、また、あなたがたの間で奇跡を行われる方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさるのでしょうか。それとも、あなたがたが福音を聞いて信じたからですか。

 

◎今日の一言

キリスト者は皆福音を聞いて受け入れ、イエスによる十字架のしるしを追体験して信仰者となるのです。自らの力で神の戒めを実践して信仰者となったのではありません。人は行いによってはだれ一人義とされる者はいないのです。それゆえに信仰によって生きるのです。行いによる傲慢さは偽善を生み破滅に至ります。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録4章1-12節

LOSUNGEN『日々の聖句』

    2021年5月27日(木)  

 

◎今日の聖句

 Ⅱコリント書3章2-9節

 

3:2 わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。 3:3 あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。 3:4 わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。 3:5 もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。 3:6 神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。 3:7 ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、 3:8 霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。 3:9 人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。

 

◎今日の一言

洗礼を受け、信仰告白を共にするキリスト者はその心に神による推薦を受けた者との自覚を持っています。パウロが言う通り一人で何かをできるというものではありませんが、その資格を神からいただいているとの思いを持ち続けて努力します。その目的は神の聖霊による義に至る栄光です。世の悪が増す時、一人キリスト者の生き方は小さな光を灯す働きをします。文字によって強制されるのではなく、聖霊によって励まされるのです。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録3章17-26節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月26日(水) 

 

◎今日の聖句

 エフェソ書1章11-14節

 

1:11 キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。 1:12 それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。 1:13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。 1:14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

 

◎今日の一言

キリスト教信仰はイエス・キリストの働きを通じて自分で知り、自分の目で確かめ、実践を通して体験する教えです。歴史の浅い日本の教会では十分に知ることができませんが、ただ神を信じるだけではキツネや狛犬でいいのです。教会史を学んで初めて納得させられるのです。これは間違いなく生きる力となります。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録3章11-16節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月25日(火)  

 

◎今日の聖句

Ⅰコリント書14章1-5節

 

◆異言と預言

14:1 愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。 14:2 異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。 14:3 しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。 14:4 異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。 14:5 あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。

 

◎今日の一言

パウロは預言と異言の違いを教える。預言は字の通り神からの言葉を預かって人に語ることである。今日においては福音的説教である。異言は神に向かって語る熱狂的叫びである。これは各人の霊的熱心さによるもので第三者には分からない。私にも異言は理解しがたい。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録3章1-10節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月24(月) 

 

◎今日の聖句

  Ⅰコリント書12章4-11節

 

12:4 賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。 12:5 務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。 12:6 働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。 12:7 一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。 12:8 ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、 12:9 ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、 12:10 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。 12:11 これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。

 

◎今日の一言

ドイツ語で職業をBerufと言う。ベルーフのもう一つの意味は召命である。すなわち神の呼びかけに応じて働くこと。Berufは聖書の言葉である。神は各人に応じた職業を提示される。それに応えて職業選択を行うことがキリスト者の職業となる。職業は金儲けのためだけでなく神のための働きである。それ故に神はすべての職業を義とされる。

 

☆通読聖書 : 使徒言行録2章42-47節

 

 

LOSUNGEN『日々の聖句』

2021年5月23(日)

 

◎今日の聖句

 創世記11章1-9節

 

◆バベルの塔

11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。 11:2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。 11:3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。 11:4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。 11:5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、 11:6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。 11:7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」 11:8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。 11:9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

 

◎今日の一言

聖霊降臨(ペンテコステ)と好対照をなす物語が創世記のバベルの塔崩壊物語である。神は人間の悪を中止させるために原語錯乱による手段をとったと言う。その結果天に届く塔は途中で中止された。お互いの心が通わなくなったので物事を遂行する信頼の手段が無くなったので事業は中止された。しかし共通の原語による新しい働きが新約聖書に展開される。諸国民の言葉が理解できて信頼と平和が戻ったのである。教会はこの事実を伝える。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録2章37-41節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月22(土)

 

◎今日の聖句

 ヨハネ福音書16章5-15節

 

16:5 今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。 16:6 むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。 16:7 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。 16:8 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。 16:9 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、 16:10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、 16:11 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。 6:12 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 16:13 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。 16:14 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 16:15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

 

◎今日の一言

イエスは昇天後真理の霊すなわち弁護者(パラクレイトス)を送ると約束された。ヨハネは明確に「その方が来れば」と言う。キリスト教信仰の三一論、第三位格としての聖霊なる神は人格を持った神として語られる。聖霊は幽霊のような曖昧模糊とした存在ではなく、弁護者としての神である。真理の霊は全能者なる父なる神と子なるイエス・キリストから送られた神である。三位一体の神を告白することは聖書信仰の独自性である。聖霊は目には見えないが確実に働いておられる神である。聖霊の働きを知るがゆえにキリスト者はどんな時にも落胆しない。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録2章29-36節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月21(金)   

 

◎今日の聖句

 エフェソ書1章15-23節

 

◆パウロの祈り

1:15 こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、 1:16 祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。 1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、 1:18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。 1:19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。 1:20 神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、 1:21 すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。 1:22 神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。 1:23 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。

 

◎今日の一言

使徒パウロはエフェソの教会の人々の為にどのように祈っているかを語る。そして最後に『教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。』と教える。信仰者は共にこの祈りにアーメンと唱える。三位一体の神が働かれるところには常に希望がある。この信仰を基礎に生きる者にもその使命と将来の祝福が示される。常に神の国の栄光のために働く者にこそ最高の喜びが約束される。神への祈りを欠かしてはならない。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録2章22-28節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月20(木) 

 

◎今日の聖句

 使徒言行録115-23節

 

1:15 そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。 1:16 「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。 1:17 ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。 1:18 ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。 1:19 このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになりました。 1:20 詩編にはこう書いてあります。『その住まいは荒れ果てよ、/そこに住む者はいなくなれ。』/また、/『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。』 1:21 -22そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」 1:23 そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて祈った。

 

◎今日の一言

イエスの昇天後イエスの弟子達はエルサレムの二階家に集まっていた。そこは大広間になっているが聖霊降臨が起きた場所でもある。イエスを裏切ったイスカリオテのユダが死んだあと、もう一人の弟子を立てた場所でもある。ユダの結末が赤裸々に述べられている。平然と裏切る者も多いが、罪を悔いてより良き業に励むことが最も期待されるところである。罪の終極は死であると語られる通りである。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録2章14-21節

LOSUNGEN『日々の聖句』

   2021年5月19(水)  

 

◎今日の聖句

 イザヤ書32章1118

 

32:11 憂いなき女たちはおののく/安んじている女たちは慌てふためく。衣を脱ぎ、裸になって/腰に粗布をまとえ。 32:12 ぶどう畑のために、胸を打って嘆け/美しい畑、実り豊かであったぶどうの木のために 32:13 茨といらくさに覆われたわが民の畑のために/喜びの家、陽気な町のために。 32:14 宮殿は捨てられ、町のにぎわいはうせ/見張りの塔のある砦の丘は/とこしえに裸の山となり/野ろばが喜び/家畜の群れが草をはむ所となる。

 ◆神の霊の働き

 32:15 ついに、我々の上に/霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり/園は森と見なされる。 32:16 そのとき、荒れ野に公平が宿り/園に正義が住まう。 32:17 正義が造り出すものは平和であり/正義が生み出すものは/とこしえに安らかな信頼である。 32:18 わが民は平和の住みか、安らかな宿/憂いなき休息の場所に住まう。

 

◎今日の一言

BC8世紀北王国イスラエルで活躍した預言者イザヤは破局に向かうイスラエルの民に新しい平和の到来を予告する。それは神の霊によってもたらされると言う。神の正義が行われるところには今もこの約束が実現する。正義が平和を生み裸にされた町を休息の森に作り変えられると言う。正義が信頼を生み、信頼が平和な社会を創る。正義は神を畏れる思いから生まれるのである。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録2章1-13節

LOSUNGEN『日々の聖句』

2021年5月18(火)

 

◎今日の聖句

  Ⅰヨハネ書4章1-6節

 

◆偽りの霊と真実の霊

4:1 愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。 4:2 イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。 4:3 イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、今や既に世に来ています。 4:4 子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。 4:5 偽預言者たちは世に属しており、そのため、世のことを話し、世は彼らに耳を傾けます。 4:6 わたしたちは神に属する者です。神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。これによって、真理の霊と人を惑わす霊とを見分けることができます。

 

◎今日の一言

フェイクニュースが横行する不幸な時代ですが、事柄の本質を問いつつ事実と真実を見極めることはきわめて大切なことです。キリスト者はその真偽を神からのものか人からのものかで判断します。混乱した時代にはますます聖書的真理がその真価を発揮します。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録1章15-25節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月17日(月)

 

◎今日の聖句

   エゼキエル書111420

 

11:14 主の言葉がわたしに臨んだ。 11:15 「人の子よ、エルサレムの住民は、あなたの兄弟たち、すなわちあなたの親族である兄弟たち、およびイスラエルの家のすべての者に対して言っている。『主から遠く離れておれ。この土地は我々の所有地として与えられている。』 11:16 それゆえ、あなたは言わねばならない。主なる神はこう言われる。『確かに、わたしは彼らを遠くの国々に追いやり、諸国に散らした。しかしわたしは、彼らが行った国々において、彼らのためにささやかな聖所となった。』 11:17 それゆえ、あなたは言わねばならない。主なる神はこう言われる。『わたしはお前たちを諸国の民の間から集め、散らされていた諸国から呼び集め、イスラエルの土地を与える。 11:18 彼らは帰って来て、あらゆる憎むべきものと、あらゆる忌まわしいものをその地から取り除く。 11:19 わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き、肉の心を与える。11:20 彼らがわたしの掟に従って歩み、わたしの法を守り行うためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。

 

◎今日の一言

バビロン捕囚の民に希望を与え新しい生き方を示した預言者エゼキエルの働きはイエスの時代はもとより今日の世界にとっても最も重要なメッセージを示す。それは『わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き、肉の心を与える。彼らがわたしの掟に従って歩み、わたしの法を守り行うためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。』と言う。今は聖霊降臨(ペンテコステ)の時である。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録1章1-14節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月16日(日)  

 

◎今日の聖句

ヨハネ福音書16章5-15節

 

