二月メッセージ

 

 

       『神を知るとは』  (ルカ福音書 6章43-45節)

 

                                牧師 中川 寛

 

 

 

人はそれぞれに神の居場所を求めている。その居場所を突き留めても神が神として人に語りかけてくれるとは限らない。多くの人はそれ故に神を信じない。否、神にあらざるものを神とし一時を満足して過ごすことになる。聖書は「神は創造者であり全能者である」と語る。実は人間は被造物であるに過ぎないものだが、不完全であるがゆえにより完全なものを求めようとするのである。

 

 

 

 

    神は人の心を照らされる存在である。その心には善悪の判断基準が明確に示される。福音書はわかりやすくこう語る。『悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」(ルカ6:43-49) すなわち口から出る言葉は良い心を持っている時には良い言葉が放たれ、悪い心を持っている時には悪い言葉が放たれる。それによって人が喜ぶ時もあれば言葉によって苦しみ、関係を破壊する。常に良い言葉を放つよう努力したいものであるが、本質的に自己中心である我々は損得勘定を優先する。これが罪なのである。人間が存在するところには常に付きまとう悲しい性(サガ)というべきものである。醜いサガを脱するためにも正しい神を求めなければならない。

 

 

 

 

普遍妥当性を持ち、永久不変の神を獲得するにはどうすべきか。私は神の言葉である聖書を知る事が第一であると確信する。同時に神の言葉である聖書を生み出した教会の本質を学ぶこと、そしてその集大成であり要約である『信仰告白と使徒信条』を知る事に尽きる。教会の伝統には制度としての「教皇制(教職制)」が存在するが、制度的教会は時間と共に変質し、時代と共に堕落する。しかし『信仰告白』は言葉として常に新しい神の恵みをもたらす。さらに伝統としての聖礼典がその意義を増し加える。それらはすべて単なる形式ではない。言葉と共に実態を明らかにする。これを体得することが良い実をもたらす信仰者として時代に光を灯す事が出来る。

 

 

 

 

 現代社会は頼るべき希望の根拠を欠いている。偽善がはびこり、虚偽が世を支配している。人は負けじと悪に走る。結果的には希望の光である幼子さえ犠牲にしてしまう。どこで誰がどの様にしてこの悪しき弊害を打ち破るのか。キリスト者はまず信仰に目覚めて神と共に立上がらねばならない。お金のあるところに人は集まるが、真実な言葉のあるところに栄光と繁栄がもたらされるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2019年 一月メッセージ(桜台教会『月報1月号』より)

        『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』

                (ルカ福音書 2章21-22節)

                            牧師 中川  寛

   ルカ福音書はイエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けた時、『天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿で降って来た。』と記す。そして『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえたと言う。「聖霊が鳩のように目に見える姿で降って来た」とは誰にでも体験できることだろうか。目には見えないが大きな神の働き掛けがイエスの上に起こったと明言する。キリスト者は祈りの中で聖霊の働きを体験する。熱狂的な異常現象が生ずるのだろうか。そうではない。大いなる善性に触れた時、人には人格的な変化が起こる。真剣に祈る人の感化力が及ぶ。聖霊の働きは人格的な感化力を産む。

 

 

 

人間の感化力は一時的な興奮を生じさせるが、聖なる感化力は生涯に亘ってその人格を聖化する。神が御子イエス・キリストに語りかけられた時、キリストご自身が聖霊によって聖化され、言葉が力を発揮して神の子としての歩みをなさせたのである。私たちも聖霊に導かれた時、祈りは奇跡を産む。通常では信じられない結末をもたらす。神は一人一人の心に語りかけられて、神の業を行う者へと導かれるのである。ナザレのイエスをメシア・キリストであると告白させる力は信仰に基づいてその祈りを実現される。それは神への信頼がもたらす祝福の成果である。祝福の証しである。信仰はキリストにおいて生きた神の恵みをもたらすものとなる。

 

   『信仰・希望・愛』の三位一体は聖なる結びつきをもって相互に私たちを正しい道に導く救いの原理である。キリストへの誠実な信仰が私たちの神関係を糺し、日常生活を神信仰へと導くものとなる。希望に生きる事は将来の可能性を望み見て生きる事ではない。生涯に亘って神への希望を持つことが真の自己実現を可能にする。そうでなければ希望は失望に至り試練によって挫折に至る。愛とはキリストの十字架の愛が根拠となる。贖罪愛が人を正しく導く力となる。これを導く原動力は祈りとみ言葉の習熟度によるのである。

 

 

 

   洗礼を受けてから教会から、又信仰から離れる人が多い。残念なことだが、「自由」についてのはき違いが信仰者を混乱へと導くこととなる。信仰者は信仰の原点に立ち返らなければならない。そして信仰の根拠を自明のものとしなければならない。世の論者によれば2019年から世界は大きな迷路に入り込み、更なる混乱と政治的社会的危機を産むと言う。多くの偽善的言舌が世を攪乱し、世界を混乱へと向かわせる。人心の荒廃は深化し、貧富の格差が増大する。人々は何をもって自己の崩壊を食い止める事が出来るか。信頼の回復は何をもって再建するか。その解決の道は聖書と教会の教理の学びの中に明示されているのである。