16:5 今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。 16:6 むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。 16:7 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。 16:8 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。 16:9 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、 16:10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、 16:11 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。16:12 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。16:13 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。 16:14 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 16:15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

 

◎今日の一言

聖霊はこの世のすべてを明らかにする神の働きである。聖霊は昇天者キリストから遣わされた弁護者でもある。この方によって罪と義と裁きが明らかにされる。聖霊によってはじめて正義と真理が確定される。その真理が確定されない世界は闇であり破滅である。キリストの昇天と共に聖霊降臨がなされ、光が勝利する喜びの世界がもたらされる。東方教会は西方教会にも増してその信仰を篤くする。

 

 

☆通読聖書 : エフェソ書3章14-21節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月15日(土) 

 

◎今日の聖句

  ヨハネ黙示録4章1-11節

 

◆天上の礼拝

4:1 その後、わたしが見ていると、見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパが響くようにわたしに語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。」 4:2 わたしは、たちまち“霊”に満たされた。すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。 4:3 その方は、碧玉や赤めのうのようであり、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。 4:4 また、玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。 4:5 玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。これは神の七つの霊である。 4:6 また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。 4:7 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。 4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」 4:9 玉座に座っておられ、世々限りなく生きておられる方に、これらの生き物が、栄光と誉れをたたえて感謝をささげると、 4:10 二十四人の長老は、玉座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言った。 4:11 「主よ、わたしたちの神よ、/あなたこそ、/栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、/御心によって万物は存在し、/また創造されたからです。」

 

◎今日の一言

キリスト者の確信は困難な時にその本質を知らされて勇気と力を得る。黙示録が語る通り天井への希望と確信を得ているからである。天の玉座とその周りに四つの生き物がいて24人の長老がその周りに座っていたと言う。四つの生き物はマルコ(ライオン)ルカ(牛)マタイ(人間)ヨハネ(鷲)の四福音書記者であり、24人の長老は旧約の指導者と新約の12使徒である。すべての人々は聖書に記されている通り忠実な神の僕として信仰に生きた人々である。キリスト者はこのような人々と信仰の歩みを同じくしているのであって大いに勇気付けられる存在である。それゆえに常に天を見上げて力強く生きる事が求められている。

 

 

☆通読聖書 : 箴言31章19

LOSUNGEN『日々の聖句』

     2021年5月14日(金)   

 

◎今日の聖句

ヨハネ福音書18章33-38節

 

18:33 そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。 18:34 イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」 18:35 ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」 18:36 イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」 18:37 そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」 18:38 ピラトは言った。「真理とは何か。」

 

◎今日の一言

ピラトが吐いた「真理とは何か」との問いは聖書に聞く耳を持たなければ答えを得ることができない。イエス・キリストの十字架を通して真理が発見される。アインシュタインもまたキリスト者としてこの真理を理解していた。それ故に原爆投下後の晩年の彼の人生は懺悔と贖罪の日々であった。

 

 

☆通読聖書 : 箴言30章1-19節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2021年5月13日(木)

 

◎今日の聖句

 エフェソ書11523

 

◆パウロの祈り

1:15 こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、 1:16 祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。 1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、 1:18 心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。 1:19 また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。 1:20 神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、 1:21 すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。 1:22 神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。 1:23 教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。

 

◎今日の一言

使徒パウロが受けた福音のすべてが凝縮されている言葉です。どこにおいてもこの教えに基づいて教会がある所には希望と喜びが約束され、神の大きな祝福が証しされています。聖書的信仰を持つことは常に開かれた世界に生きる事なのです。健全な教会の無い所に世界の平和は見出すことはできないでしょう。

 

 

☆通読聖書 : 詩編47編

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月12日(水) 

 

◎今日の聖句

 マルコ福音書91429

 

◆汚れた霊に取りつかれた子をいやす

9:14 一同がほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた。 9:15 群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。 9:16 イエスが、「何を議論しているのか」とお尋ねになると、 9:17 群衆の中のある者が答えた。「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。 9:18 霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。」 9:19 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」 9:20 人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。 9:21 イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか」とお尋ねになった。父親は言った。「幼い時からです。 9:22 霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」 9:23 イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」 9:24 その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」 9:25 イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった。「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」 9:26 すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。その子は死んだようになったので、多くの者が、「死んでしまった」と言った。 9:27 しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。 9:28 イエスが家の中に入られると、弟子たちはひそかに、「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねた。 9:29 イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた。

 

◎今日の一言

これは単なる加持祈祷の成果を表すものではない。イエスの癒しは神のメシアに依るものである。癒しは神の業であって魂の在り処の問題である。精神異常をきたす心の問題でもある。今日医学的には様々な処方箋が用いられるがその根本には神に愛されてこの世に誕生した人間の生命の在り方を理解しなければならない。イエスはその根本原因を祈りの欠如と指摘する。アウグスチヌスが言う通り『わが魂は神の内において平安を得る』のである。

 

 

☆通読聖書 : 箴言29章1-18節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月11日(火)

 

◎今日の聖句

 ルカ福音書1818

 

◆「やもめと裁判官」のたとえ

18:1 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。 18:2 「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。18:3 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。 18:4 裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。 18:5 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」 18:6 それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。 18:7 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。 18:8 言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

 

◎今日の一言

祈りはキリスト者にとって生きる武器である。祈りを失った時キリスト者は自滅する。同時に祈りなき人生は虚飾であり味気ない。真剣に生きる人は必ず祈りの武具を身に帯びている。イエスはその深い意味を弟子達に教えている。熱心な祈りを神はお見捨てにならない。

 

☆通読聖書 : 箴言28章12-28節 

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月10日(月)  

 

◎今日の聖句

  マルコ福音書13239

 

1:32 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。 1:33 町中の人が、戸口に集まった。 1:34 イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

◆巡回して宣教する

1:35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。 1:36 シモンとその仲間はイエスの後を追い、 1:37 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。 1:38 イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」 1:39 そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

 

◎今日の一言

福音書に描かれたイエスの癒しは安息日の翌日、すなわち日没から始められた。民衆も律法順守である。イエスの活動の原動力は祈りの時間を確保する事であった。祈り、すなわち神との対話は私達の活動の意義と価値、方向性を明確にする知恵獲得の手段である。大きな活動を担う時ほど長時間に亘る深い祈りが求められる。

 

 

☆通読聖書 : 箴言27章1-7節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2021年5月9日(日) 

 

◎今日の聖句

  ルカ福音書11章1-13節

 

◆祈るときには

11:1 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。11:2 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。 11:3 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。 11:4 わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」 11:5 また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。 11:6 旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』 11:7 すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』 11:8 しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。 11:9 そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 11:10 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 11:11 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。 11:12 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。 11:13 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

 

◎今日の一言

イエスは熱心に祈ることを教えた。キリスト者にとって祈りは聖なる呼吸である。キリスト者が祈らなければ霊的に窒息死してしまう。悔い改めの信仰も無意味なものとなる。しかし祈り続けるならばその願いは必ず聞かれる。祈りは単なる願いを超えて人生をリアルに生きる力となる。子供が魚を欲しがるのに蛇を与える親はいない。卵を欲しがるのにさそりを与える親はいない。天の父はその願いを聞き、実現に至らせる聖霊(神の力)を与えてくださる。当然のことだが、願わない所に事は起こらない。

 

 

☆通読聖書 : Ⅰテモテ書2章1-6節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2021年5月8日(土)

 

◎今日の聖句

   ヨハネ福音書6章60-69節

 

◆永遠の命の言葉

6:60 ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」 6:61 イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。 6:62 それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。 6:63 命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。 6:64 しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。 6:65 そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」 6:66 このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。 6:67 そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。 6:68 シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。 6:69 あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

 

◎今日の一言

イエスのゴルゴダの死以前の弟子達はメシアとしてのキリストを中途半端にしか知らなかった。しかし復活のキリストに出会った弟子達は徹底的にそのメシアであることを体験した。真のキリストを知る事は霊的体験を得なければならない。信仰者の心に受肉する為には神の働きかけがなければ得られない神秘的な体験でもある。生命の誕生は究極的には神の業である。

 

 

☆通読聖書 : 箴言26章1-17節

LOSUNGEN『日々の聖句』

   2021年5月7日(金)     

 

◎今日の聖句

 ヨハネ黙示録5章6-14節

 

5:6 わたしはまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。 5:7 小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。 5:8 巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、竪琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである。 5:9 そして、彼らは新しい歌をうたった。「あなたは、巻物を受け取り、/その封印を開くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、/あらゆる種族と言葉の違う民、/あらゆる民族と国民の中から、/御自分の血で、神のために人々を贖われ、 5:10 彼らをわたしたちの神に仕える王、/また、祭司となさったからです。彼らは地上を統治します。」 5:11 また、わたしは見た。そして、玉座と生き物と長老たちとの周りに、多くの天使の声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。 5:12 天使たちは大声でこう言った。「屠られた小羊は、/力、富、知恵、威力、/誉れ、栄光、そして賛美を/受けるにふさわしい方です。」 5:13 また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。「玉座に座っておられる方と小羊とに、/賛美、誉れ、栄光、そして権力が、/世々限りなくありますように。」 5:14 四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。

 

◎今日の一言

 

ヨハネ黙示録は常に誤解されてその一部だけが終末的に引用され奇妙な宗教現象として紹介されている。しかし著者はそのような意図をもって記したのではない。迫害下にあるキリスト者に勝利の福音を証しする目的で書かれたものである。その主軸は復活者キリストである。「屠られた小羊は、 力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。玉座に座っておられる方と小羊とに、 賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように。」と讃美告白する言葉に掛っている。四福音書がこぞって伝えている内容である。それ故にキリスト者はアーメン(げに然り)と言う。

 

 

☆通読聖書 : 箴言25章11-28節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月6日(木)

 

◎今日の聖句

Ⅰコリント書14章6-9、15-19節

 

14:6 だから兄弟たち、わたしがあなたがたのところに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、あなたがたに何の役に立つでしょう。 14:7 笛であれ竪琴であれ、命のない楽器も、もしその音に変化がなければ、何を吹き、何を弾いているのか、どうして分かるでしょう。 14:8 ラッパがはっきりした音を出さなければ、だれが戦いの準備をしますか。 14:9 同じように、あなたがたも異言で語って、明確な言葉を口にしなければ、何を話しているか、どうして分かってもらえましょう。空に向かって語ることになるからです。

14:15 では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。 14:16 さもなければ、仮にあなたが霊で賛美の祈りを唱えても、教会に来て間もない人は、どうしてあなたの感謝に「アーメン」と言えるでしょうか。あなたが何を言っているのか、彼には分からないからです。 14:17 あなたが感謝するのは結構ですが、そのことで他の人が造り上げられるわけではありません。 14:18 わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。 14:19 しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。

 

◎今日の一言

パウロは信仰者の個人的な神関係を異言で語っても一般人には理解されないと言う。異言を語るよりも理性によって五つの言葉を語ると教える。キリスト者は常に理性によって『イエス・キリストは神の子・救い主」と語り証しすることが求められる。その為には生きた信仰生活を継続しなければならない。見せかけの信仰は自分と周囲の人々を傷付けることとなる。

 

 

☆通読聖書 : ダニエル書12章1-13節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5(水)   

 

◎今日の聖句

   ローマ書15章14-21節

 

◆宣教者パウロの使命

15:14 兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。 15:15 記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました。それは、わたしが神から恵みをいただいて、 15:16 異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません。 15:17 そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。 15:18 キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、わたしの言葉と行いを通して、15:19 また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。こうしてわたしは、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました。5:20 このようにキリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。15:21 「彼のことを告げられていなかった人々が見、/聞かなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりです。

 

◎今日の一言

使徒パウロは異邦人への宣教活動に従事することを神の使命と自覚し、福音の世界宣教への最初の働き人となった。パウロの働きにより今日私達のもとにも福音が届けられたのである。キリスト教の世界大の働きが深く理解されることとなった。キリストの福音の無い所では依然として悪しき相対主義が横行している。その本質は虚無主義である。福音は人を善なるものに導く人間復活の原動力である。

 

 

☆通読聖書 : ダニエル書10章1-21節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月4日(火)  

 

◎今日の聖句

 サムエル記上16章14-23節

 

◆ダビデ、サウルに仕える

16:14 主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。16:15 サウルの家臣はサウルに勧めた。「あなたをさいなむのは神からの悪霊でしょう。16:16 王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう。」 16:17 サウルは家臣に命じた。「わたしのために竪琴の名手を見つけ出して、連れて来なさい。」 16:18 従者の一人が答えた。「わたしが会ったベツレヘムの人エッサイの息子は竪琴を巧みに奏でるうえに、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、言葉に分別があって外見も良く、まさに主が共におられる人です。」 16:19 サウルは、エッサイに使者を立てて言った。「あなたの息子で、羊の番をするダビデを、わたしのもとによこしなさい。」 16:20 エッサイは、パンを積んだろばとぶどう酒の入った革袋と子山羊一匹を用意し、息子ダビデに持たせてサウルに送った。 16:21 ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた。 16:22 サウルはエッサイに言い送った。「ダビデをわたしに仕えさせるように。彼は、わたしの心に適った。」 16:23 神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。

 

◎今日の一言

サウル王の心を和ませるために竪琴の名手ダビデが指名された。その後ダビデの名声に嫉妬するサウルであるが、この時ダビデの演奏を聞くと不安が解消され気分が良くなったと言う。詩編多くがダビデによるものであることがうなずける。

 

 

☆通読聖書 : ダニエル書9章20-27節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月3日(月) 

 

◎今日の聖句

 出エジプト記15章19-21節

 

15:19 ファラオの馬が、戦車、騎兵もろとも海に入ったとき、主は海の水を彼らの上に返された。しかし、イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだ。 15:20 アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。 15:21 ミリアムは彼らの音頭を取って歌った。主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた。

 

◎今日の一言

BC14世紀中頃、ユダヤ人はⅡラメセス世の配下を脱出してアブラハム、イサク、ヤコブの族長たちの住んだ約束の地カナンを目指した。出エジプト決行はスエズの葦の海を渡渉したが、これは神の業・奇跡の喜びであった。

 

 

☆通読聖書 : ダニエル書9章1-19節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年5月2日(日) 

 

◎今日の聖句

 ルカ福音書193740

 

19:37 イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。 19:38 「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところには栄光。」 19:39 すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。 19:40 イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」

 

◎今日の一言

福音の雄叫びは必ず世界を変える。聖書に根差した行動は神と正義の証しである。他の如何なるイデオロギーも宗教も政治哲学も百年続く栄光の力にはなりえなかった。しかし福音的信仰は世界を支える底力を発揮している。福音的希望を侮ったり捨ててはならない。必ず石が叫びだす。

 

☆通読聖書 : コロサイ書3章12-17節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2021年5月1日(土) 

 

◎今日の聖句

 創世記2章1-3節

 

2:1 天地万物は完成された。2:2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。 2:3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。

 

◎今日の一言

天地創造の第7日目はすべての被造物が完成した神の安息日である。この世は一瞬にして出来たのではなく、7日間かかって完成したと語る。「7」は神を表す。聖書はすべてのものが神によって創造されたことを教えるために「7」を用いているのである。この世は偶然できたものではなく、神が創造されたものであることを明言しているのである。

 

 

☆通読聖書 : ダニエル書8章1-27節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月30日(金) 

 

◎今日の聖句

 創世記1章24-31節

 

1:24 神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。 1:25 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。 1:26 神は言われた。我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」 1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。 1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」 1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。 1:30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。 1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

 

◎今日の一言

 

聖書は神ご自身を『われわれ』と複数形で語る。これはかつて天皇が自身を朕(チン)と言った言葉と同様で天皇以外は使わない。神は常に複数形で語られる独特の表現である。人間は自身を「わたし」と単数形で語る。複数の時は「われわれ」と言うが意味が全く異なる。人間は常に被造物であり地上の生物を管理する特権が与えられている。しかしすべて人間を支配することは許されない。支配されるのは創造者である神お一人である。同時に人間は人々を支配することは赦されない。

 

 

☆通読聖書 : ダニエル書7章16-28節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月29日(木) 

 

◎今日の聖句

    創世記1章20ー23節

 

1:20 神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」 1:21 神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。 1:22 神はそれらのものを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」 1:23 夕べがあり、朝があった。第五の日である。

 

◎今日の一言

 中東の一日の始まりは日没である。ラマダンがそれを証ししている。創世記の記述も『夕べがあり朝があった』と記す。ある牧師は「朝が来て夜となった」と自己解釈している。それならばイエスが安息日の夜になってなされた癒しの出来事は理解できない。日本人は人目を避けて生きる事が好きだが、イエスが行われたのは夜になって、すなわち新しい日の始まりに堂々と神の業をなさったのである。第五日目に神は全被造物を祝福なさった。有り難い恵みの御業である。

  

☆通読聖書 : ダニエル書7章1-15節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月28日(水) 

 

◎今日の聖句

 創世記1章14-19節

 

1:14 神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。 1:15 天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。 1:16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。 1:17 神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、 1:18 昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。 1:19 夕べがあり、朝があった。第四の日である。

 

◎今日の一言

創造の第四日、太陽と月と星を創造された。昼も夜も光も闇も神の創造の産物であると教える。その創造されたものはすべて秩序と調和がとれていて良かったと言う。大事な視点である。

 

 

☆通読聖書 : ダニエル書6章1-29節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月27日(火) 

 

◎今日の聖句

   創世記1章9-13節

 

1:9 神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。 1:10 神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。 1:11 神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。 1:12 地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。 1:13 夕べがあり、朝があった。第三の日である。

 

◎今日の一言

ガーデニングをして初めて教えられることだが、種の芽吹きや草木の成長をもたらす木の命は創造の初めより止むことなく行われる神の不思議である。それらは光と水と温度と大地・肥料によって発芽し成長する。しかしすべての生命は創造の初めから神の所作によって惹き起こされる現象なのである。すべての生命の誕生は神の働きがなければ生成できないと言うべきであろう。

 

 

☆通読聖書 : ダニエル書5章1-30節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月26日 

 

◎今日の聖句

   創世記1章6-8節

 

1:6 神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」 1:7 神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。 1:8 神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。

 

◎今日の一言

創世記の天地創造物語である。創造者なる神を信じたユダヤ人の信仰告白でもある。始めに神は天と地を創造された。地はカオスであり闇であったと言う。神は闇に光を与え調和と秩序をもたらされた。地がカオスや闇のままであってはいけない。創造者の知恵に学ぶことが求められる。

 

 

☆通読聖書 : ダニエル書3章1-30節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月25日(日) 

 

◎今日の聖句

   ヨハネ福音書15章1-8節

 

◆イエスはまことのぶどうの木

15:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 15:2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 15:3 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 15:6 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 15:7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 15:8 あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。

 

◎今日の一言

イエスは『わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。』と言われる。しかし多くの人はイエスに頼らなくても自分でできると言う。その結論は人生の結末を見ればすぐに理解できる。人は魂の悶えの中で破局の死を迎えるが、イエスと共なる人生は平安と喜びである。イエスを知ることの意味は人生のすべてに拘わっている。魂の尊厳はイエスと共にあってこそ保たれるのである。やがて消滅する人生であってはならない。

 

 

☆通読聖書 : 使徒言行録17章22-34節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月24日(土) 

 

◎今日の聖句

   ヨハネ福音書14章1-6節

 

◆イエスは父に至る道

14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 14:4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」 14:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

 

◎今日の一言

キリスト者は楽天家でもある。生前イエスは弟子達に『あなたがたのために天の場所を用意しに行く』と約束された。信仰者は既にイエスが私達のために天上の場所を確保されたことを知っている。イエスによって天国への道が開かれたことを信じている。それゆえに地上の事も天上の事もすべてをイエスに託して自由に生きる。

 

 

☆通読聖書 : ダニエル書2章24-49節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月23日(金) 

 

◎今日の聖句

 マタイ福音書26章30-35節

 

26:30 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

 ◆ペトロの離反を予告する

26:31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』/と書いてあるからだ。 26:32 しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」 26:33 するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った。 26:34 イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」 26:35 ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。

 

◎今日の一言

イエスの受難を前にするとき、弟子達の言葉による約束は何と空しいものであるか。人は言行不一致のままで生き続けることはできない。言行一致の人間になるためには主にある愛と赦しの言葉がなければならない。一度嘘をつくと最後まで嘘をつき続けねばならない。その結果人生の幸せを台無しにしてしまう。人の幸せは日々誠実に生きる事によって獲得される。

 

 

☆通読聖書 : ダニエル書2章1-23節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月22日(木) 

 

◎今日の聖句

   エフェソ書4章8-16節

 

4:9 「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。 4:10 この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。 4:11 そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。 4:12 こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、 4:13 ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。 4:14 こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、 4:15 むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。 4:16 キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。

 

◎今日の一言

聖学院は元々『聖学の院』を意図した。聖学とは儒教における最も高貴な学問であって聖人となることを目指す学問である。キリスト教的には『聖なる学院』との意味であると言われるが、角次郎先生は漢文の素養がある明治期の人である。進んで聖人となるための学校教育を目指したが、その分野はキリスト教教育が根幹をなす。その意図するところは『愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長する』ことにある。

 

 

☆通読聖書 : ダニエル書1章1-21節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月21日(水) 

 

◎今日の聖句

   ヨハネ福音書17章20-26節

 

17:20 また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。 17:21 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。 17:22 あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 17:23 わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。17:24 父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。 17:25 正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。17:26 わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」

 

◎今日の一言

イエスが神のメシアとして世に来られたのは地上の人々が神の愛を知る為であると語る。イエスの生涯は何を語るのか。それは創造者は愛をもって人々を生かすお方なのであると教えることなのである。ヨハネ福音書は明確にその意図と目的を証しする。イエスを知る事こそ神の愛を知る事なのである。

 

 

☆通読聖書 : コロサイ書4章7-18節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月20日(火) 

 

◎今日の聖句

  マタイ福音書9章35節-10章7節

 

◆群衆に同情する

9:35 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。 9:36 また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。 9:37 そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。 9:38 だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

 ◆十二人を選ぶ

10:1 イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。 10:2 十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、 10:3 フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、 10:4 熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。

 ◆十二人を派遣する

10:5 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。 10:6 むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。 10:7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。

 

◎今日の一言

福音は病をいやし奇跡をもたらすものと考えられるが、聖書はすべての原因は人間の罪によって苦難が生じると語る。その根本は神関係の喪失にある。全能者との信頼関係にある時、人は何物をも恐れることはない。伝道者の務めは単に慈善活動を行うだけではなく、福音による神関係の回復を教示することにある。この働きには大きな祝福が約束される。イエスは宣教活動に際して『収穫は多いが、働き手が少ない。』と言われた。神の福音が宣べ伝えられるところに大きな喜びと希望の道が開かれる。私は50年を経てその召命に与っていることに日々感謝している。

 

☆通読聖書 : コロサイ書4章2-6節 

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月19日(月) 

 

◎今日の聖句

ヨハネ福音書10章1-10節

 

◆「羊の囲い」のたとえ

10:1 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。 10:2 門から入る者が羊飼いである。 10:3 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。 10:4 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。 10:5 しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」 10:6 イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。

 ◆イエスは良い羊飼い

10:7 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。 10:8 わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。 10:9 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。 10:10 盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。

 

◎今日の一言

イスラエルの田園地帯に行くとまだ学校にも上がらない子供が数頭の羊を外に連れ出している場面によく出会う。100頭を超える羊を移動させている牧童は時に一人でその責任を担っていることがある。よく見ると必ず数匹の牧導犬が羊と一緒に移動し、群れを外れた羊を群れに戻している。イエスは少年の頃より羊を世話する日常を送っていたに違いない。それ故に『羊はその声を知っているので、ついて行く』と語る。更に『わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。』と語られている。その指導に間違いはない。

 

 

☆通読聖書 : コロサイ書3章18-4章1節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月18日(日) 

 

◎今日の聖句

   ヨハネ福音書10章11-16節

 

10:11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 10:12 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。狼は羊を奪い、また追い散らす。 10:13 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。 10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 10:16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

 

◎今日の一言

『わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。』 中東文化圏では羊は家族の一員であり財産である。羊飼いが羊を知り羊が羊飼いを信頼する事は最も大切な牧羊成功の秘訣である。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。ヨハネ書はキリスト・イエスと信仰者の関係も同様であると教える。

 

 

☆通読聖書 : Ⅰペトロ書2章21-25節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月17日(土) 

 

◎今日の聖句

使徒言行録8章26-39節

 

◆フィリポとエチオピアの高官

8:26 さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。 8:27 フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、 8:28 帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。 8:29 すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。 8:30 フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。 8:31 宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。 8:32 彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、/口を開かない。 8:33 卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」 8:34 宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」 8:35 そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。 8:36 道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」 8:37 (†底本に節が欠落 異本訳)フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。 8:38 そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。 8:39 彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。 8:40 フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。

 

◎今日の一言

聖書は今も昔も誰かが手引きしてくれなければ正しく理解することはできません。それは福音を無視して自己の都合に従って曲解するからです。二千年の教会的伝統に従って学ばなければ宗教的文学的作品で終わってしまいます。やはり説教者は最低でも6年に亘る神学校での学びは不可欠でしょう。同時にこの神の書物は信仰をもって学ばなければ正しく理解することができません。それ故に正しい伝統的教義に法り福音的教会形成を行っている礼拝で説教を通して学ぶことが大事なのです。聖書は神の言葉であると称しつつ十字架と復活から離れて個人的宗教的心情を熱狂的に吐露する教派もありますが、私はそのタイプではありません。しかしキリストの復活体験を通して宣教活動に従事した弟子達の聖なる熱狂は今日求められる教会の姿勢です。

 

 

☆通読聖書 : コロサイ書3章12-17節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月16日(金) 

 

◎今日の聖句

  Ⅰペトロ書2章1-10節

 

◆生きた石、聖なる国民

2:1 だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、 2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。 2:3 あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。 2:4 この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。 2:5 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。 2:6 聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、/シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」 2:7 従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、/「家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった」のであり、 2:8 また、/「つまずきの石、/妨げの岩」なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。 2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。 2:10 あなたがたは、/「かつては神の民ではなかったが、/今は神の民であり、/憐れみを受けなかったが、/今は憐れみを受けている」のです。

 

◎今日の一言

聖書を通してイエスキリストによる贖いを体験した者は新しい神の民、神の家族と呼ばれる。キリスト者はどんな困難に出会っても聖書のみ言葉に励まされて強く生きることができる。この世が悪魔化しても神の聖霊が働くことを知っている。行き詰まった時にはキリストの十字架と復活の出来事を思い出そう。どんな時にもキリストの目が信仰者一人一人に向けられています。『「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、/シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」のであり、また、「つまずきの石、妨げの岩」なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。 あなたがたは、かつては神の民ではなかったが、今は神の民であり、憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けている」のです。』もともと私達は捨てられた石ころだったのです。

 

☆通読聖書 : コロサイ書3章5-11節

 

 

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月15日(木) 

 

◎今日の聖句

 ヨハネ福音書17919

 

17:9 彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。 17:10 わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。 17:11 わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。 17:12 わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました。わたしが保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅びませんでした。聖書が実現するためです。 17:13 しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。 17:14 わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。 17:15 わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。 17:16 わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。 17:17 真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。 17:18 わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。 17:19 彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。

 

◎今日の一言

キリストの執り成しの祈りが語られている。キリストはすべての信仰者が神を知り真理に生きる事、そして聖なる者となることを願っておられる。『真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。』 真理が確立される時人は如何なる苦難をも乗り切ることができる。真理なきところに希望は存在しない。真理による神の権威がない国家は動物的弱肉強食の世界を生きる事となる。共産主義はその最たるものである。 

 

 

☆通読聖書 : コロサイ書3章1-4節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月14日(水) 

 

◎今日の聖句

   イザヤ書66613

 

66:6 都から騒がしい声がする。神殿から声がする。敵に報いを返される主の声が聞こえる。 66:7 産みの苦しみが臨む前に彼女は子を産み/陣痛の起こる前に男の子を産み落とした。 66:8 誰がこのようなことを聞き/誰がこのようなことを見たであろうか。一つの国が一日で生まれ/一つの民が一度に生まれえようか。だが、シオンは/産みの苦しみが臨むやいなや、子らを産んだ。 66:9 わたしが、胎を開かせてなお/産ませずにおくことがあろうか、と主は言われる。子を産ませるわたしが/胎を閉ざすことがあろうかと/あなたの神は言われる。 66:10 エルサレムと共に喜び祝い/彼女のゆえに喜び躍れ/彼女を愛するすべての人よ。彼女と共に喜び楽しめ/彼女のために喪に服していたすべての人よ。 66:11 彼女の慰めの乳房から飲んで、飽き足り/豊かな乳房に養われ、喜びを得よ。 66:12 主はこう言われる。見よ、わたしは彼女に向けよう/平和を大河のように/国々の栄えを洪水の流れのように。あなたたちは乳房に養われ/抱いて運ばれ、膝の上であやされる。 66:13 母がその子を慰めるように/わたしはあなたたちを慰める。エルサレムであなたたちは慰めを受ける。

 

◎今日の一言

バビロン捕囚から帰還したユダヤ人は神殿修復に着手し国家再建の礎とした。第一イザヤの預言に従って200年後第二イザヤは復活する聖なるイスラエルを描いた。苦難を耐えて信仰を維持したユダヤ人は神の愛を讃え『母がその子を慰めるようにわたしはあなたたちを慰める。』との確信を得た。復活信仰を喜ぶキリスト者の先取りである。しかしキリスト教徒の燃える情熱は理解できても今はコロナ禍の渦中であることをわきまえて、集団で讃美することを控えなければならない。

 

 

☆通読聖書 : コロサイ書2章16-23節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月13日(火) 

 

◎今日の聖句

   ヨブ記42717

 

◆結び

42:7 主はこのようにヨブに語ってから、テマン人エリファズに仰せになった。「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。 42:8 しかし今、雄牛と雄羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。わたしはそれを受け入れる。お前たちはわたしの僕ヨブのようにわたしについて正しく語らなかったのだが、お前たちに罰を与えないことにしよう。」 42:9 テマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルは行って、主が言われたことを実行した。そして、主はヨブの祈りを受け入れられた。 42:10 ヨブが友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元の境遇に戻し、更に財産を二倍にされた。 42:11 兄弟姉妹、かつての知人たちがこぞって彼のもとを訪れ、食事を共にし、主が下されたすべての災いについていたわり慰め、それぞれ銀一ケシタと金の環一つを贈った。 42:12 主はその後のヨブを以前にも増して祝福された。ヨブは、羊一万四千匹、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。 42:13 彼はまた七人の息子と三人の娘をもうけ、 42:14 長女をエミマ、次女をケツィア、三女をケレン・プクと名付けた。 42:15 ヨブの娘たちのように美しい娘は国中どこにもいなかった。彼女らもその兄弟と共に父の財産の分け前を受けた。 42:16 ヨブはその後百四十年生き、子、孫、四代の先まで見ることができた。 42:17 ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。

 

◎今日の一言

義人ヨブの圧巻が記されている。ヨブの苦難を解決するために三人の友人達(エリファズ=啓示、ビルダド=伝統、ツォファル=常識を意味する)はあらゆる知恵を披歴してヨブを攻め立てたが、結果的には根本的な解決には至らなかった。しかしヨブが直接神と相まみえた時ヨブは神への確信を得た。福音の確かさをキリストにおいて見ない限り、罪深い自己の実態とその救いには至ることがない。キリスト者の信仰は単なる信心ではない。信仰心は万民が持っているものであるが、キリスト教信仰は『知らんがために我信ず』(カンタベリーの大司教アンセルムスの言葉)と教えられる通り『知解を求める信仰』である。

 

 

☆通読聖書 : コロサイ書2章8-15節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月12日(月) 

 

◎今日の聖句

   創世記322232

 

32:22 こうして、贈り物を先に行かせ、ヤコブ自身は、その夜、野営地にとどまった。

◆ペヌエルでの格闘

32:23 その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。 32:24 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、 32:25 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。 32:26 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。 32:27 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」 32:28 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、 32:29 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」 32:30 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。 32:31 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。 32:32 ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。

 

◎今日の一言

人が誠実に生きる決意をしたとき必ず過去に犯した罪の清算をしなければならない。心にやましい思いがある時、たとい成功した人生を歩んでいても必ず大きな躓きを体験することとなる。族長ヤコブは兄エサウとの確執をどう整理するかが最大の問題であった。ペヌエルでの神の人との格闘は腿の関節の痛みを残すこととなったが、後日兄と再会した時彼の罪の負い目は解き放たれた。隣人への誠意はまず神への誠実が保たれなければ偽善となる。神無き人の心は神の発見によって魂の息吹を取り戻すこととなる。復活のキリストと再会した弟子達の畏れと喜びの体験である。

 

 

☆通読聖書 : コロサイ書2章1-7節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月11日(日) 

 

◎今日の聖句

  ヨハネ福音書201929

 

◆イエス、弟子たちに現れる

20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 20:20 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。 20:21 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 20:22 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 20:23 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

 ◆イエスとトマス

20:24 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 20:25 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 20:26 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 20:27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 20:28 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 20:29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

 

◎今日の一言

疑い深いトマスは『あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。』とイエスの復活を受け入れなかった。しかし甦られたイエスに出会って『あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。』と言われて初めて福音の真価を知った。後に彼は南インドのマドラス(チェンナイ)まで伝道したと言われている。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。見ないのに信じる人は、幸いである。」と言われる言葉は活動的な今日のキリスト者にとっても革新的言葉となっている。

 

 

☆通読聖書 : Ⅰペトロ書1章3-9節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月10日(土) 

 

◎今日の聖句

 ルカ福音書24章1-12節

 

24:1 そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。 24:2 見ると、石が墓のわきに転がしてあり、 24:3 中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。 24:4 そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。24:5 婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。 24:6 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。 24:7 人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」 24:8 そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。 24:9 そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。 24:10 それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、 24:11 使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。24:12 しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。

 

 

◎今日の一言

イエスを裏切って生き残ったペトロにとってキリストの復活は受け入れがたい。裏切り者の自分はイエスと会う機会は持ちたくない。河内弁で言うと『お前、どのバカズラさげて会えるんケ⁉』(お目に掛るのか)』と言う心境。 まず人として裏切ったイエスと会うのが恐ろしい。次にみじめな自分の姿を受け入れたくない。更に仲間たちはどう思うかを考えるとやり切れない。ペトロの思いすべてを代弁できないが、だれが見ても逃げることしか思いつかない。このマイナスを変える力はイエスご自身からの愛と赦しの言葉以外にない。イエスへの復活信仰は人を最も大きく変える再生の力です。

 

 

☆通読聖書 : コロサイ書1章24-29節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月9日(金) 

 

◎今日の聖句

ルカ福音書24章36-47節

 

◆弟子たちに現れる

24:36 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 24:37 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。 24:38 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。 24:39 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」 24:40 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。 24:41 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。 24:42 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、 24:43 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。 24:44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 24:45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、 24:46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 24:47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。

 

◎今日の一言

イザヤ書53章、ホセア書6章3節にはメシアの苦難と復活の記事が預言されている。人間の最大の課題は罪の赦しと永遠の命の問題である。この二つが解決した時魂は生き返り喜びの人生を歩む事となる。この世の諸問題は努力次第で何とでもなる。そのような問題で悩むことは人間が小さいと言われる。ご利益宗教は利害関係を優先する似非宗教である。魂の問題こそ究極の問いであり聖書はそこから人間を見る。キリスト者はうろたえてはならない。復活の主を求めなければ生きた実存は空しく消え去ることとなる。十字架と復活こそが福音の核心である。

 

 

☆通読聖書 : コロサイ書1章15-23節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月8日(木) 

 

◎今日の聖句

    ヨハネ福音書21章1-14節

 

イエス、七人の弟子に現れる

21:1 その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。 21:2 シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。 21:3 シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。 21:4 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。 21:5 イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。 21:6 イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。 21:7 イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。 21:8 ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 21:9 さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。 21:10 イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。 21:11 シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。 21:12 イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。 21:13 イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。 21:14 イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

 

◎今日の一言

復活の主が三度目に弟子達に現れたと言う記事である。ヨハネはリアルにその出来事を記す。弟子達の驚きは尋常ではない。シモン・ペトロの恐れは本物であろう。復活の主に会わせる顔を持たない裏切り者である。しかしイエスは咎めることをなさらない。それ以上に魚は153匹も捕れたとある。復活の主に出会う時に起きる大きな奇跡である。パンは主の聖餐、魚は信仰告白(ギリシャ語のイエス・キリスト・神の・子・救い主の頭文字を集めると魚=イクトゥスとなる)の意味で教会を表すとも取れる。復活信仰に生きる時、信仰者には常に恵みの奇跡が起きる。

 

☆通読聖書 : コロサイ書1章1-14節 

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月7日(水) 

 

◎今日の聖句

 ヨハネ福音書20章11-18節

 

◆イエス、マグダラのマリアに現れる

20:11 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、 20:12 イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。 20:13 天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」 20:14 こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。 20:15 イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」 20:16 イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 20:17 イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」 20:18 マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

 

◎今日の一言

復活の主の証言者となることは新しい信仰に生きる者にしかできないことである。また深く主イエスを愛する人でなければ確信をもって語ることができない。神の価値観に立つ者にのみ可能なことである。弟子達の所へ行ったマグダラのマリアの証言を受け入れなかったのはイエスの元弟子達であった。しかし彼らもまた直接イエスに出会い、主イエスの証言者として立ち上がる。世界のキリスト者は自らキリスト者として証言して生きる。神の情熱をもって、たとい敗北してもその信仰を証しし続ける。かつて主を裏切った弟子達も目覚めて新しい人生を復活の主の証言において生きた。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書24章50-53節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月6(火 

 

◎今日の聖句

 ヨハネ福音書20章1-10節

 

◆復活する

20:1 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 20:2 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 20:3 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。 20:4 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。 20:5 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。 20:6 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。 20:7 イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。 20:8 それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。 20:9 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。 20:10 それから、この弟子たちは家に帰って行った。

 

◎今日の一言

昨日の聖書の言葉は強力である。キリストの復活は預言者がすでに預言していた。『主はこの山ですべての民の顔を包んでいた布とすべての国を覆っていた布を滅ぼし死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。』墓の中を探しても復活の主は見つからない。空虚な墓があるだけである。死は過去に拘泥する事、復活は未来に生きる事である。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書24章36-49節

LOSUNGEN『日々の聖句』

    2021年4月5日(月)    

 

◎今日の聖句

 イザヤ書25章6-9節

 

25:6 万軍の主はこの山で祝宴を開き/すべての民に良い肉と古い酒を供される。それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。 25:7 主はこの山で/すべての民の顔を包んでいた布と/すべての国を覆っていた布を滅ぼし 25:8 死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい/御自分の民の恥を/地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。 25:9 その日には、人は言う。見よ、この方こそわたしたちの神。わたしたちは待ち望んでいた。この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び躍ろう。

 

◎今日の一言

BC8世紀、預言者イザヤはキリストの復活による新生と神の御業を先取りして預言していた。『この方こそわたしたちの神。この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び踊ろう』と。復活の主イエスこそ真理と愛と自由をもたらす神であり、キリスト者は日々イースターを喜ぶのである。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書24章13-35節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月4日(日) 

 

◎今日の聖句

 マルコ福音書16章1-8節

 

◆復活する

16:1 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。 16:2 そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。 16:3 彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。 16:4 ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。 16:5 墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。 16:6 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。 16:7 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 16:8 婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

 

◎今日の一言

エルサレムの墓は岩の洞窟を利用して作られている。内部は岩を掘ってベッドの形を作り、その上に遺体を布に包んで遺骨になるまで置いておく。遺族は何度か遺体の布を取り換え香油を塗る。1年後遺骨を集めて墓地の墓に収める。岩の墓の入口は大きな丸い車輪のような石が置かれ塞がれている。婦人たちの力では到底動かない。三日目の朝早く婦人たちが出かけて行ってイエスの納められた墓を見た所、ふたが開かれていて遺体はなかったと言う。イエスの復活は「空虚な墓」の記述によって証明される。しかし人はこの事実によって価値観が問われることとなる。キリスト者はイエスの復活を信じて信仰に生きる。イエスの贖罪を信じる者にはHappy Easterとなる。

 

 

☆通読聖書 : Ⅰコリント書15章1-11節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年4月3日(土) 

 

◎今日の聖句

 Ⅰペトロ書3章18-22節

 

3:18 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。 3:19 そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。 3:20 この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが水の中を通って救われました。 3:21 この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。 3:22 キリストは、天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです。

 

◎今日の一言

初代教会以来キリスト教は信仰告白を正統の教会形成の原理としました。だた神さまを信じるだけで良いわけではありません。神はどのようなお方か?キリストはどこにおられるか?なぜキリストは十字架にはりつけされたのか等々。キリスト者は聖書を通してこの信仰の原理を学びます。初代教会以来会議によって正統と異端を厳しく明確にしました。日本人には馴染みにくいのですがこれが歴史に根付く福音の根拠となりました。「神学なき信仰は盲目にして、信仰なき神学は空虚である」との神学者の言葉は今も真理です。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書23章50-56節

LOSUNGEN『日々の聖句』

2021年4月2日(金)

 

◎今日の聖句

 イザヤ書52章13節-53章12節

 

◆主の僕の苦難と死

 52:13 見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる。 52:14 かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように/彼の姿は損なわれ、人とは見えず/もはや人の子の面影はない。 52:15 それほどに、彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見/一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。

53:1 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。 53:2 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように/この人は主の前に育った。見るべき面影はなく/輝かしい風格も、好ましい容姿もない。 53:3 彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。 53:4 彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。 53:5 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。 53:6 わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。 53:7 苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。 53:8 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/命ある者の地から断たれたことを。 53:9 彼は不法を働かず/その口に偽りもなかったのに/その墓は神に逆らう者と共にされ/富める者と共に葬られた。 53:10 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ/彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。 53:11 彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。 53:12 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。

 

◎今日の一言

今日は聖受苦日(Good Friday)と呼ばれる。BC8世紀イザヤの預言した通りイエスは贖罪の死を遂げられた。世界はこのあがないにより聖化される。イエスの死は歴史的客観性を持つ。この信仰が文化の底辺に確保される時、世界に希望が確立される。贖罪信仰なき世界はカオスである。ユダヤ・キリスト教文化の強さがここにある。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書23章32-49節

LOSUNGEN『日々の聖句』

2021年4月1日(木)

 

◎今日の聖句

マタイ福音書26章17-30節

 

◆過越の食事をする

26:17 除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。 26:18 イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」 26:19 弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。 26:20 夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。 26:21 一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」 26:22 弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。 26:23 イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。 26:24 人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」 26:25 イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」

 ◆主の晩餐

26:26 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 26:27 また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。 26:28 これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。 26:29 言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」 26:30 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

 

◎今日の一言

「最後の晩餐」が行われた日である。過越祭の記念すべき食事の席でイエスはユダを名指しで「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」と言われた。イエスの生涯においては最も重苦しい時であったに違いない。残念なことだが裏切りは最も身近なところから起きる。イエスは深く人間の罪を知っておられたのである。イースター前の受難週にはすべてのキリスト者は深く自らの罪深さを嘆き、悔い改めを決意する時とする。同時に苦悩する世界のために神による栄光の光が差し込むことを祈る。希望に満ちた神からの光が差し込まれることを見る人々は幸いである。

 

☆通読聖書 : ルカ福音書23章26-31節 

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年3月31日(水)

 

◎今日の聖句

ルカ福音書22章1-6節

 

◆イエスを殺す計略

22:1 さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。 22:2 祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。 22:3 しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。 22:4 ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。 22:5 彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。 22:6 ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。

 

◎今日の一言

過越祭はユダヤ人の原点復帰を促す民族最大の祭りである。ナザレのイエスはこの時ゴルゴダの丘で処刑された。出エジプトを記念すべきこの時は罪にまみれ神を捨て、サタンに身をゆだねた悪しき人間の本心が赤裸々に開示された日となった。悲しいかなイエスの弟子達がその証しとなった。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書23章13-25節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年3月30日(火)   

 

◎今日の聖句

ヨブ記38章1-11,42章1-6節

 

◆主なる神の言葉

38:1 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。38:2 これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて/神の経綸を暗くするとは。38:3 男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。38:4 わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。知っていたというなら/理解していることを言ってみよ。38:5 誰がその広がりを定めたかを知っているのか。誰がその上に測り縄を張ったのか。38:6 基の柱はどこに沈められたのか。誰が隅の親石を置いたのか。38:7 そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い/神の子らは皆、喜びの声をあげた。38:8 海は二つの扉を押し開いてほとばしり/母の胎から溢れ出た。38:9 わたしは密雲をその着物とし/濃霧をその産着としてまとわせた。38:10 しかし、わたしはそれに限界を定め/二つの扉にかんぬきを付け 38:11 「ここまでは来てもよいが越えてはならない。高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。

42:1 ヨブは主に答えて言った。 42:2 あなたは全能であり/御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。 42:3 「これは何者か。知識もないのに/神の経綸を隠そうとするとは。」そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた/驚くべき御業をあげつらっておりました。 42:4 「聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」 42:5 あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。 42:6 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し/自分を退け、悔い改めます。

 

◎今日の一言

義人ヨブが世のすべての罪と矛盾を見てとり苦悩の中で神に問いかけた時神は直接ヨブに応えられた。『知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。』と。被造物である人間が神に代って世のすべての道理を論断することはできない。ヨブは初めて全能者の威光を心に刻み付けて自らの至らなさを知ったのである。人は様々な経験を通じて神の存在を自覚し、贖罪の確かさに目覚めさせられる時を得ている。人は赤裸々な自己の内面を吐露することはしないが、キリスト者は十字架のキリストに出会って隠し続けた悪と罪の姿を告白するのである。洗礼とはヨブのように全能者に出会って公的に自らの罪を告白し悔い改めを決意する儀式である。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書23章1-12節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2021年3月29日(月)

 

◎今日の聖句

  マタイ福音書26章6-13節

 

◆ベタニアで香油を注がれる

26:6 さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、 26:7 一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。 26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。 26:9 高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」 26:10 イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。 26:11 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。 26:12 この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。 26:13 はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」

 

◎今日の一言

贖罪の死を遂げるイエスのために一人の婦人が高価な香油の壺を持ってきてイエスの頭に注いだと言う。弟子達はその無駄と感じた婦人の行為をなじった。しかしイエスは「わたしを葬る準備をしてくれた」と言って婦人を讃えた。高価な香油を売って金に換え、貧しい人々に施しをすべきだとは持てる人、皆が考えることである。しかしイエスはそれ以上の行為のあることを示された。教会は慈善団体ではない。福音が告知される場である。

 

☆通読聖書 : ルカ福音書22章63-71節

LOSUNGEN『日々の聖句』

     2021年3月28日(日)   

 

◎今日の聖句

  ヨハネ福音書12章12-19節

 

◆エルサレムに迎えられる

12:12 その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、 12:13 なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、/イスラエルの王に。」 12:14 イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。 12:15「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、/ろばの子に乗って。」 12:16 弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した。 12:17 イエスがラザロを墓から呼び出して、死者の中からよみがえらせたとき一緒にいた群衆は、その証しをしていた。 12:18 群衆がイエスを出迎えたのも、イエスがこのようなしるしをなさったと聞いていたからである。 12:19 そこで、ファリサイ派の人々は互いに言った。「見よ、何をしても無駄だ。世をあげてあの男について行ったではないか。」

 

◎今日の一言

イエスは旧約ゼカリヤ書9章に預言された通りロバの子に乗ってエルサレムに入られた。群衆は「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」と叫んでイエスを歓迎した。しかし4日後彼らは皆十字架につけよとイエスを裏切った。今日から受難週である。神なき世の悲惨を誰が回避するのか。キリスト者はそれでもなお小さな灯を手にして神の真実を行うであろう。

 

 

☆通読聖書 : フィリピ書2章5-11節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2021年3月27日(土)

 

◎今日の聖句

  ルカ福音書18章31-43節

 

◆イエス、三度死と復活を予告する

18:31 イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。 18:32 人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。 18:33 彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」 18:34 十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。

 ◆エリコの近くで盲人をいやす

18:35 イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。18:36 群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。18:37 「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、18:38 彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。18:39 先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。18:40 イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。18:41 「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。 18:42 そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」 18:43 盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。

 

◎今日の一言

旧約聖書イザヤ書53章に主の僕の苦難と死が預言されている。そこには『彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。』(53:5)とある。この贖罪死こそが人間の根源的な罪の赦しを得させる神の愛である。人はこの愛を持たなければケモノ化し悪魔化する。その証しがゴルゴダの丘におけるキリストの十字架の死である。キリストは十字架上から「父よ彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」と執り成しの祈りを捧げられた。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書22章54-62節

LOSUNGEN『日々の聖句』

      2021年3月26日(金)   

 

◎今日の聖句

 ヘブライ書10章1,11-18節

 

10:1 いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。

10:11 すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。 10:12 しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、 10:13 その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。 10:14 なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。 10:15 聖霊もまた、わたしたちに次のように証ししておられます。 10:16 「『それらの日の後、わたしが/彼らと結ぶ契約はこれである』と、/主は言われる。『わたしの律法を彼らの心に置き、/彼らの思いにそれを書きつけよう。 10:17 もはや彼らの罪と不法を思い出しはしない。』」 10:18 罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。

 

◎今日の一言

大祭司キリストは既に神の右に座し、聖なる者とされたキリスト者を完全な者として扱われると言う。エレミヤの預言の通り、神は律法による義ではなく、一人一人の心に刻まれた信仰による義を受容れ給う。新しい神の契約である。混沌とした世界で神による新生の体験が生きる希望を生むこととなる。キリスト者の勝利は消えることがない。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書22章47-53節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2021年3月25日(木)  

 

◎今日の聖句

 エレミヤ書15章15-21節

 

15:15 あなたはご存じのはずです。主よ、わたしを思い起こし、わたしを顧み/わたしを迫害する者に復讐してください。いつまでも怒りを抑えて/わたしが取り去られるようなことが/ないようにしてください。わたしがあなたのゆえに/辱めに耐えているのを知ってください。 15:16 あなたの御言葉が見いだされたとき/わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり/わたしの心は喜び躍りました。万軍の神、主よ。わたしはあなたの御名をもって/呼ばれている者です。 15:17 わたしは笑い戯れる者と共に座って楽しむことなく/御手に捕らえられ、独りで座っていました。あなたはわたしを憤りで満たされました。 15:18 なぜ、わたしの痛みはやむことなく/わたしの傷は重くて、いえないのですか。あなたはわたしを裏切り/当てにならない流れのようになられました。 15:19 それに対して、主はこう言われた。「あなたが帰ろうとするなら/わたしのもとに帰らせ/わたしの前に立たせよう。もし、あなたが軽率に言葉を吐かず/熟慮して語るなら/わたしはあなたを、わたしの口とする。あなたが彼らの所に帰るのではない。彼らこそあなたのもとに帰るのだ。 15:20 この民に対して/わたしはあなたを堅固な青銅の城壁とする。彼らはあなたに戦いを挑むが/勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて助け/あなたを救い出す、と主は言われる。 15:21 わたしはあなたを悪人の手から救い出し/強暴な者の手から解き放つ。」

 

◎今日の一言

預言者エレミヤが同国人から激しい屈辱の言葉を発せられ深く悲しみに沈んでいる時、神の言葉がエレミヤに告げられた。『この民に対して わたしはあなたを堅固な青銅の城壁とする。彼らはあなたに戦いを挑むが 勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて助け  あなたを救い出す、と主は言われる。 わたしはあなたを悪人の手から救い出し 強暴な者の手から解き放つ。』 神への信頼と勇気は必ず報われる。神は信仰に生きる者を「堅固な青銅の城壁とする」と約束される。その証しはメシアとしてのキリスト・イエスに現わされている。時代に負けないキリスト者の強みである。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書22章39-46節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年3月24日(水) 

 

◎今日の聖句

   ヘブライ書91115

 

9:11 けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、 9:12 雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。 9:13 なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、 9:14 まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。 9:15 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。

 

◎今日の一言

ヘブライ書の著者はキリストは恵みの大祭司であり神と人との契約の仲保者であると教える。人は直接的に神とまみえることができない。恵みの仲保者を通じて新しい神の世界に招き入れられる。救いの完成はキリストの執り成しにおいて成就する。罪ある人間がそのまま神の世界に往生することは決してあり得ない。すべてはキリストの愛による執り成しなのである。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書22章31-38節

LOSUNGEN『日々の聖句』

           2021年3月23日(火)       

 

◎今日の聖句

  ヨブ記192127

 

19:21 憐れんでくれ、わたしを憐れんでくれ/神の手がわたしに触れたのだ。あなたたちはわたしの友ではないか。 19:22 なぜ、あなたたちまで神と一緒になって/わたしを追い詰めるのか。肉を打つだけでは足りないのか。 19:23 どうか/わたしの言葉が書き留められるように/碑文として刻まれるように。 19:24 たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記され/いつまでも残るように。 19:25 わたしは知っている/わたしを贖う方は生きておられ/ついには塵の上に立たれるであろう。 19:26 この皮膚が損なわれようとも/この身をもって/わたしは神を仰ぎ見るであろう。19:27 このわたしが仰ぎ見る/ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。

 

◎今日の一言

ヨブは苦難のどん底から友人に訴え、神に呼びかける。死を前にして、破局を迎えた人間の叫びが記される。しかしヨブは神への思いを捨てない。メサイアの圧巻でもある25,26節の言葉は有名である。「わたしは知っている わたしを贖う方は生きておられ ついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも この身をもって わたしは神を仰ぎ見るであろう。」

 

☆通読聖書 : ルカ福音書23章24-30節

LOSUNGEN『日々の聖句』

         2021年3月22日(月)      

 

◎今日の聖句

  エフェソ書21116

 

◆キリストにおいて一つとなる

2:11 だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。 2:12 また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。 2:13 しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。 2:14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 2:15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 2:16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。

 

◎今日の一言

聖書のユダヤ人が語る「異邦人」とは創造主を知らず「十戒」に代表される神の戒めとその契約に与かっていない人々の事です。換言すれば野蛮人と同じ理解です。しかしキリスト者は十字架に死んだキリストにより新しい信仰による救いの契約に与かるものであり、神の律法に生きる者となります。悔い改めの洗礼を受けた者は皆神の民としてキリストにある兄弟姉妹として新しい人生を生きる者となります。信者にとって受難節とイースターはその約束を確認する時となります。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書22章7-23節

LOSUNGEN『日々の聖句』

       2021年3月21日(日)     

 

◎今日の聖句

 マルコ福音書103545

 

◆ヤコブとヨハネの願い

10:35 ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」 10:36 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、 10:37 二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」 10:38 イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」 10:39 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。 10:40 しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」 10:41 ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。 10:42 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 10:43 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 10:44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。 10:45 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

 

◎今日の一言

ゼベダイの子ヤコブとヨハネはイエスが神の国で栄光をお受けになる時、一人を右にもう一人を左に座らせてほしいと願い出た。またこのことにより他の弟子達の間でも苦情が出た。イエスは誰をも忖度されることはなく特別扱いはなさらない。そして弟子達に「すべての人の僕になりなさい」と言われた。誰にでもできることではないが他者の為に仕える人となることこそ神に嘉せられることであると教えられた。サーヴァント・リーダーシップなる語もあるが、努力なしに仕える者となることはできない。

 

 

☆通読聖書 ; ヘブライ書5章1-10節

LOSUNGEN『日々の聖句』

      2021年3月20日(土)    

 

◎今日の聖句

  ヨハネ福音書14章15-21節

 

◆聖霊を与える約束

14:15 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。 14:16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 14:17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 14:18 わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。 14:19 しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。 14:20 かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。 14:21 わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」

 

今日の一言

キリスト者は三位一体(父・子・聖霊)の神としての聖霊を信じている。聖霊は見えない神の働きであるが、それは現象としてはっきり確認される。聖霊は風・息(ヘブル語でルアッハ)とも言われる。風により開いた窓のカーテンが揺れる。人はそれを見て風が吹いていると知る。神の愛に生かされた人は証しとして良き業に励む。聖霊によらなければ人は良き業を行うことができない。キリストはその聖霊=弁護者(ギリシャ語でパラクレートス)を送ると約束された。最大の贈り物(愛の証し)である。

 

 

☆通読聖書 :ルカ福音書22章1-6節

LOSUNGEN『日々の聖句』

   2021年3月19日(金)  

 

◎今日の聖句

  ヨハネ福音書16章16-23節

 

◆悲しみが喜びに変わる

16:16 「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」 16:17 そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」 16:18 また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」 16:19 イエスは、彼らが尋ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。 16:20 はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。 16:21 女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。 16:22 ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。 16:23 その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。

 

◎今日の一言

弟子達にとってイエスとの決別は世が喜んでも悲しみ以外の何物でもない。しかしメシアはよみがえり再び弟子たちを勇気付ける。十字架の別れは不安と絶望を体験させるが福音は復活による希望をもたらす。福音書記者ヨハネはキリストの復活が勝利であり喜びであることを証しする。キリスト教信仰の醍醐味は復活のキリストと出会うことにある。キリストはよみがえりの主である。この復活のキリストを知る事は諸宗教の信仰を遥かに超える。聖書が語る福音の真理を越える教えは他に存在しない。キリスト者は常にこの超越の支点をもって生きる者である。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書21章29-38節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年3月18日(木) 

 

◎今日の聖句

 Ⅱコリント書4章11-18節

 

4:11 わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。 4:12 こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。 4:13 「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。 4:14 主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。 4:15 すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。

 ◆信仰に生きる

4:16 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 4:17 わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。 4:18 わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。

 

◎今日の一言

キリスト教信仰の最大の威力は復活信仰にあります。死が人生の終極ではなくキリストと共に永遠に生きる復活の世界が約束されている事です。キリスト者は復活のキリストと共に永遠に生きる約束を信じています。キリストによって既に死の勢力は打破されているのです。現世にあるすべてのものは滅びるでしょう。しかし復活信仰はそれを越えた世界に目を遣って生きるのです。パウロは既にキリストと共に現世を超越して生きる信仰の道を教えています。見えないものに目を注ぐことがこの世を強く生きる力となります。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書21章20-28節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年3月17日(水) 

 

◎今日の聖句

 ヨハネ福音書15章9-17節

 

15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 15:10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。 15:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。15:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。 15:13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 15:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 15:15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。 15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。 15:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

 

◎今日の一言

聖書の教えは「互いに愛し合いなさい」との言葉に尽きると言って良い。しかし幼少時より互いに愛し合う事の経験を持たない凡人には互いに愛し合うことは難しい。愛ある人は必ず成功するがその経験を持たない人はいくら信仰に熱心であっても報われない。なぜか。それはエゴイズムに過ぎないからである。イエスが教える通り小さい時から神の掟を守り隣人を愛する生活習慣を持たないからである。しかし愛された経験を持つ者はその戒めを守り必ず豊かな友情をはぐくむ者となる。キリスト教的幼児教育には金の鶏を生む要素がある。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書21章5-19節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年3月16日(火)  

 

◎今日の聖句

 ヨブ記9章14-23節

 

9:14 わたしのようなものがどうして神に答え/神に対して言うべき言葉を選び出せよう。 9:15 わたしの方が正しくても、答えることはできず/わたしを裁く方に憐れみを乞うだけだ。 9:16 しかし、わたしが呼びかけても返事はなさるまい。わたしの声に耳を傾けてくださるとは思えない。 9:17 神は髪の毛一筋ほどのことでわたしを傷つけ/理由もなくわたしに傷を加えられる。 9:18 息つく暇も与えず、苦しみに苦しみを加えられる。 9:19 力に訴えても、見よ、神は強い。正義に訴えても/証人となってくれるものはいない。 9:20 わたしが正しいと主張しているのに/口をもって背いたことにされる。無垢なのに、曲がった者とされる。 9:21 無垢かどうかすら、もうわたしは知らない。生きていたくない。 9:22 だからわたしは言う、同じことなのだ、と/神は無垢な者も逆らう者も/同じように滅ぼし尽くされる、と。 9:23 罪もないのに、突然、鞭打たれ/殺される人の絶望を神は嘲笑う。

 

◎今日の一言

義人ヨブは徹底的に神に言い逆らう。全財産を失い、家族も失い、重い病にかかりすべてが理不尽なうちに展開される人生の試練と絶望のただ中で、神は何も答えてくれない。友人の助言も助けにはなら無い。ヨブは神への期待を捨て、「生きていたくない」と結論付ける。そして惨めなヨブをあざ笑う神しかいないと言う。しかしこの苦悩のどん底から全能者の顕現が始まるのである。その結論は40章に開示される。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書21章1-4節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年3月15日(月) 

 

◎今日の聖句

   ヨハネ福音書6章26-35節

 

6:26 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。 6:27 朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」 6:28 そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、 6:29 イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」 6:30 そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。 6:31 わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」 6:32 すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。 6:33 神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」 6:34 そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、 6:35 イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。

 

◎今日の一言

イエスは『朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。』と教える。それはイエス・キリストを知る事によって得られるものである。人生は死をもってすべてが終わるという虚無的価値観に支配されてはならない。人の一挙手一投足は当人の死後も語り伝えられる。悪に染まった人生を歩む者はその一族、子孫に至るまで肩身の狭い悲しい人生を歩むこととなる。神と共に正々堂々と生きた者はその信仰によって後世に語り継がれる。聖書の言葉は常に人間の本質を突く力を持っている。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書20章41-47節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年3月14日(日)

 

◎今日の聖句

    ヨハネ福音書12章20-24節

 

◆ギリシア人、イエスに会いに来る

12:20 さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。 12:21 彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。 12:22 フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。 12:23 イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。 12:24 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。

 

◎今日の一言

ユダヤ人の過越し祭はモーセ以来の出エジプトの奇跡を祝う民族の祝祭である。異邦人も共に祝福に与かる為にエルサレム神殿に集った。イエスはこの時自らの死を通して贖罪の業が行われることを予告していた。一粒の麦を通じて多くの実を結ぶこととなった。

 

 

☆通読聖書 : Ⅱコリント書1章3-7節

LOSUNGEN『日々の聖句』

   2021年3月13日(土)  

 

◎今日の聖句

  ガラテヤ書6章11-18節

 

◆結びの言葉

6:11 このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。 6:12 肉において人からよく思われたがっている者たちが、ただキリストの十字架のゆえに迫害されたくないばかりに、あなたがたに無理やり割礼を受けさせようとしています。 6:13 割礼を受けている者自身、実は律法を守っていませんが、あなたがたの肉について誇りたいために、あなたがたにも割礼を望んでいます。 6:14 しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。 6:15 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。 6:16 このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。 6:17 これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。 6:18 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。

 

◎今日の一言

ガラテヤ書はパウロの戦闘書簡と言われる。神の義は行いによって得られるか信仰によってかとの問いが基本を成す。ユダヤ人は行いによる義を優先させるがキリスト者は信仰による義を掲げる。パウロは元ユダヤ教徒であったが、十字架のキリストを知って、福音はイエスの十字架によって成就するとの信仰に生きる。信仰による義が万民救済の根拠となる。人は人種性別階級によって区別されるものではなく、キリストへの信仰の有無が基準とされる。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書20章27-40節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2021年3月12日(金) 

 

◎今日の聖句

   マタイ福音書10章34-39節

 

◆平和ではなく剣を

10:34 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 10:35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。 10:36 こうして、自分の家族の者が敵となる。 10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。 10:38 また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 10:39 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

 

◎今日の一言

イエスの教えは言葉の上では誤解を招きやすい。そのままでは家族の平和を壊すことと理解される。しかしその目的は家族の破壊ではなく真理に従って生きる事が如何に難しいかを教えるのである。福音は常に誤解されるが、時がたてばその真理が証しされる。真の平和は命を犠牲にする所にこそ存在する。自己犠牲を惜しんでいては真の愛も実らない。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書20章20-26節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年3月11日(木) 

 

◎今日の聖句

   マタイ福音書19章16-26節

 

◆金持ちの青年

19:16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」 19:17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」 19:18 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、 19:19 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」 19:20 そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」 19:21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 19:23 イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。 19:24 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 19:25 弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。 19:26 イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。

 

◎今日の一言

イエスの富める青年の問いに対する答えである。『金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい。』とは大変厳しい答えである。しかし私達はそれ程たくさんの財産を持つ者ではない。それ故にせめて十戒の戒めを守り天に宝を積む生き方をしたいと願う。神の公平さを覚えて良き道を歩む者となりたいと願う。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書20章9-19節

LOSUNGEN『日々の聖句』

  2021年3月10日(水)

 

◎今日の聖句

 マタイ福音書13章44-46節

 

◆「天の国」のたとえ

13:44 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。 13:45 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 13:46 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。

 

◎今日の一言

イエスの譬え話は常に理に適っている。最も価値あると判断した物には全財産を払ってでもそれを手に入れて新しい生き方をするものだと言う。信仰者は朽ちない宝を得て人生を楽しむ者である。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書20章1-8節

LOSUNGEN『日々の聖句』

2021年3月9日(火)

 

◎今日の聖句

ヨブ記7章11-21節

 

7:11 わたしも口を閉じてはいられない。苦悶のゆえに語り、悩み嘆いて訴えよう。7:12 わたしは海の怪物なのか竜なのか/わたしに対して見張りを置れるとは。 7:13 「床に入れば慰めもあろう/横たわれば嘆きも治まる」と思ったが 7:14 あなたは夢をもってわたしをおののかせ/幻をもって脅かされる。 7:15 わたしの魂は息を奪われることを願い/骨にとどまるよりも死を選ぶ。 7:16 もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。ほうっておいてください/わたしの一生は空しいのです。 7:17 人間とは何なのか。なぜあなたはこれを大いなるものとし/これに心を向けられるのか。 7:18 朝ごとに訪れて確かめ/絶え間なく調べられる。 7:19 いつまでもわたしから目をそらされない。唾を飲み込む間すらも/ほうっておいてはくださらない。 7:20 人を見張っている方よ/わたしが過ちを犯したとしても/あなたにとってそれが何だというのでしょう。なぜ、わたしに狙いを定められるのですか。なぜ、わたしを負担とされるのですか。 7:21 なぜ、わたしの罪を赦さず/悪を取り除いてくださらないのですか。今や、わたしは横たわって塵に返る。あなたが捜し求めても/わたしはもういないでしょう。

 

◎今日の一言

義人ヨブの最大の嘆きが告白されている。全能者なる神を持たざる者の最大の苦悩が語られるのである。死と絶望のどん底に突き落とされたヨナはそれでもなお神の経綸に思いをいたし、存在の理由を問う。人生の究極の意味は創造主なる神の発見にある。聖書は常に究極の存在を問い、その意義を明示する。信仰者はその根拠をキリストの十字架によって知らされるのである。私の苦悶はアガペー、すなわち十字架のキリストによって解放される。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書19章41-48節

LOSUNGEN『日々の聖句』

               2021年3月8日(月)          

 

◎今日の聖句

ルカ福音書142535

 

◆弟子の条件

14:25 大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。 14:26 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 14:27 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。 14:28 あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。 14:29 そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、 14:30 『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。 14:31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。 14:32 もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。 14:33 だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」

 

◎今日の一言

イエスの弟子となる条件が語られている。結論から言えば信仰生活は中途半端ではいけないと言う事であろう。目的達成のためには必要に応じた計画を立て日々努力しなければ達成できない。どの世界でも共通することだが目標達成を成し遂げた時人々からも支持され神からも祝福される。人生で最も厳しいのは信仰による自己実現である。最終的にはそれは神によって評価されることとなる。日々たゆまぬ努力が求められる所である。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書19章28-40節

LOSUNGEN『日々の聖句』

          2021年3月7日(日)         

 

◎今日の聖句

ルカ福音書9章57-62節

 

◆弟子の覚悟

9:57 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。 9:58 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」 9:59 そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。 9:60 イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」 9:61 また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」 9:62 イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。

 

◎今日の一言

信仰者はキリストの前に言い訳できない人と言える。神の国を目指す人は皆キリストに従う。人は言い訳しないことによって信頼され尊敬される。この厳しい言説によって多くの人はキリストに躓くであろう。しかし神は必ず別の道も備えて下さる。この戒めを心に留めて生きる事が人生の成功を生む。

 

 

☆通読聖書 : エフェソ書5章1-9節

LOSUNGEN『日々の聖句』

 2021年3月6日(土) 

 

◎今日の聖句

ガラテヤ書2章16-21節

 

2:16 けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。 2:17 もしわたしたちが、キリストによって義とされるように努めながら、自分自身も罪人であるなら、キリストは罪に仕える者ということになるのでしょうか。決してそうではない。 2:18 もし自分で打ち壊したものを再び建てるとすれば、わたしは自分が違犯者であると証明することになります。 2:19 わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。 2:20 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。 2:21 わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。

 

◎今日の一言

キリストの犠牲の死によって私達に罪の赦しがもたらされたと言うキリスト教の教義は神の世界と隔絶された人間の現実が新しく神と結びつく新しい時の始まりとなったことを告知します。神なき世界に神と共に生きる道が開示されたことを意味する。それはまたキリストによる新しい世界統治が始まったことを告げる。キリストの犠牲の死は闇の世界に神の光がもたらされた決定的な転換点である。それゆえ福音に生きるとは世と異なる視点を確保することとなる。新しい命の革新である。

 

 

☆通読聖書 : ルカ福音書19章11-27節

LOSUNGEN『日々の聖句』

          2021年3月5日(金)       

 

◎今日の聖句

 Ⅱコリント書13章3-9節      

 

13:3 なぜなら、あなたがたはキリストがわたしによって語っておられる証拠を求めているからです。キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です。 13:4 キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。 13:5 信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。あなたがたが失格者なら別ですが……。 13:6 わたしたちが失格者でないことを、あなたがたが知るようにと願っています。 13:7 わたしたちは、あなたがたがどんな悪も行わないようにと、神に祈っています。それはわたしたちが、適格者と見なされたいからではなく、たとえ失格者と見えようとも、あなたがたが善を行うためなのです。 13:8 わたしたちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。13:9 わたしたちは自分が弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になることをも、わたしたちは祈っています。

 

◎今日の一言

キリストを信じて生きるキリスト者とは一見愚かしい人生を生きる者であるようだが、不思議な人間だと思わせられる。すべて自己実現のために生きるのではなくキリストの真理のために最善を尽くして生きる事を第一にするからです。これが最高の人生であると思えるようになるためにはこの世を超越した人生観、世界観が求められます。パウロはキリストにある本当の強さを生きた人物です。少数者であってもそのような生き方をする人々によって世界が支えられ、変えられて行きます。キリスト信仰は単なる宗教性を越えた超越性、絶対性を誇示する教えである。

 

☆通読聖書 : ルカ福音書19章1-10節